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2018.06.10

築地波除神社「獅子祭」 2018年

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築地波除神社「獅子祭」に行ってきました。
今年は三年に一度行われる本祭りです。

今週は「鳥越祭」そして「山王祭」の二年に一度の本祭り。

迷いましたが今年は築地にしました。
9日の渡御祭(宮神輿・厄除天井大獅子・弁財天お歯黒獅子御巡行)に参戦です。

普段でも人気の築地、この日は気温30℃の暑さと人混みに・・・数時間の滞在で退散でしたが、築地の個性がふんだんで楽しいお祭りでした。

今日(10日)はあいにくの雨ですね。
「御神楽祭・町内神輿連合社参」も楽しそうですが・・・・


築地市場は今年10月豊洲に移転することが決まっていて、派手に送り出そうと100年ぶりに「船渡御」が復活、6月8日に行われました。(ちなみに築地場外市場はこの場所に残ります)
宮神輿を台船に乗せて町衆とともに、隅田川を行き来して海の平安を祈願しました。
台船から降ろされた宮神輿は浜離宮に造営した「御旅所」で一泊し、9日に築地の町を練り歩きました。

(朝日新聞DIGITALがyoutubeにアップした動画です。)

浜離宮の一日限りの「御旅所」から場外市場、町中に巡行する宮神輿を追いかけてみました。
主にミラーレスカメラで撮りました。
一部スマホの動画も使っています。

波除神社のご紹介(神社のHPから)
今から350年程前、この築地一帯は一面の海でした。江戸開府(1603)時の慶長江戸絵図には、今の日比谷のお堀の辺りまで汐入を描き、八重洲の海岸に船の役所が見えます。開府前より始まった江戸城西丸の増築に掘られた、お堀の揚げ土を以って日比谷入江から埋め始められた、江戸東南海面埋立は、その後全国の諸侯七十家に千石に一人の人夫を出させ、後にはその埋立の役員の名をとり、尾張町、加賀町等と名附けられました。
 そして70年の後、明暦の大火の後に4代将軍家綱公が手がけた最後の埋立の工事困難を極めたのが、この築地海面でした。堤防を築いても築いても激波にさらわれてしまうのです。

 或夜の事、海面を光りを放って漂うものがあり、人々は不思議に思って船を出してみると、それは立派な稲荷大神の御神体でした。皆は畏れて、早速現在の地に社殿を作りお祀りして、皆で盛大なお祭をしました。ところがそれからというものは、波風がピタリとおさまり、工事はやすやすと進み埋立も終了致しました。萬治2年(1659)の事です。

 人々は、その御神徳のあらたかさに驚き、稲荷大神に 『波除』 の尊称を奉り、又雲を従える<龍>、風を従える<虎>、一声で万物を威伏させる<獅子>の巨大な頭が数体奉納され、これを担いで回ったのが祭礼 『つきじ獅子祭』 の始まりです。

 それ以来今に至るまで、「災難を除き、波を乗り切る」 波除稲荷様として、災難除・厄除・商売繁盛・工事安全等の御神徳に崇敬が厚いのであります。その御神徳はその後も益々大きく、当時辺境の地であった築地も次第々々に開け、現在の如く繁華街となったのであります。


詳細はクリックで築地・波除神社のHPへ


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コメント

オーディオは凝り始めたら、抜け出せないですよね!前の職場で、欲しかった真空管(アンプの)が送られてくる日は休暇を取る人がいました。気持ちわかります。「ブラスの張り出すような音が真空管はいい」と言っていました。
学生の頃の自作スピーカー2セット健在です。父親の持っていたSP版今でもどこかにあるはずです。(屋根裏?)LPもテープも少しですがあります。デッキも(動くかな~)
良いハードで「好きなボーカル」聴きたいのですが・・・もう時間的にも、経済的にも無理かもしれません。

投稿: 内田さんへ | 2018.06.11 19:08

御神輿はどこでもいいですね。私はアナログオーディオフェアーを覘いてました。カセットテープの音比べなんてしてました。昔のメタルテープの音も今のハードウエア(真空管アンプ他)の力を借りると結構いい音でした。LPは全て売ってしまい今は一枚もありませんが、カセットテープはデッキがまだ健在なので今も時々聞いています。

投稿: 内田 | 2018.06.11 17:38

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