国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展
この展覧会は、Bunkamuraミュージアムで8月4日~10月8日まで開催されています。
いよいよ来週月曜日迄になってしまいました。
私が行ってきたのは、八月の終わりころです。
ブログ投稿が最近は遅れがちで・・・・・・
波乱に富んだ時代背景を底流に、ドラマチックな画面構成と人物の性格描写の素晴らしさに圧倒された、そんな感想の展覧会です。
レンブラントの《老女の肖像》をレーピンが模写した作品が展示されていました。
レンブラントにも多くを学んだのでしょうが、レーピンの肖像画を見ていると、性格、その時の感情、ステータス、が瞬時に読み取れるような気がします。
展覧会の構成は以下の通りです。
Ⅰ 美術アカデミーと《ヴォルガの船曳き》
イリア・レーピン(1844~1930)は19歳の時にサンクト・ペテルブルグに上京、美術アカデミーで絵画の基礎を学ぶ。夢中で肖像画を描いた時代。そして市井の人々の実像を描くこと関心を持っていたレーピンは、船引の生活を現地取材して、《ヴォルガの船曳き》を描く。
この作品によってロシア美術における「民衆」という主題は大作にふさわしい地位に引き上げられた。
《浅瀬を渡る船曳き》 1872年 油彩・キャンバス
《船曳き》 《ヴォルガの船曳き》の習作 1970年 油彩・キャンバス
Ⅱ パリ留学:西欧美術との出会い
1873年、美術アカデミーの給付留学生としてパリに行く。
マネや印象派の作品に衝撃を受け、風景画の習作や娘の肖像画を描く。
パリで受けた印象は、帰国後もレーピンの作品に生かされることになる。
Ⅲ 故郷チェーグエフとモスクワ
給付留学から帰国したレーピンは故郷ウクライナのチュグーエフに向かう。
民衆の暮らしという主題に取り組むことに戻った。
続くモスクワ時代(1877~1882)は最も多作な時期となる。
人との交流も盛んになり、トルストイ、ムソルグスキー、トレチャコフに出会っている。
《皇女ソフィア》
ノヴォデヴィチ修道院に幽閉されて一年後の皇女ソフィア・アレクセヴェナ、1698年に銃兵隊が処刑され、彼女の使用人が拷問されたとき
1879年 油彩・キャンバス
《修道女》 1878年 油彩・キャンバス
《トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック》習作 1880年 油彩・キャンバス
《懺悔の前》 1979-1885年 油彩・キャンバス
《作曲家モデスト・ムソルグスキーの肖像》 1881年 油彩・キャンバス
ムソルグスキー晩年、陸軍病院の病室で描かれた肖像画。
鼻が赤くぼさぼさ頭、アルコール依存症がうかがわれる容貌。
Ⅳ 移動派の旗手として:サンクト・ペテルブルグ
1887年の秋、レーピンはサンクトペテルブルグに移り、旺盛な創作期が始まる。
作品としての完成度、心理的な表現力のいずれも申し分のない肖像画等が制作された。
僻地の芸術文化を活性化させる目的の移動美術館の活動にも積極的に参加している。
作品は報道にも取り上げられて、一目見ようと観衆が押しかけた。
《思いがけなく》 1884-1888年 油彩・キャンバス
突然帰ってきた男を迎える人々の驚きと緊張感が見事に描かれています。
ひとりひとりの顔の表情を見比べると・・・見飽きない。
Ⅴ 次世代の導き手として:美術アカデミーのレーピン
1981年、画家生活20周年記念展を開催。
1894年からは美術アカデミーで教鞭をとる。
レーピンのリアリズムの手法を時代遅れと批判するものもいたが、その実力を否定する者はいなかった。
レーピンの個性と才能は若い画家たちに多大な影響を与え続けることになる。
《日向で―娘ナジェージダ・レーピナの肖像》 1990年 油彩・キャンバス
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