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2012.10.28

維新の洋画家 川村清雄

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この展覧会は江戸東京博物館で10月8日(月・祝)~12月2日(日)まで開催されています。

川村清雄って?
この展覧会を観るまで、私は全く知りませんでした。
勝手に、所謂、やに派と称されたような絵画が並んでいるのかな?
そんな展示の様子を頭にに浮かべていました。
実際は、この博物館の企画展コンセプトなのでしょうが、歴史の重みがズシリと感じられる展覧会でした。
川村家から江戸東京博物館に寄贈された幕臣川村家史料を基に勝海舟などとの交流のエピソードと共に清雄の生涯を辿る展覧会になっています。

勝海舟、篤姫を描いた
しられざる巨匠。


展覧会の構成は以下の通りです。
(HPの解説を参考にしています)

序章 旗本の家に生まれて 
川村清雄は、黒船来航前夜にあたる嘉永5年(1852)、旗本川村家の長男として江戸に生まれました。
代々、文雅の道にたけた家に育った清雄は幼時から住吉派などの画を学んでおり、幕府の洋画研究機関である開成所画学局に入り、西洋画の手ほどきを受けました。

第1章 徳川家派遣留学生
清雄は徳川家派遣留学生として法律を学ぶ目的でアメリカへ行きます。
しかし、画才を見出だされ、本格的な絵画修業をすることを決心します。
その後の清雄は帰国命令が出るまでの11年間を、パリ、ヴェネツィアでアカデミズムの油彩画を徹底的に学びました。
帰国に際して、ヴェネツィアの友人たちは清雄に日本人が持ってきた美の感性を大切にするよう教えました。

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川村清雄《静物写生》 明治 8 年( 1875 ) 紙、鉛筆 
静岡県立美術館蔵
10/8~11/4 展示

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ジャンバッティスタ・ティエポロ  《聖ガエタヌスに現れる聖家族》 18世紀前半 カンバス、油彩 
ヴェネツィア・アッカデミア美術館蔵 
江戸東京博物館のみ展示
  
ティエポロは清雄がヴェネツィア留学時代に、崇敬した画家の一人。

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川村清雄 《徳川家達像》 板、油彩 1878年 
徳川記念財団蔵

第2章 氷川(ひかわ)の画室
帰国した清雄は、大蔵省印刷局の技手として迎えられますが局内の紛争により、わずか1年足らずで印刷局を解雇されてしまいます。
清雄は勝海舟に助けられます。
勝海舟は清雄のために自身の邸内に画室を建ててやりました。
この画室から、徳川家とゆかりの人々の肖像を描いた作品が生まれます。
海舟が無くなった時の葬儀に清雄は白直垂を着して棺側に従いました。
それから間もなく、清雄はその白直垂をモチーフにし、海舟への感謝と鎮魂の思いをこめた《形見の直垂》を描き上げました。

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川村清雄《天璋院(てんしょういん)像》 明治17年(1884)板、油彩 德川記念財団蔵
11/13-12/2展示

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川村清雄《江戸城明渡の帰途(勝海舟江戸開城図)》 明治 18 年( 1885 ) カンバス、油彩 
東京都江戸東京博物館蔵


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川村清雄《蛟龍(こうりゅう)天に昇る》 明治24年(1891)頃 カンバス、油彩  
福富太郎コレクション資料室蔵
10/30-12/2展示

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川村清雄《形見の直垂(虫干)》 明治32年(1899)以降 カンバス、油彩 
東京国立博物館蔵
 

第3章 江戸の心を描く油絵師
清雄の作風は和魂洋才ともいえるもので、背景に金銀箔を用いたり、絹本や紙本、漆塗板や木地をあらわした古代杉の板など、日本の伝統的な素材を利用しました。
しかし、当時の洋画界、西洋絵画の受容期にあっては清雄流の挑戦を理解しませんでした。
清雄はやがて画壇から遠ざかり、忘れられた存在となっていきます。
しかし、清雄の絵画と、人物を愛する理解者に支えられ、江戸趣味の香り高い独自の芸術世界を築いていきました。


