ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家
この展覧会は横浜美術館で1月26日~3月24日まで開催されています。
展覧会は、ゲルダ・タローのPartから始まります。
構成は以下の通りです。
[Part 1] ゲルダ・タロー
1 1936年
2 1937年
[Part 2] ロバート・キャパ
1 フリードマンからキャパへ
2 スペイン内戦
3 日中戦争 〜 第二次世界大戦 I
4 第二次世界大戦 II
5 インドシナまで
ロバート・キャパの写真集は今までよく見てきたこともあり、もし文春の記事を読まなかったらこの展覧会には行かなかったかもしれません。
沢木耕太郎はキャパの十字架と題されたノンフィクションで、あの「崩れ落ちる兵士」は、キャパが撮った写真ではなく、訓練中の兵士が滑って転倒したところを、ゲルダ・タローが偶然撮影したものだと結論付けているのだ。
緻密な検証過程も興味深々で流石沢木耕太郎、素晴らしい、一読お薦めです。
その証の一つの要素となる2枚の写真をじっくり観察するべく、単眼鏡を持って(意味ないか~?)開始早々、先週観に行きました。
「崩れ落ちる兵士」はもちろん展示されていましたが、観たかったもう一枚の写真は見当たりませんでした。
兵隊の向うに写っている銃口が上を向いた写真は何を意味するのか?
「崩れ落ちる兵士」との関係は?
何故、キャパは自殺願望があるのではないかと言われた程、過酷な戦場取材を繰り返したのか?
それは、若いキャパを一躍有名にした(してしまった)「崩れ落ちる兵士」と言う一枚の写真を(その真実を)十字架として背負ってしまったからではないかと・・・・。
この展覧会、
27歳の若さで事故(共和国軍の戦車に轢かれて死亡)で亡くなった女性初の報道写真家タローの写真を纏めて見るのは初めてでした、前半の作品は確かに6×6フィルムで撮ったのであろう、作品。戦時下での女性を取り上げている、そして、後半は戦禍の悲惨な状況を撮った作品が増えて行くように思えた。
(ちなみに、タローは岡本太郎のタローと言われている)
キャパのPartは、雑誌に載った最初の写真トロツキーの写真にはじまり、インドシナで地雷を踏んで亡くなるまでの、言ってしまえば、お馴染み?の写真が展示されています。
思いは人それぞれでしょうが、「キャパは何を伝えたかったのだろう」ともう一度考えてみるのも良いかもしれません。一連の写真を見ながら・・・・。
そして、キャパという写真家の運命を。
朝日新聞水曜日夕刊美術欄でも取り上げていましたね。
こちらでも。
NHKスペシャル
2013年2月3日(日)
午後9時00分~9時49分
沢木耕太郎 推理ドキュメント
運命の一枚
~"戦場"写真 最大の謎に挑む~
チラシの解説
世界で最も著名な写真家のひとり、「ロバート・キャパ」ことアンドレ・フリードマン(1913年生/1954年没)が生まれて今年で一世紀が経ちます。しかしこの「ロバート・キャパ」という名が、当初フリードマンとドイツ人女性ゲルダ・タロー(本名ゲルタ・ポホリレ、1910年生/1937年没)の二人によって創り出された架空の写真家であったという事実は、あまり知られていません。
1934年にパリで出会い意気投合した二人は、1936年春に「ロバート・キャパ」という架空の名を使って報道写真の撮影と売り込みをはじめます。仕事が軌道に乗りはじめてほどなく、フリードマン自身が「キャパ」に取ってかわり、タローも写真家として自立していきますが、その矢先の1937年、タローはスペイン内戦の取材中に命を落とします。タローの存在とその死は、キャパのその後の活動にも大きな影響をおよぼしたといわれています。
本展覧会は、キャパとタローそれぞれの写真作品による二つの「個展」で構成されます。死後50余年を経てなお絶大な人気を誇るロバート・キャパと、その陰でほとんど紹介されることのなかったゲルダ・タロー。約300点にのぼる豊富な写真作品と関連資料によって二人の生涯と活動の軌跡を辿りながら、両者の深いつながりと個性の違いを浮かび上がらせていきます。
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