紫陽花1206
撮影日は、花菖蒲撮影日と同じです。
宝石のように煌びやかな花も、チョットくたびれちゃった花も、清楚な佇まいの花も、それぞれですね。
華やか過ぎる花には嫉妬したりして……。
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撮影日は、花菖蒲撮影日と同じです。
宝石のように煌びやかな花も、チョットくたびれちゃった花も、清楚な佇まいの花も、それぞれですね。
華やか過ぎる花には嫉妬したりして……。
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この展覧会は原美術館で3月31日から7月1日まで開催されています。
この、展覧会も一カ月ほど前に行ってきたのですが、なかなか、ブログアップ出来なくて・・・・・・
杉本博司の展覧会は、絶対楽しめるっていう確信みたいなものがあります。
この展覧会も、勿論でした。
お馴染みの作品群に加え、ブランド衣裳をマネキンに着せて撮影された写真が見ものです。
見事なライティングで衣裳の素材とラインの美しさを際立たせて見せてくれます。
ルーシー、我々の先祖が類人だった頃、我々の先祖は裸で暮らしていた。
ここから始まります。
ホモ・エルガスター⇒ネアンデルタール⇒クロマニヨン⇒スパルタカス⇒ペスト⇒マリー・アントワネット⇒ヴィクトリア女王⇒ルドルフ・ヴァレンティーノ⇒メイ・ウエスト⇒ヘンリー八世と六人の妻⇒ジェーン・シーモアの首飾り⇒ジャック・ゴーティエ・ダゴティ 背筋図⇒榎木千花俊 千人針⇒
近代 被服のブランド化
マドレーヌ・ヴィオネ、ガブリエル・シャネル、エルザ・スキャパレリ、アリックス・グレ、クリストバル・バレンシアガ、イヴ・サンローランアンドレ・クレージュ、マウリツイオ・ガランテ、ジョン・ガリアーノ、
和製ブランドの殴り込み的パリコレ登場
山本耀司、三宅一生、川久保玲、
雷紋 能衣裳
「杉本文楽 曽根崎心中」の為の人形と衣装
という構成です。
文字通り「裸から衣裳へ」です。
「秘すれば花」
この冊子、装丁も内容も洒落てる。
川久保玲 1995年
ルーシー
ネアンデルタール
クロマニヨン
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この土曜日、時間を作って撮ってきました。
残念ながら、もう最盛期は過ぎていましたが・・・・写真なんか撮っていないで、のんびり花を眺めて、といつも思うのですが、何かしていないと落ち着かない、つまらない性格なもので。
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この展覧会は横浜美術館で4月7日~6月24日まで開催されています。
(24日、今日で終了です)
この類の展覧会は、私としては頭が痛い。
専門に勉強されてきた方はマックス・エルンストの位置づけが整理されていて「うん、うん。なるほど、なるほど」なのでしょうが、私のような、ただ、ぶらぶら見て回ってるだけの人間は、見ながら頭のかかでストーリーを組み立てなければならず、今回の展覧会もどこまで理解出来たやら・・・・・まあ、茫洋とですがその輪郭が見えて来たような気が・・・・・。
観に行ったのが5月中旬ですから、もうだいぶ経ちます。
「館内ガラガラ」との、私のメモ書きが残っています。
ブログアップも忘れていまいしたが、備忘録として以下簡単に。
(HPとチラシからの引用です。)
エルンストの作品を「フィギュア」と「風景」というモチーフから検証し直すことで、エルンスト独自の関心のありようを探り、現代の日本人にとってエルンストの芸術はいかなる意義をもつのかを明らかにしようとするものです。エルンストの作品には、可愛らしい鳥や天使、あどけない顔の人物からグロテスクな怪物的存在まで、様々なフィギュア(像)が登場します。エルンストはまた、自らの内なる自我を鳥と人の合体した姿で作品中に登場させ、「ロプロプ」と名付けました。しかしその姿は、偶然にみつけた形を元にしているので常に変幻自在であると同時に、下地となる空間表現と強く結びついています。エルンストの空間とフィギュアは形態的にも、また意味内容的にも、密接な関係にあります。本展では「フィギュア×スケープ」という概念の下に「フィギュア」と「風景(または空間)」の関係を見極めながらその主題を読み解くことにより、エルンストの関心の独自性に迫ります。
