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2012.09.28

傘寿記念 上村淳之展

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この展覧会は、日本橋高島屋8階ホールで9月12日~10月1日まで開催されています。

日本画家で誰が好きかと言われれば、すぐ頭に浮かんでくるうちのひとりが上村松園です。
上村淳之はその孫ですね。
父、上村松篁の作品もよく見ます。

正直に言って、上村淳之の作品と言われても、なかなか頭に浮かんでこないという状況で見に行きました。
見に行っての感想は「素晴らしい」の一言です。

花鳥、動物への愛情が伝わってきます、動物同士の会話が聞こえてきそうですし、鑑賞者との対話も成り立っています。動きの捉え方も自然で見事だと思いました。


200種以上、1000羽以上の鳥を飼育されていて、スケッチの日々。
「スケッチを直ぐ絵にしてはいけない」と学生の時に先生から言われた事を教訓としているようです。
空間という考え方ですね、物理的な絵画の背景としての空間、そして鑑賞者との空間を如何に醸成していくかということなんでしょうね。
花鳥画という世界を守り伝えたいという信念が伝わってきます。

本当は展示したくなかったという若い頃の作品(物理的に空間をあけるのが怖かった時代?)から現在の作品まで、エピソードを添えての展示です。

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「鳩舎」 1964年 松柏美術館蔵

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「雁金」 1988年

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「尾長」 2001年

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「初めての冬」 1993年 松柏美術館蔵

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「水辺の四季」部分 2009年

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2012.09.25

鋤田正義 SUUND&VISION

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この展覧会は、東京写真美術館で8月11日~9月30日まで開催されています。

こういう例えでいいのかどうか分かりませんが?
マイク真木からAKB48まで洋の東西を問わずショウビズ・スターを網羅したような写真展です。(一部ビデオ)
私にとってまさにノスタルジック・ワールドでした。
そして、鋤田正義の原点、原風景の写真も展示されています。

鋤田正義(1938~)は、デヴィッド・ボウイやT.REXのマーク・ボラン、YMOや布袋寅奏ら国籍を超えてミュージシャンから圧倒的な支持を受けているのをはじめ、広告写真、テレビコマーシャル、映像作品など幅広いフィールドで常に第一線で活躍し続けている写真家です。70年代から現在に至るまで深い信頼関係で結ばれているデヴィッド・ボウイが冷戦下のベルリンで録音した名盤『LOW』に収録された「SUUND&VISION」をタイトルに冠したこの展覧会は、その鋤田正義の全仕事を俯瞰するものです。

以下の展示構成になっています。
Room:Early Days/母、九州、大阪
Room:Davit Bowie
Room:70's/New York Punk and Rock'n Roll
Room:VisionⅠ残像 Spectral
Room:Yellow Magic Orchestra/忌野清志郎・布袋寅奏
Room:Projection(映像作品)
Room:Cinema
Room:VisionⅡ東京画 +
Box作品:Experiment
バナー作品:Galary

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2012.09.21

PRAXIS スタジオ・ムンバイ展

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この展覧会は、乃木坂ンのギャラリー・間で7月12日~9月22日まで開催されています。
ぎりぎりで行ってきました。

スタジオ・ムンバイはビジョイ・ジェイが主宰する、建築家や熟練工など多様な技能者からなる建築集団です。


本展覧会のタイトルである<Praxis(プラクシス:実践、自然や社会に対する人間の働きかけ。抽象的な「理論」に対応する言葉として用いられる>とは、「Idea(理念)からPractice(実行)にいたるまでのすべての道程」だと、ジェイン氏は語ります。建築をつくりたいという意思をもつすべての人に門戸を開いたオープンなコミュニティの中で、さまざまなアイデアや実践を行きつ戻りつしながら最適なゴールを見出していく、スタジオ・ムンバイの存在と活動そのものをあらわす言葉です。

(HPの解説引用)

