ムンク展―共鳴する魂の叫び
ムンク展―共鳴する魂の叫び
会期 2018年10月27日(土)~2019年1月20日(日)
「叫び」の展示場所には通路が設けられていて、最前列で鑑賞するためには通路の後列に並ばなければなりません。
立ち止まるのも不可です。
ムンクの代表作「叫び」は、絵画3点と複数の版画が現存しています。本展に展示されている作品はオスロ市立ムンク美術館所蔵の叫び1910年?)です。
ムンクは「接吻」「叫び」「マドンナ」「吸血鬼」というお馴染みのモチーフで繰り返し作品を制作しました。私も様々な展覧会で観てきました。
本展の特徴のひとつはこの様な作品に加え、自画像が沢山展示されている点にあるかもしれません。
十代から晩年までの自画像を記憶して、同じ年代の作品を鑑賞するのも面白いと思いました。
初期から晩年までの作品(油彩画約60点に版画などを合わせた約100点)を通してムンクの80年の生涯をたどる回顧展です。
展示作品はオスロ市立ムンク美術館所蔵がほとんどです。
展覧会の構成は以下の通りです。
1 ムンクとは誰か
2 家族─死と喪失
3 夏の夜─孤独と憂鬱
4 魂の叫び─不安と絶望
5 接吻、吸血鬼、マドンナ
6 男と女─愛、嫉妬、別れ
7 肖像画
8 躍動する風景
9 画家の晩年
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以下のムンクの言葉は展示会場に記されています。
(キャプションの一部も引用しています)
私の芸術は自己告白である
スケッチブックより
1927ー34年
自画像 1895年 リトグラフ オスロ市立ムンク美術館蔵
ムンク30歳代初めの作品。
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私の芸術は、人生の不均衡を解明しようとする思索から生まれた。何故、私は他の人と違うのか?頼みもしないのに、なぜこの世に生を受けたのか?この呪いと、それをめぐる思索が、私の芸術の礎となった。
病める子 1896年 リトグラフ オスロ市立ムンク美術館蔵
展覧会でムンク作品が展示されると、必ずと言っていいほど展示される「病める子」(数バージョンあり)。
ムンクの出発点だと思う。
ムンクの姉は15歳のとき結核で亡くなった。
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私は見えるものを描くのではない、見たものを描くのだ
ノートより
1928年
夏の夜、渚のインゲル オスロ市立ムンク美術館蔵
1889年 油彩、カンヴァス
妹のインゲルを描いた作品。
1890年代以降のムンクを象徴するテーマの重要な特徴をそなえた作品。それはつまり、浜辺にいるメランコリックな人物である。
ーーー
芸術は、自然の対極にある
芸術作品は人間の内なる魂から生まれる
ノートより、ヴァルネミュンデ
1907-08年
叫び 1910年? テンペラ、油彩、厚紙 オスロ市立ムンク美術館蔵
夕暮れの道を歩いていた
一方には町とフィヨルドが横たわっている
私は疲れていて気分が悪かった
立ちすくみフィヨルドを眺める
太陽が沈んでいく
雲が赤くなった
血のように
私は自然をつらぬく叫びよようなものを感じた
叫びを聞いたと思った
私はこの絵を描いた
雲をほんとうの血のように描いた
色彩が叫んでいた
この絵が〈生命のフリーズ〉の《叫び》となった
ーーー
読書する人や編み物する女のいる室内画を、もう描いてはならない。呼吸し、感じ、苦悩し、愛する、生き生きとした人間を描くのだ
ノートより
1929年
月明り、浜辺の接吻 1914年 油彩、カンヴァス オスロ市立ムンク美術館蔵
いくつかの恋愛関係は別として、ムンクは独身のままで過ごした。
ムンクは、芸術家が十分に力量を発揮するには孤独であるべきだと考えていた。
だが、実際の彼は、友人、支持者、パトロンと広いネットワークを持っていた。
ーーー
老人たちが「愛は炎である」というのは正しい
それは炎のように、
たった一山の灰を跡に残すのだ
スケッチブックより
1891-92年
生命のダンス 1925年 油彩、カンヴァス オスロ市立ムンク美術館蔵
白いドレスを着た若い女性は、青春期の純真さを表している。画面中央では、赤いドレスを着た女性とパートナーがダンスを踊っている。右側では、黒い服を着た年配の女性が、人生の終わりに近ずきつつあることを表している。
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カメラが筆とパレットに勝ることはない
それが天国か地獄で
使われない限りは
ノートより
1890-92年
フリードリッヒ・ニーチェ 1906年 油彩、テンペラ、カンヴァス オスロ市立ムンク美術館蔵
ニーチェの死6年後に写真をもとに描かれた作品。
ーーー
自然とは、目に見える物ばかりではない
瞳の奥に映し出されるイメージ
魂の内なるイメージでもあるのだ
ノートより、ヴァルネミュンデ
1907-08年
並木道の新雪 1906年 油彩、カンヴァス
ーーー
我々は誕生の時に、すでに死を体験している
これから我々を待ち受けているのは、
人生のなかで最も奇妙な体験、
すなわち死と呼ばれる、真の誕生である
一体、何に生まれるというのか?
スケッチブックより
1927-34年
庭のリンゴの木 1932-42年 油彩、カンヴァス オスロ市立ムンク美術館蔵
エーケリーの地の、自邸周辺の庭と近隣の田園地帯の森は、ムンクの重要なインスピレーションの源となる。
自然主義と印象派という自身の芸術のルーツに部分的ながら立返ることになった。
ムンクは、内面のありようを探るべく、これらの美術運動から距離を置いていた。
エドヴァルド・ムンク
《自画像、時計とベッドの間》1940-43年
オスロ市立ムンク美術館蔵
ムンク最晩年の自画像。
展覧会の解説(HPから)
世界で最もよく知られる名画の一つ《叫び》を描いた西洋近代絵画の巨匠、エドヴァルド・ムンク(1863-1944)。画家の故郷、ノルウェーの首都にあるオスロ市立ムンク美術館が誇る世界最大のコレクションを中心に、約60点の油彩画に版画などを加えた約100点により構成される大回顧展です。
複数描かれた《叫び》のうち、ムンク美術館が所蔵するテンペラ・油彩画の《叫び》は今回が待望の初来日となります。愛や絶望、嫉妬、孤独など人間の内面が強烈なまでに表現された代表作の数々から、ノルウェーの自然を描いた美しい風景画、明るい色に彩られた晩年の作品に至るまで、約60年にわたるムンクの画業を振り返ります。
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