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2016.10.26

八木重吉 さいわいの詩人(うたびと)展

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八木重吉 さいわいの詩人(うたびと)展は、


町田市民文学館 ことばらんど
で開催されています。

会期 2016年10月22日(土)~12月25日(日)


八木重吉の「手作り詩集」「草稿」「妻宛ての手紙」「絵画」「多数の書き込みが見られる聖書」などなど、多数の資料が展示されています。
八木重吉作品の原初を見に(会いに)・・・・・どうですか。

(以下、過去に拙ブログで投稿した記事も再掲載しています、ご了承ください。)


展覧会の構成は以下の通りです。
第1章 八木重吉の生涯
     ふるさと・相模原
     生いたち
     文学と信仰への目覚め
     とみとの出会い
     詩人の揺籃期 御影での日々
     学校
     結婚
     制作
     文学
     詩人の誕生 柏でに日々
     「秋の瞳」 への評価
     掲載雑誌
     詩と信仰の合一  療養の日々
     「貧しき信徒」より
     残された家族
     縁ある人々

第2章 八木重吉の詩の世界
     手作り詩集
     御影時代の手作り詩集
     「秋の瞳」
     「秋の瞳」草稿より
     「貧しき信徒」
     
八木重吉の詩は根強い人気がありますね。
私が、八木重吉の存在を知ったのは遠藤周作のフランス時代からの友人である井上洋治神父の著作からです。
(数十年前になるかな~)

よく取り上げられる作品は「素朴な琴」ですね。

この明るさのなかへ

ひとつの素朴な琴をおけば

秋の美しさに耐え兼ね(て)

琴はしずかに鳴りいだすだろう


推敲を重ね時間をかけて作詩するのではなく、日々の生活の中で、感性から発する簡素な短い詩が殆どです。
「家族愛にあふれた信仰の詩人」というのが私のイメージです。

晩年は(と言っても29歳で亡くなる)、聖書がすべてで、娯楽の類は夾雑物と考えていたようです。
夾雑物にどっぷりつかった生活をしている身にとって、八木重吉の詩は、スーッと心に沁みてきます。

世界中のすべての詩の本が亡びても、私には一冊の聖書があればすこしもさびしいことはありません。 (「聖書」「甲陽」1926)

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八木重吉旧蔵聖書

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「秋の瞳」草稿

草にすわる
わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる


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貧しき信徒
初稿 「詩・歌を歌わう」より

雨の日
雨がすきか
わたしはすきだ
うたを うたおう



空よ
おまえのうつくしさを
すこしくれないか


私は、友がなくては、耐えられぬのです。しかし、
私には、ありません。この貧しい詩を、これを、
読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、
あなたの友にしてください。
「秋の瞳」序文

御影時代の手作り詩集
1
詩集 「感触は見ずに似る」1923年 詩25篇

2

そして、八木重吉の、もっとも長い詩と思われる作品を以下に紹介します。

吉野富子著
1976年初版 彌生書房刊
「琴はしずかに 八木重吉の妻として」
に収録されている作品です。


明日

まず明日も目を醒まそう

誰がさきにめをさましても

ほかの者を皆起こすのだ

眼がハッキリとさめて気持ちもたしかになったら

いままで寝ていたところはとり乱しているから

この三畳の間へ親子四人あつまろう

富子お前は陽二を抱いてそこにおすわり

桃ちゃんは私のお膝へおててをついて

いつものようにお顔をつっぷすがいいよ

そこで私は聖書をとり

馬太伝六章の主の祈りをよみますから

みんないっしょに祈る心になろう

この朝のつとめを

どうぞしてたのしい真剣なつとめとしてつづかせたい

さお前は朝飯のしたくにおとりかかり

私は二人を子守しているから

お互いに心を打ち込んでその務めを果たそう

もう出来たのか

では皆でご飯にしよう

桃子はアブちゃんをかけてそこへおすわり

陽ちゃんは母ちゃんのそばはすわって

皆おいちいおいちいいって食べようね

七時半ごろになると

わたしは勤めに出かけなくてはならない

まだ本当にしっくり心にあった仕事とは思わないが

とにかく自分に出来るしごとであり

妻と子を養う糧を得られる

大勢の子供を相手の仕事で

あながち悪い仕事とも思われない

心を尽くせば

少しはよい事もできるかもしれぬ

そして何より意義のあると思うことは

生徒たちはつまり「隣人」である

それゆえ私の心は

生徒たちにむかっているとき

大きな修練を経ているのだ

何よりも一人一人の少年を

基督其の人の化身とおもわねばならぬ
(自分の妻子もそうである)