美しき女庭師の帰還 1967年 油彩 カンヴァス メニル・コレクション ニューヨーク
三本の糸杉 1951年 油彩 カンバス ポンピドュー・センター 国立近代美術館 パリ
自由の称賛 1926年頃 油彩 カンヴァス メニル・コレクション ニューヨーク
白鳥はとてもおだやか・・・・ 1920年 コラージュ 紙 横浜美術館
ポーランドの騎士 1954年 油彩 カンヴァス 愛知県美術館
鳩のように 1955年 油彩 木製パネル 徳島県立近代美術館
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この展覧会は静嘉堂文庫美術館で5月23日~6月24日まで開催されています。
清嘉堂文庫創設120周年・美術館開館20周年記念
受け継がれる東洋の至宝PartⅠ
東洋絵画の精華
名品でたどる美の軌跡
後期:至高の中国絵画コレクション
という展覧会です。
前期は、①珠玉の日本絵画コレクションでした。
「平治物語絵巻 信西巻」を観るのが主目的でしたが、他の展示作品の充実度にびっくり、後期の(この)展覧会を楽しみにしていました。その割には行くのが遅くなってしまいましたが・・・・・。
この展覧会(後期のこの展覧会)も、期待通りの素晴らしい作品群に大満足でした。
日曜日の午後3時頃に入館したのですが空いてじっくり楽しめました。
展覧会の構成は以下の通りです。(画像、文章は、リーフレットからの引用です)
●宋・元時代の絵画 南宋(1127~1279)元(1279~1368)
馬遠、夏珪と板宮廷画院が活躍し、細緻で写実性に秀でた絵画が制作された南宋時代。首都・臨安(杭州)を中心に禅宗寺院が伽藍を構え、牧谿に代表されるすぐれた画僧も輩出した。対して、中国史上初めて異民族(モンゴル民族)が全土を支配した元時代では、両院制度が廃止され文人画家が主流となる。表現方法もそれまでの細緻なものから表現性を重視したもの絵と変化していった。
羅漢図 牧谿 南宋 13世紀 (右の作品は重要文化財)
日本の水墨画に大きな影響を与えたとされる牧谿の作品、右の一幅は暈しの効果が素晴らしい作品。
国宝 因陀羅 楚石梵琦台 禅機図断簡智常禅師図 紙本墨画 元・14世紀
元時代の仏画
文殊・普賢菩薩像 伝張思恭 絹本着色 元・14世紀
伊藤若冲が「動植綵絵」とともに相国寺に寄進した「釈迦三尊像」の原画として知られる。
継承される山水画
国宝 風雨山水図 伝 馬遠 絹本墨画淡彩 南宋・13世紀
●明時代の絵画 明(1368~1644)
明時代には、大きく分けてふたつの重要な流派がある。宮廷画家を中心とする浙派と、元末の画風を継承した文人画家たちによる呉派である。明末では浙派、呉派のみならず、多彩な絵画の流れが生まれてくる。
重要文化財 竹林山水図 見心来復題 紙本墨画 明・14世紀
重要美術品 雪景山水図 趙左 絹本墨画淡彩 明・17世紀
重要文化財 秋景山水図 孝士達 絹本墨画淡彩 明・万暦46年(1618)
重要文化財 川至日升図 王建章 絹本墨画淡彩 明・17世紀
●清時代の絵画 清(1644~1912)
静嘉堂の清代絵画コレクションの特筆すべきことは、黄檗寺院を中心に活躍した陳賢、沈南蘋、江大来といった日本絵画史に多大な影響を与えた来舶画人の優品が所蔵されていることである。
老圃秋容図 沈南蘋 絹本着色 清・雍正9年(1731)
百花図巻(部分) 余崧 絹本着色 清・乾隆60年(1795)
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この日曜日に「静嘉堂蔵 東洋絵画の精華 ②至高の中国絵画コレクション」を観に行ってきました。
展覧会の内容は後ほど投稿予定ですが、とりあえず撮って来た画像を・・・・最近バタバタしていて、投稿ままならずです。
