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2017.06.28

FEEL THE Mucha HEART ~民衆のための芸術(デザイン)とチェコへの愛~

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FEEL THE Mucha HEART
~民衆のための芸術(デザイン)とチェコへの愛~は、
伊藤忠青山アートスクエアで開催されています。

会期 2017年6月2日(金)~7月2日(日)

国立新美術館で開催されていた「ミュシャ展」の協賛展です。
国内個人コレクター所蔵品の商業ポスター作品をメインに展示しています。
所謂「ミュシャといえば」という作品が並んでいます。
入場無料、写真撮影可ですから青山、外苑に用事がある方は”寄り道”お勧めです。
銀杏並木の近くですよ。

イベント「作品に隠された“HEART”を探せ!」に参加して正解するとミュシャグッズ(行った日はポストカード)がもらえます。
ほとんどの方が熱心に“HEART”を探していました。
この様な企画も楽しいですね。


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朝の目覚め(1899)

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モナコ・モンテカルロ(1897)

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夏(1896)

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チェコの音楽の殿堂(1928)

展示風景(スマホで撮影しました)
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展覧会概要(HPから)
この度、伊藤忠商事では、メセナ活動支援の一環として国立新美術館(東京都港区)にて3/8(水)から行われる「ミュシャ展」に協賛します。同時期に、伊藤忠青山アートスクエアでもその開催記念として、「FEEL THE Mucha HEART ~民衆のための芸術(デザイン)とチェコへの愛~」を開催し地域の文化創出に貢献します。
アルフォンス・ミュシャは19世紀末を代表する画家であり、アール・ヌーヴォー様式の巨匠のひとりとして日本でも幅広い人気を誇るチェコの商業デザイナーです。伊藤忠青山アートスクエアでは、国立新美術館とは異なるミュシャの商業ポスター等の作品をメインに「This is the Mucha Style!」、「デザイナーMucha の活躍」、「チェコへの愛」の3つのテーマに分けて、国内個人コレクター所蔵品を中心にデザイナーとしてのミュシャの活躍等をご紹介します。
ここでしか見られないミュシャの”HEART” を感じていただく機会となれば幸いです。

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2017.06.26

日光東照宮に行ってきました(陽明門) 2017年6月

陽明門【国宝】
日本を代表する最も美しい門で、宮中正門の名をいただいたと伝えられています。いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされています。
(HPから)
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今回の日光東照宮参拝、主目的は修復完了の陽明門をじっくり観賞することです。
双眼鏡持参で鑑賞してきました。
しかし、実に500を超える彫刻が施されていますので、解釈も含めて一点一点鑑賞していては「日暮らしの門」の例えどころか、私の脳力ではすべてを把握するのは不可能です!
「日光を見ずして結構と言うな」は言い古されたフレーズですが、老若男女、外国人観光客、団体客も多く、騒々しいのは、残念ですが、仕方ないですね。

彫刻の詳細等に興味のある方は、DO Internetさんのサイト 日光国立公園 観光とレジャーに詳しい解説がありますのでご紹介しておきます。

見事な修復で江戸時代の彩色を取り戻していて見応え倍増です!
7色の岩絵具で全てが描かれているそうです。
(以下三点は、撮った写真をトリミングしたものです)
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鯉に乗った琴高仙

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唐獅子、多彩な表情も面白いですよ。
龍馬(りゅうば)もいますよ!よく見るとわかりますよ。
(龍馬のいい写真が取れなく、載せられないのが残念!)

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唐子の遊び
「子供が屈託なく遊べる平和な世の中でありたい」という願いが込められているといわれています。

動画にまとめました。
すべての彫刻を撮影することはできませんでしたし、重複している場面もあります、予めご理解の上ご覧ください。
写っている昇り龍、降り龍の天井画は狩野探幽が400年前に描きましたが、現在は複製画です。(オリジナルは宝物館蔵) 狩野探幽は東照宮の装飾デザイン全般を担当しました。

ガイドの皆さん定番の解説、魔除けの逆柱。
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陽明門は12本の柱で支えられています。
すべての柱にはグリ紋と言う渦巻きを2つつなげた形の紋様が刻まれていますが、その中の1本が逆さに刻まれています。(写真上)
これは形あるものは完成した瞬間から崩壊が始まるといわれることから、1カ所完璧でない部分を残して建物の長命を願ったのだといわれています。

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2017.06.25

開館20周年記念 小杉放菴 コレクション名品撰

開館20周年記念
小杉放菴 コレクション名品撰は、
小杉放菴記念日光美術館で開催されています。

会期 2017年4月8日[土]~6月25日[日]

日光に行くたびにこの美術館にもと、計画して出かけるのですが、いつも時間切れ。
今回は、急ぎ足でしたが行ってきました。

大谷川にかかる神橋を左に見て、三叉路の突き当りを右に曲がるともう美術館の建物が見えてきます。
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受付、エントランスホール、ショップ等々がある建物(階下に喫茶室もあります)で、渡り廊下を歩いて左の建物(少しだけ写っている )が展示室になっています。