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川村清雄《波》 大正~昭和2年(1927)頃 カンバス、油彩 静岡県立美術館蔵

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川村清雄 《福澤諭吉肖像》明治33年(1900年頃》 カンバス、油彩 慶応義塾蔵

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川村清雄《お供え》 (部分) 大正~昭和初期 板、油彩 
福富太郎コレクション資料室蔵

終章 《建国》そして《振天府》 
世に忘れられつつあった清雄でしたが、そんな折、聖徳記念絵画館建設の議がおこりました。
明治天皇の生涯を80枚の大きな壁画で表すという事業に制作者の一人として選ばれました。
清雄を支援し続けてきた徳川家達の指名です。与えられた画題は、皇居内の庫「振天府」で、本店ではその下絵が展示されています。
その頃フランスからの要望で描いたのか今回オルセー美術館から83年ぶりに里帰りした《建国》です。


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川村清雄 《建国》 昭和4年(1929)  絹本油彩 
オルセー美術館蔵

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川村清雄  《振天府》下絵 昭和6年(1931)以前 カンバス、油彩 
明治神宮蔵
 

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2012.10.24

秋桜1210

先日、短い時間でしたが、コスモスは好きな花なので撮ってみました。
もう、最盛期は過ぎてますね。


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2012.10.23

篠山紀信展 写真力

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この展覧会は、東京オペラシティー アートギャラリーで10月3日~12月24日まで開催されています。

日曜日、観に行ってきました。
そんなに混んでいませんでしたよ。
迫力満点の大きな作品が展示されています。
まさに、「写真力」を感じました。
被写体になった方々がその写真を見て「自分に惚れちゃう」そんな写真を撮るのが上手いな~と言うのが観ての感想です。

この展覧会の最終展示
「2011年3月11、東日本大震災で被災された人々の肖像」はそれまでの展示とがらりと変わってモノクローム。
佇む人々の表情が自然でとても良かった。

あの頃何してたかな~なんて思いながら楽しい時間が過ごせました。
ミュージアムショップでインタビュービデオが放映されています、人柄がよく出ていて面白かったですよ。

以下展示会場で掲示されている篠山紀信のコメントです。

「写真力」って何?

「写真力」?
写真の力が漲った写真ね。
写された方も、撮った者も、それを見る人々も、唖然とするような尊い写真。
特に、人の顔の写真ってすごいよね。いろいろなことを思い起こすし、あの頃、あの子と付き合ってたとか、でもグラビアの子に随分お世話になったとか(笑)、あの時代貧乏だったけど今より幸せだったかも・・・・・・とか。
時空や虚実を超えて、脳裏に強くインプットするイメージの力が、写真力ってわけだ。
そんな写真ってどうやったら撮れるかって?
そりゃ大変なんだよ。めったにそんな写真は写らない。
だって人知を超えた写真の神様が降りて来なくちゃ、すごい瞬間は立ち現れないんだもの。
その為にはあらゆる努力をする。被写体へのリスペクト、その場の空気を正しく読み、自分の感性を最大限にヒートアップさせる。すると本当に偶に神様が降臨する。そりゃ、すごいぞ。そこで撮れた一枚は、その人への想いはもちろん、時代や自分史をも思い起こさせる力になってしまうんだから。
で、この展覧会は、50年間にわたって撮ってきた写真の中から、飛び切り写真力のある写真ばかりをえらんでみたものなんだ。
よりすぐりの顔、顔、顔・・・・・・
写真ってスゴイぜ!

展示構成は以下の通りです。
●GOD
鬼籍に入られた人々
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勝新太郎 1992年


●STAR
すべての人々に知られる有名人
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吉永小百合 1988年


●SPECTACLE
私たちを異次元に連れ出す夢の世界
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坂東玉三郎「籠釣瓶花街酔醒」八橋 1999年


BODY
裸の肉体、美とエロスと闘い
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MANUEL LEGRIS 1999年


●ACCIDENTS
2011年3月11日、
東日本大震災で被災された人々の肖像
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名取市 2011年


