大国魂神社くらやみ祭神輿渡御2017
大国魂神社の例祭に行って来ました。
祭りを通して70万人の以上の人出でがあるとされるくらやみ祭り、例祭の5日 は浅草三社祭の大混雑に匹敵する賑わいでした。(三社祭は150万人だそうです)
屋台の出店数も半端ではありませんでした。
浅草とは、趣の異なる神輿渡御のように思いましたが・・神輿を担ぐ人々の意気込みは変わらないようでした。
歴史の重みと伝統をを感じさせてくれる祭事です。
(この記事は追記、画像の追加をすることがあるかもしれません)
次第
5月5日
■例祭 午前10時
年中行事で最も重要な祭儀
■道清め 午後1時30分
神輿・太鼓の通る道をお祓いして歩く儀式。神輿の渡御に先立ち、その道すじを祓い清める。
■太鼓送り込み 午後2時30分
御先祓大太鼓を始めとする、各宮の大太鼓が各町内から、隨神門内と拝殿前に送り込まれる。約1時間ほどの間、威勢良く打ち鳴らされる。
■宮乃咩神社奉幣 午後2時
境内摂社宮乃咩神社に行き奉幣行事を行う
■御饌催促の儀 午後3時30分
細谷・浦野両氏により神前に供え、神饌の調理催促する儀式
■動座祭 午後3時30分
御霊を御本殿より神輿に移す事を神前に報告する祭典。(一般非公開)
■威儀物授与 午後5時20分頃
神輿の露祓いの意味で奉持する刀や弓を渡す儀式
■御霊遷の儀 午後5時20分
各神輿に本殿から御霊を移す神事
■神輿渡御 午後6時【くらやみ祭のメイン】
花火の合図とともに6張りの大太鼓が打ち鳴らされ、祭の最大の見所である「おいで」と呼ばれる神輿渡御が行われる。8基の神輿は白丁を身にまとった威勢の良い担ぎ手と大太鼓に導かれ、御旅所まで渡御する。
■坪宮奉幣 午後8時30分
境外末社、坪宮に奉幣の儀式を行う神事。
■野口仮屋の儀 午後10時10分ごろ
大國魂大神が当地に降臨したとき野口家に 一泊の宿を求めた故事に基づく事柄を具現する神事。宮司と神職は野口の仮屋に向かい、そこで主人の野口氏の接待を受ける儀式を行う。
■やぶさめの儀 午後10時30分ごろ
宮司は野口の仮屋から神馬に乗って御旅所へ戻り、その北門前で馬上から弓を引き的を射る神事(但し鎌倉の鶴岡八幡宮の神事とは趣を異にする)。やぶさめの儀では矢が必ず的に当たるので、当社では「やぶさめあたり矢」という名前で御神矢を授与している。
5月6日
御神輿
■神輿還御(おかえり) 午前4時から8時頃
早朝午前4時に各神輿が御旅所を出発し、大太鼓に導かれ町内を巡行した後、午前7時半までに神社境内に還る。午前7時半から8時頃には8基全ての神輿が神社参道に揃う。
■鎮座祭 午前9時頃
還ってきた神輿から御霊を本殿に納め、無事大祭が終了した事を報告する祭典。くらやみ祭の終了となる。(一般非公開)
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大國魂大神
小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神・御霊大神・国内諸神
御由緒
当社のご祭神は、大國魂大神おおくにたまのおおかみで武蔵の国魂の神と仰いでお祀りしたものである。この大神は 素盞鳴尊すさのおのみことの御子神でむかしこの国土を開拓され、人民に衣食住の道を授け、医薬禁厭等の方法をも教えこの国土を経営された。
当社の起源は、人皇第十二代景行天皇41年(一一一)5月5日大神の託宣に依って造られたものである。出雲臣天穂日命いづものおみあめのほひのみことの後裔が初めて武蔵国造むさしのくにのみやつこに任ぜられ当社に奉仕してから、代々の国造が奉仕してその祭務を掌られたといわれる。
その後、孝徳天皇(596-654)の御代に至り、大化の改新(645)のとき、武蔵の国府をこの処に置くようになり、当社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して国内の祭務を総轄する所にあてられた。