エントランスホールの広い窓からは鮮やかな木々の緑が見えて、静かで、綺麗な美術館です。
とても好印象を持ちました。

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放菴の「フレスコ画的日本の風景」と勝手に思っている作品が特に好きなのですが、この展覧会では版画、彫刻(点数は少ないですが)も含め日本画、油彩画、水彩画、素描、寫生画そして関連資料を展示して、多彩な放菴の業績を概観しています。
著作権切れの多くの作品が、撮影可になっていました。(撮影条件あり)

以下の作品は全て小杉放菴記念日光美術館蔵です。

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《石上》 1933(昭和8)年 紙本着色・襖絵  摠見寺蔵

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《神橋》 水彩・紙
小杉放菴は日光生まれです。

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《正風始祖像》 紙本着色

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《踊る良寛》 紙本着色 大木コレクション
良寛を終生の師と仰いだ小杉放菴ならではの作品。
私も、良寛さん大好き!

展示風景
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《泉》 1925(大正14)年頃 油彩・カンンバス

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ɹ列仙屏風 1915(大正4)年  絹本着色・屏風(六曲一双)

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母子採果 1926(大正15)年頃 油彩・カンヴァス     

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静物 1955(昭和30)年頃   油彩・カンヴァス

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開催概要(HPから)
 1997(平成9)年10月に開館した小杉放菴記念日光美術館は、今年、開館20周年を迎えます。この記念展の第1弾として、開館以来収集してきた小杉放菴作品の数々から厳選した逸品を、当館コレクションの原点である小杉放菴の寫生画コレクションとあわせてご紹介いたします。
 日光に生まれた小杉放菴は、少年時代に五百城文哉の内弟子となって洋画の基礎を学びました。そして上京後、画塾・不同舎での研鑽、従軍記者としての日露戦争派遣、新聞・雑誌での漫画の仕事といった経験を積み、文部省美術展覧会(文展)で受賞を重ねる、新進気鋭の洋画家として注目される存在となりました。
 しかし、1913(大正2)年から翌年にかけてのヨーロッパ巡遊中、東洋に帰るべき道を見出したことは、画家としての価値観を変える大きな出来事でした。帰国後、横山大観に誘われ、再興された日本美術院に参加して洋画部を主宰。同院脱退後、1922(大正11)年には今も続く洋画団体・春陽会を結成し、リーダー的存在として活躍しました。美術史上ではここまでの小杉放菴の名は、洋画家として強く記憶されていましたが、じつはこの間にも数多くの日本画を描いており、それは、ときに日本美術院の画家たちにも影響を与えたのではないかと指摘されるほどの、独学とは思えない質の高さを持っていました。単純に洋画時代、日本画時代と割りきることの出来ない点に、小杉放菴の美術史的な位置づけの難しさがあり、また、魅力が秘められているともいえるでしょう。
 今回の展覧会では、こうした小杉放菴の明治・大正期の知られざる逸品から、その代名詞ともいえる昭和期の花鳥画や道釈画の数々により、小杉放菴の魅力を伝えたいと思います。なお本展では、滋賀県・ソウ見寺寄託の襖絵のうち、名品と名高い《閑庭春禽》《山行》《石上》を公開いたします。

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2017.06.24

日光東照宮に行ってきました(神厩舎) 2017年6月

日光東照宮・神厩舎(重要文化財)
神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)です。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されています。中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名です。(HPから)

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建築様式:切妻造
素木造
妻入
一重
正面軒唐破風付
銅瓦葺

大きさ:
桁行三間(奥行:約6メートル)
梁間五間(横幅:約10メートル)

建築年
1636年(元和3年/江戸時代前期)

動画にまとめました。

全8面のレリーフには、以下の物語があります。
詳細な解釈もありますが、概ね以下の様です。
1面 母猿が手をかざして子猿の将来を見ている。
2面 有名な三猿の場面。3匹の猿がそれぞれ耳、口、目をふさいでいる。
「見ざる・聞かざる・言わざる」の意を表している。
子供の頃は、悪いことは見たり、聞いたり、言わないで育ちなさい 。
3面 座っている猿の姿。一人立ち直前らしい。
4面 猿は大きな志を抱いて天を仰ぐ。青い雲が「青雲の志」を暗示。
5面 猿の“人生”にはがけっぷちに立つときも。迷い悩む仲間を励ます友がいる。
6面 物思いにふけっている姿、恋に悩んでいるとか。
7面 結婚した2匹の猿。大きな荒波の彫刻は、これから夫婦で乗り越えてほしい。
8面 ラストはお腹の大きな猿。やがて母親になって1場面へと戻る。


修正完了レリーフは見事、物語性も含めて、素晴らしいと思いました。

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2017.06.23

日光東照宮に行ってきました。2017年6月

日光東照宮、輪王寺、小杉放菴記念日光美術館を巡ってきました。
東武日光駅に9時16分着
15時31分東武日光駅発の日帰りです。

主な目的は、修復を完了した陽明門をつぶさに鑑賞することです。
帰り際に、あと一時間・・と思いましたが、次の日のことも考えて帰路を急ぎました。
完璧な修復で見事に蘇っていました!
「日暮らしの門」・・・本当にそうだと思いました。

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表参道を歩いて、石鳥居に到着。

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石鳥居を通ってすぐ左側に五重の塔。

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表門
右側に拝観受け付け所。

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三神庫

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神厩舎・三猿

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御水社

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本地堂・鳴龍
堂内撮影禁止です!

