宮沢賢治・詩と絵の宇宙 展
この展覧会は3月29日~4月22日までそごう美術館(そごう横浜店6階)で開催されています。
そんなに熱心な賢治の読者ではありませんが、電車の中で(電子ブックで)読む事があります。
何と言っても、詩集「春の修羅」に収められた「永訣の朝」は忘れられません。拙blogでも取り上げました。その記述を再録します。
その日は冷たいみぞれ(あめゆき)が降っていた。八畳の病室には青い蚊帳がつられ、火鉢には炭火が真っ赤に燃えていた。その最後をみとった父が、何か言うことはないかと聞く。とし子は「また人に生まれてくるときは、こんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてくる」といった。その晩、とし子の兄賢治は「永訣の朝」を書いた。
けふのうちに
とうくへいってしまうわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかるくいっそう陰鬱な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青いじゅん菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまえがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうのやうに
このくらいみぞれのなかに飛び出した
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
..................宮沢賢治26歳、妹とし子24歳、大正11年11月のこと。
山折哲雄著 悲しみの精神史 からの引用、要約です。
2007年11月に平塚美術館で開催された宮沢賢治展の記事はこちら。
宮沢賢治(1896―1938)が生まれた年に明治三陸大地震が起きました。
その後の凶作による困窮、さらに37歳で早世したその2か月前には、昭和三陸沖地震が起きました。
天災と凶作に悩まされ続けた人生の中で、賢治の心には岩手県を意識したドリームランドイーハトーブがありました。
賢治のイーハトーブを目指すその世界観から生まれた詩、物語からインスピレーションを得て多くの芸術家達が作品を生んでいます。
今や、世界中で翻訳され出版されている宮沢賢治の世界を、その作品に添えられた挿絵原画約250点他、宮沢賢治の水彩画、「アメニモマケズ手帳」も展示されています。
(一部は4月11日までの展示です)
アメニモマケズ手帳
『日輪と山』宮沢賢治
展示構成は以下の通りです。
Ⅰ世界にきらめくKenji
Ⅱ風土と環境 心象スケッチ 詩人を育んだもの
Ⅲようこそ!イーハトーブとメルヘンの世界へ
Ⅲ-1森や野の仲間
・注文の多い料理店
・どんぐりと山猫
・ツェネズミ
・クンネズミ
・土神とネズミ
・カイロ団長
Ⅲ-2風と雪と童っ子(わらしっこ)
・風の又三郎
『風の又三郎』伊勢英子
・ざしき童子のはなし
『ざしき童子のはなし』伊勢英子
・雪渡り
・水仙月の四日
Ⅲ-3花月の美と悲しみ
・おきなぐさ
・黄いろのとまと
・めくらぶどうと虹
・蛙のゴム靴
・よだかの星
・ひのきとひなげし
・やまなし
『やまなし』川上和生
・いちょうの実
・まなづるとダリア
Ⅲ-4夕日と月明かりのファンタジア
・月夜のでんしんばしら
・鹿踊り(シシオドリ)のはじまり
・セロ弾きゴーシュ
Ⅳほんとうの幸せ サイエンチストの夢と信仰者の祈りと
Ⅳ-1地の恵み、人の営み、天の災い
・ナツベルと象
『ナツベルと象』スズキコウジ
・妹・トシの死
「永訣の朝」
「松の針}
「無声慟哭」
・なめとこ山の熊
・狼森と笊森、盗森
・虔十公園林
・グスコープドリの伝記
・永河鼠の毛皮
Ⅳ-2異次元への旅立ち
・銀河鉄道の夜
『銀河鉄道の夜』東逸子
・雁の童子
・ひかりの素足
・賢治の最期
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