渋谷ヒカリエの8/ART GALLERY/TOMIO KOYAMA GALLERYで篠山紀信展が開催されます。
10月24日~11月12日までです。

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2012.10.18

操上和美 時のポートレイト ノスタルジックになりかけた時間

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この展覧会は東京都写真美術館で9月29日~12月2日まで開催されています。

広告写真界の鬼才といわれる操上和美(1936~)の展覧会です。
日産「フェアレディZ」、ソニー「ジャッカル」、サントリー「オールド」、ブリジストン「レグノ」、NTTデータ通信「ホーキング博士」等のCMは鮮明な記憶として残っています。井上陽水、笠智衆、ロバート・フランク、キース・リチャード、大江健三郎等のポートレートも手掛けています。
この展覧会では、1970年代から現在まで、自らの作品として撮りためてきた作品を展示し、操上和美と言う写真家の真髄に迫ろうとしています。

新聞記事の引用です。
写真はもう一つの時間であると。
と言う問に答えて

ええ。自分の肉体が持つ時間と引き換えに、写真と言う新たな時間を生み出している気がするんです。だから、いい写真を撮りたいというより、いい時間に触れたいという思いの方が強jくなってきたし、その瞬間が感じられなくなったら、僕はもう写真家ではないと思うんです。
シャッターを切る瞬間があるでしょう。それは、頭で考えているわけではないんです。被写体が放つ一瞬の輝きに体が反応し、反射的にシャッターを切っているんです。微妙な影の揺らめきやわずかな心の動き、あるいは激しく生きてきた体に刻まれたシワや傷に僕の何かが反応している。これまで撮った写真はほとんど、いつどこで撮影したかを覚えています。そのくらい写真を撮る瞬間は体に深く刻まれるんです。


展示構成は以下の通りです。
●シリーズ 「陽と骨 HITOHONE」
1970年代から撮り続けているシリーズ。日常をみつめる作家の鋭い感性を世に知らしめた代表作。モノクロ作品はすべてオモチャカメラで、カラー作品は35mmフィルムで撮影されている。

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《無題》1981、ブラジル 発色現像方式印画


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《夢を見る猫》1979、へブリティーズ諸島、スコットランド 発色現像方式印画

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《氷河》1974、アラスカ、アメリカ  ゼラチン・シルバー・プリント

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《明日を見る家族》1974、ロサンゼルス ゼラチン・シルバー・プリント


●シリーズ 「NORTHERN」
1994年の実父の他界をきっかけに、作家の故郷である北海道への幾度かの旅をまとめたシリーズ。ロバート・フランクを伴った電車の旅や、父母への想いを辿る風景など、全編モノクロの作品は、日常や風景に垣間見える死生観を静かにとらえている。

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《冬の庭》2012.1 富良野 ゼラチン・シルバー・プリント


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《ノバスコシア》1992.6 ノバスコシア、カナダ ゼラチン・シルバー・プリント

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《夏の庭》1999.6 北海道 ゼラチン・シルバー・プリント

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《無題》2011.8 北海道 ゼラチン・シルバー・プリント

●『Diary 1970-2005』 2005年 エディション2/5
操上が日常的に撮りためたスナップショット数万点から357点を選び、コピー複写で制作したポートフォリオ。

●『陽と骨II』 2011年 エディション6/35
1970年から2011年までポラロイドカメラSX-70で撮影した作品をスキャンし、インクジェット・プリントで制作したポートフォリオ。全120点。

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2012.10.16

辰野登惠子、柴田敏雄 与えられた形象

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この展覧会は、国立新美術館で、8月8日~10月22日まで開催されています。
この展覧会も開催まもなく行ってきたのですが、最近、どの展覧会のブログ投稿も、期末になってしまいます。


同館で始まったばかりのリヒテンシュタイン展の陰に隠れてしまいそうですが、こちらの展覧会もお見逃しなく。

辰野登恵子と柴田敏雄の接点は過去に遡ると東京藝術大学油絵科の同級生で、在学中は同級生の鎌谷伸一とともにグループ、コスモス・ファクトリーを結成し、アンディ・ウォーホルやロバート・ラウシンバーグの影響を受けて、写真製版によるシルクスクリーンをいち早く試みていたそうです。
私、柴田敏雄の写真展は何度も観に行っていますが、油絵を描いていたなんて初めて知りました(失念していただけかも...)
作品も展示されていて、お~こんな絵を描いていたんだなんて、思って観てきました。
柴田敏雄の写真のモチーフ、構図、精緻な表現は圧倒的な力を持っていますよね、私は最初に見た時、直ぐファンになりました。
この展覧会、膨大な作品の展示で柴田敏雄の全貌を概観できます。

