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2013.10.09

竹内栖鳳展

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この展覧会は9月3日〜10月14日まで開催されています。

開催期間が短いうえに、前後期に分けての展覧会、前期は行けませんでした、後期のみの鑑賞です。

《斑猫》《絵になる最初》《蹴合》《ベニスの月》など、展覧会でよく見かける作品、勿論何度見ても素晴らしいのですが、この展覧会は、栖鳳の全体像が俯瞰できて、新たな栖鳳像も見つけられたりしますよね。
どうでしょう、晩年の肩の力の抜けた?作品のモチーフ、色彩の柔らかさは・・・・・このあたりの作品を纏めて見られたのは収穫でした。
余談ですが、観に行かれた方、ショウケースのガラスへの鑑賞者の写り込み、気になりませんでしたか?
特に金屏風の前、私はとても気になって・・・・・

展覧会の構成は以下の通りです。
第1章 画家としての出発 | 1882 ̶ 1891
第2章 京都から世界へ | 1892 ̶ 1908
第3章 新たなる試みの時代 | 1909 ̶ 1926
第4章 新天地をもとめて | 1927 ̶ 1942


HPの紹介文です。


 日本画家の竹内栖鳳(1864-1942)は京都に生まれ四条派の幸野楳嶺(こうのばいれい)に学び、京都画壇の近代化の旗手として土田麦僊(つちだばくせん)をはじめとする多くの後進に影響を与えました。
 栖鳳は積極的に他派の筆法を画に取り入れ、また定型モティーフとその描法を形式的に継承することを否定し、画壇の古い習慣を打ち破ろうとしました。その背景には、明治33(1900)年のパリ万博視察のための渡欧がありました。現地で数々の美術に触れ、実物をよく観察することの重要性を実感したのでした。
 しかし、やみくもに西洋美術の手法を取り入れたのではないところに栖鳳の視野の広さがありました。江戸中期の京都でおこった円山派の実物観察、それに続く四条派による対象の本質の把握と闊達な筆遣いによる表現は幕末には形式的なものとなり、定型化したモティーフとそれを描くための筆法だけが残ってしまいました。栖鳳は実物観察という西洋美術の手法をもとに、西洋と肩を並べられるような美術を生み出そうという気概でこれら伝統絵画の根本的理念を掘り起こそうとしたのです。
 栖鳳の作品の前に立つと、あたかもその対象にじかに触れているかのような感覚におそわれますが、よく見ると、描かれているものが実物とかけはなれていることもしばしばです。それは、丹念な実物観察を行いながらも、その目的は外形写生ではなく、あくまでも対象の本質をつかむことにあったことを表しています。
 本展は、栖鳳の代表作、重要作、長らく展覧会に出品されてこなかった作品約110点、素描などの資料約60点で栖鳳の画業を通観し、栖鳳が新たな時代に築いた日本画の礎を示します。


0001
《城外風薫》  昭和5年

00012
《飼われたる猿と兎》 明治41年

00014
《炎暑》 昭和5年


00011
《絵になる最初》 大正2年 (1913年)

0002
《大獅子図》 明治35年頃

0003
《斑猫》 大正13年

0004
《蹴合》 大正15年

0005
《ベニスの月》 明治40年

0006
《朝寒い》 昭和12年

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