大名茶人・松平不昧 ―お殿さまの審美眼―
「没後200年特別展 大名茶人・松平不昧 ―お殿さまの審美眼―」は、
三井記念美術館で開催されています。
会期 2018年4月21日(土)~6月17日(日)
展覧会の構成は次の通りです。
・茶の湯を極める ― 大名茶人の誕生
・不昧が愛蔵した名品
・プロデューサーとしての不昧 ― 洗練を極めたお好み道具
大名茶人松平不昧は、松江藩松平家第七代藩主です。
松平治郷といい文武両道に優れた人物で17歳で藩主になりました。
茶の湯を好み、その精神は天下国家を収める助けになると考えました。
不昧の号は、若くして禅の道に入り、明和6年(1769)、麻布天真寺の大巓和尚から「不昧」という号を授けられたことに由来します。
生涯にわたって茶禅一味を追及し、禅学の研鑽を続けました。
「不昧画像」
江戸時代・19世紀 月照寺
不昧は千利休をとても尊敬していました。
千利休の時代に名物とされた茶碗の収集も行っています。
重要文化財「赤楽茶碗 銘無一物」長次郎 作
桃山時代・16世紀 頴川美術館
「雲州蔵帳」では「中興名物」としている。
不昧は長次郎の黒茶碗「北野黒」も所有して「大名物」としている。
奥高麗茶碗 銘 深山路 桃山時代・16~17世紀
「信楽水指 銘三夕」
桃山時代・16~17世紀
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収集した名物(絵画、墨蹟、茶道具など)の目録帳『雲州蔵帳(うんしゅうくらちょう)』を作り、ランク分けをして名品の価値を明確にしました。
(宝物、大名物、中興名物、名物並、上之部、中之部、下之部の7段階に分類)
国宝「片輪車螺鈿手箱」
鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館
鎌倉時代の手箱の代表作で「御茶器帳」(雲州蔵帳)「名物並之部」に記載されている。
さらに不昧は天下古今の名物が、何かの事情でなくなっても記録に残しておきたいと考え、所有道具でない名物も含めて後世に継承しようと「古今名物類聚」を残しています。
「古今名物類聚」松平不昧 編
江戸時代・18世紀 島根大学附属図書館
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江戸時代後期、不昧の周辺 には、大名茶人、酒井抱一や狩野派の絵師たち、町人の三井家などで一種の文化人サロンが形成されていました。不昧好みの作品が作られていきます。
「瓢箪蒔絵弁当箱」酒井抱一 下絵・原羊遊斎 作
江戸時代・19世紀作
抱一の兄酒井宗雅は不昧門下の筆頭でした。
「片輪車蒔絵棗」原羊遊斎 作
文政12年(1829) MOA美術館
「菊蒔絵大棗」原羊遊斎 作
文化14年(1817)
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不昧は藩財政の救済、立て直しのために、殖産事業にも熱心に取り組みました。
窯を設け、具体的な指導も行いました。茶菓子などの製造も手掛け、藩財政の立て直しを行いました。
その過程で、松江では塗師・小島漆壺斎や木工・小林如泥、陶工・長岡住右衛門などが、不昧の指導により洗練されたお好み道具を多く創出しました。
「桐蒔絵茶桶」初代 小島漆壺斎 作
江戸時代・19世紀
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晩年、不昧は品川大崎の下屋敷に茶室11棟を備えた茶苑を作り茶の湯に興じ、「茶の湯は稲葉に置ける朝露のごとく、枯れ野に咲けるなでしこのようにありたく候」[茶楚]と、到達した境地を述べている。(HPから)
不昧亡き後、大崎屋敷の拝領部分約1万4,900坪は、ペリー来航後の諸大名による海岸警護「御固 (おかため)」の一環として嘉永6年(1854)、鳥取藩池田家の所有になり、多くの茶室は取り払われてしまいました。(品川区HPのの「品川の大名屋敷」から)
(三井記念美術館HPの解説)
今年は大名茶人として名高い松江藩主松平不昧(1751-1818)が没して200年になります。不昧は広い人脈のもとに優れた書画や名物道具、美しい調度品など、名品を数多く蒐集しましたが、その中には今日、国宝や重要文化財に指定されているものも多く見られます。本展では不昧が愛蔵した名品の数々、さらに不昧像が窺われる自筆の書画や好んで作らせた器なども紹介いたします。
三井記念美術館 大名茶人・松平不昧―お殿さまの審美眼― 第1章「雲州蔵帳の名品 ─ 茶道研究の成果」
InternetMuseum
三井記念美術館 大名茶人・松平不昧―お殿さまの審美眼― 第2章「茶の湯を極める ― 大名茶人の誕生」
InternetMuseum
三井記念美術館 大名茶人・松平不昧―お殿さまの審美眼― 第3章「プロデューサーとしての不昧 ― 洗練を極めたお好み道具」
InternetMuseum
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