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Tara House(Kashid, Maharshtra, India/2005)

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Utsav House(Satirje, Maharashtra, India/2008)


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Copper House II(Chondi, Maharashtra, India/2011)


  

展覧会場にはスタジオ・ムンバイから移送された実際に使われている、工具、素材、模型、スケッチ、モックアップでごった返しています、壁には、プロジェクトの写真が所狭しと並び、更に作業の様子を移した、ヴィデオが流れます。まさにスタジオムンバイに、その現場にお邪魔した感じ。
プロジェクト対象の念入りな検討、環境、文化、人々の営み、限られた資源を相手に人間が創意工夫してきた建築技術と素材を駆使したスタジオムンバイの仕事は、とても刺激的でした。


3階会場
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中庭
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4階会場
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2012.09.19

マリー・ローランサンとその時代展  巴里に魅せられた画家たち

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この展覧会は前・後期に分けて 7月14日(土)~9月30日(日)まで開催されています。
前期:7月14日(土)~8月19日(日)
後期:8月21日(火)~9月30日(日)

私は後期のみ行ってきました。
マリー・ローランサンの作品もいいのですが、他のエコール・ド・パリの画家、特に小島虎次郎の作品は良かったですね~。
赤色系の色使いがとても新鮮でした。小島虎次郎の作品8点中7点が高梁市成羽美術館からです。
この美術館は初めて知りました。

高梁市成羽美術館は、郷土の洋画家、児島虎次郎の遺徳を顕彰するため、岡山県初の町立美術館として昭和28年に開館して、1994年に3回目のリニューア ルとなり現在に至っています。 建物は建築家 安藤忠雄氏の設計によるもので、コンクリートの壁と周囲の緑が調和した、美しい景観を楽しんでいただけます。
やはりそうなんですね。

ブラマンクの「花束」、ドンゲンの「腰掛ける婦人」、キスリングの「ハンモックの婦人」なんかもとても良かったですよ。


パリが生んだ画家マリー・ローランサン(1883~1956)の作品(前・後期で29点)を中心に、19世紀後半~20世紀前半、パリの芸術運動の象徴となったエコールドパリの画家たち、そしてパリにわたり、その影響を受けた日本人画家の作品が展示されています。
ブラマンク、ユトリロ、ヴァランドン、ルオー、ドンゲン、キスリング、そして荻須、佐伯、三岸、小磯、等々の秀作が並んでいます。


展示構成は以下の通りです。
第1章 パリの画家、マリー・ローランサン
第2章 パリの華やぎ
第3章 日本人画家の活動


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マリー・ローランサン《三人の若い女》1953年頃 マリー・ローランサン美術館蔵

この時代の女性画家の人生って・・・・・マリー・ローランサンもエピーソードの多い画家ですよね。
そんな彼女の人生が垣間見られる様な作品が展示されています。


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キース・ヴァン・ドンゲン《腰掛ける婦人》1925‐30年 ニュイオータニ美術館蔵

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小磯良平《踊り子》1940年頃 神戸市立小磯記念美術館蔵

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児島虎次郎《手鏡を持つ婦人》1920年 高梁市成羽美術館


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ジョルジュ・ルオー《飾りの花》1947年 パナソニック電工汐留美術館蔵

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三岸節子《花・果実》1932年 一宮市三岸節子記念美術館蔵


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荻須高徳《創作家具屋》1929年 稲沢市荻須記念美術館蔵

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2012.09.15

隆盛する戦後の欧米版画

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この展覧会は町田市立国際版画美術館で8月4日~9月23日まで開催されています。

私、この美術館の企画展には皆勤です。
収集版画作品は多岐に渡り、他の美術館の企画展でもよくこの美術館の作品が展示されているのを見かけます。

この展覧会も版画の楽しさを充分感じさせてくれます。
その表現のもとは、時事ネタであり、自然であり、平和を願ってであり、神話であり、見た夢の再現であり、日本の風景、音楽でもあったりします。

