具体 日本の前衛18年の軌跡
この展覧会は7月4日~9月10日まで国立新美術館で開催されています。
この展覧会の入場口からして思わせぶりですよね。
入ると、いきなり神経に触るような、けたたましいベルの音が鳴り響きました。
田中敦子の代表作「ベル」です。しばらく行くと押しボタンスイッチがあって「スイッチを押し続けてください」と書いてあります。
その隣には、これも代表作とされる「電気服」が展示されています。
東京現代美術館で「靉嘔展」と同じ時期に「田中敦子」展が開催されました。私は見逃してしまったのですが
かえって、このような括りの中で見る田中敦子の方がわかりやすいのかな?なんて思ったりしました。
白髪一雄、村上三郎、元永定正、吉原治良・・・・も然り。
具体美術協会「具体」は1954年吉原治良をリーダーに関西在住の若い美術家達で結成された前衛美術グループです。吉原治良が亡くなるとまもなく解散しました(1972年解散)
1954年というと、1951年サンフランシスコ講和条約調印から3年、復興期から、高度成長への序章の時期ですよね。
18年後の1972年は、連合赤軍の軽井沢の浅間山荘事件、第一次田中角栄内閣成立、沖縄施政権返還.沖縄県発足.川端康成自殺・横井庄一さん帰国という大きな節目の年でもありました。まだまだ、一般人にはデジタル機器など」馴染みの薄い時期でもありました。
2年前の1970年には大阪万博が開催されて、大阪万博が具体にとっての最後の大きなイベントになったようです。
と長々書いてきたのも、この展覧会を見る上で時代背景が頭にあるととてもわかりやすいような気がしたからです。
関西からの発信であること、「人のまねをするな」「これまでになかったものを作れ」「我々の精神が自由である証を具体的に提示したい」
具体の目的とは「精神という本来は不可視、不可知なものを物質や形態、色彩などによって具体化することであった」
どんどん内向きになってきている現今、ハチャメチャ?に体ごとぶつかって行く、具体のアートに元気をもらえるかもしれませんよ。
首を傾げて帰ってくる方も多いかもしれませんが。
展覧会の構成は以下の通りです。
第1章 プロローグ 1954年
第2章 未知の美の創造 1955‐1957年
第3章 ミスターグタイ=吉原治良
第4章 「具体」から”GUTAI”へ 1957‐1965年
第5章 新たな展開 1965‐1971年
第6章 エピローグ 1972年
村上三郎《作品》1958年 北九州美術館蔵
白髪一雄《天雄星豹子頭》1959年 国立国際美術館蔵
金山明《絵画》1959年
田中敦子《作品》1960年
松谷武判《Work'65》1965年 兵庫県立美術館蔵
ヨシダミハル《Bisexual Flower》1970年 個人蔵
吉原治良《黒字に赤い円》1965年 個人蔵
今中クミ子《作品》1966年 財団法人駒形十吉記念美術館蔵
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