又、国司が国内社の奉幣巡拝、又は神事執行等の便により国内諸神を配祀した、これが即ち武蔵総社の起源である。
後に本殿の両側に国内著名の神、六所ろくしょ (小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)を奉祀して六所宮とも称せられるようになった。《※注》
寿永元年(1182)に至り、源頼朝が葛西三郎清重を使節として、その室、政子の安産の祈願が行われた。文治2年(1186)頼朝は武蔵守義信を奉行として社殿を造営し、また貞永元年(1232)2月に将軍頼経の代にも武蔵守資頼を奉行として社殿が修造せられた。
又、天正18年(1590)8月、徳川家康が江戸へ入城してからは武蔵国の総社であるために殊に崇敬の誠をつくし、社領五百石を寄進され、社殿及びその他の造営に心力をつくされた。
正保3年(1646)10月、類焼により社殿は焼失したが、寛文7年(1667)将軍家綱の命により、久世大和守広之が社殿を造営し現在に至る。形式は三殿を横につらねた朱塗りの相殿造りで、屋根は流造りであり、慶応年間に檜皮葺ひわだぶきが銅葺に改められた。本殿は都文化財に指定されている。
明治元年(1868)勅祭社に準ぜられ、同7年(1874)県社に列し、同18年官幣小社に列せられた。
当社はもともと大國魂神社と称したが、中古以降、武蔵の総社となり、又国内著名の神六所を配祀したので「武蔵総社六所宮」の社号を用い、 明治4年(1871)にもとの社号に復し「大國魂神社」と称するようになった。
当社は神威殊に顕著であるので、古来より崇敬者は、武蔵の国はもちろん、関東一円に亘っている。
5月5日には例大祭が行われるが、この祭が有名な国府祭で、当夜八基の御輿が古式の行列を整え、消燈して闇夜に御旅所に神幸するので、俗に「くらやみ祭」といわれている。昭和36年(1961)より御輿の渡御は夕刻に改められた。
《※注》
一ノ宮 小野神社 東京都多摩市一ノ宮
御祭神・・・天ノ下春命(国造の祖神)
二ノ宮 二宮神社(小河神社) 東京都あきる野市二宮
御祭神・・・国常立尊
三ノ宮 氷川神社 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町
御祭神・・・須佐之男命・稲田姫命・大己貴命
四ノ宮 秩父神社 埼玉県秩父市番場町
御祭神・・・八意思金命・知知夫彦命・天之御中主神
五ノ宮 金鑚神社 埼玉県児玉郡神川町二ノ宮
御祭神・・・天照大神・素戔鳴尊・大和武尊
六ノ宮 杉山神社 神奈川県横浜市緑区西八朔町
祭事次第、御由緒は、画像を除き大国魂神社のHPからの引用です。
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コメント
有難うございます。
山王祭、神田祭、三社祭とは趣の異なる例祭だと思いました。
祭事次第がひっきりなしに行われ、見どころ満載です。今年は深川も本祭りですよね!
知らないことばかりで・・・益々興味がわいてきます!
投稿: 内田さんへ | 2017.05.09 18:56
興味ある神事がありますね。
祈晴祭、競馬式(こまくらべ)等々。
大変興味を持って読ませて頂きました。
来る13日(土)は土俵祭、神田祭と忙しくなりそうです。
投稿: 内田 | 2017.05.09 08:47
有難うございます。
お疲れさまでした!
「孫は来てよし帰ってよし」でしょうか?
こちらは、遊び疲れの腰痛です!
くらやみ祭には初めて行きましたが、想像以上の規模と賑わいにチョットびっくりでした。
投稿: 岩城さんへ | 2017.05.08 16:02
全て見さして頂きました。大変良く取れていますね。当方孫の相手で、孫が来る相手しまくる腰に来るです。
投稿: 岩城 | 2017.05.08 12:58