その制作手段も所謂、旧来からある手法に加え、ダンボールであったり、コピー機であったりもします。

サイズも大小様々。

あらゆる観点から楽しめる版画は、本当に楽しいですね、と思わせてくれる展覧会です。


HP解説の引用です。

世界全体を巻き込んだ第二次世界大戦。戦禍を避けてパリからニューヨークへ移った美術家たちは、アメリカ美術に大きな影響を残しました。戦後まもなくして、アメリカでは抽象美術の潮流がわき起こり、その後つぎつぎと新しい美術が展開してゆきます。

こうしたなか、版画はかつてない変貌を遂げました。個性的な版画工房が登場し、それまでの常識を打ち破る革新的な制作が繰り広げられます。

1950年代半ばまでニューヨークで活動したアトリエ17では、シュールレアリスムの美術家を中心に銅版画の自由な表現を追究されました。また1960年代に設立されたタマリンド石版画工房やULAE(ユニヴァーサル・リミテッド・アート・エディションズ)では、サム・フランシス、ヘレン・フランケンサーラー、ジャスパー・ジョーンズ、ジム・ダインなど、多くの美術家が熱意をもって版画制作に取り組みました。版画への熱い関心はヨーロッパにも波及し、1970年代以降、大きさや奇抜さを競いあう華やかな作品も生まれました。

本展では、戦争という苦難の時代を乗り越え、一気に花開くように隆盛した欧米の作品約130点をご紹介いたします。20世紀後半の美術を彩った斬新でダイナミックな版画の魅力を、ぜひお楽しみ下さい。

展示構成は以下の通りです。
Ⅰ プロローグ:ヨーロッパからアメリカへ
Ⅱ アメリカの版画工房:変化と発展
Ⅲ ヨーロッパの現代版画
Ⅳ 「マルチプル」の試み

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ロイ・リキテンシュタイン「船上の少女」 1965年 スクリ-ンプリント

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アンディー・ウォーホル「シューズ」より 1980年 スクリーンプリント

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サム・フランシス「余白」 1960年 リトグラフ

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ヘレン・フランケン・サーラー[野生の微風」 1974年 木版 

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デイヴィット・ホックニー「ホテル・アトラカン 二日目」 1985年 リトグラフ

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2012.09.14

田村彰英 夢の光

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この展覧会は、東京都写真美術館で7月21日~9月23日まで開催されています。

大半がモノクロームの作品で構成されています、カラー作品も含めて、焼き込まれたような階調、この微妙な階調が作家の個性を特徴づけているように思えました。
蘇った記憶のイメージそのものが目の前にあるような、そんな作品群に思えました。


展示構成は以下の通りです。(チラシから引用しています)
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1960年代後半から1970年代前半にかけて、国内の米軍基地を撮影したシリーズ。
政治的な解釈を排除した、金網を隔てた異国を観るような写真、また、戦闘機そのものの存在感を風景とともに写し出した写真など。

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シリーズより《横須賀》1969年

◆<家>House <道> Road
<家>は写真学校在学中、造成された宅地に住宅が出現する様子を撮影したもの。
<道>は郊外の丘陵が切り拓かれ、横浜線横須賀道路が完成するまでを撮影したシリーズ。
定点観測になっていて、家のバックに稲妻が光ったり、雪の積もった景色などが映し出されている。

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シリーズ<家>より 1968年6月22日

◆<午後>Afternoon
6×6の中判カメラで撮影されたモノクロームのシリーズ。
美術手帖に1971年~1973年まで30回に渡って連載された作品。
日本的な情緒や、ドキュメンタリーと一線を画した表現は同時代の写真家に多大な影響を与えたたとされる。
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シリーズ<午後>より《横須賀保土ヶ谷区》1972年 川崎市民ミュージアム蔵