夕方4時半頃帰りがけに撮影しました。
iphoneで撮影15時頃
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この展覧会は渋谷区立松濤美術館で6月5日~7月22日まで開催されています。
田渕俊夫の智積院襖絵制作に関して、数年前に日曜美術館でしたっけ?NHKで特集していました。
日本橋のデパートで展示会もありました。
拙ブログの投稿記事を探したのですがありません、どうしたのかなぁ~
今回の展覧会では、田渕氏の45年にわたる画業を、東京藝術大学大学院終了後に渡ったナイジェリアで取材した《ヨルバの花》から、昨年の震災を目のあたりにして鎮魂と再生の気持ちをこめて描かれた横10メートルの大作《惶》など30点の作品により回顧致します。
紙本墨画「煌Ⅰ」「煌Ⅱ」は素晴らしい作品ですよ。
展覧会の構成は以下の通りです。
Ⅰ田渕様式の萌芽 1966~1969
若かりし頃、暗い心象風景ばかり描いてきた田渕氏が、植物を描くようになった最初の作品から、この展覧会が始まります。
ヨルバの花 1968年 名古屋市美術館蔵
Ⅱ開花・充実期 1970~1984
風景と草花という得意のジャンルを確立した時期。
命の連続の偉大さと尊厳を表現しうる手段見出すに至った。
流転 1983年 箱根・芦の湖 成川美術館蔵
芽がでて、つるを延ばし花を咲かせ、実をつけ枯れていく、花の一生が、ひとつの画面に描かれています。
尾州八題之内岩屋堂 1978年 メナード美術館蔵
Ⅲ発展・拡張期 1985~2000
風景と草花を描いた作品の充実に加え、さらにジャンルを拡大して行きます。現代的な作品、近年、海外に取材した作品が並べられています。
時の証人Ⅱ 2000年 今治市大三島美術館像
ベトナムのホーチミン市に取材しています。
天山 1992年 箱根・芦の湖 成川美術館蔵
中国旅行中の飛行機からの景色です。
Ⅳ水墨画・障壁画への挑戦 2001~
このコーナーの墨画が素晴らしかったのですが、時間が無くて、買い物をする時間も無く、残念ながら画像が準備できませんでした。
是非、美術館でご覧下さい。
作品「煌Ⅰ」は田渕俊夫が表現した「風神雷神」です。
そして「煌Ⅱ」は3.11の衝撃を受けて、現代に生きる画家として何か表現しなければと考えた末の作品です。
共に今年描かれた作品です。
素晴らしい大作です。
水墨画に対する田渕氏の思い。
展覧会場の解説からの引用です。
きめが細かく、長い繊維を厚く漉いた和紙を、にじみ止めに用いるドウサを使わずに使用している。そのため、長い線維に墨が入り込んで、ジワットにじむ穏やかな墨色を見せる紙であり、田渕はそのにじみの面白さに魅力を感じ自分にしかできない水墨画の世界、かつてない水墨画の世界を追求している。
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この展覧会は日本橋高島屋 8階ホールで、6月7日~6月25日まで開催されています。
シャガールの作品を見るのも久しぶりだなぁー、ということで行ってきました。
大作の展示はありません、圧倒されるような作品の展示もありまあせん。
地味といえば地味な展覧会ですが、矢張りシャガールはシャガール。
結構楽しめました。
解説パネルが沢山、こちらは、あまり好きではないのですが......。
帝政ロシアの時代に、東欧系ユダヤ人として生まれ、そして育ち、パリでの出会い、戦禍を逃れてのアメリカ、晩年のフランス。
最愛のベラとのものがたり。
根本にあるのは「シャガールの作品はイディッシュ語が絵画になったものだ」という表現がありましたが、これに尽きるのかもしれません。
あの無重力感(浮遊感)、動物たちの表情は想像力を駆り立ててくれます。
スイスの個人所蔵家(日本未公開作品)の作品の中から、主に1930年以降の作品を中心に、初期の作品数点さらに、版画集「サーカス」38枚セットのリトグラフが展示されています。
シャガールは膨大な作品を残しましたからね、日本未公開作品といわれても?
