「岡本太郎と中村正義・東京展」 ~「東京展」に賭け、日本の美術界に挑む~
岡本太郎美術館で下記期間開催されています。
2015年10月17日(土)~2016年1月11日(月・祝)
今日の芸術は、 うまくあってはいけない、 きれいであってはいけない、 心地よくあてはならない。 と、私は宣言します。それが芸術における根本条件である、と確信するからです。 これは今まで考えられていた、絵はうまく、美しく、快いものであるという価値基準とは、全く正反対の意見ですから、あるいは逆説のように聞こえるかもしれません。しかし、これこそ、まことに正しいのです。 (太郎のことば)
現代、これほど大きなひずみの中で、怒りを持たない人間は、無知か、卑屈か、卑怯者か、いずれにしても偽物です。 反骨精神とは、 無知と卑怯におかされない正常な人間の本能のようなものです。 この本能に対して行動をもたない人間も偽物です。 金は持っているが、かっこのよいことを言うが、 本当に行動的に怒りを投げかける大人を、 私はほとんど知りません。 (正義のことば)
これらのことばを、どうとらえるかは、人それぞれでしょう・・・
この展覧会の作品を見ていると、特に正義の作風の大変貌は小気味いい!私は、そう思いました。
「岡本太郎、中村正義、東京展」というキーワードで観るというより、中村正義の作品の変遷ばかりが印象に残る展覧会でした。
HPの解説
1975年、画家・中村正義はこれまで築きあげてきた画家としての人生のすべてを賭けて全く新しい美術の共同体・組織を、日本の閉塞的な美術界に誕生させようとしました。
自らが育った「日展」に反旗を翻した中村正義が、さらに日本美術界そのものを変革させるべく、病身をおして作ったのが「第1回 東京展」でした。中村正義にとって、「第1回 東京展」は日本美術界の全体を変革させる核であり、変容させる新しい生命体だったのです。その新しい生命体を誕生させるには、さらに強烈なエネルギーが必要でした。そのエネルギーこそが岡本太郎だったのです。一方、岡本太郎は1941年に10年余りいたパリから帰国し、第28回二科展に滞欧作4点を発表。1946年復員した岡本太郎は、作家活動を再開し、1947年二科春季展に出品。
1948年、評論家・花田清輝、小説家・野間宏、安部公房、椎名麟三、埴谷雄高らと総合芸術運動を目論む「夜の会」を結成し、日本の芸術界全体の変革を目指します。ここから岡本はアヴァンギャルドの旗手として、美術という領域から逸脱するように多面的な活動を行います。しかし、またもう一方で、岡本は二科会には所属し続け、若い芸術家を育てながら、「二科会」内部からの変革も模索していました。
1961年、奇しくも岡本太郎は、8月に「二科会」を脱会。中村正義は、同年6月に「日展」から脱退しました。
本展は岡本、中村の接点である「第1回 東京展」の構想および再現を軸にして、岡本と中村の作品を中心に展示し、現在の日本の美術の状況を再考する機会にしたいと考えております。
展覧会の構成は以下の通りです。
第Ⅰ章 日展・二科時代
第Ⅱ章 決別、そして、新たなる挑戦
第Ⅲ章 1975年東京展
第Ⅳ章 飽くなき探究と挑戦
第Ⅴ章 美術の枠を超えて
第Ⅵ章 対決!太郎と正義
中村正義 空華 1951 豊橋市美術博物館蔵
中村正義 女 1957 豊橋市美術博物館蔵
中村正義 舞妓 1958 兵庫県高砂市 新井神社蔵
中村正義 妓女 1962 豊橋市美術博物館蔵
中村正義 男と女 1963 豊橋市美術博物館蔵
中村正義 イト 1964 豊橋市美術博物館蔵
中村正義 うしろの人 1972-77 豊橋市美術博物館蔵
中村正義 何処へいく 1974 豊橋市美術博物館蔵
正義の作品(画像)ばかりを取り上げましたが、展覧会では、勿論東京展に参加したアーティストの作品、記録資料もたくさん展示されています、太郎の作品も正義の作品と対比するような形で展示されています。
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