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2012.04.30

蕭白ショック!! 曽我蕭白と京の画家たち

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この展覧会は千葉市立美術館で4月10日~5月20日まで開催されています。
前・後期で大幅な展示品の入れ替えがあります。
我が家からは遠いので後期は行けないかも知れません。

トーハクのボストン美術館展でも蕭白に焦点を当てていますよね、ボストン美術館展の展示作品は保存状態も良く素晴らし作品にドキドキでした。蕭白ショック!!(観たのは前期)での展示品は保存状態がどうなのかな―と思わせる作品も多数ありますが、その質・量とも蕭白の魅力を十分堪能できる展覧会です。描かれる面相、動き、画面解釈など、奇想の画家といわれ、観る者を瞬時に作品世界に引き込んでしまいます。しかし唐画の伝統を取り入れた復古的な作品も魅力があり蕭白の全体像を概観できるいい機会になります。

曽我蕭白(1730~81)は江戸時代中期に活躍した画家です。この展覧会では修理を終えた、伊勢斎宮の旧家永島家伝来の障壁画(全44面、重要文化財、三重県立美術館所蔵)を中心に蕭白の画業をよく知るために蕭白前史と同時代の画家たちを合わせて紹介しています。

以下に展示構成を記します。
展示入れ替えが大幅に行われますので、HPの展示品リストでの確認をお薦めします。

第一章 蕭白前史
曽我蕭白は室町時代の画家曽我蛇足の系譜に連なる蛇足軒十世と名乗り、桃山時代の曽我派の画家曽我直庵の画風を取り入れている。雪舟の流れをくむ雲谷派からも学んでいるらしい。この章では、蕭白に先がけて復古かつ個性的な傾向を示した画家を紹介している。
京狩野に学んだ高田敬輔は蕭白の師と推定される。

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高田敬輔「山水図屏風」 

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大西酔月「高氏士騎牛図」

第二章 第1部 曽我蕭白―蕭白出現―
近代日本画家・桃澤如水の報告と伊勢に残る作品から、蕭白が29から30歳頃、伊勢で活躍していたことは明らかである、伊勢の後、蕭白は播磨へも赴く。この章では蕭白の画業初期から既に大胆な筆致、詳細表現、綿密な画面構成、そして機知に富んだ解釈の基に描かれた作品を紹介している。

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曽我蕭白「牧童群牛図屏風」 右隻

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曽我蕭白「月夜山水図屏風」 左隻

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曽我蕭白「月夜山水図屏風」 右隻


第二章 第2部 曽我蕭白―蕭白高揚―
この章では明和元年から3年ころにかけて制作されたと思われる作品を取り上げている。
蕭白の画業において重要な位置を占める代表作が次々と描かれた時代。
重文「群仙図屏風」はこの時期に描かれている。(35歳から36歳頃と推定)

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曽我蕭白「群仙図屏風」 左隻

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「群仙図屏風」 右隻

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曽我蕭白「雪山童子図」

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曽我蕭白「美人図」 

第二章 第3部 曽我蕭白―蕭白円熟―
二度目の伊勢滞留の後、再び播州に向かう。播州には弟子入りした蕭月、蕭湖という絵師たちもいたとされ、蕭白は一定の時期、播州で活動したとされる。その後、生地である京都に戻り京都の画家としても一定の地位を占めるようになる。晩年は硬質な日地で密度高く画面を構築する山水画二おいて新たな様式を示した。

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曽我蕭白「虎渓三章笑図」

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曽我蕭白「松鷹図」(旧永島家襖絵)


第三章 京の画家たち
曽我蕭白のいた江戸時代中期の京都には革新的・個性的な画家が同時多発的に出現した。
夫々の個性際立つ作品が人気ですよね。伊藤若冲、池大雅、与謝蕪村、円山応挙唐の作品が展示されています。


