江戸絵画の文雅 ─魅惑の18世紀
「江戸絵画の文雅 ─魅惑の18世紀」展は、
出光美術館で開催されています。
会期 2018年11月3日(土・祝)~12月16日(日)
元禄年間(1688 - 1704)という時代、社会を背景に「漢文学・和歌に代表される雅」と「俳諧や戯作といった新興の俗」が相互に混じり合いながら豊かな文化が形成されました。こうした文化を端的にあらわす言葉に「雅俗」があります。
本展では18世紀に生まれた雅俗の絵画を、「文雅」、すなわち文芸をキーワードに見ていきます。(展示概要から引用)
大雅と蕪村の作風をじっくり比較鑑賞する良い機会にもなりました。
展示概要は次の通りです。
第1章 孤高の美学―大雅・蕪村の競演
第2章 文雅の意匠―琳派のみやび
第3章 禅味逍遥
第4章 王朝文化への憧れ―「見立て」の機知
第5章 幻想の空間へ―「文雅の時代」を継承するもの
十二ヶ月離合山水図屏風(右隻部分) 池大雅 明和6年(1769)頃 重要文化財 出光美術館
一幅ずつ独立した図でありながら各幅をつなげると一つの大画面になる離合山水図。古来中国の文人たちの間では掛軸で好まれた形式であるが、大雅は一月から十二月までの季節の変化を主題として月次屏風として蘇らせた。(キャプションより)
竹裏館図(部分) 池大雅 江戸時代 出光美術館
山水図屏風(右隻部分) 与謝蕪村 宝暦13年(1763) 重要文化財 出光美術館
蕪村は宝暦十三年(1763)から明和三年(1766)頃にかけて、高価な絖(ぬめ)を用いた屏風作品を数多く制作している。これらは主に「屏風講」と呼ばれる屏風頒布会のために制作されたものと考えられ、この時期に数多くの大作を制作している。(キャプションより)
絖(ぬめ)→繻子織の光沢ある絹)
富士図扇面 伝 尾形光琳 江戸時代 出光美術館
三保の松原を見越して雪をかぶった富士を望む金地の扇面である。本作は掛軸装にあらためられる祭に、江戸琳派の絵師鈴木基一(1795~1858)が薄を下地に描いている。本作の富士を「伊勢物語」「東下り」の段に擬した上で同書の「武蔵野」の段を暗示させる薄を下絵として描いたのであろう。(キャプションより)
雪図(四幅対の内) 尾形乾山 寛保2年(1742) 出光美術館
四幅に春の白梅、夏の撫子、秋の萩、冬の雪山と、日本の四季にちなんだ景物を描き、そこに和歌をしたためている。乾山はその晩年に「深省」の号で書画の制作を行っており、文人趣味の色合いが濃い画賛を伴う作例を多く制作した。雪中図の款記に「八十」とあることから没する前年寛保二年(1742)の作であることがわかる。(キャプションより)
銹絵菊図角皿 尾形乾山 絵 尾形光琳 江戸時代 出光美術館
仲秋の露に濡れる菊と薄が描かれる。賛に見られる「花中真隠逸」とは、晋の詩人陶淵明が菊をこよなく愛したことにちなむもの。(キャプションより)
美人鑑賞図 勝川春章 江戸時代 出光美術館
「俗中の雅」
身近な美人画に古典文学のネタを落とし込み、出典とあわせて味わう「見立絵」はその真骨頂。
展示概要(HPから)
元禄年間(1688 - 1704)、日本は経済活動の発展により、空前絶後の繁栄を極めました。開府よりおよそ100年を経た江戸は人口100万を突破、世界屈指のメガロポリスの地位を確たるものにしました。また、大坂・京都も数十万規模の大都市へと発展します。
「都市」という新たな生活空間の誕生は、文学・演劇・美術など、多様な文化の成立・発展に結びつきます。こうした文化を端的にあらわす言葉に「雅俗」、すなわち、漢文学・和歌に代表される伝統的な「雅」と、俳諧や戯作といった新興の「俗」があります。この言葉は、ふたつの文化が画然と分かたれるものであったかのような印象を私たちに与えるかもしれませんが、実際は相互に混じりあいながら、豊かな文化を形成していったのです。
こうした雅俗の混交は、当時の画壇にも当てはまります。本展では18世紀に生まれた雅俗の絵画を、「文雅」、すなわち文芸をキーワードに見ていきます。
文芸と絵画は古くより不可分の存在です。しかし、その裾野が大きく広がったのはこの時代です。人々の世相や風俗を描く「俗」なる絵画の典型という印象とは裏腹に、古典をもとにした「見立て」を繰り広げた浮世絵。王朝の風雅に対する深い理解と憧れを、絢爛たる色彩に託した琳派。そして、「雅」なるものの象徴ともいえる文人画においては、漢文学に対する深い素養とともに、俳諧など「俗」なる文芸が混ざり合うことによって、日本独自の情趣性を帯びてゆきます。「文雅」をもとに、多様な展開を見せる18世紀の豊饒な絵画の競演を、どうぞご堪能ください。
出光美術館 江戸絵画の文雅 ― 魅惑の18世紀
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