逆に、辰野登惠子の作品となるとあまり観る機会がありませんでした。
初期の、色面の対比、そこにパターン化された曲線が描き込まれているという構成から、作風が、幾何学的な色面、立体的な色面の対比に変化していく過程は面白いですね。色面の構成が大胆で、迫力がありとても魅力的です。
とても楽しめた展覧会でした。

それにしてもこの展覧会の図録、持って帰るのには、チョット大変。

展覧会の構成は以下の通りです。
辰野登惠子
Ⅰ 1980年代
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《WORK 84P-1》1984年、油彩、カンヴァス 東京国立近代美術館蔵

Ⅱ 円と丸から
Ⅲ 1970年代
Ⅳ 1990年代
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《UNTITLED 90-14》1990年 アクリリック・カンヴァス 東京都現代美術館蔵

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《UNTITLED 96-3》1996年  横浜美術館蔵

Ⅴ 2000年代
Ⅵ 版画
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《UNTITLED-27》1974年シルクスクリーン・紙 千葉市美術館蔵

Ⅶ 新作

柴田敏雄
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《埼玉県飯能市》2006年 TypeCプリント

Ⅰ 日本典型
Ⅱ シカゴ現代美術館の25点
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《グランドクーリー・ダム、ワシントン州、ダラス郡》1996年 ゼラチン・シルバー・プリント シカゴ現代美術館蔵

Ⅲ 堰堤
Ⅳ アーカイブス
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《群馬県北群馬郡小野上村》1994年 ゼラチン・シルバー・プリント 個人蔵

Ⅴ ナイト・フォト
Ⅵ 三角形
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《高知県土佐郡大川村》2007年 TypeCプリント 東京都写真美術館蔵


Ⅶ カラー
Ⅷ 新作


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2012.10.15

ポール・デルボー 夢をめぐる旅

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この展覧会は、府中市美術館で9月12日~11月11日まで開催されています。

ジェームズ・アンソール展に引き続きベルギーの画家ポール・デルヴォー(1897-1994)の展覧会に行ってきました。
アンソールが、母親が経営していた店の仮面とか雑貨を見て育ち、その記憶が作品に反映されているといわれていますが、デルボーは電車が好きな子供で高校生のときにはオデッセイアに親しみました。また、教室で骨格標本を見て衝撃を受けたという少年時代の思い出も語られています。
作品には、骸骨、電車、神殿、ランプか繰り返し描かれでいます。
デルボーは言います。
「私が創造したいのは、その中に自分が生きている、生きることが出来る寓話的な絵画なのです」

初期の印象派、象徴派に影響を受けた油彩、デッサンから、シュルレアリスムに出会い、やがて独特な幻想的な世界を作り上げたデルボーの日本における約10年ぶりの(だそうです)回顧展。
出品作、約80点のうちおよそ半数以上が日本初公開の作品との事。
デルボーの作品を纏めて見られるいい機会です。
入り口で、デルボーの略年譜を頂きました、これって結構助かります。

展覧会の構成は以下の通りです。
第1章 写実主義と印象主義の影響
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《森の小径》1921年 ポール・デルボー財団蔵

第2章 表現主義の影響
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《森の中の裸体群》1927-28年 ポール・デルボー財団蔵

第3章 シュルレアリスムの影響
第4章 デルボーの世界
・欲望の象徴としての女性・男性の居場所
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《ローの婦人》1969年 ポール・デルボー財団蔵

・生命の象徴としての骸骨
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《会話》1944年 サイモン・コレクション(パトリック・デロム・ギャラリー)蔵

・汽車。トラム・駅
・建築的要素
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《エペソスの集いⅡ》1973年 ポール・デルボー財団蔵