そのきもちで勤めの時間をすごすのだ

その心がけが何より根本だ

絶えずあらゆるものに額ずいていよう

このおもいから

存外いやなおもいもはれていくだろう

進んで自分も更に更に美しくなり得る望みが湧こう

そうして日日をくらしていったら

つまらないと思ったこの職も

他の仕事と比べて劣っているとはおもわれなくもなるであろう

こんな望みで進むのだ

休みの時間には

基督のことをおもいすごそう

夕方になれば

妻や子の顔を心にうかべ乍ら家路をたどる

美しい慰めの時だ

よくはれた日なら

身体いっぱいに夕日をあび

小学生の昔にかえったつもりで口笛でも吹きながら

雨ふりならば

傘におちる雨の音にききいりながら

砂利の白いつぶをたのしんであるいてこよう

もし暴風の日があるなら

一心に基督を念じてつきぬけて来よう

そしていつの日もいつの日も

門口には六つもの瞳がよろこびむかえてくれる

私はその日勤め先ての出来事をかたり

妻は留守中のできごとをかたる

なんでもない事でもお互いにたのしい

そして お互いに今日一日

神についての考えに誤りはなかったかをかんがえ合わせてみよう

又それについて話し合ってみよう

しばらくは

親子四人他愛のない休息の時である

私も何もかもほったらかして子供の相手だ

やがて揃って夕食をたべる

ささやかな生活でも

子供を二人かかえてお互い夕暮れ時はかなり忙しい

さあねるまでは又子供等の一騒ぎだ

そのうち奴さんたちは

倒れた兵隊さんの様に一人二人と寝入ってしまう

私等は二人で

子供の枕元で静かに祈りをしよう

桃子たちも眼をあいていたらいっしょにするのだ

ほんとうに

自分の心に

いつも大きな花を持っていたいものだ

その花は他人を憎まなければ蝕まれはしない

他人を憎めば自ずとそこだけ腐れてゆく

この花を抱いて皆ねむりにつこう


八木重吉と妻富子(とみ)

八木重吉と18歳で結婚し、23歳で死別、残された子ども、桃子と陽二も、中学生(旧制)のときに相次いで亡くします。その後、富子は重吉、桃子、陽二の思い出と詩を伴として生きていきます。

戦時中

とみは重吉の遺した詩稿と手紙を柳のバスケットに入れ、戦争が終わるまで命がけで守った。いつの日か夫の作品を世に出すことが自分の使命だと思うことで、子供たちの死から立ち直り、生きる力を奮い立たせたのだ。その思いは実り、とみが守った重吉の作品は戦後に出版され、広く世に知られるようになった。
この部分は本展覧会の図録から引用しました。

HPの解説。

東京府南多摩郡堺村相原(現・町田市相原町)に生まれた詩人・八木重吉は、29年の短い生涯の中でキリスト教への一途な信仰に貫かれた清澄で至純な詩を残しました。重吉27歳のときに、再従兄である小説家・加藤武雄の尽力により生前唯一となる詩集『秋の瞳』を刊行。プロレタリア文学やダダイズムなどの多様な文学が花開いた大正詩壇の中で新鮮さをもって迎えられ、高く評価されました。
重吉が本格的に詩作に打ち込んだのは、結婚から亡くなるまでのおよそ5年。この間に3000編以上に及ぶ詩を生みだし、晩年、結核と闘いながら病床でまとめた詩稿は、再び加藤に託されて詩集『貧しき信徒』として没後刊行されました。心に根ざす深いかなしみ、現実生活の中での苦悩や喜び、身近な自然、家族や信仰、ふるさとへの思慕などを、簡潔で平明素朴な言葉によって綴る重吉の詩は、透明な結晶体のような純粋な光を放ち、多くの人々の心に響き、今なお読み継がれています。
本展では重吉の人生を紐解き、文学や信仰、妻・とみとの出会い、ふるさと相原で過ごした日々が詩人・八木重吉に与えたもの、彼にとっての詩の意味を探り、詩と信仰の合一を願い、かなしみを詩いつづけた末に辿りついた詩境に迫ります。信仰と自我の狭間で叫び、或いはささやいた重吉の言葉の数々は、数多の災害に直面して自然への畏怖を抱き、人々の思いや身近な幸せに気付きはじめた現在の私たちに、ひとつの問いを、ひとつの答えを示してくれることと思います。

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