映画『沈黙‐サイレンス‐』
待ち望んでいた映画なので、早目に観に行こうと思っていました。
観る予定で出かけた展覧会の開催日を勘違いしていて、時間ができたので、急遽見ることにしました。
六本木の映画館でしたが・・・私の前の席には外国人のシスター二人、場所柄、他にも外国の方が散見されました。
日本語のみで語られる場面があって、(英文字幕なし)どうなのかな~なんて、余計なことも考えたりして・・・上映時間162分の長編ですが、長さは感じず楽しめましたよ!
蝉しぐれ・・・暗闇・・・silence・・・映画の導入部です。
エンドロールには虫の声が流れて・・・・
(小説の風景(情景)描写に多用されていたのを思い出す)
映画は、ほぼ原作通りに進行します。
江戸初期、幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎で宣教師フェレイラの消息が途絶えた。
「捕らえられたフェレイラが棄教した」という噂も伝えれれていた。
弟子のロドリゴとガルペは、師フェレイラを追い日本に潜入すべく、マカオで支那人の水夫と船を調達した。
その支那人に、日本に帰りたがっているキチジローという日本人がいると紹介される。
酒に溺れ、狡そうな目をしたこの男の手引きによって、マカオから長崎への潜入を企てる。
月の出ない暗闇の中、船は入り江の浅瀬に辿り着いた。
砂浜の窪地に隠れていた、ロドリゴとガルペの前にキチジローに導かれたトモギ村の信者たちが現れる。
二人は、トモギ村民の惨めな日々の生活の惨状を目の当たりにする。
トモギ村の炭小屋に隠された二人は、村民に告悔、洗礼などを行うようになる。
そして、宣教場所を、求めに応じて広げようと・・・手引きはキチジロー。
しかし、トモギ村にも突然、役人が捜査に入る。
ロドリゴとガルペは、宣教が途絶えることを懸念し、別行動をとることに決る。
幕府の取締りは厳しさを増し、拷問にかけられ死んでいく村民を前にロドリゴは苦しむ。
トモギ村を海路逃れ五島を目指すロドリゴの前に、あのキチジローが現れる。
ロドリゴが疑っていた通り、キチジローはロドリゴを売った。
囚われの身となったロドリゴの前に、マカオでも聞いていた最も恐ろれられた男、長崎奉行の 井上筑後守が現れる。
「お前のせいでキリシタンどもが苦しむのだ」と棄教を迫る。
転びなさいと・・・・
次々と犠牲になる人々・・・・
守るべきは信念か?
虐げられ、惨めな生活の中で死にゆく隠れキリシタンの命か?
ロドリゴの決断は・・・・
フェレイラの消息は・・・
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ロドリゴとキチジローの心象風景のやり取りががもう少しきめi細やかだとよかったんだけど・・・
でもいい映画です。
以前から過剰演技が気になっていた役者さん、無難にこなしていて違和感がなかった。
モキチ役の塚本晋也がいいなぁ~
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書いていて気づいたのですが、拙ブログの前回投稿「岩佐又兵衛」と沈黙に登場する人物はほぼ同時代を生きた人々なんだと・・・
歴史は、かくも深く重層的なものなのだと・・・
拙ブログ関連投稿記事
特別公開「新発見!天正遣欧少年使節 伊東マンショの肖像」
朝日新聞デジタル
尊重が恐怖を緩和する スコセッシ監督インタビュー
スコセッシ監督の解釈が象徴的に映し出されているのが、棺の中のロドリゴが十字架を手にする最後のシーンだ。
「すべてはあのシーンに集結する。あのラストをどう描くかを決めるのに28年かかったといっても過言ではない」
~略~
最終的にロドリゴはキリスト教からは切り離されるが、自分の信条、信念は固く持ったままである。映画ではそこをもう少しはっきりと描きたかった。
映画『沈黙-サイレンス-』本予告
原題 Silence
製作年 2016年
製作国 アメリカ
配給 KADOKAWA
上映時間 162分
映倫区分 PG12
キャスト
ロドリゴ: アンドリュー・ガーフィールド
ガルペ: アダム・ドライヴァー
フェレイラ: リーアム・ニーソン
通辞: 浅野忠信
キチジロー: 窪塚洋介
モキチ: 塚本晋也
井上筑後守: イッセー尾形
小松菜奈
加瀬亮
笈田ヨシ
キアラン・ハインズ
スタッフ
監督: マーティン・スコセッシ
製作総指揮:
デイル・A・ブラウン
マシュー・J・マレク
マニュ・ガルギ
ケン・カオ
ダン・カオ
ニールス・ジュール
ジャンニ・ヌナリ
レン・ブラヴァトニック
アヴィヴ・ギラディ
ローレンス・ベンダー
脚本:
ジェイ・コックス
マーティン・スコセッシ
音楽:
キム・アレン・クルーゲ
キャスリン・クルーゲ
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