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陽明門

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陽明門を通過して左側に神輿社。


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唐門(陽明門の正面)
唐門の奥が本社です。
拝殿できますが、撮影禁止です!

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東回廊・眠り猫

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坂下門をくぐって200の階段を上り奥社へ向かいます。

動画にまとめました。

由緒(HPから)
 日光東照宮は、元和(げんな)3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神におまつりした神社です。家康公は、天文(てんぶん)11年(1542)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)でご誕生になり、幼少より苦労を重ね戦国乱世を平定され、幕藩体制を確立されました。そして、世の中に秩序と組織を形成し、学問を勧め産業を興し、江戸時代260年間にわたる平和と文化の礎を築き、近代日本の発展に多大な貢献をされました。
 家康公は、元和2年4月17日駿府城(静岡県静岡市)で75歳の生涯を終えられ、直ちに久能山に神葬されました。そして御遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されおまつりされました。正遷宮は、同年4月17日二代将軍秀忠公をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、ここに東照社として鎮座しました。その後正保(しょうほ)2年(1645)宮号を賜り、東照宮と呼ばれるようになりました。
 尚、現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永(かんえい)13年(1636)に造替されたものです。

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2017.06.21

眠り猫の目・・・図面通りに塗り直し 日光東照宮

朝日新聞6月21日朝刊の社会面に次の記事が掲載されました。
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 59年ぶりに修復作業が行われ、昨年11月にお披露目された日光東照宮の彫刻眠り猫が、お披露目から1ヵ月半ほど「薄目を開けていた」ことがわかった。彩色の担当者が両目が開いているように描いていた。現在は改められ、目を閉じた表情になっている。
 修復は大正、昭和期の図面をもとに実施。図面では目の彫りの部分が黒で塗り上げられているが、彩色担当者は目の中央部分の黒さを強調し、周りは薄いグレーの2色としたため、薄目が開いたような状態に。
 日光社寺文化材保存会によると、工期はもともと今年3月までだったが、東照宮の意向で観光客に早く見せたいと前倒しで昨年11月に飾っていた。
 「時代によっては薄目を開けていた」との伝承もあると言うが、同会は確証はないと1月に図面通りに塗り直させた。
 保存会の工事監督の浅尾和年さんは「国宝でもあるし確たる根拠は無いことをやってはいけないと思った。まだ修理期間中だったので塗り直して工期に間に合わせた」と話している。

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「日光東照宮の彫刻眠り猫がお披露目から1ヵ月半ほど薄目を開けていたことがわかった」なんて!
この経緯は知りませんでした!
このときの表情、見たかったな~
確かに薄目をあけた感じ、この方が可愛いかも?撮影角度による違いかな~

日光には、今月行ってきたばかりなので、その時に撮った写真を掲載してみます。

東回廊・眠り猫
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右斜め下から撮った写真。
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上の写真から頭部をトリミングしました。
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正面下から撮った写真。
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上の写真から頭部をトリミングしました。
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東回廊・眠り猫の下を通過して奥社に向かいます。
踏ん張っている前足はいつでも敵に飛びかかれる姿勢であり、徳川家康公の御霊を祀る奥社を守っているといわれています。

また眠り猫の彫刻の裏側には、雀の彫刻があります。
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猫が起きていれば、雀は食べられてしまいますが、猫が眠っていれば安心できるというわけで、
徳川の世の天下泰平を祈って彫られたと言われています。

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2017.06.18

町田薬師池公園 しょうぶ・あじさいまつり2017

町田市薬師池公園 しょうぶ・あじさいまつり2017 
に行ってきました。

開催期間 6月10日~7月9日

「しょうぶ」の開花最盛期はそろそろ過ぎてきていると思いますが・・・・・
「あじさい」の最盛期はこれからです。

(HPから)
江戸系、肥後系、伊勢系など175品種、約2200株の花しょうぶが、清楚
な花を咲かせます。
 まつり期間中は、早乙女姿の花摘み娘が花の手入れを行います。また、
花の最盛期には薬師池産しょうぶの苗を販売します。
※見ごろは6月上旬~下旬です。

毎年同じような画像投稿で恐縮ですが、よろしければご覧ください。

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2017.06.16

アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国

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アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国は、
東京ステーションギャラリーで開催されています。

会期 2017年4月29日(土)〜6月18日(日)

アドルフ・ヴェルフリの作品、その内面を短い時間の中で理解することは不可能でした。
与えられた鉛筆が、時には1~2日で消耗してしまうほど猛烈な勢いで「絵と文字と音符 」を描き連ねた作品。
言語の関係あって、理解の限界を感じてしまうのですが・・・その内面発露のすさまじい勢いには圧倒されます。
そしてちょっとだけ、発想の拡がり、その面白さは感じることができました。
新たな表現者の発見でした! 

