特別公開「新発見!天正遣欧少年使節 伊東マンショの肖像」
特別公開「新発見!天正遣欧少年使節 伊東マンショの肖像」 は
東京国立博物館で開催されました。
本館 7室 2016年5月17日(火) ~ 2016年7月10日(日)
すでに終了している展覧会ですが、
国立新美術館で7月13日から開催されている「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」との関連、日本との接点
を考える上で参考になると思い、あえて投稿します。
「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展には、
ドメニコ・ティントレット(1560~1635)の作品が3点展示されています。
サンマルコ財務官の肖像(1600年頃)
キリストの復活(1580-90年)
茨の冠をかぶせられるキリスト(1590年頃)
「伊東マンショの肖像」展のHP解説。
2016年の日伊国交樹立150周年を記念し、日本とイタリアを結ぶ最初の架け橋である天正遣欧少年使節を描いた「伊東マンショの肖像」を世界で初めて公開いたします。天正10年(1582)、九州のキリシタン大名の名代として長崎を出航した天正遣欧少年使節4人とその一行は、長い船旅ののち、輝かしいルネサンス期イタリアの地を踏みました。天正13年(1585)にはヴェネツィア共和国を訪問。その折、共和国元老院が4人の肖像画をヤコポ・ティントレットに発注したことが知られ、その息子ドメニコ・ティントレット(1560~1635)が完成させたものがこの肖像画とみられています。
今回は、当時のイタリアで刊行された「天正遣欧使節記」やキリシタン資料中のイタリア関連作品をともに展示し、16~18世紀にキリスト教を通じて交流した日伊の姿をご覧いただきます。
伊東マンショの肖像 1585年
ドメニコ・ティントレット筆 カンヴァス・油彩 イタリア、ミラノ、トリヴルツィオ財団蔵
天正遣欧少年使節の時代は・・・・。
天正10年(1582)に長崎を出港し、天正18年(1590に帰国しています。
秀吉のバテレン追放令(1587年)
江戸幕府による禁教令の発令(1612年及び1613年)
天正遣欧少年使節4人のその後。
(派遣当時の年齢は13~14歳)
伊東マンショ(主席正使)
さらに神学を学ぶためマカオに向かう(1601年)
マカオから帰国後追放され、最後は長崎で病死(1612年)
千々石ミゲル(正使)
後に棄教(1601年)
原マルティノ(副使)
1629年、追放先のマカオで死去。
中浦ジュリアン(副使)
潜伏して追放を逃れたものの、捕縛され、長崎で穴づりの拷問によって殉教(1633年)
中浦ジュリアンとともに、穴つりの拷問をうけたクリストヴァン・フェレイラは棄教。
遠藤周作の小説「沈黙」は、この時代から取材していて、クリストヴァン・フェレイラは重要な人物として登場します。
(フェレイラはなぜ棄教を選んだのか?せざるを得なかったのか?・・・・そしてロドリゴは踏絵を・・・・神の声は・・・ )
注目していた、マーティン・スコセッシ監督の「沈黙」は年内全米公開の様です。
日本公開を楽しみに待ちます。
過去に、篠田正浩監督が「沈黙」を映画化していて、ビデオかなにかで観た記憶があるのですが・・・・あまり評価されなかったようです。(遠藤周作も脚本に参加)
以上、話が拡散しましたが、興味ある事柄を思いつくままに記してみました。
| 固定リンク
コメント