ダヤニータ・シン インドの大きな家の美術館
総合開館20周年記念
ダヤニータ・シン
インドの大きな家の美術館は、
東京写真美術館で開催されています。
会期 2017年5月20日(土)~7月17日(月・祝)
「ダヤニータ・シンの作品は視覚的な小説とも呼べるような、ドキュメンタリーとフィクション、夢と現実、不在と実在が綯い交ぜになったユニークな世界を展開しています」(HPから)
本展では入場時に渡される出品リストの、キャプションを読みながら(あらすじを意識しながら)鑑賞する作品があります。
以下、展示構成に沿って・・・
マイセルフ・モナ・アハメド
1989-200
21点組、ゼラチンシルバープリント
東京写真美術館
ダヤニータは「第3の性」と呼ばれ社会の周辺に追いやらたユーナック(去勢された男性(当時100万人にものぼるとされた))のコミュニティの取材を依頼される。
紹介されたのがユーナックのモナ・アハメド。
階級社会のインドでは、全く接点のなかったダヤニータとモナは、後に親友となり、発表することは考えず13年にわたりモナを撮り続けました。
(21点の作品それぞれにキャプションが付けられています)
1、母親になりたいと言う夢を、アーイシャが叶えてくれた。だから私はインドとパキスタン、バングラデシュから2,000人以上のユーナックを招待して、アーイシャ1歳の誕生日を3日3晩祝った。
2、アーイシャのおかげで、私の人生に初めて幸せな日々が訪れた。今までこんな幸せを感じた事はなかった。
3、私の左にいるのがグルのチャマン。右はチャマンの兄弟分にあたるデゥギ。
4、アーイシャは自分のお腹を痛めて産んだ子供では無いけど、私たち2人の仕草は同じ
5、3歳の誕生日、ライブ・バンドを呼んでアーイシャを英国の少女のように着飾らせた
6、どこにでもいる普通の母と子のように一緒に横になっている
8~11(キャプション概要)
グルのチャマンと喧嘩してしまう。
悲しみのあまりアーイシャを連れて墓地に向かう。
墓地で暮らし始めたとき、家族はモナ・アハメドは気が狂ったと思い込み精神病院に収容してしまう.
ユーナックのコミュニティーからも阻害されてしまうモナ・・・・
12、アーイシャに会いに行ったとき、私はユーナックたちが呼んできた警察に暴力を振るわれた、あまりの痛さにダヤニータの家に行き、その痛みを写真に記録してもらった。
13、アーイシャをチャマンに奪い取られたとき、私はその精神的苦痛に耐えられなかった。そして死んでしまった人にたちや、唯一の友人であるダヤニータにその苦しみを伝えるために墓地にやってきた。ダヤニタは私が歌うヒンディー語の古い映画の挿入歌を気にいってくれた。
キャプション13~19略
20、ファリダバードに新築したチャマンの家にダヤニータと二人で招かれた。チャマンはダヤニータに良い印象を与えようとして、私たちを招待したのだ。
21、突然、気分が良くなった。年老いた女性の魔法がうまくいったのかもしれないし、もしかしたら神様が私に手を差し伸べてくれたのかもしれない。
ユーナックの存在も含め様々なことを教えてもらったような気がします。
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第3の性(ポートフォリオ)
1991-1993
8点組、ゼラチンシルバープリント
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《私としての私》
1999
12点組
京都国立近代美術館
ヒンドゥー教の修業のための僧院で暮らす少女たちの生活を撮っている。
《私としての私》 1999年、12点組より 京都国立近代美術館
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セント・ア・レター
2007
手製ボックスに入った7冊の蛇腹折りソフトカバーの本
チョーク材で額装
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ミュージアム・オブ・チャンス
2013
2つのチョーク材の構造物、アーカイバル・ピグメント・プリント
104点の額装された正方形のプリント
59点の額装された長方形のプリント
4台のテーブル、4台のスツール
ダヤニータが名付けた《インドの大きな美術館》の最初のポータブル美術館のひとつ。
ミュージアム・オブ・チャンス展示風景 2013年 2つのチーク材構造物、アーカイバル・ピグメント・プリント
《ミュージアム・オブ・チャンス》 2013年
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ファイル・ミュージアム
2012
チョーク材の構造物、アーカイバル・ピグメント・プリント
142点の額装されたプリント
《インドの大きな美術館》の中の最初のポータブル美術館
(写真組み合わせは、展示期間でも、キュレーターとしてのダヤニータにより随時入れられる)