統合失調症のアーティスト、文学者、学者(ノーベル賞受賞数学者は映画化もされましたね)とうとうで、高名な方々は沢山おれれますが・・・アドルフ・ヴェルフリはさらに複雑な環境が加わって、作品に反映されているのでしょうか。(美術教育を受けたことはありません)

アドルフ・ヴェルフリ 略歴(HPから)
アドルフ・ヴェルフリ[Adolf Wölfli]は1864年、スイス、ベルン郊外の貧しい家庭に、7人兄弟の末っ子として生まれました。酒癖の悪い父は家庭を顧みず、母は病弱で、子どもたちの養育は里子奉公制度に委ねられました。ヴェルフリは里親の元を転々とし、厳しい労働を強いられたり、折檻を受けるなどし、学校に通うこともままなりませんでした。そして11歳になるまでに両親を亡くします。いくつかの恋愛も経験しますが、うまくいかず、孤独と生活苦に苛まれる日々を送ります。数回にわたる犯罪の末、31歳のときに統合失調症と診断され、精神科病院に収容されました。収容から4年後の1899年、鉛筆と新聞用紙を与えられたヴェルフリは絵を描き始めます。最初に取り組んだ空想の世界の自伝的シリーズ『揺りかごから墓場まで』(1908-1912)では、4年間で2,970頁にわたる物語を紡ぎました。次に着手した『地理と代数の書』(1912-1916)では理想の王国を築く方法を詳細に説き、『歌と舞曲の書』(1917-1922)では独創的な音楽づくりに没頭。自らのレクイエムとして描いた『葬送行進曲』(1928-1930)は、2年間で16冊、8,404頁におよびますが、1930年、腸の病により死去。亡くなる4日前、涙を流しながらもう絵を描けないことを嘆き、『葬送行進曲』は未完のままに終わりました。死後から15年たった1945年、フランスの画家ジャン・デュビュッフェによってアール・ブリュットの芸術家として位置づけられ、広くその存在が知られるようになりました。


展示構成は以下の通りです。
1章 初期のドローイング/楽譜(1904-1907)
2章 揺りかごから墓場まで(1908-1912)
3章 地理と代数の書(1912-1916)
4章 歌と舞曲の書(1917-1922)/歌と行進のアルバム(1924-1928)
5章 葬送行進曲(1928-1930)
6章 ブロートクンスト―日々の糧のための作品(1916-1930)

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《ネゲルハル(黒人の響き)》 1911年

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《機械工にして板金工=職人のアルブレヒト・キントラーの殺害、家族の=父、強姦のせいで》 1911年

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《グニッペ(折りたたみナイフ)の主題》 1911年

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《クリノリン、ギーガー=リナ、糸つむぎ、安楽椅子=リナ、おとぎ話=安楽椅子=リナ、大=大=女神》 1914年

全て、ベルン美術館 アドルフ・ヴェルフリ財団蔵

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2017.06.15

特別展「世界遺産登録記念 ル・コルビュジエと前川國男」

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上:国立西洋美術館 下:東京文化会館

特別展「世界遺産登録記念 ル・コルビュジエと前川國男」は、
江戸東京たてもの園展示室で開催されています。
会期 2017年5月30日(火) ~9月10日(日)

ル・コルビュジエ、前川國男の展覧会は過去に何度か開催されてきました。
ル・コルビュジエの絵画作品展という企画も以前国立西洋美術館で開催されました。

この展覧会は世界遺産登録記念として、ル・コルビュジエと前川國男の作品を中心に周辺の建築家の作品も含めコンパクトにまとめられた展覧会です。

22ページの小冊子を無料で頂けるのもうれしいです。

展示構成は次の通りです。
1 ル・コルビュジエ
 ル・コルビュジエの作品としてラ・ロッシュジャンヌレ邸、サヴォア邸が紹介されています。
 建築理念紹介が中心の展示です。
 絵画も一点。

新しい建築の5つの要点
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ル・コルビュジエのスケッチと説明 東京理科大学 理工学部 山名研究室所蔵


2 戦前の前川國男と前川邸 
 卒業設計、処女作、ル・コルビュジエ事務所時代の紹介。
 帰国後のアントニン・レーモンンド事務所時代。
 処女作:木村産業研究所、東京帝室か博物館コンペ作、紀伊国屋書店、森永キャンディーストア
 前川國男邸を紹介しています。
 前川國男建築事務所時代の丹下健三作である岸記念体育館の紹介もあります。
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前川國男自邸 矩計詳細図 前川國男設計事務所所蔵
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前川國男自邸 外観写真 江戸東京たてもの園所蔵

前川國男邸は園内に移設展示されたいますので、是非・・・・お勧めします。


3 ル・コルビュジエと日本の建築家たち
 前川國男(上海華興商業銀行総合社宅)
 吉阪隆正(ヴェネチア・ヴエンナーレ日本館)
 板倉準三(東京忠霊桐塔、パリ万国博覧会日本館、神奈川県立近代美術館)
 アントニン・レーモンンド(浅間山麓に位せる建築士の夏の家)
 丹下健三(l国立代々木競技場、広島平和記念公園コンペ案)
 ル・コルビュジエの関連作品も紹介しています。
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丹下健三(l国立代々木競技場、広島平和記念公園コンペ案模型写真)


