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2016.10.31

よみがえれ! シーボルトの日本博物館 展

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よみがえれ! シーボルトの日本博物館は、

江戸東京博物館で開催されています。

会期 2016年09月13日(火)〜11月06日(日)


没後150年を記念し、シーボルトが構想した「日本博物館」の再現を試みた展覧会。
シーボルトと日本に関する歴史的経緯とともに、幕末の日本の姿を如実に見せてくれる収集品の展示(工芸、民芸、学術的資料(宗教、民間信仰、風俗)など300点展示)には、感心してしまいます。
シーボルトの幕末日本社会に対する並々ならぬ関心を偲ばせます。


1823年(文政6)、27歳の若さで長崎に赴いたシーボルトは、ドイツ、バイエルン生まれのドイツ人です。
以後43年間、「約束の地」日本の研究と紹介に心血を注ぎ続けました。

長崎の出島はポルトガル人を隔離する為に長崎の有力者に作らせた小さな出島です。
鎖国を完成させた後はオランダ商館を移しました。(隔離のためですね)

シーボルトは、医者であった為、長崎の郊外に「鳴滝塾」を開くことができ、そこで地域住民の診療をしたり、西洋医学を教えて、多くの弟子を育てています。
日本の多様性に富む文化、自然に魅せられたシーボルトは、当時の最新の西洋医学を学びに集まった日本人医師や蘭学者、オランダ通詞を通じて博物収集も熱心に行い、本国に送っています。


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シーボルトは、身の回りの世話をしてくれていた楠本瀧(おたき)を見染めます。
やがて、二人の間にイネ(楠本イネ)が生まれます。
イネは後に、西洋医学を学んだ日本女性初の産科医になります。
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1826(文政9)年4年ごとに行われる商館長の「江戸参府」にシーボルトは同行することになります。
2か月の道中は日本調査の絶好の機会となりました。
絵師の川原慶賀を同行させて自然、風景、風俗などを記録させています。
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人物画帖 川越人足
川原慶賀筆 江戸時代後期
1823-1830(文政6-天保元)年 MFK

しかし1828年、持ち出しが禁じられていた日本地図を持っていたことが発覚してシーボルトは来日6年目で国外追放となります。(シーボルト事件)
本展示には特定された禁制地図など、関連資料が展示されています。

シーボルト事件から30年後の1859年、開国した日本に、2度目の来日を果たして幕府の外交顧問として務めながら、さらなる博物収集に努めますが、顧問の仕事に、あまり成果が上げられず解雇され、1862年大量に収集した博物資料とともに帰国します。

博物資料、情報をヨーロッパへ持ち帰ったシーボルトは、三部作『日本植物誌』『日本動物誌』『日本』の三部作にまとめ、ヨーロッパで出版しました。

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日本に残したお瀧さん(楠本瀧)のことが忘れられず、
紫陽花に「Otaksa」という学名を付けヨーロッパに広めたエピソードは有名ですね。
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Otaksa
日本博物誌(図版)
オタクサ(アジサイ)
19世紀 SAB


さらに、日本博物館の構想を胸に、自らのコレクションによる展示を、ライデン、アムステルダム、ヴュルツブルク、ミュンヘンの各都市において実現します。

晩年、訪日を熱望し、フランス政府や幕府に働きかけを行いましたが受け入れられず、3度目の来日は見果てぬ夢に終わります。1866年10月18日、ミュンヘンで70年の生涯を閉じます。

本展では、新たに発見された、ヨーロッパ初の日本展示のイラストとともに、このイラストに描かれた資料の数々も同時に展示して、シーボルトが企画した展覧会を再現しています。


展覧会の構成は以下の通りです。

第1章 日本に魅せられた男、シーボルト

第2章 シーボルトの日本研究

第3章 シーボルトの日本展示と民族学博物館構想

第4章 ようこそシーボルトの日本博物館へ

第5章 日本研究者シーボルトの最期

HPの解説。

万国博覧会より早く、ジャポニズムにも先駆け、ヨーロッパにおける日本展示はすでに始まっていました――江戸時代、2度にわたり来日のうえ膨大な日本コレクションを形成したシーボルトは、このコレクションを駆使した日本博物館を構想し、その実現に生涯をかけました。
 近代博物館、あるいは民族学が生まれつつあった19世紀なかばのヨーロッパで、いったい彼はなぜ、そしてどのように日本を見せようとしていたのでしょうか。
 没後150年を記念した本展では、シーボルトが構想した「日本博物館」の再現を試みます。ミュンヘンから里帰りした約300点の作品から、「日出る国」に魅せられた男の「日本」を再構成します。

今月の新聞に、この様な記事が載っていました。
シーボルトが持ち帰った作者不明の西洋画、北斎作だった オランダの博物館に


IM動画ニュース 江戸博「シーボルト展」
InternetMuseum

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2016.10.29

デイヴィッド・ホックニー版画展

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デイヴィッド・ホックニー版画展
町田市立国際版画美術館で開催されています。

会期 2016年10月1日(土)〜11月23日(水)

シャトルバスの試験運行が始まりました。(土日・祝日)
あの急坂はキツイって方おられますよね!

デイヴィッド・ホックニーは版画のほか舞台美術、写真等々、幅広い分野で活躍しました。
本展は、東京都現代美術館の所蔵品を中心に版画作品150点で構成されています。
東現美は改装工事?で長期休館中ですからね・・・・

オーソドックスな版画技法のエッチング、アクアチント、リトグラフ等と、その組み合わせの作品がほとんどですが(製作過程、素材に工夫はしています)、カラーコピー機のトナーを変えながら、重ね刷り(重ねコピー?)で作りあげた作品。フォトコラージュ作品、アクリルで描いた作品(1点?)なども展示されたいます。

作品に現れる大きな節目は、活動の拠点をロサンゼルスに移してからでしょうか、髪をブロンドに染め、カミングアウトします。明るい、暖かい環境の中で、色面を多用したカラフルな作品が多くなっていきます。

展覧会の構成は以下の通りです。
第1章 物語の風景 18世紀のイギリスの画家・版画家のウイリアム・ボーカスにならって制作した銅版画の連作『放蕩者の遍歴』などを紹介。
ウイリアム・ボーカスの物語に即している訳ではなく、ニューヨーク滞在中のスケッチをもとにして自由な発想で制作している。
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『放蕩者の遍歴』より《遺産を相続する》
 1961-63年 エッチング、アクアチント
 © David Hockney

第2章 ピカソへのオマージュ ホックニーはピカソの作品創造のあり方を研究してきた。
ピカソへのオマージュとして制作された作品を展示。
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『ブルー・ギター』より《老いたギタリスト》
 1976-77年 エッチング、アクアチント
 © David Hockney

第3章 カルフォルニア ―版画工房とともに―
1964年26歳の時、初めてカルフォルニアを訪れる。
髪をブロンドに染め、カニングアウトをする。
カルフォルニアの明るい開放的な、雰囲気に、ホイックニーの作品も、色彩豊かな、多様な様式に変化していく。
他国への旅も、多くなり、日本にも訪れている。
浮世絵の様式を取り入れて、上手に消化した作品も面白い。
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《ホテル・アカトラン、2週間後》
 1985年 リトグラフ
 © David Hockney / Tyler Graphics Ltd. Photo Credit: Richard Schmidt