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《夜の死者》1980年 ポール・デルボー財団蔵

・ルーツとしての過去のオブジェ
・フレスコ壁画

第5章 旅の終わり
89歳の頃、最後に書かれた油彩画。
視力が極端に衰えていた。
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《カリプソー》1986年 ポール・デルボー財団蔵
 

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2012.10.12

アントワープ王立美術館所蔵 ジェームズ・アンソール ―写実と幻想の系譜―

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この展覧会は、損保ジャパン東郷青児術館で9月8日(土) -11月11日(日)まで開催されています。

アンソール(1860-1949)の作品と言うとどうしても仮面、骸骨と言うグロテスクなモチーフの作品を思い浮かべてしまいます。
この類の作品は、むしろこの展覧会の出展作品の中では、少数派です。
物足りなさを感じるかもしれません。
アンソールは伝統的なフランドル絵画や、外光主義をはじめとする19世紀の主要な絵画運動から影響を受けていました。ルノアール、モネの印象主義、ルドンの象徴主義、スーラの新印象主義、ゴギャン、ゴッホなどからの影響を受けたのは間違いないようです。
追従することはなかったにしても....
《牡蠣を食べる女》(または色彩の国にて)と言う大きな作品が展示されています、まさに印象派のイメージです。
この作品の酷評が転機になったとも言われれているようですが....
世界で最も多くアンソールの作品を所蔵するアンートワープ王立美術館のコレクションより、素描を含む約50点のアンソール作品をフランドルや同時代の画家の作品と共に展示し、アンソールの芸術を生み出した写実と幻想の系譜をたどります。

展覧会の構成は以下の通りです。

第一章 写実と反アカデミズム
1‐1 アンソールの美術アカデミーにおける古典的描写方法の習得

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ペーテル・パウル・ルーベンス《ミネルヴァ》 1630年


1‐2 外交主義(プレネニスム)
1‐3 アンソールとブリュッセルの仲間たちによる写実的な静物画と肖像画
1‐4 画家は近代の真の英雄である

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ジェームズ・アンソール《イーゼルに向かう自画像》 1890年頃

1‐5 近代生活のイメージ
1‐6 貧しき人々の尊厳

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レオン・フレデリック《ふたりのワロン地方の農家の子ども》 1888年


第二章 グロテスク絵画に向けて
2‐1 光の感受性
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ジェームズ・アンソール《レンブラント”驚いた表情の自画像”の模写》 1884-86年頃

2‐2 線の感受性
2‐3 ジャポニズム
2‐4 想像手段としてのあやかし
2‐5 アンソール芸術における”死の舞踏”とその他の骸骨


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ジェームズ・アンソール《絵を描く骸骨》 1896年頃

この骸骨はアンソール本人です。

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ジェームズ・アンソール《首つり死体を奪い合う骸骨たち》 1891年

父の死、親族の諍いが、この絵の深部にはあるようです。
「肉シチュー」と書かれた札を首から提げているのは?箒で死体を打とうとしている女は?
左の男の骸骨は?誰なのでしょう....仮面がそのようすを下から観ています。

2‐6 仮想
2‐7 カリカチュア、悪魔、仮面
2‐8 プリミティヴィズム:いわゆる15世紀の初期フランドル美術の再発見

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ピーテル・ブリューゲル(子)《七つの善行》 1616年以前 


2‐9 風刺

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2012.10.08

横濱ジャズプロムナード2012

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今年は、昨日の一日だけ行ってきました。
チケットは今回購入していなかったし、雨模様の中、行こうか行くまいか?迷ったのですが迷ったら行かないと、チョット変な理屈ですけど.....
同じ時期レンガ倉庫では、毎年ビール祭りで大騒ぎ、こちらはあまりの混みように何時も参戦できないのですが(途中まで車と言う事もあるし)今年はちょっと涼しかったのですが...会場の外まで、皆さんで大声で歌っているのが聞こえてきました。

さて、昼過ぎまで小雨模様が続いたこの日は、スケジュールも押し気味の様子、でも子供から、ご高齢のミュジシャンまで盛り上げってましたよ。


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おまけ
大桟橋まで行ったら、海上自衛隊の観艦式が行われていました、私は残念ながら間に合わず入場できませんでした。
こちらも長蛇の列、入場したかったな~