◆<湾岸>Wangan
東京湾沿いに、日差しの一番美しい12月から1月初めににかけて4×5インチのポジフィルムを用い撮影されたシリーズ。二枚一組で時間のズレや視点のズレを対比させている。
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シリーズ<湾岸>より《横浜》1992年 作家蔵


日本的な◆<赤陽> Dusk
「黄昏のの光」と題してカメラ雑誌に発表した作品を今回<赤陽>というタイトルを新たに付けました。
本シリーズで、時代を経たレンズを使い、風雨にさらされながら人々の生活に溶け込んできた風景を黄昏の光の中で精緻に描写しました。夭逝の版画家藤義夫に触発されて命名。
8×10インチの大型カメラに100年以上も前に製造された古いレンズを装着して撮影。
深川、浦安、根津、下谷等々の町並を撮影した写真が並んでいます。

生誕100年 藤牧義夫展 モダン都市の光と影


◆<名もなき風景のために> Ereuwhon
稲田登戸病院、戦闘機ファントムの墜落事故現場、座礁したタンカー、オーム真理教のサティアン、陸前高田市、八ッ場ダム等々、ある日突然非日常の世界になってしまう情景を捉えています。

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シリーズ<名もなき風景のために>より《座礁船、三重県津市》1994年

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デビュー作を発表して40年後の2009年、田村はその続編とも言えるシリーズをカメラ雑誌に発表しました。私には色々な意味で輪郭が明瞭になったように見えました。

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シリーズ<新BASE>より《厚木》2009年 作家蔵 


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2012.09.10

鹿島田真希著 第百四十七回芥川賞受賞作 「冥土めぐり」

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表現手段がこれだけ多様化してくると、小説ならでは、文章でなければ味わえない世界が要求されてきているのだと思います。
読後感で、「映画見てたほうがよかったな~」なんて思うことがよくあります。
小説家も大変ですよね。
大絶賛とはいかないですが、この受賞作は、巧みな文章表現の世界だと思います。
但し、このタイトルは如何なものかと。


直木賞の辻村深月さん「鍵のない夢を見る」も読みましたが、こちらは、どんどん映像が頭に浮かぶほどのリアリティーに富んだ文章で素晴らしいのですが、どうでしょう今の時代、ありふれたストーリーにも思えます。

以上の感想も含めて素人が、このようなことを言うのは失礼とは思いますが、もちろん二人の作家の文章は、鍛錬を重ねた素晴らし成果であることは言うまでもありません。
同年代の女性ですよね。(32才、35才)

(小説「冥土めぐり」の冒頭部)
 十時発のこだまに乗らなければ、と奈津子は思った。
 向うについたら、シャトルバスは何本も出ているし、チェックインの時間まで余裕がある。だけど奈津子はこの旅を、予定通りに進めたい。もし、予定から数分遅れたらそれだけでも、この旅をし損ねてしまう。そんな気持ちになっていた。
―略―
太一と新幹線に乗車し、発車してしばらくして、車内販売のカートがやってくると奈津子はねだられる前に、アイスクリームを買い与えた。太一は早速機嫌よくアイスクリームを食べている。
 奈津子はようやっと束縛から逃れるかのように、母親が送って来たピンクのカーディガンを脱ぐことが出来た。


(最終部)
太一を見送っていると母親から携帯に電話があった。
―略―
「また、新しい服を見つけたの。私の趣味にぴったりだったから、送ったわ」
柔らかくて、ふわふわしていいて、裾の方に行くほど広がって、ひらひらとしていて、うっとりするようなものだったのよ。
 奈津子はありがとうとと言って電話を切った。そして、その服は別に着なくてもいいのだ、そういう選択肢もあるのだ、とやっと気付いた。
 視線を上げると遠くの方には太一がいた。太一は、沢山の人々の中で、誰よりも、切るようにまっすぐ進んでいた。