美術館として完結する機能を備える。
《ファイル・ミュージアム》 2012年より
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リトル・レディース・ミュージアム 1961年から現在まで
2013
チョーク材の構造物、アーカイバル・ピグメント・プリント
75点の額装された正方形のプリント
19点の額装された長方形のプリント
ノニー・シン《リトル・レディース・ミュージアム 1961年から現在まで》 2013より
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ミュージアム・オブ・ジュディング
2016年
チョーク材の構造物、アーカイバル・ピグメント・プリント
73点の額装された正方形のプリント
ベッド、机、ベンチ、テーブル、3台のスツール
2台のストレージキャビン
《ミュージアム・オブ・ジュディング》 2016年より
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タイム・メジャーズ
2016
最新作です。
色褪せた赤い風呂敷でくるまれた同じくらいの大きさの包みを上からクローズアップで撮影している35点組の作品
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モナ・アンド・マイセルフ
2013
写真のデジタル・プロダクション
(ミュージアムショップフロアの壁面スクリーンに放映)
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スーツケース・ミュージアム
2015
2個の革製スーツケース、44個の作品集《ミュージアム・オブ・チャンス》
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ノニー・シン《リトル・レディース・ミュージアム 1961年から現在まで》より 2016年 アーカイバル・ピグメント・プリント 作家蔵
モナ・アハメド(上)「 ダヤニータ・シン(下)
(以下、HPから)
今、世界で最も活躍の著しい写真家のひとり、ダヤニータ・シン。東京都写真美術館は総合開館20周年記念展として彼女の展覧会を開催いたします。 欧米雑誌のカメラマンとしてキャリアを開始したダヤニータ・シンですが、徐々に外国人が望むエキゾチックで混沌とした貧しいインドのステレオタイプなイメージに疑問を持ち、1990年代後半にフォトジャーナリストとしての仕事を完全に辞め、アーティストとしての活動を開始します。
ダヤニータ・シンの作品は視覚的な小説とも呼べるような、ドキュメンタリーとフィクション、夢と現実、不在と実在が綯い交ぜになったユニークな世界を展開しています。近年は移動式の「美術館」を考案し、全体を〈インドの大きな家の美術館(Museum Bhavan)〉と名付けました。詩的で美しい世界のなかに、現代写真・美術が抱える美術館システムやマーケット等の問題、現代社会におけるセクシュアリティや、格差、階級、ジェンダー、アーカイブ、情報等の様々な問題が示唆されています。また、従来の写真や写真集という概念を軽々と超えて、写真というメディアの新たな可能性を切り開いています。彼女の作品は今後の写真のあり方を考える上でも示唆に富むものです。
本展覧会は、ダヤニータ・シンの初期の代表作〈マイセルフ・モナ・アハメド〉(1989-2000年)、〈第3の性(ポートフォリオ)〉(1991-93年)、〈私としての私〉(1999年)から、転機となった〈セント・ア・レター〉(2007年)を導入部に、最新作を含むダヤニータ・シンの「美術館」を日本初公開いたします。 日本の美術館では初の個展となるダヤニータ・シンの世界をご堪能ください。
ダヤニータ・シン
ダヤニータ・シン 1961年、ニューデリー生まれ。1980年から86年までアーメダバードの国立デザイン大学に学び、1987年から88年までニューヨークの 国際写真センター(ICP)でドキュメンタリー写真を学んだ。その後8年間にわたり、ボンベイのセックスワーカーや児童労働、貧困など のインドの社会問題を追いかけ、欧米の雑誌に掲載された。『ロンドン・タイムズ』で13年にわたりオールド・デリーを撮り続け、 『マイセルフ・モナ・アハメド』(2001年) として出版。1990年代後半にフォトジャーナリストとしての仕事を完全に辞め、インドの 富裕層やミドル・クラスへとテーマを転じた。ヴェネチア・ビエンナーレ(2011年、2013年)やシドニー・ビエンナーレ(2016年)など の数々の国際展に招聘されている。京都国立近代美術館と東京国立近代美術館の「映画をめぐる美術-マルセル・ブロータースから 始まる」展(2013年~14年)に出品。
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