4 ユニテ・ダビタシオンと晴海高層アパート
 ル・コルビュジエのマルセイユのユニテ・ダビタシオンと前川國男の晴海高層アパートを紹介。

 
5 国立西洋美術館
 (ビデオ放映と写真、図面で、詳しく紹介しています。)
 上野の恩賜公園に建つ国立西洋美術館はル・コルビュジエによって無限成長美術館のコンセプトで
設計された世界に3つある美術館の1つです。

 国立西洋美術館の設計においてル・コルビュジエは基本的な設計を描いた基本設計図書を日本に 
 送付した。そして弟子である前川國男、板倉準三、吉阪隆正がコルビジェと連絡をとりながら実際の
 寸法や設備、構造、施工 法など、日本の技術水準に合わせた検討を加え実施設計図書にまとめ、
 設計を完成させた。(頂いた小冊子より)
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国立西洋美術館 基本設計図 透視図 コルビュジエ財団所蔵
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国立西洋美術館 外観写真 国立西洋美術館所蔵

 
6 東京文化会館と東京都美術館
 上野にある前川國男の代表作2棟、東京文化会館と東京都美術館を詳しく紹介しています。
  
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東京文化会館 2階平面図 断面図 前川國男設計事務所所蔵

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東京文化会館 内部写真 江戸東京たてもの園所蔵

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東京都美術館 立面及び断面図 前川國男設計事務所所蔵
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東京都美術館 外観写真 江戸東京たてもの園所蔵


7 公共建築のパイオニア 
 前川國男は代表作を問われたときに「東京文化会館と埼玉県立博物館」と答えたそうです。
 前川國男の以下作品を紹介しています。
 神奈川県立図書館・音楽堂
 紀伊国屋ビル(紀伊国屋書店改築)
 世田谷区民館・区庁舎
 福島県教育会館 
 埼玉県立博物館
 熊本県立美術館


展示主旨(HPから)
 2016年(平成28)、上野の国立西洋美術館が、東京初の世界文化遺産に登録されました。それを記念して、公益財団法人東京都歴史文化財団連携事業「ル・コルビュジエと前川國男」を開催します。国立西洋美術館の設計者であるフランスの建築家 ル・コルビュジエ、そして彼に直接学んだ日本の建築家 前川國男の作品や建築観を、江戸東京たてもの園、東京都美術館、東京文化会館の3館で実感していただきたいと思います。
前川國男の自邸(1942年)が移築されている江戸東京たてもの園の展示室では、ル・コルビュジエの数々の作品、彼が日本にもたらした影響、前川國男が独自に切り開いた世界と建築作品について広く展示します。
1961年の作品、東京文化会館では、小ホール入口スロープを舞台に、ル・コルビュジエと前川國男、東京文化会館の建築的特徴について紹介するとともに、写真展「東京文化会館1961~渡辺義雄が撮らえた造形美~」をお楽しみいただきます。
1975年の作品、東京都美術館では、佐藤慶太郎記念 アートラウンジにて、ル・コルビュジエと前川國男、東京都美術館の建築的特徴について紹介します。
前川國男と彼の建築作品を舞台に、ル・コルビュジエと前川が展開した建築世界をぜひご堪能ください。


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2017.06.12

「シンシン」が出産、おめでとう!

「シンシン」(11歳)が今日の午前11時52分に出産したと、都が発表しました。
現段階では、性別と体重は不明だそうです。

おめでとう!
無事に成長することをお祈りします!

上野のパンダ、シンシンがママに 赤ちゃん元気な泣き声
SankeiNews

お披露目のときには、行きたい!


ということで、上野で撮った過去の動画を再投稿します。

2016年3月撮影。
(スマホで撮りました)

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2012年5月撮影。
リーリー(オス)

シンシン(メス)

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2011年4月撮影。
「リーリー」と「シンシン」が来日した年、大震災で一時閉園。
4月から再開でした。
ほとんど写ってません。恐縮ですが・・・動画を見るのをパスし頂いても結構です。
「カメラ持ってるのがやっと」でした、勿論立ち止まり不可!一瞬立ち止まり撮影、そして歩ききながら撮っています!

リーリー(オス)


この日の「シンシン」はぐったり?
なにしろこの騒ぎでしたから・・・・

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2017.06.10

横尾忠則 HANGA JUNGLE

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横尾忠則 HANGA JUNGLE展は、
町田市立国際版画美術館で開催されています。
会期 2017年4月22日(土)~6月18日(日)

この展覧会は撮影可です。(条件あり)
スマホで撮りました。

多面的な活躍をしてきた横尾忠則 ですが、この美術館、版画美術館ですから・・・版画制作活動をメインに、前後で、他メディアとの関連、拡充していく作品を時系列で展示しています。

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腰巻お仙 青バージョン 1968年 シルクスクリーン・紙 町田市立国際版画美術館蔵