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《4本の花のある静物》
 1990年 リトグラフ
 © David Hockney / Tyler Graphics Ltd. Photo Credit: Richard Schmidt

第4章 肖像 ホイックニーの「思い出のアルバム」の趣。
父母、兄弟、友人、友人の夫人、一時期生活を共にしたパートナーなど。
1970年代から80年代半ばにかけての版画による肖像画を展示。
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《シーリアのイメージ》
 1984年 リトグラフ、スクリーンプリント、コラージュ
 © David Hockney / Tyler Graphics Ltd. Photo Credit: Richard Schmidt

第5章 まなざしの変容 ホックニーは制作現場でカメラを使い始め(1968年頃)
そのことが、「ムービング・フォーカス」のための起爆剤となった。
フォトコラージュ、「ムービング・フォーカス」シリーズ
コピー機による「ホームメイドプリント」などの作品が展示されている。
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《ペンブローク・スタジオの内部》
 1984年 リトグラフ
 © David Hockney / Tyler Graphics Ltd.

 

HPの解説。

デイヴィッド・ホックニーは現代を代表するイギリスの美術家です。1937年にヨークシャーのブラッドフォードで生まれ、1962年にロンドンの王立美術学校を首席で卒業すると、「ポップ・アートの旗手」と評されて華々しくデビューを飾ります。その後、活動の拠点をロサンゼルスに移すと作風は大きく変貌し、明るい光と豊かな色彩あふれる優れた作品を次々と制作しました。
 ホックニーの創造領域は絵画のみならず版画、写真、舞台美術などと幅広く、その華麗な展開ぶりは常に注目を集めました。とりわけ版画は10代より継続的に制作した重要なジャンルです。そこには何げない部屋の中の様子、家族や友人たちの肖像、旅先の風景など、人生における一コマ一コマが巧みに表現されます。また自伝的要素を含んだ物語やピカソへのオマージュなど、内省的でありながらウィットに富んだシリーズも制作されています。彼自身の熱心な研究に加えて版画工房との多彩なコラボレーションにも取り組み、さらには伝統的な版画技法をも逸脱してファクシミリ、カラーコピー、コンピューターまでもちいた斬新な手法へと発展していきます。こうした彼の華やかな制作の根底に、「描くこと」への根源的な問いかけと、美術そのものに対する強い探究心が存在していることはいうまでもありません。
 本展覧会は東京都現代美術館の所蔵品を中心に、ホックニーの版画作品約150点によりその魅力と表現の秘密に迫ります。

 

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2016.10.26

八木重吉 さいわいの詩人(うたびと)展

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八木重吉 さいわいの詩人(うたびと)展は、


町田市民文学館 ことばらんど
で開催されています。

会期 2016年10月22日(土)~12月25日(日)


八木重吉の「手作り詩集」「草稿」「妻宛ての手紙」「絵画」「多数の書き込みが見られる聖書」などなど、多数の資料が展示されています。
八木重吉作品の原初を見に(会いに)・・・・・どうですか。

(以下、過去に拙ブログで投稿した記事も再掲載しています、ご了承ください。)


展覧会の構成は以下の通りです。
第1章 八木重吉の生涯
     ふるさと・相模原
     生いたち
     文学と信仰への目覚め
     とみとの出会い
     詩人の揺籃期 御影での日々
     学校
     結婚
     制作
     文学
     詩人の誕生 柏でに日々
     「秋の瞳」 への評価
     掲載雑誌
     詩と信仰の合一  療養の日々
     「貧しき信徒」より
     残された家族
     縁ある人々

第2章 八木重吉の詩の世界
     手作り詩集
     御影時代の手作り詩集
     「秋の瞳」
     「秋の瞳」草稿より
     「貧しき信徒」
     
八木重吉の詩は根強い人気がありますね。
私が、八木重吉の存在を知ったのは遠藤周作のフランス時代からの友人である井上洋治神父の著作からです。
(数十年前になるかな~)

よく取り上げられる作品は「素朴な琴」ですね。

この明るさのなかへ

ひとつの素朴な琴をおけば

秋の美しさに耐え兼ね(て)

琴はしずかに鳴りいだすだろう


推敲を重ね時間をかけて作詩するのではなく、日々の生活の中で、感性から発する簡素な短い詩が殆どです。
「家族愛にあふれた信仰の詩人」というのが私のイメージです。

晩年は(と言っても29歳で亡くなる)、聖書がすべてで、娯楽の類は夾雑物と考えていたようです。
夾雑物にどっぷりつかった生活をしている身にとって、八木重吉の詩は、スーッと心に沁みてきます。

世界中のすべての詩の本が亡びても、私には一冊の聖書があればすこしもさびしいことはありません。 (「聖書」「甲陽」1926)

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八木重吉旧蔵聖書

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「秋の瞳」草稿

草にすわる
わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる


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貧しき信徒
初稿 「詩・歌を歌わう」より

雨の日
雨がすきか
わたしはすきだ
うたを うたおう



空よ
おまえのうつくしさを
すこしくれないか


私は、友がなくては、耐えられぬのです。しかし、
私には、ありません。この貧しい詩を、これを、
読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、
あなたの友にしてください。
「秋の瞳」序文

御影時代の手作り詩集
1
詩集 「感触は見ずに似る」1923年 詩25篇

2

そして、八木重吉の、もっとも長い詩と思われる作品を以下に紹介します。

吉野富子著
1976年初版 彌生書房刊
「琴はしずかに 八木重吉の妻として」
に収録されている作品です。


明日

まず明日も目を醒まそう

誰がさきにめをさましても

ほかの者を皆起こすのだ

眼がハッキリとさめて気持ちもたしかになったら

いままで寝ていたところはとり乱しているから

この三畳の間へ親子四人あつまろう

富子お前は陽二を抱いてそこにおすわり

桃ちゃんは私のお膝へおててをついて

いつものようにお顔をつっぷすがいいよ

そこで私は聖書をとり

馬太伝六章の主の祈りをよみますから

みんないっしょに祈る心になろう

この朝のつとめを

どうぞしてたのしい真剣なつとめとしてつづかせたい

さお前は朝飯のしたくにおとりかかり

私は二人を子守しているから

お互いに心を打ち込んでその務めを果たそう

もう出来たのか

では皆でご飯にしよう

桃子はアブちゃんをかけてそこへおすわり

陽ちゃんは母ちゃんのそばはすわって

皆おいちいおいちいいって食べようね

七時半ごろになると

わたしは勤めに出かけなくてはならない

まだ本当にしっくり心にあった仕事とは思わないが

とにかく自分に出来るしごとであり

妻と子を養う糧を得られる

大勢の子供を相手の仕事で

あながち悪い仕事とも思われない

心を尽くせば

少しはよい事もできるかもしれぬ

そして何より意義のあると思うことは

生徒たちはつまり「隣人」である

それゆえ私の心は

生徒たちにむかっているとき

大きな修練を経ているのだ

何よりも一人一人の少年を

基督其の人の化身とおもわねばならぬ
(自分の妻子もそうである)

そのきもちで勤めの時間をすごすのだ

その心がけが何より根本だ

絶えずあらゆるものに額ずいていよう

このおもいから

存外いやなおもいもはれていくだろう

進んで自分も更に更に美しくなり得る望みが湧こう

そうして日日をくらしていったら

つまらないと思ったこの職も

他の仕事と比べて劣っているとはおもわれなくもなるであろう

こんな望みで進むのだ

休みの時間には

基督のことをおもいすごそう

夕方になれば

妻や子の顔を心にうかべ乍ら家路をたどる

美しい慰めの時だ

よくはれた日なら

身体いっぱいに夕日をあび

小学生の昔にかえったつもりで口笛でも吹きながら

雨ふりならば

傘におちる雨の音にききいりながら

砂利の白いつぶをたのしんであるいてこよう

もし暴風の日があるなら

一心に基督を念じてつきぬけて来よう

そしていつの日もいつの日も

門口には六つもの瞳がよろこびむかえてくれる

私はその日勤め先ての出来事をかたり

妻は留守中のできごとをかたる

なんでもない事でもお互いにたのしい

そして お互いに今日一日

神についての考えに誤りはなかったかをかんがえ合わせてみよう

又それについて話し合ってみよう

しばらくは

親子四人他愛のない休息の時である

私も何もかもほったらかして子供の相手だ

やがて揃って夕食をたべる

ささやかな生活でも

子供を二人かかえてお互い夕暮れ時はかなり忙しい

さあねるまでは又子供等の一騒ぎだ

そのうち奴さんたちは

倒れた兵隊さんの様に一人二人と寝入ってしまう

私等は二人で

子供の枕元で静かに祈りをしよう

桃子たちも眼をあいていたらいっしょにするのだ

ほんとうに

自分の心に

いつも大きな花を持っていたいものだ

その花は他人を憎まなければ蝕まれはしない

他人を憎めば自ずとそこだけ腐れてゆく

この花を抱いて皆ねむりにつこう


八木重吉と妻富子(とみ)

八木重吉と18歳で結婚し、23歳で死別、残された子ども、桃子と陽二も、中学生(旧制)のときに相次いで亡くします。その後、富子は重吉、桃子、陽二の思い出と詩を伴として生きていきます。

戦時中

とみは重吉の遺した詩稿と手紙を柳のバスケットに入れ、戦争が終わるまで命がけで守った。いつの日か夫の作品を世に出すことが自分の使命だと思うことで、子供たちの死から立ち直り、生きる力を奮い立たせたのだ。その思いは実り、とみが守った重吉の作品は戦後に出版され、広く世に知られるようになった。
この部分は本展覧会の図録から引用しました。

HPの解説。

東京府南多摩郡堺村相原(現・町田市相原町)に生まれた詩人・八木重吉は、29年の短い生涯の中でキリスト教への一途な信仰に貫かれた清澄で至純な詩を残しました。重吉27歳のときに、再従兄である小説家・加藤武雄の尽力により生前唯一となる詩集『秋の瞳』を刊行。プロレタリア文学やダダイズムなどの多様な文学が花開いた大正詩壇の中で新鮮さをもって迎えられ、高く評価されました。
重吉が本格的に詩作に打ち込んだのは、結婚から亡くなるまでのおよそ5年。この間に3000編以上に及ぶ詩を生みだし、晩年、結核と闘いながら病床でまとめた詩稿は、再び加藤に託されて詩集『貧しき信徒』として没後刊行されました。心に根ざす深いかなしみ、現実生活の中での苦悩や喜び、身近な自然、家族や信仰、ふるさとへの思慕などを、簡潔で平明素朴な言葉によって綴る重吉の詩は、透明な結晶体のような純粋な光を放ち、多くの人々の心に響き、今なお読み継がれています。
本展では重吉の人生を紐解き、文学や信仰、妻・とみとの出会い、ふるさと相原で過ごした日々が詩人・八木重吉に与えたもの、彼にとっての詩の意味を探り、詩と信仰の合一を願い、かなしみを詩いつづけた末に辿りついた詩境に迫ります。信仰と自我の狭間で叫び、或いはささやいた重吉の言葉の数々は、数多の災害に直面して自然への畏怖を抱き、人々の思いや身近な幸せに気付きはじめた現在の私たちに、ひとつの問いを、ひとつの答えを示してくれることと思います。

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2016.10.23

六本木アートナイト2016

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六本木アートナイトは、
今年から秋の開催に変更されました。
会期も2日間から3日間に・・・1日増えました。

会期 2016年10月21(金)〜10月23日(日)

多彩なプログラムが組まれていますから、事前に目的を決めていくのがお勧めです。(今年は終了ですが)
人気プログラムには、席とりで2時間以上前から列んでいる方もいるようです。

コアタイムは夜、夜中ですから・・・遠方の方には、つらいかもしれませんね。
沢山の若いカップルが、ハンディガイドを見ながら六本木の街を歩いていました。

人気は、野田秀樹発案のプログラム「東京キャラバンin六本木アートナイト」
宮沢りえ、東京スカパラダイスオーケストラの参加は、魅力なんでしょうね。
撮影禁止が徹底されてました。
公演内容は、ちょっとステレオタイプだったかな~
ラストは良かった!スカパラの演奏もノッテタ!

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2010年にも来日し、好評を得たフランスを拠点として活躍するスぺクタル・パフォーマンスマンスグループ「カンパニー・デ・キダム」の「誇り高き馬たち」は今回のプログラムも金曜の公演を見た方がツイッターで投稿するなどで、好評が伝わってきました。
(2010年の公演も動画に撮った記憶があります)

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ということで、30分弱の公演です。
(デジカメで撮った動画です。ずっと立ったままカメラ手持ちは、きつかった!)


こちらは街中あちこちでのアートプログラム。

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2016.10.21

松島 瑞巌寺と伊達政宗展

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松島 瑞巌寺と伊達政宗展

三井記念美術館で開催されています。

会期 2016年9月10日(土)~11月13日(日)


瑞巌寺国宝本堂平成大修理完成記念
伊達政宗生誕450年記念特別展です。


3.11東日本大震災の年の9月に、松島を訪問しました。
その時の拙ブログ投稿記事松島海岸
大修理完成後の瑞巌寺に行ってみたいなと、思っています。


東日本大震災復興を祈念して五大堂の秘仏五大明王像(重要文化財)が特別出品されています。
33年に一度御開帳される秘仏です。
前回御開帳は2006年で、次回は2039年ということで、「もう、拝見できないかもしれないな~」
瑞巌寺の歴史上はじめての特別公開です。

松島 瑞巌寺の五大堂は、延福寺とともに慈覚大師円仁により開創されたとされるお堂です。
本尊の五大明王像は、いずれも平安時代前期にまでさかのぼる一本造りの尊像です。

今の五大堂は奥州の関ケ原戦ともよばれる慶長5年(1600年)7月の上杉景勝勢との戦いの折り、政宗が適地を攻めるにあたって松島におもむき、勝利を得た暁には堂宇を再建すると誓願し、その本願を遂げた4年後に実現したとされます。


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カタログから
すかし橋と五大堂(重文 慶長9年(1604年))

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不動明王
右手に煩悩を断つ宝剣を持ち、左手で迷いの衆生を捕縛絹索を持って、背の迦楼羅炎で煩悩のすべてを焼き尽くしてくれる。

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降三世明王
慈悲の怒りを以て人々を目覚めさせようとする仏です。
過去、現在、未来にわたる三毒(貪・瞋・癡)を退治します。

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軍荼利明王
息災、怨敵を退治します。

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大威徳明王
毒蛇、悪龍、怨敵を退治します。

5
金剛夜叉明王
堅く、鋼くすばらしい力で悪魔を退治します。


展覧会の構成は以下の通りです。
展示室1 瑞巌寺と伊達家の伝統
展示室2 吉野懐紙 伊達政宗和歌懐紙
展示室3 伊達政宗と茶の湯
展示室4 瑞巌寺と秘仏五大明王像
展示室5 瑞巌寺本堂彫刻欄間と伊達政宗
展示室6 中世の松島
展示室7 伊達政宗とその周辺

伊達政宗の絵画、能書などの展示もあり、政宗がいかに文化的素養に秀でていたかが分かります。
国宝 瑞巌寺本堂彫刻欄間 花鳥図も必見!素晴らしいです。

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諫鼓の鶏 王の間(左)
国宝 瑞巌寺本堂彫刻欄間 花鳥図 江戸時代・慶長14年(1609) 瑞巌寺


1
重要美術品 菊花図屏風 詩歌伊達政宗筆 江戸時代 仙台市博物館蔵(〜10/10まで展示)

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重要美術品 瑞巌寺本堂障壁画 松孔雀図 狩野左京画 瑞巌寺蔵(〜10/10まで展示)


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道の記 伊達政宗筆 江戸時代(元和元年)1615 仙台市博物館

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梅小禽図(部分)伊達政宗筆 江戸時代 個人蔵


HPの解説。

本展覧会は、東日本大震災復興祈念、および瑞巌寺国宝「本堂」の平成大修理完成と、伊達政宗生誕450年を記念する特別展です。瑞巌寺と仙台藩の歴史と文化を広く知っていただくことを目的としております。

瑞巌寺は、平安時代に慈覚大師円仁の開創を伝える天台宗延福寺が、鎌倉時代に臨済宗寺院円福寺となり、2世に鎌倉・建長寺の開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)(大覚禅師)を迎えて、東北の臨済宗建長寺派の拠点として、大いに発展しました。室町時代末には疲弊しますが、慶長年間に仙台藩初代藩主伊達政宗によって復興され、瑞巌寺と名を改めました。現在、国宝の本堂、庫裡及びそれに付随する建築装飾彫刻をはじめ、150面を超す重要文化財の障壁画など、多くの寺宝を伝えています。

本展覧会には、その中の障壁画、彫刻欄間、雲版(うんぱん)、慶安5年(1652)開眼の伊達政宗甲冑倚像(いぞう)ほか優品が展示されますが、特に秘仏とされる重要文化財五大明王像5体(平安時代前期)が寺外で初めて公開されます。

また、協力いただきます仙台市博物館からは、伊達政宗所用重要文化財五枚胴具足、山形模様陣羽織をはじめ、書状、和歌巻、屏風、蒔絵調度品など、伊達政宗とその周辺の貴重な美術品、歴史資料が出品されます。独眼竜と称された奥州の戦国武将伊達政宗の、文化的な側面に光が当てられています。



三井記念美術館 特別展「松島 瑞巌寺と伊達政宗」
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重要文化財《五大明王像》 三井記念美術館 特別展「松島 瑞巌寺と伊達政宗」
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国宝《瑞巌寺本堂彫刻欄間 花鳥図》 三井記念美術館 特別展「松島 瑞巌寺と伊達政宗」
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三井記念美術館 特別展「松島 瑞巌寺と伊達政宗」
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2016.10.17

杉本博司 ロスト・ヒューマン

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杉本博司 ロスト・ヒューマン
東京都写真美術館で開催されています。 

会期 2016年9月3日(土)~11月13日(日)

この美術館、場所には、思い入れがあります。
詳しくは記しませんが、沢山の記憶、思い出が積もった場所です。

そんなこともあり、とても印象に残る展覧会でした。

この展覧会は、というか杉本博司の作品には、時の積層が底流にあるようです。

「今日 世界は死んだもしかすると昨日かもしれない」
古びた、錆びたトタンと古い材木で仕切られた各コーナーには、杉本が創作した33の物語に従って、それぞれの職業の死が象徴的に表現されています。
張り出された文章の文字面の違いに気づくと思いますが、筆記は著名人です。
(筆記者リストは、開催後しばらくして、配布されたような気がしますが?)
肉筆考ということで、ここにも意味を持たせています。

A
B


混んでいると、難しいですが・・・丹念に読んで、展示品を観ていくことが肝心ですよ!


例えば・・・

政治家

今日 世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。今日よりも、明日の暮らしは良くなることを、国民に約束した私は馬鹿だった。資本主義の拡大再生産には限界があることを、私は薄々知っていた。知っていながら、私は薔薇色の未来を政治家として喧伝せざるを得なかった。景気が悪くなるたびに、私は不換紙幣を乱発し、国債発行で未来に借金を重ねた。そした、来る日が来てしまった。世界同時株安と国債の暴落。未来の付けを、今払わなくてはならなくなってしまった。私の代でこんなことが起こるとは思ってもみなかった。私は誠意をもって国民の幸福を思った。それが仇となってしまった。国民全員の幸福より、全員の薄い不幸のほうがましだったのだろう。カリブの小国のような共産主義も捨てたものではなかったのだ。私は幸福を求めすぎて、絶滅を呼んでしまった。私の遺伝子などは暗殺された方がましだ。
5
「今日 世界は死んだもしかすると昨日かもしれない」
フィデル・カストロ サンディ  1999/2012年
©Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi


-----その他の展示品の一部をチラシから-----

2
「今日 世界は死んだもしかすると昨日かもしれない」
バレ・ド・トーキョー(パリ) 展示風景より 2014年
©Hiroshi Sugimoto

3
「今日 世界は死んだもしかすると昨日かもしれない」
岡本太郎 太陽の塔(模型) 1970年
©Hiroshi Sugimoto


4
「今日 世界は死んだもしかすると昨日かもしれない」
ロシア宇宙飛行士用大便器、小便器
銘 スペースファウンテン
©Hiroshi Sugimoto

「廃墟劇場」
皆さんご存知の「劇場」シリーズの発展形?で、廃墟と化したアメリカ各地の映画館にプロジェクターを持ち込んで(パリの一館あり)映画一本を上映しその光の層で大型カメラのネガフィルムに劇場内部を浮き上がれせています。現場で現像確認しながらの繰り返しで完成させるという大変な仕事です。
床面には上映作品とあらすじが表示されています。まさに上演作品、制作過程、時間を一枚の写真に集積した作品です。その総体を鑑賞するわけです。
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《パラマウント・シアター、ニューアーク》 2015年 ゼラチン・シルバー・プリント
シルバー・プリント
©Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi


「仏の海」

京都 蓮華王院本堂(通称、三十三間堂)の千手観音を撮影した作品です。
7年越しの交渉の末、1995年5月、早朝の自然光のみで大判カメラで撮影した9点が展示されたいます。
光学ガラスで作られた「光学五重塔」の展示もあります。
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仏の海 1995年
©Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

HPの解説。

東京都写真美術館はリニューアル・オープン/総合開館20周年記念として「杉本博司ロスト・ヒューマン」展を開催します。杉本博司は1970年代からニューヨークを拠点とし、〈ジオラマ〉〈劇場〉〈海景〉などの大型カメラを用いた精緻な写真表現で国際的に高い評価を得ているアーティストです。近年は歴史をテーマにした論考に基づく展覧会や、国内外の建築作品を手がけるなど、現代美術や建築、デザイン界等にも多大な影響を与えています。

本展覧会では人類と文明の終焉という壮大なテーマを掲げ、世界初発表となる新シリーズ<廃墟劇場>に加え、本邦初公開<今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない>、新インスタレーション<仏の海>の3シリーズを2フロアに渡って展示し、作家の世界観、歴史観に迫ります。
展覧会はまず、文明が終わる33のシナリオから始まります。「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」という杉本自身のテキストを携え、≪理想主義者≫≪比較宗教学者≫≪宇宙物理学者≫などの遺物と化した歴史や文明についてのインスタレーションを巡り歩きます。これは2014年パレ・ド・トーキョー(パリ)で発表し、好評を博した展覧会を東京ヴァージョンとして新たに制作したもので、自身の作品や蒐集した古美術、化石、書籍、歴史的資料等から構成されます。物語は空想めいていて、時に滑稽ですらあります。しかし、展示物の背負った歴史や背景に気づいた時、私たちがつくりあげてきた文明や認識、現代社会を再考せざるを得なくなるでしょう。

そして、本展覧会で世界初公開となる写真作品<廃墟劇場>を発表します。これは1970年代から制作している<劇場>が発展した新シリーズです。経済のダメージ、映画鑑賞環境の激変などから廃墟と化したアメリカ各地の劇場で、作家自らスクリーンを張り直して映画を投影し、上映一本分の光量で長時間露光した作品です。8×10大型カメラと精度の高いプリント技術によって、朽ち果てていく華やかな室内装飾の隅々までが目前に迫り、この空間が経てきた歴史が密度の高い静謐な時となって甦ります。鮮烈なまでに白く輝くスクリーンは、実は無数の物語の集積であり、写真は時間と光による記録物であるということを改めて気づかせてくれるこれらの作品によって、私たちの意識は文明や歴史の枠組みを超え、時間という概念そのものへと導かれます。その考察は、シリーズ<仏の海>でさらなる深みへ、浄土の世界へと到達します。<仏の海>は10年以上にわたり作家が取り組んできた、京都 蓮華王院本堂(通称、三十三間堂)の千手観音を撮影した作品です。平安末期、末法と呼ばれた時代に建立された仏の姿が、時を超えていま、新インスタレーションとなって甦ります。
人類と文明が遺物となってしまわないために、その行方について、杉本博司の最新作と共に再考する貴重な機会です。ぜひご高覧ください。

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2016.10.14

鈴木其一 江戸琳派の旗手

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鈴木其一 江戸琳派の旗手

サントリー美術館で開催されています。

会期 2016年9月10日(土)~10月30日(日)

作品の展示期間が4期に分かれていて、10月5日から大幅な展示替えが行われました。
ということで、前期、後期と観てきたのですが、19日からも数点の展示替えがあります。
もう一度ですね・・・・・

どちらかというと、其一の作品は「江戸琳派の祖・酒井抱一の一番弟子の其一」というとらえ方での展示が多かったように思います。
待望の鈴木其一大回顧展ということで、展示会場は結構混んでいます。

以下の画像作品の中には、行く日によっては展示替えで観られない作品もあります。

展覧会は、
序章で 師匠酒井抱一、兄弟子鈴木蠣潭の作品数点から基一画の土壌を探ります。
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白蓮図
酒井抱一 
江戸時代後期 細見美術館


第1章では、基一が抱一に師事した期間の作品を中心に取り上げています。
18歳で抱一に入門した基一は、その4年後に兄弟子鈴木蠣潭の急死を受け、その姉(妹説も・・)と結婚して鈴木家の家督を継ぎます。抱一の隠居所「雨華庵」に集う多くの弟子の中でも、抱一の厚い信頼を得て、重要な仕事を任されるようになり、幅広い画題を手掛けていくことになります。

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蝶に芍薬図
鈴木基一画 北村季文賛
江戸時代後期 板橋区立美術館


第2章では、基一様式を確立していく過程の作品を展示しています。
33歳の時に師匠を失い、抱一の養子で雨華庵を継いだ12歳年下の酒井鶯蒲(おうほ)を支えつつ次第に抱一画法を離れ、独自の画風を展開していきます。

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風神雷神図襖 
鈴木其一筆 八面 江戸時代 19世紀 東京富士美術館
©東京富士美術館イメージアーカイブ/DNPartcom

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夏秋渓流図屏風 
鈴木其一筆 六曲一双 江戸時代 19世紀 根津美術館


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水辺家鴨図屏風
鈴木其一筆 六曲一隻 江戸時代 19世紀 細見美術館

第三章、40代後半で家督を息子守一に譲った基一はさらに多彩な作風への挑戦を続けます。
菁々(せいせい)と号した晩年の15年間、そして、63歳(安政5年(1958))で亡くなるまで、大名家や豪商に愛され、思いのままに描き続けました。
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朝顔図屏風
鈴木其一筆 六曲一双 江戸時代 19世紀 アメリカ・メトロポリタン美術館
©The Metropolitan Museum of Art. Image source: Art Resource, NY

この咲き乱れる朝顔、見たことのない様な蔦の広がり、見事なデザインと唸ってしまいますが・・・風神雷神図襖の風神、雷神のフォルムが当てはまる、というのですが、なるほど〜と思ってしまいますね。


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藤花図
鈴木其一筆 一幅 
江戸時代 19世紀 細見美術館


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鶏に菊図
鈴木基一
江戸時代後期 個人蔵

そして、最終章(4章)で、基一が育て明治期にも伝えられた、「基一派」とも称される勢力の画家たちの作品が展示されています。

展覧会の構成。
第1章 抱一門下の秀才
第2章 其一様式の確立
第3章 絢爛たる軌跡
第4章 其一派と江戸琳派の展開 

各章には、つぎのコーナーがあります。

・月次絵の扇と画帖
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鏡餅と鼠図扇面
鈴木基一 鴻池合資会社資料室

・掌中の愉しみ

・能絵の舞姿

・華麗なる仏画
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虚空蔵菩薩像 鈴木基一 
江戸時代後期 ファインバーグ・コレクション

・節句掛と描表装

・基一をめぐる諸相


HPの解説。

鈴木其一(すずききいつ・1796~1858)は江戸時代後期に、江戸琳派の優美な画風を基盤にしながら、斬新で独創的な作品を描いた画家として近年大きな注目を集めています。その其一の画業の全容を捉え、豊穣な魅力を伝える初の大回顧展を開催します。
江戸時代初期の京都で俵屋宗達(たわらやそうたつ・17世紀前期に活躍)が創始した琳派は、尾形光琳(おがたこうりん・1658~1716)により、さまざまな流派が活躍した江戸時代絵画の中で最も華麗な装飾様式として確立されました。光琳が活躍した時期の約100年後に、江戸の地で琳派の再興を図ったのが酒井抱一(さかいほういつ・1761~1828)です。抱一は京都の琳派様式からさらに写実的で洗練された画風を描くようになり、その新様式はのちに、京都に対して「江戸琳派」と呼ばれています。
そのような江戸琳派の祖・抱一の一番弟子が其一です。其一は寛政8年(1796)、江戸中橋に誕生しました。文化10年(1813)、数え年18歳で抱一に入門。4年後に兄弟子で姫路藩酒井家家臣の鈴木蠣潭(すずきれいたん・1792~1817)の急死を受け、養子に入り鈴木家の家督を継ぎました。
文政11年(1828)、其一33歳の時に抱一が没して以降は、一門の中でも圧倒的な存在感を示し、その作風は次第に師風を超え、幕末期にかけて大きく変容を遂げます。とくに30代半ばから40代半ばにかけてはダイナミックな構成や明快な色彩を多用し、新たな其一様式が築かれました。さらに晩年にはより挑戦的で自由な作風を開き、近代を予告するような清新な作品も少なくありません。
このように、抱一の実質的な後継者としての自負、光琳に連なる琳派画家としての誇り、さらに酒井家家臣という立場が上質で機智に富む画風を育み、多くの其一画が大名家や豪商の厚い支持を得ました。
本展では抱一画風を習得する門弟時代、躍動感溢れる作風を次々と手掛けた壮年期、息子・守一(しゅいつ)に家督を譲った晩年と、其一の生涯と画風の変遷を丁寧に追います。また其一は多くの弟子を育成して江戸琳派の存続に大きく貢献しており、近代まで続くその系譜も辿ります。まさに「江戸琳派の旗手」として目覚ましい活躍をみせた其一。広く知られた其一の名品や新出作品など、国内外からかつてない規模で作品が一堂に揃うこの展覧会は、江戸の画壇を豊かに彩った其一画の魅力とその展開を、存分に堪能していただける貴重な機会となります。

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2016.10.12

特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」

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特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」
東京国立博物館 本館 特別5室で開催されています。

会期 2016年9月13日(火) ~ 12月11日(日)


滋賀県甲賀市の天台宗櫟野寺(らくやじ)の仏像20体すべてを寺外で展示する初めての展覧会です。

平安彫刻の傑作を、何度か入退場して、ゆっくり観てきました。(当日に限り再入場できます。トーハクの敷地の門外に出てしまうと戻れませんよ)

総高5メート超の十一面観音菩薩像の全体、全周が見られるという貴重な機会でもありす。

十一面の意味は以下とのこと。

東・西・南・北と東南・南西・西北・北東の八方(四方四維)と
天・地(上・下)の二方を加えた十方で、
全方向(全宇宙)を見通せると言うことです。
そして、十方を受持つ十面に本面を合わせた十一面となります。
さらに、一段高くなったところには如来面がありこれを加えると十二面となります。

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仏像の理想的な大きさとされる周丈六(しゅうじょうろく)を基準に表された像高2.22mの大作。
(1丈6尺のことを、略して丈六といいます。1丈6尺は約4.85メートル。
周丈六は、約4分の3位です。)

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切れ長の目と痩身の体形が甲賀様式の仏像の様です。

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地蔵菩薩は、地蔵信仰は根強いですね。
この仏像も立派、ほれぼれ!


HPの解説。

滋賀県甲賀市に所在する天台宗の古刹、櫟野寺(らくやじ)には重要文化財に指定される平安時代の仏像が20体も伝わります。
その数は、優れた仏像が数多く残る滋賀県でも特筆されます。本展は、20体すべてを寺外で展示する初めての機会です。本尊の十一面観音菩薩坐像は像高が3mもある圧巻の作品で、普段は大きく重い扉に閉ざされる秘仏です。重厚感ある堂々とした姿ですが、美しい顔立ちは、見る人に安らぎを与えることでしょう。その十一面観音とともに2.2mある薬師如来坐像が並ぶ様子は壮観といえます。他にも、11体の観音や、どこか親しみのある毘沙門天立像、文治3年(1187)に造られたことが知られる貴重な地蔵菩薩坐像なども出品され、櫟野寺に伝わる平安彫刻の傑作を一時にご覧いただける展覧会です


夜間会館日に「天台聲明七聲會」による聲明(声明)公演が本館前エントランスで行われました。(10月7日のみの公演)

(約20分間の公演ですが、前半の散華部分と、後半部分に編集しています)
デジカメで撮った動画です。


平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち
InternetMuseum


櫟野寺 重要文化財《十一面観音菩薩坐像》
InternetMuseum

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2016.10.10

横濱ジャズプロムナード2016

2016

横濱ジャズプロムナード2016は、
2016年10月8-9日の2日間で行われました。


今年は、天候に恵まれず、初日の屋外街角コンサートは中止。
2日目も、一部の会場では中止になりました。
毎年行っていますが、はじめてのような気がします。

初日は、行くのを諦めていたのですが、午後になて雨があがったので出かけました。
会場到着が2時過ぎでしたので、ランドマークプラザの「 サカタのタネ ガーデンスクエア」(名称が変わりましたよね?ここ2回 は公演なしでしたよね・・・)でプロの演奏を2ステージ見て、聴いて、
合間にクイーンズサークル会場チラ見・・・それで帰ってきました。

2日目
私はいつも横浜駅から歩いて行くので・・・
この日は欲張って、そごう美術館で開催されていた「エッシャー展」(10日まで開催)に寄り道してから会場に向かいました。

チョット疲れ気味だったので、「みなとみらいホールのみ」で、のんびり一日と計画しましたが・・・

最初のステージは、みなとみらいホールで「4ドラマーズ」
4人のドラマーが勢揃いしての演奏も楽しかったし、ピアノの田中信正、トランペットの類家心平の演奏も素晴らしかった。

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類家心平のトランペットがいいな~と思って、
ランドマークホールの 「Natural Born Killer BAND」の公演に移動 。

Img_20161010_0002n

今度はエレキトランペットで熱演、エフェクターを通した様々な効果音は刺激的だった!
KANKAWAのモーグ・シンセサイザーの発する音も強烈!
1時間超ぶっ通しの演奏でしたが、演奏が始まって間もなく退場する観客が目立ったのも、このステージの特徴かな~、好き嫌い両極かもしれません。
フュージョンというカテゴリーに分類されていたけれど?

