生誕110年 東山魁夷展
生誕110年 東山魁夷展は、
国立新美術館で開催されています。
会期 2018年10月24日(水)~12月3日(月)
開催期間が短いということもあるのでしょうか?唐招提寺御影堂障壁画再現展示に惹かれてでしょうか?
展示会場は混んでいました。
東山魁夷の作品は見る機会が多いですよね、あの美術館で何度も観たなんていう作品も展示されていましたが・・・
鑑真が見たであろう日本の風景を抽出した《山雲》(山の代表)を上段の間床及び違い棚の張付絵と襖に、《濤声》(海の代表)を宸殿の間襖絵にそれぞれ描いた。
《唐招提寺御影堂障壁画 濤声》昭和50(1975)年
《山雲》も素晴らしい作品です、是非会場でご鑑賞を・・・・
和上の御厨子を取り囲むように設置される松の間には、出身地である揚州の風景を襖に描いた《揚州薫風》を、両端にあたる梅の間と桜の間には第五回渡航に失敗した和上が一年間滞在した桂林の風景を描いた《桂林月宵》と中国の景勝地を代表する黄山の風景を襖に描いた《黄山曉雲》をそれぞれ配し、御厨子内部に、和上が初めて立った日本の土地である鹿児島の秋目浦を描いて《瑞光》と題した。(図録から引用)
《唐招提寺御影堂障壁画 揚州薫風》昭和55(1980)年
《桂林月宵》《黄山曉雲《《瑞光》》も素晴らしい作品です、是非会場でご鑑賞を・・・・
展覧会の構成は以下の通りです。
1章 国民的風景画家
2章 北欧を描く
3章 古都を描く・京都
4章 古都を描く・ドイツ、オーストリア
5章 唐招提寺御影堂障壁画
6章 心を写す風景画
日本中を写生して回り、写生地の特徴を残しつつも普遍化された作品は郷愁を誘います。「国民的風景画家」といわれた所以です。
《残照》昭和22(1947)年 東京国立近代美術館
《道》昭和25(1950)年 東京国立近代美術館
《秋翳》 昭和33(1958)年 東京国立近代美術館
日本の代表的な古都である京都・・・急速に失われつつあるかつての姿を画面に描き止めるよう川端康成に勧められたこともあって制作に着手しました。
《花明り》昭和43(1968)年 株式会社大和証券グループ本社
東山魁夷作品の中で、欧州の町中の景色を描いた作品はあまり印象に残っていなかったので・・・良い作品ですね。東山魁夷の絵になっていますね。
《晩鐘》昭和46(1971)年 北澤美術館
長野県茅野市の蓼品高原の御射鹿池、高濃度の酸性のため苔しか生息できない人口のため池の風景に空想の白馬を描き込んでいます。 東山魁夷の大人気シリーズ「白い馬の見える風景」の中の一作。
《緑響く》昭和57(1982)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館
82歳のとき、1975年パリとケルンで、唐招提寺障壁画展覧会のため秋から冬にかけてドイツに滞在したときに見かけた風景をもとに描いた作品。
《行く秋》平成2(1990)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館
展覧会概要(HPから)
情感にみちた静謐な風景画により、戦後を代表する国民的日本画家と謳われてきた東山魁夷(1908-99年)。東山の生誕110周年を記念する本展覧会は、東京では10年ぶりとなる大規模な回顧展です。
横浜に生まれ、東京美術学校を卒業した東山は、昭和8年(1933年)にドイツ留学を果たし、後の画業につながる大きな一歩を踏み出しました。しかしその後、太平洋戦争に召集され、終戦前後に相次いで肉親を失うなど、苦難の時代を過ごしました。どん底にあった東山に活路を与えたのは、自然が発する生命の輝きでした。昭和22年(1947年)に日展で特選を受賞した《残照》の、日没の光に照らされて輝く山岳風景には、当時の東山の心情が色濃く反映しています。
東山の風景画の大きな特色は、初期の代表作《道》(1950年)が早くも示したように、平明な構図と澄んだ色彩にあります。日本のみならず、ヨーロッパを旅して研鑽を積んだ東山は、装飾性を帯びた構図においても自然らしさを失わず、青が印象的な清涼な色彩の力も駆使し、見る者の感情とも響きあう独自の心象風景を探求し続けました。
本展覧会では、完成までに10年の歳月を費やした、東山芸術の集大成とも言える唐招提寺御影堂の障壁画を特別に再現展示します。20世紀とともに生きた東山の創作の全貌を、壮大な障壁画を含む約70件の名品によってご堪能ください。
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