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伊藤若冲「旭日松鶴図」


以上、図録の解説とチラシの画像を引用しています。

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2012.04.28

フェルメール光の王国展

Feruhikari

この展覧会はフェルメールセンター銀座(銀座ソコトコロハス館)で1月20日~7月22日まで開催されています。

大いに期待して観に行ったのですが.......。
展覧会は、オフィスビルの中の2フロアを空けて展示会場にした、 という感じで6階(でしたっけ?)にリクリエイトされた作品が所狭しと並べられています。
そして階下に、解説展示とミュージアムショップ。
感想としては、リクリエイトされた展示品の出来栄えには、ばらつきがあるのかな?なんて思いました。
実物をスキャンしたわけではなく、入手したデジタルデータから作品が完成したその時点の再現を試みたとのことです。額も再現し、制作年時系列での展示だそうです。
ライトに照らされて、てかてか平滑に(ベタで)光るマチエールには違和感を持ちました。
会場では、私も含めて皆さんコンパクトカメラ、携帯電話の写真機能で撮影会の趣。
シャッター音(私の思い込み、勘違いかも?)とフラッシュは禁止のはずですが、そんなことは皆さんおかまいなし、狭っ苦しい会場内でカシャ・カシャ、チロリン・チロリンと騒々しいこと、すごい。
作品の横に並んでピースサインで記念撮影する方もいたりで.............。

千鳥が淵のイタリア文化会館で昨年、開催された複製画などを展示した展覧会「ウフィツィ・ヴァーチャル・ミュージアム展」の展示品と会場構成、雰囲気は素晴らしかったなー。
この展覧会を観ながら、つい思い出してしまいました。
写真だけ撮って早々に、京橋まで歩いて行って、ブリジストン美術館で開催されている「見せたい絵があります展」を観てきました。
こちらは、新しい発見もあってとても良かった。

以下の画像はiPhoneで撮影したものです。
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続きを読む "フェルメール光の王国展"

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2012.04.26

山寺 後藤美術館蔵 ヨーロッパ絵画に観る 永遠の女性美

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この展覧会は紀尾井町のニューオータニ美術館で3月17日~5月27日まで開催されています。


後藤美術館コレクションは何度か拝見した記憶があるのですが、この展覧会の作品も良いですよ。
小難しい話なんかどうでも良い、端的に美しい、可愛い、魅力的、そんな見方も良いのではないでしょうか。寓意的な歴史的な背景も理解出来ればさらにですが。
後藤美術館の所蔵ヨーロッパ絵画の中から17世紀から、19世紀に描かれた女性・少女の肖像28点と静物画7点が展示されています。
このような作品を纏めた展覧会は久しぶり、かえって新鮮な気持ちがしました。

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《悲しみの聖母》 バルトロメー・エステバン・ムリーリョ
うるんだ瞳から、涙が流れています。

悲しみの聖母はよく描かれる主題ですが、国立西洋美術館というと、この作品をお思い出す方もおられるのではないでしょうか。私も大好きな作品です。(勿論この展覧会には出展されていませんよ
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カルロ・ドルチ [フィレンツェ, 1616年 - フィレンツェ, 1687年]悲しみの聖母制作年 1655年頃
この作品は展示されていません。(国立西洋博物館所蔵)

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《羊飼い姿のヴィーナス》 シャン=バティスト・ユエ

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《落ち着いた青色の服》 ジャン=マルク・ナティエ

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《愛しの小鳥》 アドルフ・ウィリアム・ブーグローヂ

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《クラリッサ》 ジョン・エヴァレット・ミレイ

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《ミルマン夫人の肖像》 エドワード・ジョン・ポインター

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《バラを持つ女性》 エティエンヌ・アドルフ・ピオ

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《神よりの授かりもの》 アウグスト・フォン・ヘッケル

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《花といちごのある静物》 モヂスト・カルリエ

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2012.04.24

フェリーチェ・ベアトの東洋 J・ポール・ゲッティコレクション

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この展覧会は恵比寿の東京写真美術館で3月6日~5月6日まで開催されています。
お彼岸のころに行ってきたのですが、この展覧会も含め、投稿が全て大幅遅れ、本当は観た直後の新鮮ないイメージを定着させたいのですが.....。