引続き、高木理代子トリオのステージ
こちらは立ち見ありの満員。
写真をみて・・の方も多かったのでは?
高木理代子の飽きさせない選曲でのピアノ演奏は楽しかったですよ。

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最後は、みなとみらいホールに戻って「前田憲男&T.N. Swing Big Band」の公演。
水谷八重子(vo)、桜井まり(voと司会)、佐藤洋祐(as) がゲスト。

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「桜井まり」と「佐藤洋祐」がランドマークプラザの「サカタのタネガーデンスクエア」(無料会場)に出演していて、とても楽しい雰囲気だったこと、そして「前田憲男」「水谷八重子」この二人は久しぶりだな~ということで・・・

前田憲男さんは、プロのビッグバンドが日本だけでなく世界で、どんどん消滅していくことを嘆いていました。
「これだけ入ってくれれば採算に合うな~」なんて・・・

.
佐藤洋祐(as)の演奏は一曲のみ。
この大ホールより、すぐ前で聴くことのできる無料公演の方が良かった。

水谷八重子はやはり役者、表現力が秀逸、楽しい!


ということで、天気は残念でしたが・・・楽しみました。
屋外で聴く、アマチュアのビッグバンドって楽しくて、楽しみにしているのですが、来年はどうなるでしょうか?


 

横濱ジャズプロムナード2016スナップ(デジカメで撮影しました)

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2016.10.06

木々康子著 春画と印象派 ”春画を売った国賊”林忠正をめぐって

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2013年から2014年にかけて大英博物館で行われた 「春画 日本美術の性とたのしみ」は大きな話題を呼びました。
そして、日本初の「春画展」が永青文庫で2015年9月19日(土)〜12月23日まで開催されました。
国内での過去の展覧会でも、「注意書き付き」の春画コーナーで、数点展示するケースはよく見かけましたが・・・
本書の初版発行が2015年3月です。


本書の「あとがき」で著者は次のように語っています。

タイトルの「春画」に、私はジャポニズムのルビをつけるつもりだった。春画だけを扱っているのではなく、浮世絵(春画)がジャポニズムのすべてに関わっていると説明したかったからである。だが、ルビがなくても、私意を十分に盛り込めると判断して、ルビをつけずに「春画と印象派」と決定した。単なる春画の本ではなく、印象派、そして近世から近代に及ぶ日本とヨーロッパの文化の問題として、この本を読んでいただければ幸いである。

著者の義祖父である林忠正に、その彼の背に、祖国は「国賊」レッテルを貼った。林が誇りをもって世界に紹介した江戸の文化が、卑しい淫らなものだからという理由で。

日本人としてただ一人、印象派の画家と親交を結び、彼らの革新運動を経済的にも助けた林を知る人は少ない。
しかし、著者に直接手紙で質問したり、自宅まで訪ねてくる外国のジャポニズム研究者は多くいて、世界は林忠正を忘れてはいないのだ・・・

バルセロナ大学の教授の訪問を受けた著者は、大英博物館で開催予定の、「春画展」、「ピカソと春画展」で、ピカソの作品に影響を与えた多くの春画が展示されたこと、ヨーロッパでの芸術性への評価の高さ、大量のコレクションの存在などを教わる。

40年近く林忠正について調べ続けている著者は、林のヨーロッパでの行動や印象派、浮世絵との関わりなど、その全体像をほぼ捉えていると思っていた。だが、これまで調べようとも思わなかった春画が突然、世界に類を見ない芸術作品であり林にとっても印象派にとっても、重要な意味を持っていることを知ったのである。

春画の調査との取り組みがここから始まった。


(西洋の自由と江戸の自由)のなかで・・・
「自由」という言葉のありようを幕末期までの日本とフランスとでの違いを考察して・・・

しかし、江戸時代の日本には「西洋が知らない自由」があったのではないか。江戸時代を、否定すべき古い時代だと思っていた私は、封建制の圧政に中で、世界に稀な浮世絵(春画)をつくり続けていた江戸の「自由」を、改めてすばらしいと思った。近代絵画を拓いた印象派の人々が憧れたのも、この江戸の「自由」だったのではなかったか。

岩佐又兵衛、北斎、師宣、清長、歌麿、クールベ、マネに始まる印象派の画家、レンブラント、フェルメール、
ドビュッシーとカミーユ・クローデルなどなどと春画 、興味深い話が・・・・

目次
はじめに
第一章 林忠正について
      渡仏まで
      万国博覧会―ただ一人の日本美術の説明者
      美術店を開く―ジャポニズムの中心人物として
      浮世絵と林忠正      
第二章 浮世絵と春画
      庶民の中から生まれた浮世絵
      歌舞伎と遊郭
      明治期の遊郭―吉原にて
      岩佐又兵衛と菱川師宣
      ルイ・ゴンスの「日本美術」と「日本美術回顧展」      
第三章 春画について
      春画とは
      ルイス・フロイスが見た日本の男女と宗教
      西洋人は浮世絵(春画)をどう見たか
      隠されている春画
      抑圧されていた西洋の女性
      魔女狩り
第四章 ヨーロッパと日本
      洛中洛外図と浮世絵
      江戸の女房達
      民法典論争と春画
      西洋の自由と江戸の自由
第五章 浮世絵とオランダ
      鎖国 
      17世紀のオランダ
      オランダと貿易
      シーボルト事件
      シーボルトの大著「日本」
      シーボルトの日本博物館とアルフォンス・ドーデ      
第六章 ヨーロッパの近代への序曲
      日本版画との出会い
      新しい芸術を求めて
      E・ゴンクールと浮世絵
      キリシタンと仏教
      日本の宗教
第七章 浮世絵(春画)の渡仏
      開国と江戸の文化
      フィリップ・ビュリティと林忠正
      ビュリティと春画
      ユゴーの「海に働く人々」
      ユゴーとビュリティと浮世絵      
第八章 近代絵画の誕生
      1863年のサロン
      マネの背を押したのは誰か
      春画がもたらした新しい動き
      林忠正の履歴書から
      浮世絵と林忠正
      マネとドガ
      ゴンクールの春画・あぶな絵についての日記      
第九章 ドビュッシーとカミーユ・クローデル
      クロード・ドビュッシー
      カミーユ・クローデル
      ドビュッシー「海―管弦楽のための三つの交響楽的素描」
      とカミーユの「波」  
第十章 春画を売った国賊
      1900年パリ万博博覧会と版画
      事務官長の職責が林に与えたもの
      林忠正に贈られた言葉
あとがき
参考文献

著者 木々康子
発行所 株式会社 筑摩書房
2015年3月10日 初版発行

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2016.10.04

ビアトリクス・ポター生誕150周年記念 ピーターラビット展

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ビアトリクス・ポター生誕150周年記念 ピーターラビット展

Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されています。

会期 2016年8月9日(火)~10月11日(火)

ビアトリクス・ポターは、使用人を何人も雇う上流階級の裕福な家庭で、乳母に育てられました。
学校には行かず、家庭教師がつけられました。(当時の上流社会では一般的)
ピーターラビットシリーズは、家庭教師だったアニー・ムーアの息子のノエル少年に送った「絵手紙」から誕生した物語です。

ポター家では常に犬を飼っており、子どもたちは、うさぎの他、沢山の生き物をペットとして飼育することを許されていました。
ビアトリクスは、弟と一緒にペットを観察し、絵を描くことが大好きでした。

夏は、湖水の避暑地に大きな家を借りて、家族、使用人、犬、ペット・・・・大移動で数か月過ごします。
この様な環境に育ったビアトリクスに、自然保護への関心が芽生えました。