村の通り 1909年 グワッシュ
婚約者たち 1927年頃
雄鶏-屋根の上の画家 1949年 グワッシュ
天蓋の下の新郎新婦 1966年 油彩
ロバの横顔の中のカップル 1980年頃 油彩
画家の夢 1980年頃 油彩
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この展覧会は東京藝術大学美術館で4月28日~6月24日まで開催されています。
高橋由一の墓は広尾の祥雲寺にあります。広尾の商店街からチョット入った場所です。
子供のころは、広尾縁日によく行きました、5の付く日に開催されていたと思います。広尾銀映座という映画館もありました。東 千代之介 中村錦之助の世界です。
ちなみに東 千代之介は東京藝術大学の卒業生です。
祥雲寺は私の姉の同級生の実家でもあります。(と姉が行っていました)
それがどうした、ですよね。
私が子供のころの教科書にも、重要文化財の《鮭》は載っていました、大昔です。
この美術館でも何度か見ています。
高橋由一の作品は、あちらこちらの美術館の常設展示等々でよく見かけます。
でも、回顧展という形での開催は東京では初めてなんですね。
作品を観て、分かるように決して素晴らしく上手い絵画が並んでいるわけではありません。
「どうなんだろう」と思ってしまう絵もあると思います。
武家に生まれた由一は体が弱かった事もあって、由一(幼少のころから画才があり、狩野派の絵師に学んでいた時期もあった)を育てた祖父に武術を捨て画学の道に進むことを許されます。
西洋画(石版画)に接した由一はその衝撃から洋画研究を決意、イギリス人ワーグマンに師事し、翌年にはパリ万博に出展します。
その後、明治時代に入り民部省の画学教官など官職を務めるが明治6年(1873年)には官職を辞して画塾「天絵舎」を創設します。美術館建設の計画までありました。
イタリア人画家アントニオ・フォンタネージに師事するのは由一49歳の時です。
本展にも、「明治9年、49歳でフォンタネージに師事して本格的な油絵技法を習得しました。」という解説がありました。
展覧会のタイトルに「近代洋画の開拓者」とあるように、幕末明治の洋画の先駆者高橋由一の「油絵という技術で新しい日本に貢献する」という意気込みを感じさせてくれる、由一の人生の回顧展でもあります。
後半部分は、東北風景等々を描いた石版画下絵などが大量展示されていました。
66歳の人生のうち40年間は江戸時代だったという事を頭に入れて鑑賞するのも良いかと...。
展示構成は以下の通りです。
プロローグ 由一、その画業と事業
写生帖、肖像写真などの展示もあり、高橋由一の全体像を概観します。
丁髷姿の自画像 笠間日動美術館 1866‐67年頃 油彩・麻布
1、油画以前
墨画、水彩画等の展示です。
博物館漁譜、山水画、猫図、三偉人(リンカーン、ビスマルク、ガリバルデイ)、ヒポクラテス像等々。
2、人物画・歴史画
矢張りこの作品が目立ちます。
花魁(重要文化財) 東京藝術大学 1872年 油彩・麻布
なかなか、モデルになってくれる花魁がいなかったそうです。
モデルになったのは「新吉原、稲本楼の小稲です。
完成作品を見た小稲は「わたしはこんな顔じゃありません」と泣いて怒ったそうです。
日本武尊 東京藝術大学 1891年 油彩・麻布
3、名所風景画
初代歌川広重(1797‐1858年)の代表作《名所江戸百景》が2代目広重によって完結したとき由一は数え32歳でした。由一は北斎や広重の全盛期を少年・青年期を過ごしました。
その影響は随所にみられます。
芝浦夕陽 金刀比羅宮 1877年 油彩・麻布
4、静物画
由一は明治9年、49歳でフォンタネージに師事して本格的な油絵技法を習得しました。
鮭 山形美術館寄託 1878年頃 油彩・麻布
鮭図 笠間日動美術館 1879‐80年 油彩・板
鮭(重要文化財) 東京藝術大学 1877年頃 油彩・紙
甲冑図(武具配列図) 靖国神社遊就館 1877年 油彩・麻布