唐十郎の「腰巻お仙」、アルバイト仲間が所属していた、小劇団が公演していたのを、見に行った、あの時代・・・
寺山修司の「天井桟敷」の公演ポスターも手掛けてましたよね。
私の記憶に残る多くの横尾作品がこの時代のものです。

こちらも・・・
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横尾忠則が頻繁にテレビ他の各メディアに登場していた時代ですね。

そして、三島事件、横尾忠則自身の体調等々からスピリチュアルな世界にのめり込んでいき、ますます横尾忠則ワールドが拡がりを見せます。

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デザイナーとしてスタートした横尾忠則の仕事、初期先品から、版画制作、画家宣言、さらに絵画と版画の並走を続け現在に至る横尾作品を網羅した見どころ満載の展覧会です。
(版画作品約230点とポスター約20点計約250点)
町田市立国際版画美術館蔵作品を中心に、作家蔵(横尾忠則現代美術館寄託)、岡部版画出版からの出展です。

展覧会の構成は以下の通りです。
Ⅰ 1968~70 制作プロセスの作品化 版と刷り
(展示風景)
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風景1~18 1969年 町田市立国際版画美術館蔵 作家蔵 兵庫県立美術館蔵

Ⅱ 1973~74  楽園幻想と千年王国
(展示風景)
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Blue Wonderland Red Wonderland  1973年 町田市立国際版画美術館蔵 横尾忠則現代美術館蔵

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Ⅲ 1980~84 画家宣言 ドローイングからペインティングへ
(展示風景)
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Ⅳ 1984~86 肉体と自然
(展示風景)
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Ⅴ 1986~91 名画の引用 私的絵画へ
(展示風景)
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Ⅵ 1990~現在 今昔物語
(展示風景)
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Ⅶ HANGA ポスター?版画?
(展示風景)
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展覧会の解説(HPから)
 縦横無尽な創作を続けるアーティスト・横尾忠則(1936年生まれ)は、1960年代から今日まで「HANGA」の制作に積極的に取り組んできました。本展は、「版画」の枠を超えた横尾の作品群を「HANGA」と称し、横尾の創作活動の全貌に迫ることを狙いとしています。様々な生命が共生するジャングルのように、約250点の多種多様なHANGAで展示室を埋め尽くします。直感や衝動を原動力とする横尾の創作姿勢の今日的意義と、現代版画の未来を探る大回顧展です。

横尾忠則は1960年代にアンダーグラウンド演劇のポスターをエロスと妖しさがただよう総天然色のデザインで制作して以来、グラフィズムによって時代の流行をつくりだし、日本文化をリードするデザイナーとして注目を浴びました。それ以後「時の人」としてさまざまなメディアに取り上げられますが、その一方でHANGAの制作にも積極的に取り組んでいきます。1982年に「画家宣言」を発した後もペインティングと併行して、版画の枠を超えた作品を制作し続けています。
本展はこれら2つのキーワードに沿って、横尾忠則のHANGA群をJUNGLEのイメージで壁面を埋め尽くすように展示、HANGAの群生による驚異の表現世界を出現させることを目指しています。
その空間からは、思考や論理を重視したモダニズムに抗う横尾の創作姿勢の今日的な意義や、現代版画の未来を予見することさえできることでしょう。


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2017.06.06

江戸東京たてもの園に行ってきました (2017年6月)

「ル・コルビュジェと前川國男」展が開催されているのをきっかけに「江戸東京たてもの園」に行ってきました。

この園に移設されている「前川國男邸に行ってみたい」と、以前から思っていたこともあって・・・・

品川区上大崎に1942年(昭和17)に建てられた住宅。戦時体制下、建築資材の入手が困難な時期に竣工しています。外観は切妻や屋根の和風、内部は吹き抜けの居間を中心に書斎・寝室を配したシンプルな間取りになっています。(パンフレットから)

戦時体制下ということもあってでしょうか、今風に言えば「断捨離」?シンプル!
採光を目いっぱい配慮して、心地よい環境を整えています。
住んでみたい、素敵な家ですね。
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庭側から見た前川國男邸


この記事の最後の動画にも同じものが含まれています。

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高橋是清邸
部屋数が多く、建築材も立派ですよ。
赤坂にあった高橋是清邸庭園の一部の復元もされています。
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2階にあるこの部屋は是清の書斎、寝室として使われていました。
2・26事件で暗殺されたその部屋です。
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この展示空間では、タイムスリップした街に入り込んだような感覚に襲われます。
一番のお勧めエリア!