ベアトの残した写真は、百数十年前の東洋を日本を、この展示会場に持ち込んだようなリアリティーを持っています。J・ポール・ゲッティコレクションに加え東京写真美術館所蔵写真も含めた展示は見どころいっぱいです。


フェリーチェ・ベアト(Felice Beato、1832年 - 1909年1月29日)は、イタリア生まれのイギリスの写真家。
初期の従軍写真家の一人でもあり、クリミア戦争から写真師としてのキャリアをスタートし印度動乱(セポイの乱)、中国の第二次アヘン戦争へと取材しながら東へと旅します。そして文久3(1863年に日本を訪れて20年以上の長きにわたって横浜に滞在。風俗写真やパノラマ写真を含む、多くの風景写真を残しています。激動期の日本を明らかにする貴重な資料でもあります。又、この美術館の写真展でも度々紹介されてきた写真家、日下部金兵衛、上野彦馬などにも多大な影響を与えました。ベアトは、写真だけではなく、多くの仕事を手がけ、横浜に住んでいたチャールズ・ワーグマンと共に「Beato & Wirgman, Artists and Photographers」を設立し、1864年から1867年まで共同経営しました。ワーグマンはベアトの写真を基に挿絵を描いたりもしています。
ワーグマンとの共同経営は解消した後には、米朝戦争(辛未洋擾)に従軍したりします。この時の写真は朝鮮を紹介する初めての写真とされています。
やがてベアトは日本を離れ、エジプトのポートサイドに落ち着きます。
横浜での銀の取引に失敗し、ほとんどの財産を失ったとも言われています。
さらにイギリスにもどり、ビルマに渡ったりもしています。ビルマが最終の活動地となります。


●初期作品 1855‐57
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ジェイムズ・ロバートソン、フェリーチェ・ベアト
スルタンアフメト・モスク 1853-57年
素材・技法 鶏卵紙


●インド 1858‐60
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フェリーチェ・ベアト
第93高地連帯と第4パンジャブ連帯による2千人叛乱兵隊虐殺のシカンダルバー宮殿内部。1857年11月のサー・コリン・キャンベルによる最初の攻撃。
1858年
素材・技法 鶏卵紙


●建築写真
●パノラマ
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フェリーチェ・ベアト
愛宕山から見た江戸のパノラマ 1863‐64年
素材・技法 鶏卵紙

●中国 1860
●日本 文久3年-明治17年
●手彩色写真
●東京都写真美術館コレクション
●幕末期
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フェリーチェ・ベアト
長弓を持つ侍 1863年 
素材・技法 鶏卵紙

●朝鮮 1871
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朝鮮軍将軍旗「帥字旗」 1871年6月 
素材・技法 鶏卵紙

●ビルマ 1887‐1905年頃
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フェリーチェ・ベアト
ザガイン寺院内の49の釈迦像 1887-95年
素材・技法 鶏卵紙

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2012.04.22

春うらら120421新緑

この数週間は新緑の美しい最高の季節ですね。
各種イベントに参加するか、自然の中で過ごすか?出掛ける直前まで迷ってしまいます。
写真は昨日撮ったものです。

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新緑の里山、公園を歩きながら見つけた花々。(4/21)


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五人家族


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2012.04.21

国立新美術館5周年 セザンヌ―パリとプロバンス

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この展覧会は3月28日~6月11日まで開催されています。

セザンヌの作品大好き、という訳ではないのですが、その画業の影響力、その意味するところには関心がありますし理解したいとの願望は大いにあります。という意味でとても良い展覧会です。

南仏のエクス=アン=プロバンスで生まれたセザンヌは、父を満足させるために大学の法学部に通っていましたたが、1860年の初めに、パリで暮らしている中学行の親友エミール・ゾラに促されたこともあって画家としての成功を夢見てパリに出ます。しかし、セザンヌはパリに本格的な住居は持ちませんでした。1970年代に入り印象派画家に知己を得てその影響を受けますが、その一方形態と空間の表現に創意を凝らし、全く新しい絵画を確立します。後の画家に多大な影響を与え西洋絵画におけるの大きな転換点を作りました。
この展覧会は、単なる回顧展ではなく、プロバンスとパリの間を20回にわたり行き来したことが創作活動に大きな役割を果たしたと考え、検証を試みています。展覧会場では、どちらで描かれた作品かが判別できるようになっています(図録も同様)

