運慶の後継者たち―康円と善派を中心に
「運慶の後継者たち―康円と善派を中心に」は
東京国立博物館 本館 14室での特集展示です。
会期 2017年8月29日(火) ~ 2017年12月3日(日)
運慶の孫にあたる康円(こうえん、1207~?)、康円と同じ頃に活躍した仏師、善円(ぜんえん、のち善慶(ぜんけい)と改名、1197~1258)、善円に連なる善派の作品を展示。
善派は慶派の本流とは一線を画し、奈良を中心に活動していた仏師集団です。
運慶以後の鎌倉彫刻の展開について善派と慶派の作品を通して紹介しています。
表現方法の違いを丹念に見比べてみるのも楽しいですね!
特別展「運慶」(9月26日(火)~11月26日(日)、平成館)に期を合わせての特集です。
展示風景(スマホで撮影)
この展示ケース中の右には「愛染明王坐像 1躯 康円作 鎌倉時代・文永12年(1275) 京都・神護寺蔵」が展示されています。(この作品は撮影禁止)
重文 東方天眷属立像(四天王眷属のうち) 1躯 康円作
鎌倉時代・文永4年(1267)
重文 南方天眷属立像(四天王眷属のうち)1躯 康円作
鎌倉時代・文永4年(1267)
この展示ケース中の右には「重文 地蔵菩薩立像 1躯 善円作 鎌倉時代・延応2年(1240) 奈良・薬師寺蔵」が展示されています。(この作品はは撮影禁止)
文殊菩薩立像 1躯
鎌倉時代・13世紀
(善円作と類推)
地蔵菩薩立像 1躯
鎌倉時代・13世紀
(善派に連なる仏師の作品と考えられる)
菩薩立像 1躯
鎌倉時代・13世紀
(善円の作風に近い作品と解説にあり)
重要文化財 文殊菩薩坐像(文殊菩薩騎獅像および侍者立像のうち) 康円作
興福寺伝来 鎌倉時代・文永10年(1273)
重文 光背および蓮華座(文殊菩薩騎獅像および侍者立像のうち) 1躯 康円作
興福寺伝来 鎌倉時代・文永10年(1273)
重文 獅子像(文殊菩薩騎獅像および侍者立像のうち) 1躯 康円作
興福寺伝来 鎌倉時代・文永10年(1273)
重文 仏陀波利三蔵立像(文殊菩薩騎獅像および侍者立像のうち) 1躯 康円作
興福寺伝来 鎌倉時代・文永10年(1273)
重文 善財童子立像(文殊菩薩騎獅像および侍者立像のうち) 1躯 康円作
興福寺伝来 鎌倉時代・文永10年(1273)
重文 于闐王立像(文殊菩薩騎獅像および侍者立像のうち) 1躯 康円作
興福寺伝来 鎌倉時代・文永10年(1273)
重文 大聖老人立像(文殊菩薩騎獅像および侍者立像のうち) 1躯 康円作
興福寺伝来 鎌倉時代・文永10年(1273)
HPの解説。
鎌倉時代に活躍した仏師運慶(うんけい、?~1223)に連なる一派を慶派(けいは)といいます。運慶は数多くの仏師を擁する工房を営み、数々の造仏を手がけました。その写実を基本とした、量感豊かで力強い作風は、新興の武家のみならず、寺社や公家をも魅了し、後の世代にも大きな影響を与えました。なかでも運慶の孫にあたる康円(こうえん、1207~?)は、当時の慶派を代表する仏師として注目すべき存在です。
康円と同じ頃に活躍した仏師、善円(ぜんえん、のち善慶(ぜんけい)と改名、1197~1258)も見逃せません。善円らの系統の仏師たちを善派(ぜんぱ)と呼んでいます。善派は慶派の本流とは一線を画し、奈良を中心に活動していたことが遺品からわかります。
本特集では、康円および善円の作品を中心に、運慶以後の鎌倉彫刻の展開について紹介します。彼らは運慶の作品から何を学び、継承していったのか。特別展「運慶」(9月26日(火)~11月26日(日)、平成館)と、あわせてご覧いただければ幸いです
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