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2017.06.16

アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国

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アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国は、
東京ステーションギャラリーで開催されています。

会期 2017年4月29日(土)〜6月18日(日)

アドルフ・ヴェルフリの作品、その内面を短い時間の中で理解することは不可能でした。
与えられた鉛筆が、時には1~2日で消耗してしまうほど猛烈な勢いで「絵と文字と音符 」を描き連ねた作品。
言語の関係あって、理解の限界を感じてしまうのですが・・・その内面発露のすさまじい勢いには圧倒されます。
そしてちょっとだけ、発想の拡がり、その面白さは感じることができました。
新たな表現者の発見でした! 

統合失調症のアーティスト、文学者、学者(ノーベル賞受賞数学者は映画化もされましたね)とうとうで、高名な方々は沢山おれれますが・・・アドルフ・ヴェルフリはさらに複雑な環境が加わって、作品に反映されているのでしょうか。(美術教育を受けたことはありません)

アドルフ・ヴェルフリ 略歴(HPから)
アドルフ・ヴェルフリ[Adolf Wölfli]は1864年、スイス、ベルン郊外の貧しい家庭に、7人兄弟の末っ子として生まれました。酒癖の悪い父は家庭を顧みず、母は病弱で、子どもたちの養育は里子奉公制度に委ねられました。ヴェルフリは里親の元を転々とし、厳しい労働を強いられたり、折檻を受けるなどし、学校に通うこともままなりませんでした。そして11歳になるまでに両親を亡くします。いくつかの恋愛も経験しますが、うまくいかず、孤独と生活苦に苛まれる日々を送ります。数回にわたる犯罪の末、31歳のときに統合失調症と診断され、精神科病院に収容されました。収容から4年後の1899年、鉛筆と新聞用紙を与えられたヴェルフリは絵を描き始めます。最初に取り組んだ空想の世界の自伝的シリーズ『揺りかごから墓場まで』(1908-1912)では、4年間で2,970頁にわたる物語を紡ぎました。次に着手した『地理と代数の書』(1912-1916)では理想の王国を築く方法を詳細に説き、『歌と舞曲の書』(1917-1922)では独創的な音楽づくりに没頭。自らのレクイエムとして描いた『葬送行進曲』(1928-1930)は、2年間で16冊、8,404頁におよびますが、1930年、腸の病により死去。亡くなる4日前、涙を流しながらもう絵を描けないことを嘆き、『葬送行進曲』は未完のままに終わりました。死後から15年たった1945年、フランスの画家ジャン・デュビュッフェによってアール・ブリュットの芸術家として位置づけられ、広くその存在が知られるようになりました。


展示構成は以下の通りです。
1章 初期のドローイング/楽譜(1904-1907)
2章 揺りかごから墓場まで(1908-1912)
3章 地理と代数の書(1912-1916)
4章 歌と舞曲の書(1917-1922)/歌と行進のアルバム(1924-1928)
5章 葬送行進曲(1928-1930)
6章 ブロートクンスト―日々の糧のための作品(1916-1930)

1
《ネゲルハル(黒人の響き)》 1911年

2
《機械工にして板金工=職人のアルブレヒト・キントラーの殺害、家族の=父、強姦のせいで》 1911年

3
《グニッペ(折りたたみナイフ)の主題》 1911年

4
《クリノリン、ギーガー=リナ、糸つむぎ、安楽椅子=リナ、おとぎ話=安楽椅子=リナ、大=大=女神》 1914年

全て、ベルン美術館 アドルフ・ヴェルフリ財団蔵

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コメント

緻密さと、発想に未知の世界を感じました。東京ステーションギャラリーは、視点に特徴のある企画が目立ちますね。旧東京ステーションギャラリーはもっと趣があって好きだったのですが・・・

投稿: みわさんへ | 2017.09.08 09:21

これにも行って来ました。あまりにも緻密で、細かい所まで観るのが大変でした。でも好きな感じだったので楽しくて苦ではなかったけれど(笑)

投稿: みわ | 2017.09.08 05:56

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