没後30年 鴨居玲展 踊り候え
5/30〜7/20
東京ステーションギャラリー(丸の内)で今日までです。
「手にデッサンのタコが出来ていないのは画家ではない」という画家としての姿勢を 保ち続けた鴨居の絵は、違和感なく、直球で、すんなりと、その情感が伝わってきます。
最終章のデッサン作品にも注目です。
本人曰く「鴨居の画業の初期とは37~38歳でそれ以前の作品はほとんどつぶしてしまった」と・・・
この展覧会では、19歳の時に描いた自画像に始まり、鴨井の作風が確立するまで(南米滞在中のメキシコ人画家ラファエル・コロネルの作品と出会い、安井賞受賞)
スペイン、パリ時代各地で出会った社会の底辺に生きる人々に自らを投影し描き上げた作品。
帰国後の描き続けることへの葛藤の日々、そして57歳での自死まで、ほぼ時系列で展示構成されています。
展示構成は以下の通りです。
第1章 初期〜安井賞受賞まで
第2章 スペイン・パリ時代
第3章 神戸時代 一期の夢の終焉
第4章 デッサン
夜(自画像)1947年 油彩、カンヴァス 笠間日動美術館蔵
制作時19歳、「自画像の画家」 と称された鴨井の最初期の自画像。
若いころ、鴨居は宮本三郎に師事しています。
赤い髪 1959年 ガッシュ、パステル、紙
鴨居は、油彩に行き詰まりを感じます。
日本画壇を抽象美術が席巻した時代、油彩の制作に苦悩し、ガッシュやパステルで月を題材によく描いた。
静止した刻 1986年 油彩、カンヴァス 東京国立近代美術館蔵
安井賞受賞作。南米滞在中にメキシコ人画家ラファエル・コロネルの作品と出会い、影響を受け、その後の作風の方向付け になった。
(本人は否定)
教会 1976年 油彩、カンヴァス ひろしま美術館蔵
人物以外の鴨居のテーマは「教会」です。スペインンの田舎に行っている時、一番、強く感じたのは『何故、自分は神を持っていないのか』ということでした。
私の村の酔っ払い(A) 1973年 油彩、カンヴァス 笠間日動美術館所蔵
スペインのラ・マンチャ地方にあるバルデペーニャスに移り住んで人生最良の時を過ごした鴨居は、終生のモチーフをいくつも見出した、。
蛾 1976年 油彩、カンヴァス
パリ時代の鴨居の画面はスペイン時代のそれと異なり、やや淡く、色数を増やして、明るくなってゆく。
裸婦 1982年 油彩、カンヴァス
1997年帰国して、新たに向き合った画題の一つが裸婦であったが思うように描けず、葛藤と焦燥感に苛まれた。
1982年 私 1982年 油彩、カンヴァス
クールベの《画家のアトリエ》の構図を模したとされる作品。哀楽をともにしたモデルたちに囲まれた鴨居自身の半開きの口は「これ以上何が描けるのか」と、声なく叫ぶようで痛々しい。
勲章 1985年 油彩、カンヴァス 笠間日動美術館所蔵
自死するおよそ半年前に描かれた作品。
踊り候え 1979年 パステル、紙
HPの解説
人間の内面を見つめ、自らの心魂をキャンヴァスに描き出した鴨居玲。その東京では25年ぶりとなる回顧展を開催します。
金沢で生まれた鴨居玲(1928-1985)は、新聞記者の父の転任に伴い、子どものころから転校を重ね、一所に留まらない性分から、南米・パリ・ローマ・スペインを渡り歩きました。各地で出会った社会の底辺に生きる人々をモティーフに作品を制作しますが、そのいずれもが自身を投影した自画像ともいわれます。
ときに、ユーモアに溢れ、芝居っ気たっぷりに、人を煙に巻くかと思えば、絶望感にとらわれ、酒に溺れ、自殺未遂を繰り返す。繊細でひたむきな破滅型の人生が、そのまま暗く沈んだ重厚な画面に、劇的な姿となって表わされています。そして、人の心の奥底に潜む暗部を注視し、己れの内なる孤独と苦悩を吐露しながら、心身を削るように描かれた作品は、見る者の胸に迫り、強く訴えかけてきます。
没後30年にあわせて開催する本展では、10代の自画像から遺作まで、57年の生涯で残された油彩の代表作をはじめ、素描、遺品など約100点を一堂に展示し、今もなお、多くの人を惹きつけてやまない鴨居玲の崇高な芸術世界をご紹介します。
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