この小説、筆者が正教会の信者であることを知ると「あっ、そうなのか」と気付くことがあるかももしれません。

途方もない言動を繰り返し、奈津子から金銭をむしり取る様な生活をしている母と弟、夫の太一とは現在の児童館の前、区役所でパートをしている時に知り合って、三ヶ月後にプロポーズされた。紹介された母と弟は、ありえない、仕打ちの様な態度で応対するが、意に介さない太一は「結婚するのはなっちゃんとなのに?」と言ってくれる。そして予定通りに結婚する。

相変わらず、母と弟に全て奪われてしまうような生活の中(奈津子は「あんな生活}と呼んでいた)、太一が発作を起こす。
奈津子は、どうせ全て奪われてしまうのなら働けないほうがいいとまで思い込んでしまう。
太一の手術は、脳に電極を埋め込むという大掛かりなものだった。
太一は車椅子の生活になる。

夫が入退院を繰り返して3年、病名がはっきりして5年がたっていた。
奈津子はある決意をして、なけなしの金10万円を引き出し、一泊二日の旅に出る(上記冒頭部)
目的地は、母が繰り返し子供の頃から奈津子に話して聞かせてきた、かつての高級リゾートホテル。
今は、成れの果て一泊5000円の区の保養所になっていた。

物語は、奈津子が幼い頃両親と弟4人で出かけた豪華絢爛たるホテルの様子と、今訪れているホテル様子を往還しながら進行していく、その中に、母と弟、太一との生活エピソードが盛り込まれる。
一貫して、太一の描写は望洋としてつかみどころのない人物として描かれている。

旅の終わりが近づいた、海岸で、

この人は、特別な人なんだ。奈津子は太一を見て思った。今まで見ることのなかった、生まれて初めて見た、特別な人間。だけどそれは特別な不思議さだった。奈津子はそんな太一の傍にいても、なんの嫉妬も覚えない。そして一方、特別な人間の妻であるという優越感も覚えない。ただとても大切なものを拾ったことだけはわかる。それは、一時のあずかりものであり、時がくればまた返すものなのだ。

旅行から帰った次の日、太一の電動車椅子の試験があった。

一ヶ月後電動車椅子が届いた。

「乗ってみて」
奈津子が言うと、太一が車椅子に乗って、奈津子の周りを旋回した。
「なっちゃんは?なにか買い物ある?欲しいものとか」
「私の欲しいもの?」
奈津子は黙った。自分の欲しいものを奈津子は知らなかった。自分がなにが欲しいのか、考えたことがなかったのだ。
「これからは、僕が買い物にいけるんだよ、なっちゃんが欲しいもの、僕のお小遣いで買ってあげるよ」
太一の言っていることが、とても壮大なたくらみのように奈津子には響いた。


「行ってくるよ」あっという間もなく太一は車椅子で駐車場の外へ行ってしまう。
そしてエンディング・・・・・・上記(最終部)

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2012.09.08

生誕125年 東と西の出会い バーナード・リーチ展

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この展覧会は、日本橋高島屋8階ホールで8月29日~9月10日まで開催されています。
デパートの展覧会は、期間が短いですからね。

バーナード・リーチの作品を見る機会は多いのですが、このようにまとめて見せてくれると理解が一層深まったような気がします。
良い作品がたくさん展示されていますが、スリップウェア、ガラナ釉による作品は、その描かれた文様も含めて、バーナード・リーチの魅力が顕著ですよね。

展示構成は以下の通りです。

第Ⅰ章 陶芸への歩み 1911~1920年
富本憲吉を誘って六世尾形乾山に弟子入りし陶芸の道を歩み始める。

第Ⅱ章 リーチ芸術の開花 1920~1934年
濱田庄司を伴って帰英、自らの工房「リーチ・ポタリー」で独自の作品を制作。

第Ⅲ章 日本民窯との出会い 1934~1958年
47歳で14年ぶりに来日、諸窯を巡り制作、自己の陶芸を見つめ直す。

第Ⅳ章 東と西の融合 1953~1972年
戦後20年ぶりに来日、日本各地で作陶、色絵を試みる。「東洋と西洋の美」の特質を融合させた作品は国際的な域に高められている。

