ビアトリクス・ポター生誕150周年記念 ピーターラビット展
ビアトリクス・ポター生誕150周年記念 ピーターラビット展は
Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されています。
会期 2016年8月9日(火)~10月11日(火)
ビアトリクス・ポターは、使用人を何人も雇う上流階級の裕福な家庭で、乳母に育てられました。
学校には行かず、家庭教師がつけられました。(当時の上流社会では一般的)
ピーターラビットシリーズは、家庭教師だったアニー・ムーアの息子のノエル少年に送った「絵手紙」から誕生した物語です。
ポター家では常に犬を飼っており、子どもたちは、うさぎの他、沢山の生き物をペットとして飼育することを許されていました。
ビアトリクスは、弟と一緒にペットを観察し、絵を描くことが大好きでした。
夏は、湖水の避暑地に大きな家を借りて、家族、使用人、犬、ペット・・・・大移動で数か月過ごします。
この様な環境に育ったビアトリクスに、自然保護への関心が芽生えました。
後に、ビアトリクス・ポターは湖水地方の伝統的な農場を購入します。
彼女はナショナル・トラストの原則に従って自分の土地を管理し、伝統的な建造物や農業方法を維持しました。
ビアトリクスが亡くなった時、15の農場と4000エーカー以上の土地がナショナル・トラストに遺贈されました。
展覧会の構成は以下の通り。(HPから)
第1章
「ピーターラビット」はどのように生まれたのでしょうか? ビアトリクスの創作の原点を探りながら、知られざる“ピーター”の誕生ストーリーに迫ります
第2章
水彩で描かれた絵本シリーズの自筆原画やスケッチ、草稿を公開いたします。なかでも1929年用『ピーターラビットの暦本』の原画はすべて初来日。ビアトリクスが作りあげた絵本の世界の魅力を探ります。
第3章
絵本作家としてだけでなく、自然保護活動家、農場経営者、商品プロデューサーという多彩な顔を持ったビアトリクスの人物像に迫ります。
ビアトリクス・ポター 素描「ピーターラビット」
英国ナショナル・トラスト所蔵
ビアトリクス・ポター 私家版『ピーターラビットのおはなし』の挿絵のためのインク画
英国ナショナル・トラスト所蔵
ビアトリクス・ポター 『ベンジャミン バニーのおはなし』の挿絵のための水彩画
英国ナショナル・トラスト所蔵
ビアトリクス・ポター 1929年用『ピーターラビットの暦本』の挿絵のための水彩画
英国ナショナル・トラスト所蔵
ビアトリクス・ポター 『ベンジャミン バニーのおはなし』の挿絵のための水彩画
英国ナショナル・トラスト所蔵
ウェッジウッド ピーターラビット グリーンライン
英国ナショナル・トラスト所蔵
HPのスポット映像
映画「ミス・ポター」(2006年)で、ビアトリクス役をレニー・ゼルウィガーが好演していて、ビアトリクス・ポターというと、そのイメージが残っています。
風景も美しい、とても良い映画でした。
(映画の中のエピソード)
フレデリック・ウォーン社を経営していた三兄弟の一番年下ノーマン・ウォーンが、「ピーターラビットのおはなし」の担当編集者です。
ビアトリクス・ポターとノーマンとの間には恋愛感情が生まれます。
ノーマンは手紙でビアトリクスにプロポーズをします。
しかし、ビアトリクスの両親は猛反対をしました。
「商売人」とは結婚させないというわけです。
不幸にも、ノーマンは、プロポーズのわずか一ヶ月後に病で亡くなってしまうのですが・・・・
後に、ビアトリクス・ポターは湖水地方の伝統的な農場での生活を初めますが、その土地購入を援助した弁護士と47歳で結婚します。
この時も両親は反対するのですが、無視します。
映画「ミス.ポター」予告編
HPの解説。
ビアトリクス・ポターは1866年7月、ロンドンで生まれました。幼少期から動物や植物のスケッチが大好きだったビアトリクスは、避暑地として家族と訪れた湖水地方の豊かな自然に出会い、生涯魅了され続けました。彼女の自然への深い愛情とまなざしはピーターラビットシリーズの世界観に色濃く反映されています。ビアトリクスは絵本作家として得た収入をもとに念願だった湖水地方に移り住み、自然保護活動の先駆者、農場経営者としても活躍しました。
本展は、英国ナショナル・トラストが所蔵する貴重な絵本の自筆原画やスケッチ、彼女の愛用品など200件以上の作品・資料が出品され、そのほとんどが日本初公開となります。社会で女性が活躍するのが難しかった当時、強い意志とあふれる才能で時代を切り開いたビアトリクスの人生に焦点をあてながら、『ピーターラビットのおはなし』の原点や絵本シリーズの世界を展観していきます。
ビアトリクス・ポターは1866年7月、ロンドンで生まれました。ピーターラビットシリーズは、1893年に家庭教師だったアニー・ムーアの息子のノエル少年に送った「絵手紙」から誕生した物語です。1901年、自身で『ピーターラビットのおはなし』の私家版を出版。1902年には白黒の線描画だった挿絵に色を付けてフレデリック・ウォーン社から出版され、最終的には24作の絵本を世に送り出します。ロンドンから自然豊かな湖水地方に拠点を移し、晩年は牧羊と自然保護活動に力を注ぎました。彼女が実際に暮らし、絵本にも描かれたヒルトップ農場はナショナル・トラストにより今も当時のままの姿で保存されており、「ピーターラビット」を愛する多くのファンが訪れています
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