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上の写真中央にあるのが銭湯の子宝湯。
懐かしい!
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子宝湯の内部。

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デ・ラランデ邸一階は、カフェ「武蔵野茶房」として営業しています。
この日は、暑かったので、ビール飲みたかったけど・・・飲み始めると止まらないたちなので我慢!混んでました!
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紹介したい建物はまだまだ沢山ありますが・・・・
以下の動画で「たてもの園」の建物をほぼ網羅したつもりです。
建物内部は、ほとんど撮っていません、興味のある方は行かれて実見ということで。


江戸東京たてもの園概要(HPから)
 東京の歴史をふりかえると、江戸の昔から火事・水害・震災・戦災などにより、多くの貴重な歴史的建造物が失われてきました。現在もまた、社会・経済の変動に伴って、こうした文化遺産が失われつつあります。
 東京都は、1993年(平成5)江戸東京博物館の分館として、敷地面積約7haを擁する「江戸東京たてもの園」を建設しました。当園では、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示するとともに、貴重な文化遺産として次代に継承することを目指しています。
展示について
《ビジターセンターの導入展示》
 日本建築の特徴と歴史、仕組み、たてもの園の建造物についてわかりやすく説明します。失われた建物の看板、模型、写真等を通じて、楽しく学ぶことができます。
《復元建造物と生活情景再現展示》
 都内に存在した江戸時代前期から戦後までの文化的価値の高い建造物を復元・展示するとともに、建物の内部では生活民俗資料などを展示し、それぞれの時代の生活や商いの諸相を再現しています。
《遺跡・遺構の展示とまちなみの再現》
 旧武蔵野郷土館が調査・収集した考古・歴史・民俗資料や歴史的建造物の遺構などを屋外展示しています。また、復元建造物によって、下町と山の手のまちなみが再現されています。
《旧武蔵野郷土館資料の展示・特別展》
 旧武蔵野郷土館から引き継いだ資料の展示や復元建造物、多摩地域の歴史などをテーマとする特別展を開催しています。
《旧武蔵野郷土館とは》
 江戸東京たてもの園が建設されたこの地には、1991年(平成3)まで「武蔵野郷土館」があり、原始、古代から近・現代にいたる武蔵野の生い立ちをテーマに、さまざまな博物館活動を行っていました。江戸東京たてもの園は、旧武蔵野郷土館の貴重な資料を引き継ぎ、その資料を展示室と屋外に展示しています。

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2017.06.03

茶の湯のうつわ ―和漢の世界

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「茶の湯のうつわ ―和漢の世界」は、
出光美術館で開催されています。
会期  2017年4月15日(土)〜 6月4日(日)

出光美術館での前回の展覧会は、古唐津でした。
その豊富な所蔵品にチョットびっくりでしたが、今回は桃山・江戸時代 を通しての名品が並びます。


今回の展示作品の中で「仁清作品」の素晴らしさを再確認しました。
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色絵扇面散文茶碗
野々村仁清 日本 江戸時代前期
出光美術館

派手目の絵付けされた作品もいいのですが、単色系でまとめたデザイン、釉薬の光沢の品の良さ、確実な作陶技術に裏打ちされた緊張感のあるフォルム・・・・見入ってしまいました。

以下に展示されている仁清作品を記しておきます。
色絵羽子板香合
色絵尺八香合
色絵扇面散文茶碗
銹絵富士山文茶碗
色絵熨斗文茶碗
信楽写共蓋水指
白釉耳付水指
灰釉胴張共蓋水指
白釉水指
白釉獅子香炉
色絵鳳凰文共蓋壺

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勿論、樂、萩、唐津の詫びた景色も素晴らしいです。
唐物、煎茶の器も美しい!

目線の関係で、軽いスクワット繰り返し状態で観覧してきました。
出光美術館所蔵品は、茶の湯の器も素晴らしい!

展覧会の構成は以下の通りです。
第1章 一楽二萩三唐津
第2章 京焼 ─古典へのまなざし、そして前衛的うつわへ
第3章 愛でられる漢のうつわ ─唐物・高麗・安南
第4章 懐石、宴のうつわ
第5章 煎茶の世界
特集展示 雲州蔵帳とその美

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萩茶碗 銘 雪獅子
日本 江戸時代前期
紀州徳川家伝来

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高麗写荒磯文急須
青木木米 日本 江戸時代後期 出光美術館

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色絵魚介文鮑形鉢
中国 明時代末期 景徳鎮窯 出光美術館

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唐物大海茶入 銘 山桜
中国 南宋時代 福建系
松浦家伝来 出光美術館

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五彩十二ヵ月花卉文杯 12客のうち ※1-6月の場面
中国 清「大清康煕年製」銘 景徳鎮官窯 出光美術館

展示概要(HPから)
桃山時代、千利休(1522 - 91)により侘び茶が確立すると、それまでの中国から渡ってきた唐物を万能とする茶の湯の価値観は大きく変わることが知られています。その変化は、利休より遡る村田珠光(1423 - 1503)の時代から徐々に「備前物」や「信楽物」の使用に始まり、天正15年(1587)頃になると茶会記には唐物はほとんど見られなくなり、高麗茶碗と和物が主要な茶道具となっていきました。
江戸時代になると、楽茶碗のようにそれまでの侘び茶の世界を継承するうつわ作りが行われる一方で、野々村仁清(生没年不詳)の華麗な色絵や尾形乾山(1663 - 1743)のように大胆な図様、賛文や自身の銘を記すといった新しい感覚・視点によりうつわが作られ始めました。また京都や瀬戸・美濃以外の地域でも、唐津(佐賀)や萩(山口)、高取や上野(福岡)といった西国地域をはじめ、全国各地で茶の湯のうつわが作られ、地域を特徴付けるやきものが盛んに作られるようになりました。また国産のやきもの以外にも、中国産をはじめ、朝鮮半島産、東南アジア産、その中には日本側からの注文によるうつわもあります。さらに唐物として重宝され日本国内で伝世してきたうつわについても再評価され、茶の湯の世界で再び脚光をあびることになります。
江戸時代中期から後期にかけては、文人文化や中国趣味の隆盛を背景に煎茶の風習も広がり、そこにも趣向を凝らした新たな雰囲気のうつわが用いられるようになります。
このように江戸時代には茶の湯が幅広く展開し、武家のみならず、公家、豪商さらには町衆まで茶の湯の風習が広がっており、用いられるうつわも多様になったのです。
本展では江戸時代に流行した茶の湯のうつわを中心に、さらに当館が所蔵する出雲(島根)松平家の茶の湯に関する道具帳である『雲州蔵帳』とその世界観についても特集展示として取り上げ、茶の湯のうつわとその美意識をお楽しみいただきます。