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2012.10.03

国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展

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この展覧会は、Bunkamuraミュージアムで8月4日~10月8日まで開催されています。

いよいよ来週月曜日迄になってしまいました。
私が行ってきたのは、八月の終わりころです。
ブログ投稿が最近は遅れがちで・・・・・・

波乱に富んだ時代背景を底流に、ドラマチックな画面構成と人物の性格描写の素晴らしさに圧倒された、そんな感想の展覧会です。
レンブラントの《老女の肖像》をレーピンが模写した作品が展示されていました。
レンブラントにも多くを学んだのでしょうが、レーピンの肖像画を見ていると、性格、その時の感情、ステータス、が瞬時に読み取れるような気がします。


展覧会の構成は以下の通りです。

Ⅰ 美術アカデミーと《ヴォルガの船曳き》
イリア・レーピン(1844~1930)は19歳の時にサンクト・ペテルブルグに上京、美術アカデミーで絵画の基礎を学ぶ。夢中で肖像画を描いた時代。そして市井の人々の実像を描くこと関心を持っていたレーピンは、船引の生活を現地取材して、《ヴォルガの船曳き》を描く。
この作品によってロシア美術における「民衆」という主題は大作にふさわしい地位に引き上げられた。

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《浅瀬を渡る船曳き》 1872年 油彩・キャンバス                                     

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《船曳き》 《ヴォルガの船曳き》の習作 1970年 油彩・キャンバス                     

Ⅱ パリ留学:西欧美術との出会い
1873年、美術アカデミーの給付留学生としてパリに行く。
マネや印象派の作品に衝撃を受け、風景画の習作や娘の肖像画を描く。
パリで受けた印象は、帰国後もレーピンの作品に生かされることになる。


Ⅲ 故郷チェーグエフとモスクワ
給付留学から帰国したレーピンは故郷ウクライナのチュグーエフに向かう。
民衆の暮らしという主題に取り組むことに戻った。
続くモスクワ時代(1877~1882)は最も多作な時期となる。
人との交流も盛んになり、トルストイ、ムソルグスキー、トレチャコフに出会っている。


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《皇女ソフィア》
ノヴォデヴィチ修道院に幽閉されて一年後の皇女ソフィア・アレクセヴェナ、1698年に銃兵隊が処刑され、彼女の使用人が拷問されたとき
1879年 油彩・キャンバス                                     


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《修道女》 1878年 油彩・キャンバス                                     
                                     


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《トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック》習作 1880年 油彩・キャンバス                                     

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《懺悔の前》 1979-1885年 油彩・キャンバス                                     


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《作曲家モデスト・ムソルグスキーの肖像》 1881年 油彩・キャンバス                   

ムソルグスキー晩年、陸軍病院の病室で描かれた肖像画。
鼻が赤くぼさぼさ頭、アルコール依存症がうかがわれる容貌。

Ⅳ 移動派の旗手として:サンクト・ペテルブルグ
1887年の秋、レーピンはサンクトペテルブルグに移り、旺盛な創作期が始まる。
作品としての完成度、心理的な表現力のいずれも申し分のない肖像画等が制作された。
僻地の芸術文化を活性化させる目的の移動美術館の活動にも積極的に参加している。
作品は報道にも取り上げられて、一目見ようと観衆が押しかけた。

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《思いがけなく》 1884-1888年 油彩・キャンバス                                     

突然帰ってきた男を迎える人々の驚きと緊張感が見事に描かれています。
ひとりひとりの顔の表情を見比べると・・・見飽きない。


Ⅴ 次世代の導き手として:美術アカデミーのレーピン
1981年、画家生活20周年記念展を開催。
1894年からは美術アカデミーで教鞭をとる。
レーピンのリアリズムの手法を時代遅れと批判するものもいたが、その実力を否定する者はいなかった。
レーピンの個性と才能は若い画家たちに多大な影響を与え続けることになる。

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《日向で―娘ナジェージダ・レーピナの肖像》 1990年 油彩・キャンバス

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