桜、小田原城、御幸の浜 2017年4月
小田原城には何度か行っていますが、平成の大改修完了ということなので、この桜の時期に行ってみようと・・・
11時前に小田原駅に到着。
駅前商店街を通り抜けてお濠沿いの桜並木を歩き、学橋から小田原場内に入りました。
二の丸広場にも桜並木があって、眺めながら通り抜け銅門、馬出門周辺を散策。
常盤木橋を渡って階段を上り常盤木門をくぐると本丸広場にピカピカの天守閣がそびえます。
本丸広場には、売店休憩所があり、桜の下ではビニールシートを敷いて宴会?の人達も居ました。上野ほどではないですが・・・
私も桜の下のベンチに座ってのんびり昼食。
その後、遊園地に下りて・・・ここの桜も見事に咲き誇り、桜越しに見る天守閣は絶景でした。
学橋と桜。
二の丸広場の桜並木。
常盤木橋
本丸広場で・・
遊園地から天守閣を望む。
小田原城の前身は、室町時代に西相模一帯を支配していた大森氏が、現在の県立小田原高等学校付近の高台(八幡山)に築いた山城でした。城の規模や築城年は明らかになっていませんが、15世紀の中頃に造られたのではないかと考えられています。 15世紀末、伊勢宗瑞(後の北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していきました。小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え城下を囲む総延長9kmに及ぶ総そうがまえ構の出現に至ってその規模は最大に達しました。 しかし、天正18年(1590)、石垣山一夜城の築城をはじめとする秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。 北条氏滅亡後、徳川家康に従って小田原攻めに参戦した大久保氏が城主となり、城は近世城郭の姿に改修されました。その後、大久保氏の改易にあたり、城は破却されましたが、稲葉氏の入城の際に再整備され、城の姿は一新されました。 貞享3年(1686)に再び大久保氏が城主となり、小田原城は東海道で箱根の関所を控えた関東地方の防御の要として幕末に至りました。 小田原城は、明治3年(1870)に廃城となり、明治5年までに城内の多くの建物は解体されました。後に、小田原・足柄県庁・神奈川県支庁の所在地となり、さらに明治34年には、二の丸に御用邸が建てられました。しかし、大正12年(1923)9月の関東大震災により御用邸のほか石垣もほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われてしまいました。 その後、昭和9年(1934)に隅櫓が再建され、昭和35年(1960)5月には廃城以来90年ぶりに市民待望の天守閣が復興されました。続いて昭和46年(1971)3月に常盤木門が、平成9年10月に銅門、平成21年3月には馬出門が完成しました。 小田原城は、昭和13年(1938)8月に二の丸・三の丸の一部が、昭和34年(1959)5月に本丸と二の丸の残り全部が国の史跡に指定されています。
帰るにはまだ早いと思って・・・
御幸の浜に寄り道、もう一度小田原城に行き、夕方小田原駅に戻りました。
御幸の浜には人影もまばら、犬を連れて散歩する老人、小石を拾うアベック、男女4人組の外国人、その他数人という風景。
私も小一時間柔らかい陽射しの下、海を眺めてのんびり過ごしました。
潮騒のリズムは心地いいですね〜
御幸の浜
小田原の桜は、まだ数日は持ちこたえそうです。
駅に戻って天守閣を振り返る。
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コメント
この日の子供機関車は、大人の乗車比率高かったです。
天守閣は勿論、櫓、常盤木門、銅門なども綺麗に・・・満開の桜とともに、見事な景色でした!
改修完了の日光陽明門にも近いうちに行こうかな〜
投稿: 内田さんへ | 2017.04.20 04:37
ベストタイミングでしたね。去年行った時はまだ工事中でしたが、とても綺麗になりましたね。姫路城の白は私にとっては??なのですが、小田原城の白はいいですね。子供機関車や小さな動物園(檻)も元気ですね。今年は小田原長興山のしだれ桜も観に行けませんでした。
投稿: 内田 | 2017.04.19 17:41
有難うございます。
小田原って、箱根の帰りにちょっと寄ってみようかな~って感じでしたが・・今回行ってみて見直しました!桜と天守閣のコラボは見事でした!
投稿: 岩城さんへ | 2017.04.18 21:24
拝見させてもらいました。桜と小田原城非常に素晴らしですね。駅から見た天守閣も良いですね。

投稿: 岩城 | 2017.04.18 18:21