桜花図 金刀比羅宮 1879‐80年 油彩・麻布
5、東北風景画
近代国家への道を歩むようになると、各地で土木建築事業が盛んに行なわれ、日本の風景も変化していきます。県令による委託で描かれた由一による石版画は、下絵と写真からの作画により制作されています。政治と芸術」という観点からも大変興味深く、日本の風景画の中でも「未曾有の真景図譜」と言われている作品です。
山形市街図 山形県 1881‐82
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映画のチラシです。(7月14日ロードショー)
この展覧会は練馬区下石神井のちひろ美術館・東京で5月23日~8月26日まで開催されています。
その昔?ご主人の松本善明氏はTVの討論会なんかに、さかんに出演していましたし、直に選挙演説も聴いていました。(私が昔住んでいた恵比寿が選挙区に含まれていた)その様子から、「いわさきちひろ」の作品から受けるイメージとの距離感に複雑な気持ちだったのを覚えています。当たり前ですよね、善明氏が描いているわけではないのですから。
この展覧会を観て、「いわさきちひろ」の人生と、その作品を時系列で追い掛けるこで、その魅力を再認識しました。
絵の具のにじみが生み出す表現、その色調と濃淡は子供たちの心の風景を、そして、その場の空気を瞬時に伝えてくれます。
無邪気に喜び、悲しみ、寂しがる、ちひろが寄せた子供への愛が溢れています。
比較的裕福な家庭に生まれ、絵の才能を認められた、ちひろは、14歳で岡田三郎助に師事して絵を学んでいます。そして、20歳の時に、長女だったちひろは両親の薦めを断り切れずに婿養子を迎えることになります。
夫の勤務地である満州・大連に渡りましたが、翌年、夫の自殺という不幸な結果により帰国します。
帰国したちひろは中谷泰に師事し、再び油絵を学びますが、書家をめざした時期でもあります。
25歳の時、再び女子開拓団に同行して満州・勃利に渡りますが、戦況悪化のため同年帰国します。
翌年には5月25日の空襲で東京中野の家を焼かれ、母の実家である長野県松本市に疎開し、ここで終戦を迎えます。
戦争の実態を知った、ちひろは一貫して戦争に反対していた日本共産党に入党、党宣伝部の芸術学校で学ぶため、一人で上京します。
ちひろ27歳の旅立ちです。
ドキュメンタリー映画 ~いわさき ちひろ~27歳の旅立ち 《予告編》
展覧会の構成は以下の通り。
展示室1 初期・中期の作品
●終戦 1945年(26歳)
●自立への道 1946(27歳)
●運命の人との結婚(31歳)
●わが子の誕生(32歳)
●子供を描く(中期)1950年代~1968年(30歳~49歳)
「ひとりでできるよ」より 1956年
●アンデルセン童話を描く 1947年~1968年(28歳~49歳)
●絵で展開する絵本が誕生 1968年(49歳)
雨にけむる家
「あめのひのおるすばん」より 1968年
展示室3 後期の作品1968年~1973年
●子供を描く(後期) 1968年~1974年(49歳~55歳)
ガーベラを持つ少女 1970年頃
●平和の願いを込めて 1972年~1973年(53歳~54歳)
「戦火の中の子どもたち」より 1973年
ちひろのアトリエが展示されています。
展示室4 絵本 1968年~/年譜
展示室2つひろ美術館コレクション
奇想の絵本―夢幻とナンセンス―
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この展覧会は、渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで3月31日~6月10日まで開催されています。
会期末が近付いてきました。
レオナルド・ダ・ヴィンチは極めて多面的な業績を残した人物ですから、いろいろな側面から捉えた展覧会が過去にも開かれてきました。