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2017.06.02

散策中に見かけた草花(2017年5月)

人気の花咲く公園、施設にも行きたいな~と、数か所かについて計画はしたものの混雑、渋滞を考えて躊躇してしまいました。
ということで、以下、散策中にスマホで撮った写真です。

可憐な花が好きなのですが・・・・・6月は、花菖蒲、紫陽花が見ごろになりますね。

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おおやまれんげ(大山蓮華)  もくれん科

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ふたりしずか(二人静) せんりょう科
別名 早乙女花(早乙女は田植えをする女性のこと)
能の謡曲「二人静」に由来する。

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えびね(海老根)  らん科
名前の由来は、地下に連なっている茎と、そこから生えている根の様子がエビの頭を指でつまんで持ち上げたように見えることから付けられた。根が海老に似ているため。

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かきつばた  あやめ科
衣に摺り付けることが書付花に転じたといわれているが正式にはよくわかっていない。

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すいれん(睡蓮)

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ふじ(藤)  まめ科

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あさざ(浅沙) みつがしわ科
花が咲くのは晴れのときだけで、くもりや雨の日は咲かない。

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ははこぐさ(母子草)  きく科
春の七草 御形(ごぎょう)のこと。


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あまどころ(甘野老)  ゆり科
根を食べると甘みがあることでこの名が付いた。同族のなるこゆり とよく似る。 

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こでまり(小手毬) 薔薇科

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へびいちご(蛇苺)果実
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「へびいちごの花」先月UPした写真です。

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ひめかんぞう(姫萱草)  ゆり科
日本では江戸時代から栽培されていた。

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ぼたん(牡丹) 牡丹(ぼたん)科

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こうほね(河骨)  すいれん科
名前の由来は、水中にある根茎が白く骨のように見えることから付けられた。
生薬 川骨(根を縦割りにする)

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うつぎ(空木) 雪の下(ゆきのした)科 

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2017.06.01

観てきた展覧会備忘録 2017年5月

特別展「茶の湯」
会期 2017年4月11日(火) ~ 6月4日(日)
東京国立博物館 平成館 特別展示室


フランス絵画の宝庫 ランス美術館展
会期 2017年4月22日(土)~6月25日(日)
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館


特別展 ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展
16世紀ネーデルラントの至宝-ボスを超えて-
会期 2017年4月18日(火)~7月2日(日)
東京都美術館


「Study of BABEL」展
会期 2017年4月18日(火)~7月2日(日) 
東京藝術大学


特別展「大英自然史博物館展」
会期 2017年3月18日(土)~6月11日(日)
国立科学博物館


卵からはじまる形づくり~発生生物学への誘い~
会期 2017年3月18日(土)~6月11日(日)
国立科学博物館


創建1250年記念「奈良 西大寺展 叡尊と一門の名宝」
会期 2017年4月15日(土)~6月11日(日)
三井記念美術館


ファッションとアート 麗しき東西交流
会期 2017年4月15日(土) ~ 6月25日(日)
横浜美術館


よみがえる画家-板倉鼎・須美子展
会期 2017年4月8日(土)〜6月4日(日)
目黒区美術館


松岡コレクション 印象派・新印象派
モネやルノワールはどこを描いたの?なにを描いたの?
会期 2017年5月23日(火)~9月23日(土・祝)
松岡美術館


没後150年 坂本龍馬展
会期 2017年04月29日(土)〜06月18日(日)
江戸東京博物館


[館蔵]近代の日本画展
会期 2017年5月13日(土)〜6月18日(日)
五島美術館


横尾忠則 HANGA JUNGLE
会期 2017年4月22日(土)~6月18日(日)
町田市立国際版画美術館


「アスリート展」
会期 2017年2月17日~6月4日
21_21 DESIGN SIGHT


マリー・アントワネットとナポレオン皇妃ジョゼフィーヌが愛した宮廷画家 (会期終了)
ルドゥーテの「バラ図譜」展
会期 2017年4月15日(土)~5月28日(日)
そごう美術館


挿絵本の楽しみ~響き合う文字と絵の世界~ (会期終了)
会期 2017年4月15日(土)~5月28日(日)
静嘉堂文庫美術館

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