国立新美術館5周年 セザンヌ―パリとプロバンス
この展覧会は3月28日~6月11日まで開催されています。
セザンヌの作品大好き、という訳ではないのですが、その画業の影響力、その意味するところには関心がありますし理解したいとの願望は大いにあります。という意味でとても良い展覧会です。
南仏のエクス=アン=プロバンスで生まれたセザンヌは、父を満足させるために大学の法学部に通っていましたたが、1860年の初めに、パリで暮らしている中学行の親友エミール・ゾラに促されたこともあって画家としての成功を夢見てパリに出ます。しかし、セザンヌはパリに本格的な住居は持ちませんでした。1970年代に入り印象派画家に知己を得てその影響を受けますが、その一方形態と空間の表現に創意を凝らし、全く新しい絵画を確立します。後の画家に多大な影響を与え西洋絵画におけるの大きな転換点を作りました。
この展覧会は、単なる回顧展ではなく、プロバンスとパリの間を20回にわたり行き来したことが創作活動に大きな役割を果たしたと考え、検証を試みています。展覧会場では、どちらで描かれた作品かが判別できるようになっています(図録も同様)
以下に図録掲載のドニ・クターニュ氏の論文。セザンヌ ―パリとプロバンス、パリとプロバンス ―絵画を巡る争点から大幅要約で引用させて頂きます。
本展で示さなければならないのは、パリとプロバンスをめぐるセザンヌの位置付けである。画家が作品を作り上げる時に、「プロバンス」が及ぼした影響、あるいは、特殊な探求を進める時のパリの混沌とした情況、さらにふたつの拠点の間で緊張が高まる中で、どのようにして具象と抽象、形態と色彩、伝統と近代性が区別されない、美術史における唯一無二の作品が生まれたのかを理解しなければならないのである。パリはセザンヌにとって人が匿名の存在となる「非-場所」であり、作品がプロバンス的であることを超えて、普遍的であることを主張する手段として機能していた。
セザンヌは、『ルーブルは参照すべき優れた一冊の本である」、あるいは「ルーブルは我々が読み方を教わる本である」と記しているが、ルーブル美術館がもたらす恩恵を除いては、何も参照していなかったのである。彼はパリで前衛と対峙し、更にボードレールが望むところの「現代生活の画家」となる必要があった。その時に印象派の経験は新たな機軸を与えてくれた。ただし、これからの絵画的発見の是非については、南仏の太陽の下で確かめてみる必要があった。1896年9月のアヌシ―滞在と一度のパリ滞在を経て、プロバンスに戻ったセザンヌが1897年9月「太陽は偉大な魔術師である」とフィリップ・ソラリに告白したのは、このような背景があったのである。
第一章 初期
四季 春・夏・冬・秋 Ⅰ860-61年 油彩・カンヴァス パリ市立プティ・パレ美術館
砂糖壺、洋なし、青いカップ 1865-70年 油彩、カンヴァス グラネ美術館(オルセー美術館より寄託)
第二章 風景
首吊りの家 オーヴェール=シュル=オワーズ 1873年 油彩、カンヴァス オルセー美術館
サント=ヴィクトワール山 1886-87年 油彩、カンヴァス フィリップス・コレクション
第三章 身体
永遠の女性 1877年頃 油彩、カンヴァス ポール・ゲッティ美術館
3人の水浴の女たち 1876-77年頃 油彩、カンヴァス パリ市立プティ・パレ美術館
第四章 肖像
赤いひじ掛け椅子のセザンヌ夫人 1877年頃 油彩、カンヴァス ボストン美術館
坐る農夫 1900-04年 油彩、カンヴァス オルセー美術館
第五章 静物
壺、カップとりんごのある静物 1877年頃 油彩、カンヴァス メトロポリタン美術館
青い花瓶 1889-90年 油彩、カンヴァス オルセー美術館
りんごとオレンジ 1899年頃 油彩、カンヴァス オルセー美術館
第六章 晩年
サント=ヴィクトワール山 1902年頃 油彩カンヴァス プリンストン大学美術館
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