戦争・版に刻む記憶
戦争・版に刻む記憶は、
町田市立国際版画美術館で開催されています。
会期 2017年6月24日(土)~ 7月23日(日)
戦争の形態は時代とともに変わってきましたが、その非道、悲惨さに違いはありません。
3つの戦争の、その本質を版に刻んだ3人の画家の作品で構成した企画展です。
あらためて、繰り返される戦争への無力、むなしさを感じてしまいます。
この美術館は戦争と人間、戦争と画家に纏わる作品を取り上げる機会が多いように思いますが・・・
ジャック・カロ(1592-1635)『戦争の惨禍』 1633年
金で雇われた傭兵たちの非道ぶりとその末路・・
17世紀、ヨーロッパ諸国を巻き込んだ三十年戦争。主力となった傭兵は忠誠心でも祖国愛でもなく、金銭のために戦った。彼らによる略奪行為はとどまるところを知らず、放火、陵辱、殺人、非道の限りがつくされた。その報いは悲惨な末路。傭兵たちの運命をカロは舞台のような画面に淡々と描いていく。(チラシから)
ジャック・カロ 『戦争の惨禍』より
ジャック・カロ 『戦争の惨禍』より
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フランシスコ・ゴヤ(1746-1828)『戦争の惨禍』より 1810-20年制作
フランス兵はゲリラと化した民衆を恐れた。
19世紀の半島戦争。スペイン民衆のナポレオンへの怒りは、血みどろのゲリラ戦に展開した。大規模な戦闘は起こらなくても、日常的に繰り返される虐殺や略奪。見えない敵に怯え暴力の応酬は止まるところを知らない。スペイン民衆とフランス軍、ゴヤはどちらの行為にも客観的な目を向け、執拗に描きとめていく。(チラシから)
フランシスコ・ゴヤ 『戦争の惨禍』より
フランシスコ・ゴヤ 『戦争の惨禍』より
フランシスコ・ゴヤ 『戦争の惨禍』より
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オットー・ディックス(1891-1969)『戦争』 1924年刊
志願兵となった若者は塹壕の泥の中に朽ちる。
第一次世界大戦で戦ったのは、徴兵された国民だった。祖国愛と高揚する気分につき動かされ、多くの若者は自ら望んで戦場に行った。機関銃や毒ガス、新たな兵器が登場した戦場で、砲撃に打ち砕かれて、彼らは塹壕の泥の中で死んでいった。戦場の忌まわしい記憶は一兵士として戦ったディックスを苦しめ続ける。(チラシから)
オットー・ディックス 『戦争』より
(HPの解説)
戦争の悲惨な光景を、画家はくりかえし版に刻んできました。その中でも代表的な作品とされる、ジャック・カロ、フランシスコ・ゴヤ、オットー・ディックス、3人の画家による銅版画集をご紹介します。
戦争は人間の歴史とともに繰り返されてきました。Wikipediaで「戦争一覧」を検索してみると、紀元前から21世紀まで主要な国際紛争だけで350もの戦争がリストアップされています。その中でも、カロが描いた30年戦争、ゴヤが描いたナポレオン戦争、ディックスが描いた第一次世界大戦は、広範な地域を巻き込み、人々を無差別に襲い、社会や思想を根底から変えてしまったとりわけ巨大な―そして酸鼻を極めた戦争として記憶されてきました。
戦争は「複数の集団の間で行われる紛争の武力解決」と定義でき、その本質は何千年も前から変わっていないといえるでしょう。しかし、3人の画家の作品をていねいに見ていくと、時代によって戦争のあり方が違っていることが分かります。さらに時代ごとの美術の表現方法の違いがかさなり、作品に反映されています。
その一方で、彼らは共に「戦争」という主題にひきつけられ、悲惨な様相を執拗なまでに版に刻んでいます。それははたして、戦争の悲惨さを後世に伝え、人間の愚かさを訴えかけるためだけだったのでしょうか―なぜ画家は「戦争」をくりかえし版に刻むのか、120点の作品に探ります。
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