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楽焼走兎図大皿 1919年 東京 麻布 大原美術館蔵

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鉄釉蝋抜巡礼者文皿 1960年 英国 セント・アイブス 日本民藝館蔵
 
 

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鉄釉組合陶板 生命の樹 1928年 英国 セント・アイブス 京都国立近代美術館蔵 

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白地彫絵飛鳥文扁皿 1957~60年頃 英国 セント・アイブス
アサヒビール大山崎山荘美術館蔵

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灰釉鉄絵手付醤油注瓶 1918年 千葉 我孫子 京都国立近代美術館蔵

8月29日の朝日新聞朝刊の広告。
展示即売会「用の美とこころ 民芸展」が同時開催されています。
こちらも合わせて見てくると更に楽しめます。

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2012.09.06

具体 日本の前衛18年の軌跡

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この展覧会は7月4日~9月10日まで国立新美術館で開催されています。

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この展覧会の入場口からして思わせぶりですよね。
入ると、いきなり神経に触るような、けたたましいベルの音が鳴り響きました。
田中敦子の代表作「ベル」です。しばらく行くと押しボタンスイッチがあって「スイッチを押し続けてください」と書いてあります。
その隣には、これも代表作とされる「電気服」が展示されています。
東京現代美術館で「靉嘔展」と同じ時期に「田中敦子」展が開催されました。私は見逃してしまったのですが
かえって、このような括りの中で見る田中敦子の方がわかりやすいのかな?なんて思ったりしました。
白髪一雄、村上三郎、元永定正、吉原治良・・・・も然り。


具体美術協会「具体」は1954年吉原治良をリーダーに関西在住の若い美術家達で結成された前衛美術グループです。吉原治良が亡くなるとまもなく解散しました(1972年解散)

1954年というと、1951年サンフランシスコ講和条約調印から3年、復興期から、高度成長への序章の時期ですよね。
18年後の1972年は、連合赤軍の軽井沢の浅間山荘事件、第一次田中角栄内閣成立、沖縄施政権返還.沖縄県発足.川端康成自殺・横井庄一さん帰国という大きな節目の年でもありました。まだまだ、一般人にはデジタル機器など」馴染みの薄い時期でもありました。
2年前の1970年には大阪万博が開催されて、大阪万博が具体にとっての最後の大きなイベントになったようです。
と長々書いてきたのも、この展覧会を見る上で時代背景が頭にあるととてもわかりやすいような気がしたからです。

関西からの発信であること、「人のまねをするな」「これまでになかったものを作れ」「我々の精神が自由である証を具体的に提示したい」
具体の目的とは「精神という本来は不可視、不可知なものを物質や形態、色彩などによって具体化することであった」


どんどん内向きになってきている現今、ハチャメチャ?に体ごとぶつかって行く、具体のアートに元気をもらえるかもしれませんよ。
首を傾げて帰ってくる方も多いかもしれませんが。

展覧会の構成は以下の通りです。
第1章 プロローグ 1954年
第2章 未知の美の創造 1955‐1957年
第3章 ミスターグタイ=吉原治良
第4章 「具体」から”GUTAI”へ 1957‐1965年
第5章 新たな展開 1965‐1971年
第6章 エピローグ 1972年

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村上三郎《作品》1958年 北九州美術館蔵

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白髪一雄《天雄星豹子頭》1959年 国立国際美術館蔵

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金山明《絵画》1959年

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田中敦子《作品》1960年

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松谷武判《Work'65》1965年 兵庫県立美術館蔵

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ヨシダミハル《Bisexual Flower》1970年 個人蔵

