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2016.12.05

世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画

Photo

世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画は、

サントリー美術館で開催されています。

会期 2016年11月16日(水)~2017年1月9日(月・祝)
※作品保護のため会期中、展示替があります。

小田野直武も秋田蘭画も初耳です。
しかし、《不忍池図》には既視感と不思議な懐かしさ?を感じます。
(秋田県立近代美術館に行ったときに観ていたのかもしれないと思ったり・・・)
そして、「解体新書の挿絵を担当した」となると妙に親近感がわいてきます。


6
重要文化財 不忍池図
小田野直武筆 一面 江戸時代 18世紀 秋田県立近代美術館


小田野直武の《不忍池図》の完成度は高く、この展覧会の目玉作品ですが・・・12月12日までの限定展示です。
もう一度と思いますが、無理かな~
掛け軸ですが98.5×132.5cmのサイズも見ごたえがあります。

鉢植えの花を大きく近景に、細密に描かれた不忍池の景色は極めて小さく広がります。
鉢植えへの視線と、不忍池への視線は整合性がない様にもみえます。

ヨーロッパの植物図譜、ボタニカルアートの影響を指摘する向きもありますが、でも、西洋には鉢植えの花を描く習慣はないと・・・(切り花だと)

直武は武家のたしなみとして書画を学びますが(狩野派の絵師から)若いころから画力は認めれれていて、秋田蘭画以前の作品も展示されています。


平賀源内が秋田藩に招かれ、訪れたのが切っ掛けで、直武と源内の出会いがあり、源内が江戸に戻ると、直武は藩主に江戸出張を命じられます。

江戸の平賀源内周辺には、杉田玄白等の蘭学者がおり、その縁で「解体新書」の挿絵作家に抜擢されます。
江戸派遣から僅か8か月後のことです。

当時の江戸では南蘋派が流行していて、直武はその技法も学んでいます。
加えて、鎖国の日本と交易をおこなっていたオランダから入ってきた銅版画から空間表現を学び、直武独特の秋田蘭画の世界が生まれます。
東西美術の結晶!ですね。

この展覧会で、小田野直武と秋田蘭画の魅力、その世界を知ることができました。
とても良い企画展です。

小田野直武周辺の人々の作品や、後に銅版画、油彩画といった日本での新ジャンルを切り開いた司馬江漢(直武からも学んだ)の良質な作品も展示されています。

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平賀源内は人を殺めた咎で捕まり、獄死しますが、同時期に直武は秋田藩から謹慎を命じられ、源内獄死の翌年32歳の若さで亡くなります。
謹慎の理由も死亡原因も不明だそうです。

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展覧会の構成は次の通りです。

第1章 蘭画前夜

第2章 解体新書の時代~未知との遭遇~

第3章 大陸からのニューウェーブ~江戸と秋田の南蘋派~

第4章 秋田蘭画の軌跡

第5章 秋田蘭画の行方

1
解体新書(部分)
杉田玄白ら訳、小田野直武画 一冊(序図) 安永3年(1774)
国立大学法人東京医科歯科大学図書館 

2
鷺図
小田野直武筆 一幅 江戸時代 18世紀
歸空庵

3
蓮図
小田野直武筆、陸雨亭賛
一幅 江戸時代 18世紀
神戸市立博物館 


4
重要文化財 松に唐鳥図
佐竹曙山筆 一幅
江戸時代 18世紀


5
三囲図
司馬江漢 一面
天明3年(1783)
神戸市立博物館 

HPの解説。

江戸時代半ばの18世紀後半、秋田藩の若き武士たちによって西洋と東洋の美が結びついた珠玉の絵画が描かれました。「秋田藩士が中心に描いた阿蘭陀風(おらんだふう)の絵画」ゆえに現在「秋田蘭画」と呼ばれており、その中心的な描き手が、小田野直武(おだのなおたけ・1749~1780)です。本展は直武の画業を特集し、秋田蘭画の謎や魅力を探ります。
小田野直武の名を知らずとも、『解体新書(かいたいしんしょ)』の図は誰しも見たことがあるでしょう。直武は、秋田藩の角館(かくのだて)に生まれ、幼い頃より絵を得意としたといわれています。安永2年(1773)に平賀源内(ひらがげんない・1728~1779)が鉱山調査で秋田藩を来訪したことをきっかけとして江戸へ上った直武は、源内のネットワークを通じて蘭学者に出会い、安永3年(1774)に『解体新書』の挿絵を担当しました。江戸では、ヨーロッパの学術や文化を研究する蘭学がまさに勃興し、また、南蘋派(なんぴんは)という中国由来の写実的な画風が流行していました。江戸に出て7年後の安永9年(1780)に数え年32歳で亡くなるまで、直武は西洋と東洋という2つの世界に挑み、東西の美を融合させ、新しい表現を目指したのです。その画風は、第8代秋田藩主の佐竹曙山(さたけしょざん・1748~1785)や角館城代の佐竹義躬(さたけよしみ・1749~1800)らへも波及しました。主に安永年間(1772~1780)という短い制作期間ゆえに現存作品は少ないながらも、実在感のある描写、奥行きのある不思議な空間表現、プルシアンブルーの青空など、秋田蘭画は今なお斬新で驚異に満ちています。
本展では、小田野直武、佐竹曙山、佐竹義躬ら秋田蘭画の代表的な絵師を特集します。あわせて、直武に学んだとされる司馬江漢(しばこうかん・1747~1818)が描いた江戸の洋風画などもご紹介します。東京で秋田蘭画と銘打つ展覧会は、2000年に板橋区立美術館で開催された「秋田蘭画~憧憬(あこがれ)の阿蘭陀~」展以来、16年ぶりとなります。当館は、「美を結ぶ。美をひらく。」というミュージアムメッセージを活動の柱としてまいりました。江戸時代に洋の東西の美を結び、そしてひらいた直武らによる、日本絵画史上たぐいまれなる秋田蘭画の精華をご覧ください。


サントリー美術館 世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画 第1章「蘭画前夜」
InternetMuseum


サントリー美術館 世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画 第2章「解体新書の時代~未知との遭遇~」第3章「大陸からのニューウェーブ~江戸と秋田の南蘋派~」
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サントリー美術館 世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画 第4章「秋田蘭画の軌跡」
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サントリー美術館 世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画 第5章「秋田蘭画の行方」
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