この展覧会は”美の系譜”に焦点を当て、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品、弟子との共作、弟子やレオナルド派と呼ばれる画家たちによって描かれた約80点(約9割が日本初公開だそうです)の作品、資料を通じて、レオナルド・ダ・ヴィンチの創造した「美の神髄」に迫ろうとしいます。
展覧会の構成は以下の通りです。
●レオナルド・ダ・ヴィンチの時代の女性像
レオナルドと同時代の芸術家と彼らの工房で製作された女性像を紹介しています。
レオナルドとラファエロの関係、そして、ラファエロとその工房がレオナルドから受けた影響を通して、レオナルドの追求した女性美は後世に伝えられていったとされる。
ラファエロとその工房(帰属)《カーネーションの聖母》1506年頃 ハンブルクギャルリー・ハンス蔵
ラファエロとその工房(帰属) 秘話の聖母 1505年以降
●レオナルド・ダ・ヴィンチとレオナルド派
レオナルドが、ルネサンス期特有の工房というシステムの中で、最初は弟子としてやがて師として50年にわたり、探求し、推奨し続けた美と創造性の融合を主題としている。
人体模型、とりわけ襞の習作は、ルネサンス期のフィレンツェの工房で習慣となっていた訓練である。
レオナルド・ダ・ヴィンチ《衣絞の習作》1470‐75年頃 バーバラ・ピエセッカ・ジョンソン・コレクション財団蔵
レオナルド・ダ・ヴィンチと弟子(名誉監修カルロ・ぺドレッティ氏説)
《岩窟の聖母》 1495‐97年頃 個人蔵
ルーブル美術館、ロンドン・ナショナル・ギャラリ-の所蔵されている同名の《岩窟の聖母》そしてこのバージョンの作品は個人蔵であるため、目にする機会が少ないとされています。
レオナルド・ダ・ヴィンチ ほつれ髪の女 1506-08年頃 褐色土、緑色アンバー、鉛白、板(ポプラ)
パルマ国立美術館
この展覧会のTVコマーシャルにも登場する目玉作品。
生きているような、その心象が見事に伝わる作品ですよね。
レオナルドの卓越した美に中でも《ほつれ髪の女》の美は最高のものであり《モナ・リザ》や《最後の晩餐》をも凌駕する。
レオナルド・ダ・ヴィンチ下絵、サライ(カルロ・ぺドレッティ氏説) 聖母マリア 15世紀末ー26世紀初頭
個人蔵
●「モナ・リザ」イメージの広がり
「モナ・リザ」がトーハクに来たのは、1974年、私も延々と並んで鑑賞した記憶があります、といっても「モナリザ」の前で立ち止まることはできず、歩きながらの鑑賞でしたが。時の田中首相とフランスのポンピドー大統領との会談で来日が決まったということです。
さて、この展覧会には「○○○のモナ・リザ」がずらりと展示されています。油彩、版画、彫刻も....。
夫々の作品に関する由来、検証、考察は興味深いものがあります。この辺は図録の巻頭論文も含めて、解説を読みながら見ると興味が広がります。
《アイルワースのモナ・リザ》 16世紀(レオナルドによる1503年の未完成説あり) 個人蔵
●「裸のモナ・リザ」、「レダと白鳥」
「裸のモナ・リザ」は現在開催中のエルミタージュ美術館展にも1点展示されていますよね。
図像学的にレオナルドに最も近いとされる作品は6点現存し、今回初めて、その6点の「裸のモナ・リザ」のうち4点と、エッチィング2点が展示されています。「裸のモナ・リザ」とは何者かも含めた所説も頭に入れながら、それにしても、どう理解したらいいのやら?
レオナルド・ダ・ヴィンチ構想/ジャン・ジャコモ・カブロッティ、通称サライ(帰属) 裸のモナ・リザ 16世紀
ヴィンチ、レオナルド・ダ・ヴィンチ理想博物館寄託
レオナルド周辺の画家 《レダと白鳥》 16世紀 ローマ、ボルゲーゼ美術館蔵
●神格化されるレオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルドの「肖像」
版画、カリカチュア(風刺画)
というカテゴリーで、神格化されるレオナルドの諸相を紹介しています。
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