後に、ビアトリクス・ポターは湖水地方の伝統的な農場を購入します。
彼女はナショナル・トラストの原則に従って自分の土地を管理し、伝統的な建造物や農業方法を維持しました。
ビアトリクスが亡くなった時、15の農場と4000エーカー以上の土地がナショナル・トラストに遺贈されました。


展覧会の構成は以下の通り。(HPから)

第1章
「ピーターラビット」はどのように生まれたのでしょうか? ビアトリクスの創作の原点を探りながら、知られざる“ピーター”の誕生ストーリーに迫ります

第2章
水彩で描かれた絵本シリーズの自筆原画やスケッチ、草稿を公開いたします。なかでも1929年用『ピーターラビットの暦本』の原画はすべて初来日。ビアトリクスが作りあげた絵本の世界の魅力を探ります。

第3章
絵本作家としてだけでなく、自然保護活動家、農場経営者、商品プロデューサーという多彩な顔を持ったビアトリクスの人物像に迫ります。

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ビアトリクス・ポター  素描「ピーターラビット」
英国ナショナル・トラスト所蔵


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ビアトリクス・ポター  私家版『ピーターラビットのおはなし』の挿絵のためのインク画
英国ナショナル・トラスト所蔵


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ビアトリクス・ポター  『ベンジャミン バニーのおはなし』の挿絵のための水彩画
英国ナショナル・トラスト所蔵


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ビアトリクス・ポター 1929年用『ピーターラビットの暦本』の挿絵のための水彩画
英国ナショナル・トラスト所蔵


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ビアトリクス・ポター  『ベンジャミン バニーのおはなし』の挿絵のための水彩画
英国ナショナル・トラスト所蔵

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ウェッジウッド ピーターラビット グリーンライン
英国ナショナル・トラスト所蔵


HPのスポット映像

映画「ミス・ポター」(2006年)で、ビアトリクス役をレニー・ゼルウィガーが好演していて、ビアトリクス・ポターというと、そのイメージが残っています。
風景も美しい、とても良い映画でした。

(映画の中のエピソード)
フレデリック・ウォーン社を経営していた三兄弟の一番年下ノーマン・ウォーンが、「ピーターラビットのおはなし」の担当編集者です。
ビアトリクス・ポターとノーマンとの間には恋愛感情が生まれます。
ノーマンは手紙でビアトリクスにプロポーズをします。
しかし、ビアトリクスの両親は猛反対をしました。
「商売人」とは結婚させないというわけです。

不幸にも、ノーマンは、プロポーズのわずか一ヶ月後に病で亡くなってしまうのですが・・・・

後に、ビアトリクス・ポターは湖水地方の伝統的な農場での生活を初めますが、その土地購入を援助した弁護士と47歳で結婚します。
この時も両親は反対するのですが、無視します。

映画「ミス.ポター」予告編


HPの解説。


ビアトリクス・ポターは1866年7月、ロンドンで生まれました。幼少期から動物や植物のスケッチが大好きだったビアトリクスは、避暑地として家族と訪れた湖水地方の豊かな自然に出会い、生涯魅了され続けました。彼女の自然への深い愛情とまなざしはピーターラビットシリーズの世界観に色濃く反映されています。ビアトリクスは絵本作家として得た収入をもとに念願だった湖水地方に移り住み、自然保護活動の先駆者、農場経営者としても活躍しました。
本展は、英国ナショナル・トラストが所蔵する貴重な絵本の自筆原画やスケッチ、彼女の愛用品など200件以上の作品・資料が出品され、そのほとんどが日本初公開となります。社会で女性が活躍するのが難しかった当時、強い意志とあふれる才能で時代を切り開いたビアトリクスの人生に焦点をあてながら、『ピーターラビットのおはなし』の原点や絵本シリーズの世界を展観していきます。


ビアトリクス・ポターは1866年7月、ロンドンで生まれました。ピーターラビットシリーズは、1893年に家庭教師だったアニー・ムーアの息子のノエル少年に送った「絵手紙」から誕生した物語です。1901年、自身で『ピーターラビットのおはなし』の私家版を出版。1902年には白黒の線描画だった挿絵に色を付けてフレデリック・ウォーン社から出版され、最終的には24作の絵本を世に送り出します。ロンドンから自然豊かな湖水地方に拠点を移し、晩年は牧羊と自然保護活動に力を注ぎました。彼女が実際に暮らし、絵本にも描かれたヒルトップ農場はナショナル・トラストにより今も当時のままの姿で保存されており、「ピーターラビット」を愛する多くのファンが訪れています

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2016.10.02

散策中に見かけた草花(2016年9月)

散策中に見かけて、
「スマホで撮った草花」の写真を投稿します。
(不定期投稿ですが・・・)

今では、開花時期を過ぎた草花もあります。
悪しからず。

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すすき(芒、薄)

めずらしき 君が家なる はな薄(ススキ)
穂にいづる秋の 過ぐらく惜しも
―石川朝臣廣成―

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みら にら(韮)

伎波都久(キハツク)の 岡の莖韮(ククミラ) 我摘めど
籠(コ)にものたなふ 背なと摘まさぬ
―作主不詳―


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うけら(字家良)

戀しけば 袖も振らむを 武蔵野の
うけらが花の 色に出(ヅ)なゆめ
―作主不詳―

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壹師
ひがんばな(彼岸花)

路の邊の いちしの花の いちしろく
人皆知りぬ 我が戀ひ妻は
―作主不詳―

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みずあおい(水葵)

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ひめぎぼうし(姫擬宝珠)

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げんのしょうこ(現の証拠)
(紅紫色の)


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まつかぜそう(松風草)

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しもばしら(霜柱)

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だんぎく(段菊)


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のこぎりそう(鋸草)


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しゅうかいどう(秋海棠)


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そば(蕎麦)

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観てきた展覧会備忘録(2016年9月)

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宇宙と芸術展 かぐや姫 ダ・ビンチ チームラボ
会期 2016年7月30日(土)~2017年1月9日(月・祝)
森美術館


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ビアトリクス・ポター生誕150周年 ピーターラビット展
会期 2016年8月9日(火)~10月11日(火)
Bunkamuraザ・ミュージアム

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鈴木基一 江戸琳派の旗手

会期 2016年9月10日(土)~10月30日(日)
サントリー美術館

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杉本博司 ロスト・ヒューマン
会期 2016年9月3日(土)~11月13日(日)
東京都写真美術館

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よみがえれ! シーボルトの日本博物館
会期 2016年9月13日(火)~11月6日(日)
江戸東京博物館


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没後110年 カリエール展
会期 2016年9月10日(土)~11月20日(日)
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館

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VR×VR仁清が作った茶壷  (会期終了)
会期 2016年9月7日~9月25日
ミュージアムシアター
東京国立博物館東洋館地下一階

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開館50周年を記念特別展「山種コレクション名品選」
「浮世絵 六大絵師の競演―春信・清長・歌麿・写楽・北斎・広重―」
 (会期終了)
会期 2016年8月27日(土)~9月29日(木)
山種美術館

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開館50周年記念
東洋・日本陶磁の至宝― 豊麗なる美の競演
 (会期終了)
会期 2016年7月30日(土)~9月25日(日)
出光美術館

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