国吉康雄展 -少女よお前の命のために走れ-
会期 2016年6月3日(金)~7月10日(日)
国吉康雄は1889年(明治22年)岡山市に生まれました。日本は日露戦争に勝利したものの疲弊していました。16歳になった国吉康雄は軍隊に行くべきか、労働移民としてアメリカに行くべきか父に相談しました。(政府は「口減らし」の為にアメリカ移民を奨励していこともあり・・・)
父は移民を勧めくれ、渡米の資金を用意してくれます。国吉はこの恩を一生忘れることはありませんでした。
国吉はカナダ経由でアメリカに入国しましたが、労働移民としての過酷な日々が待っていました。英語を学ぶべくロサンゼルスの夜間学校に通いますが、英語は難しい。
未熟なコミュニケーション力を補う手段として描いた絵が、ある教師の目に止まり、「芸術の才能を伸ばすべきだ」といわれます。
国吉は、教師の勧めに従い、美学校に通います。生活のために職を変えながら3年間通いました。
(毎日通うことはできませんでしたが・・・)
やがて、国吉は日系コミュニティーを離れ、ニューヨークに移り住みます。
ニューヨークの美術学校を渡り歩いた国吉は、アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークに落ち着きます。
ここでの友人との交流のなかで、国吉が渇望していた暖かさと親切を見出します。
パトロンができ、その援助を得て、国吉作品の特徴の基礎を作り上げていきます。
アートスチューデンツリーグで知り合った女性と結婚した国吉は、撮影技術を学び、カメラマンとして収入を得ながら、作品制作を続け、発表し、一定の評価得るようになります。
そして、初の個展を開催するまでになります。
HPの解説。
日露戦争(1904-05年)が終わった翌年、横浜港から旅立った16歳の少年は、二つの世界大戦をアメリカで過ごし、1952年、アメリカを代表する画家としてヴェネチア・ビエンナーレの会場に作品を飾りました。画家の名は国吉康雄(1889-1953)。20世紀前半という激動の時代、アメリカは国吉という類稀な色彩センスと独特の絵画技法を生み出した画家を誕生させ、熱狂し、そして、冷戦期の社会情勢の変化と抽象画が絵画表現の主流となっていく中、忘れていきました。
そんな国吉の回顧展がワシントンで開催され、ワシントンポストやニューヨークタイムスは絶賛し49万人が訪れました。
今、アメリカは、国吉を画家としてだけでなく、自由と権利のために戦った社会活動家として、また多くの芸術家を育てた教育者として評価し、移民であり適正外国人であった国吉が掴んだアメリカン・ドリームを必要としているのです。
本展は日本初公開の大作「クラウン」や、国吉研究の視点を変えたと言われる「ウィリアム・グロッパーの肖像」を、国吉の故郷である岡山以外で初めて展示します。
約50点余りの油彩、ガゼイン、水彩、墨絵などの作品に、研究者や国吉の教えを受けたアーティストのインタビュー映像などを交え、日米で再評価が始まった国吉の魅力を最新の研究成果と、国吉康雄と現代をつなげる、様々なアートプロジェクトや教育活動の現場の様子などと合わせて紹介します。
展示会場に入ると先ず《少女よお前の命のために走れ》が展示されています。
大きな斧をを振りかざすカマキリと巨大なバッタが対峙する彼方を、小さな女の子が駆けていく、この展覧会はこの女の子に導かれて進行します。
展示構成は次の通りです。
◦少女からの手紙
《少女よお前の命のために走れ》 カゼイン 石膏パネル 1946年 福武コレクション蔵
◦国吉のアトリエ
このコーナーは撮影可(他の作品展示あり)
◦旅立ち
◦デビュー
◦帰国
◦牛を描く
◦ヨーロッパへ
◦静物画が持つ意味
◦ウィリアム・グロッパーの肖像
◦ユニバーサル・ウーマン(戦争画)
◦心にある風景
◦クラウン
◦クラウン
◦修復プロジェクト
アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨーク在学時代の作品。
《座る裸婦》 油彩、キャンバス 1918年 福武コレクション蔵
初めての個展開催の頃。
《野生の馬》 油彩、キャンバス 1921年 福武コレクション蔵
国吉夫妻は1925年と28年に訪ねている。
「想像や過去の思い出」を頼りに描くスタイルから「対象を描くことから始める」スタイルへの変更を試すものの「難しかった」と…リトグラフなども試み本展でも展示されている。
《化粧》 油彩、キャンバス 1927年 福武コレクション蔵
国吉は渡米の26年後に父を見舞うために帰国している。
《葡萄》 墨、紙 1932年 公益財団法人 両備文化振興財団 夢二郷土美術館蔵
ユニバーサル・ウーマン
クニヨシ・ブラウン
クニヨシ・ホワイト
国吉は女性を描くとき「あらゆる人種を想像しながら描く」と言っていたそうだ。
《もの思う女》 油彩、キャンバス 1935年 福武コレクション蔵
模写作品も展示。
(国吉康雄と現代をつなげる、様々なアートプロジェクトや教育活動の一環)
国吉作品には珍しい個人が特定できる友人の肖像画。
《ウィリアム・グロッパーの肖像》 パステル、紙 1938年 山陽放送株式会社蔵
一晩で全てが変わってしまった。自分は変わっていないのに。(1941年真珠湾急襲)
《逆さのテーブルとマスク》 油彩、キャンバス 1940年 福武コレクション蔵
友人は、国吉を睨む視線に気づいている。
(沿道沿いの人々は、あたかも彼らのなかに敵がいるかのように、ヤスを睨みつけていた。)
国吉が描いた戦争
(国吉の戦争ポスターは使われることはなかった)
殺人者 1942年
戦争ポスターの習作 福武コレクション蔵
日本初公開作品
修復作業過程の映像も放映されています。
《クラウン》 グワッシュ 1949年 福武コレクション蔵
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