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吉原治良《黒字に赤い円》1965年 個人蔵


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今中クミ子《作品》1966年 財団法人駒形十吉記念美術館蔵


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2012.09.05

生誕百年記念 青山杉雨の眼と書

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この展覧会は東京国立博物館平成館で7月18日~9月9日まで開催されています。

書の展覧会にも結構出かけます、全くの素人ですが、書の形の豊富さ美しさ、画面構成の妙ぐらいは、少し理解できるつもりです。
大和がなの線の美しさが好きなのですが、堂々たる中国の書というのにも圧倒されます。
かつて、吉本隆明の著書「良寛」の中から「良寛書字 無意識のアンフォルメル」という面白い一節を拙ブログで紹介したことがありますが、書は人なりと言いますが、青山杉雨という書家の人となりがよく見えてきて、素晴らしい展覧会です。
次元の違う話になりますが自書のメモを見るとその時の心の有りようがわかりますよね。

中国の書画を熱心に学び、さらに日本人の書に展開していき、今という時代を強く意識したその書は、伝統的な楷書、草書、篆書、隷書そして象形、アンフォルメルと多彩です、そして余白を意識した、その画面構成にも感心させられます。ゆっくりした空間で、じっくり書の鑑賞というのも良いと思いますよ。
青山杉雨の書斎の再現もあります。
地味な展覧会?ですから空いていました。(私が見に行った八月初旬の会場は空いてました)

展覧会の構成は以下の通りです。
第1部 青山杉雨の眼(中国書籍・中国絵画)
第2部 青山杉雨の書
第3部 青山杉雨の素顔


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萬方鮮(ばんぽうせん)
青山杉雨筆 昭和52年(1977)
東京国立博物館蔵


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霧中群峰図(むちゅうぐんぽうず)
髠残(こんざん)筆 清時代・康煕2年(1663)
東京国立博物館蔵

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殷文鳥獣戯画(いんぶんちょうじゅうぎが)
青山杉雨筆
昭和44年(1969) 東京国立博物館蔵

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白楽天・間夕(はくらくてん・かんせき)
青山杉雨筆 昭和13年(1938)
東京国立博物館蔵


 

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2012.09.04

生誕100年 船田玉樹 ―異端にして正当、孤高の画人生。―展

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この展覧会は、練馬区立美術館で7月15日~9月9日まで開催されています。

暫くは、かなり以前に行ってきた展覧会のまとめです。(備忘録の意味もあって)
会期末が迫った展覧会(あるいは過ぎた展覧会)ばかりです。

HPの解説にもあるように船田玉樹(ふなだ ぎょくじゅ)と聞いて直ぐにその作品を思い浮かべる方はそう多くはないのかもしれません。
もちろん私もその一人です。
この展覧会を観ても、その作品様式の多様さには戸惑いを感じました。
それにしても、船田玉樹という画家の絵画に寄せる執念を感じさせてくれるとても良い展覧会です。


 1912年、広島県呉市に生まれた船田玉樹は、日本画を学ぶために上京しますが、琳派の作品に刺激されて、日本画に転向します。最初は速水御舟に教えを受けますが、まもなく御舟が没したため小林古径に師事します。その後、岩橋英遠や丸木位里らと「歴程美術協会」を結成して、抽象表現を取り入れた前衛的な作品を発表します。
 戦後になると、中央を離れ郷里の広島にひきこもって創作を続けます。
画材も、岩絵具や墨のみならず油彩やガラス絵など使い玉樹独特の世界を模索し続けます。
そのさなか、60歳過ぎ、クモ膜下出血に倒れ右半身が不自由となってしまいます。
玉樹は負けません、只管描くことで(油彩による自画像を描く習練からやり直し)やがて大画面に樹木の枝を繊細に描く作品を制作するまでになります。

