銀杏並木と聖徳記念絵画館
絵画館の概要
起工 (1919年)大正8年3月5日
竣功 (1926年)大正15年10月22日
設計 一般公募156点の1等小林正紹氏の原図を基に明治神宮造営局において修正しました。
構造
鉄筋コンクリート造り、外壁は岡山県万成産花崗石、画室を除く壁面、中央大広間は、国産大理石と一部タイルを使用しています。
規模
長さ 東西112メートル
南北34メートル
高さ 中央ドーム頂点 地上32.1メートル
両翼 地上16.7メートル
聖徳記念絵画館には子供の頃に行った記憶があるのですが、内容が思い出せません。
ということで、この時期に(黄葉の季節に)再度行ってみようかなと思って、出かけました。
企画(「幕末・明治を一望する-初公開所蔵資料編-」の会期が12月11日までということもあって)
常設展示壁画は、日本画40点、洋画40点の計80点で、丹念に解説を読みながら鑑賞していくと結構時間がかかります。
諸行事の御様子を交えて、御降誕、大政奉還、江戸城開城、西南の役辺りまでが日本画、
グラント将軍と御対話、日清、日露戦争、日韓合邦、大喪までが洋画で描かれています。
日本画、洋画の大家が描いていて、よく知られた画家の名前も多く登場します。
常設展示の様子
王政復古
奉納者 侯爵 松平康荘 画家 島田墨仙
岩倉大使欧米派遣
奉納者 横浜市 画家 山口蓬春
枢密院憲法会議
奉納者 公爵 伊藤博邦 画家 五姓田邦柳
観菊会
(画像はパンフレットから)
加えて、壁画制作目的に準備した資料のスケッチブック、ガラス乾板写真、装束文様資料等々がそれぞれの壁画の前に展示されてます。
いかにして歴史資料を正確に表現しようと努力していたかが、よくわかります。
中央ドーム下では、関連映像が放映されています。
(12月11日まで?)
聖徳記念絵画館ついて、HPの解説から。
聖徳記念絵画館は、明治天皇・昭憲皇太后の御聖徳を永く後世に伝えるために造営された、神宮外苑のシンボルともいえる存在です。青山通りの外苑入り口から銀杏並木越しに見る景観は、東京を代表する風景のひとつとして広く親しまれております。現在では、東京都の景観条例により、その周辺を含めた風格ある景観として守られることとなりました。
館内には、明治天皇・昭憲皇太后の御在世中の御事蹟を伝える大壁画(縦3m横2.5~2.7m)が、画題の年代順に展示されており、当時の出来事を時代を追って見ることができます。
知識を世界に求め、旧弊を退け、近代化への大きな飛躍を成し遂げた明治の時代。
その只中に居るような錯覚さえ懐くことのできるところです。
銀杏並木・・・・
絵画館から銀杏並木を遠望。
絵画館を背にして、噴水池から。
噴水池、絵画館を背にして。
噴水池周辺・軟式野球場に 売店などの出店もあり、毎年賑やかな「いちょう祭り」も今年は例の事故で中止になりました。
しかし、交通規制は行われていて、外国人観光客も含め、賑わっていました。
4割程度、落葉してはいましたが・・・・
銀杏を道のを左右にして、遠近法でいう消失点に絵画館が位置するように設計されていて、まさに景色の絵画化です。
これらのイチョウは、1926年(大正15年)の明治神宮外苑創建に先立って、1923年(大正12年)に植栽されたもので、並木の総本数は雄木44本、雌木102本の合計146本です。
設計は、関東大震災後の復興事業で隅田公園や錦糸公園、山下公園などの建設も指揮した造園家、折下吉延、造営の責任者は、当時道路工学の権威であった藤井真透が務めました。
絵画館を正面にした銀杏並木→絵画館→絵画館から遠望した銀杏並木→絵画館を背にして・・・
明治神宮外苑について、HPの解説から。
明治神宮外苑は、明治天皇とその皇后、昭憲皇太后のご遺徳を永く後世に伝えるために、全国国民からの寄付金と献木、青年団による勤労奉仕により、聖徳記念絵画館を中心に、体力の向上や心身の鍛錬の場、また文化芸術の普及の拠点として、憲法記念館(現明治記念館)などの記念建造物と、陸上競技場(現国立競技場)・神宮球場・相撲場などのスポーツ施設が旧青山練兵場跡に造成され、大正15年(1926)10月に明治神宮に奉献されました。創建から終戦までは、国の施設として管理され、その間の昭和6年には、水泳場(神宮プール)が開場しました。
戦後は宗教法人明治神宮の外苑として国の管理をはなれ独自の事業収入により諸施設の管理運営を行い現在に至っております。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント