拝啓 ルノワール先生-梅原龍三郎に息づく師の教え
三菱一号館美術館で開催されています。
会期 2016年10月19日(水)~2017年1月9日(月・祝)
1908年秋、渡仏した梅原は、
1909年にカーニュにあったルノワール邸を、今風に言えばアポなしで訪れている。
当時のルノワールは既に68歳、梅原は21歳だった。
すぐに打ち解けた二人は、4年間に及ぶ交流が続き、ルノワールは梅原を評価している。
「君は色彩を持つ、デッサンは勉強で補うことのできるものだが、色彩は気質によるものだ」
1913年帰国した6年後に、ルノワールの訃報に接した梅原は、自宅を売って渡航費を捻出し、渡仏しています。
さて、ルノワール先生から梅原が学んだものとは・・・・何だったのだろうか?
作品を見比べていくと、作風は全く異なるように思えるのですが・・・・・
梅原は、留学中にパリ画壇の最新流行の画家たち(ヴァン・ドンゲン、ルオーなど)にも興味を持ったし、ピカソと知り合って晩年まで付き合いがありました。
これらの経緯も含めて、
ルノワールの作品、梅原龍三郎の作品、さらに多彩な秘蔵品、梅原が寄贈した公的コレクションの展示を通して二人の師弟関係を検証しています。
展覧会の構成は以下の通りです。
第1章 ルノワールとの出会い
第2章 梅原龍三郎 掌(たなごころ)の作品
第3章 秘蔵品から公的コレクションへ
第4章 交友と共鳴 梅原と時代、梅原の時代
第5章 ルノワールの死
第6章 ルノワールの遺産
HPの解説。
日本の洋画界を牽引し、その豪快な性格から『画壇のライオン』と呼ばれた梅原龍三郎 (1888-1986年)。近代化が進み、油彩画が日本に定着した頃の1908(明治41)年、20歳の梅原は渡仏し、翌年ルノワール(1841-1919年)に会いました。梅原はルノワールを師と仰ぎ、その制作現場を見、師との対話から多くを学び、親密な関係を築きました。
梅原は後に、ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術・琳派・南画といった日本の伝統的な美術を取り入れ、個性あふれる豪華絢爛な画風を展開し、日本の洋画を確立した巨匠として高く評価されます。本展はルノワールと梅原の作品だけでなく、梅原が蒐集した作品、梅原と親交のあったピカソやルオーらの作品約80点により、近代絵画における東西の交流をご紹介します。
梅原龍三郎留学初期の作品。
梅原が所有していた「ルノワールのブロンズ」を中心に描いた作品。
(当のブロンズも展示)
梅原龍三郎が描いた「パリスの審判」
ルノワールが描いた「パリスの審判」
以上の画像は、内覧会参加時に撮ったものです。
拝啓ルノワール先生―梅原龍三郎に息づく師の教え|安井裕雄学芸員
三菱一号館美術館公式チャンネル
第1章「ルノワールとの出会い」 三菱一号館美術館「拝啓 ルノワール先生 ─ 梅原龍三郎に息づく師の教え」
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第2章~第4章 三菱一号館美術館「拝啓 ルノワール先生 ─ 梅原龍三郎に息づく師の教え」
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第5章「ルノワールの死」 三菱一号館美術館「拝啓 ルノワール先生 ─ 梅原龍三郎に息づく師の教え」
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第6章「ルノワールの遺産」 三菱一号館美術館「拝啓 ルノワール先生 ─ 梅原龍三郎に息づく師の教え」
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