 この展覧会には、師の御舟や古径、位里や靉光ら玉樹が接した多彩な画家たちの作品も展示されています。

個人的には、雪の九品仏と毛越寺庫裏が好きなんですけど。

展覧会の構成は以下の通りです。
Ⅰ画業のはじまり
Ⅱ新たな出発
Ⅲ水墨の探求
Ⅳ孤高の画境へ

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紅葉 1941年

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紅梅(利休像) 1942年

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ひばり 1945年頃

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暁のレモン園 1949年 

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雪の灯りともし頃 1950年 広島県立美術館

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緑の館 1952年 油彩


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仮面 1977年


まるでポロック?
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枝垂れ桜 1986年 二曲一双屏風


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梅林 1987年

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2012.09.01

藤田嗣治と愛書都市パリ―花開く挿絵本の世紀―

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この展覧会は、渋谷区立松濤美術館で7月31日~9月9日まで開催されています。


藤田嗣治のタブローはたくさん見てきたからな~という方、目から鱗の展覧会かもしれませんよ。
藤田嗣治がパリに渡った1913年は挿絵本の隆盛期にありました、「すばらしき乳白色の地」と絶賛され一躍時代の寵児となった藤田は、挿絵本制作にも精力的に取り組んでいます。
第一部では1910年以降に制作が始まり戦後にまで至る藤田の挿絵本を一堂に集めて展示しています。
第二部では同時代のエコール・ド・パリの画家たちが手がけた挿絵本が紹介されています。

藤田の作品は、主に東京国立近代美術館、そして縁の地フランスのランス市立図書館からの出展です。

日本でも同時代に挿絵本が人気だったそうですが、日本における挿絵とは位置づけが違うようです。
其の辺にも興味が湧いてきます。文章活字のデザインも凝ったものが多いですね。

挿絵の技法もポショワールの独特の色彩、エッチィング、エングレービングによる線描のシャープさ等々魅了的です。

海龍は、ジャン・コクトーの世界見聞録から日本部分を抜粋したものです。日本列島を海に浮かぶ龍に見立てています。藤田が描いた原画を職人がエングレービングで版に起こしたものですが、藤田の線とその容姿の和洋折衷感がなんとも魅力的です。

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藤田嗣治『海龍』より 1955年 東京国立近代美術館蔵

ポショワールによる作品も、「エロスの愉しみ」と「中毒について」「日本昔話」(でしたっけ)では趣がかなり違っていてこれも面白いと思いました。

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藤田嗣治『中毒ついて』より 1928年 ランス市立図書館蔵


別な意味でこの本にも興味を持ちました。

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藤田嗣治『朝日の中の黒鳥』表紙 1927年 東京国立近代美術館蔵

著者が駐日フランス大使としての任期中に出版したもので「歌舞伎」「文楽」「能」といったテキストに加え偶然遭遇した関東大震災について生々しい経験を記した「炎の街を横切って」など今でも読み継がれている文化論です。
著者のポール・クローデルはそう、カミーユ・クローデルの弟です。
カミーユの影響で日本を赴任地として選んだのでしょうか?
藤田による表紙絵1点と、挿絵22点です。
朝日(日本)の中のくろどり→クロードり→クローデルということらしいです。
カミーユクローデルについては拙ブログでも度々か取り上げてきましたが、なんともドラマチックな人生ですよね。
ポールが最後まで支えたんでしたよね。

藤田の油彩画も三点展示されています。
この作品のモデルは、親交のあったモジリアニの知り合いの女性だそうですが、藤田らしさと、モジリアニ作品ののイメージが少しあるような・・・

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藤田嗣治《二人の女》 1918年 北海道近代美術館蔵

2Fの「エコール・ド・パリの挿絵本とその時代」も楽しい作品が展示されていますよ。

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パブロ・ピカソ『知らぜらる傑作』より 1931年刊 うらわ美術館蔵

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『フィレータースの果樹園』(M326) 『ダフニスとクロエ』より 1961年刊 北海道近代美術館蔵


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