以下に図録掲載のドニ・クターニュ氏の論文。セザンヌ ―パリとプロバンス、パリとプロバンス ―絵画を巡る争点から大幅要約で引用させて頂きます。

本展で示さなければならないのは、パリとプロバンスをめぐるセザンヌの位置付けである。画家が作品を作り上げる時に、「プロバンス」が及ぼした影響、あるいは、特殊な探求を進める時のパリの混沌とした情況、さらにふたつの拠点の間で緊張が高まる中で、どのようにして具象と抽象、形態と色彩、伝統と近代性が区別されない、美術史における唯一無二の作品が生まれたのかを理解しなければならないのである。

パリはセザンヌにとって人が匿名の存在となる「非-場所」であり、作品がプロバンス的であることを超えて、普遍的であることを主張する手段として機能していた。
セザンヌは、『ルーブルは参照すべき優れた一冊の本である」、あるいは「ルーブルは我々が読み方を教わる本である」と記しているが、ルーブル美術館がもたらす恩恵を除いては、何も参照していなかったのである。彼はパリで前衛と対峙し、更にボードレールが望むところの「現代生活の画家」となる必要があった。その時に印象派の経験は新たな機軸を与えてくれた。ただし、これからの絵画的発見の是非については、南仏の太陽の下で確かめてみる必要があった。1896年9月のアヌシ―滞在と一度のパリ滞在を経て、プロバンスに戻ったセザンヌが1897年9月「太陽は偉大な魔術師である」とフィリップ・ソラリに告白したのは、このような背景があったのである。


第一章 初期

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四季 春・夏・冬・秋  Ⅰ860-61年 油彩・カンヴァス パリ市立プティ・パレ美術館


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砂糖壺、洋なし、青いカップ  1865-70年 油彩、カンヴァス グラネ美術館(オルセー美術館より寄託)

第二章 風景

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首吊りの家 オーヴェール=シュル=オワーズ 1873年 油彩、カンヴァス オルセー美術館


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サント=ヴィクトワール山 1886-87年 油彩、カンヴァス フィリップス・コレクション

第三章 身体

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永遠の女性 1877年頃 油彩、カンヴァス ポール・ゲッティ美術館


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3人の水浴の女たち 1876-77年頃 油彩、カンヴァス パリ市立プティ・パレ美術館

第四章 肖像

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赤いひじ掛け椅子のセザンヌ夫人 1877年頃 油彩、カンヴァス ボストン美術館 


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坐る農夫 1900-04年 油彩、カンヴァス オルセー美術館

第五章 静物

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壺、カップとりんごのある静物 1877年頃 油彩、カンヴァス メトロポリタン美術館


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青い花瓶 1889-90年 油彩、カンヴァス オルセー美術館


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りんごとオレンジ 1899年頃 油彩、カンヴァス オルセー美術館

第六章 晩年

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サント=ヴィクトワール山 1902年頃 油彩カンヴァス プリンストン大学美術館

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2012.04.19

映画(DVD)八日目の蝉

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久しぶりで映画の話。
この前の土曜日は一日中しのつく雨。
たまには家で映画(DVD)と思って……展覧会から早めに引き返して。
永作博美 (野々宮希和子役) 小池栄子 (千草役)が良い。


製作年 2011年
配給 松竹
上映時間: 2時間27分

出演
井上真央 (恵理菜)
永作博美 (野々宮希和子)
小池栄子 (千草)
森口瑤子 (秋山恵津子)
田中哲司 (秋山丈博)
市川実和子 (エステル)
平田満 (沢田雄三)
劇団ひとり (岸田)
余貴美子 (エンゼル)
田中泯 (滝)
風吹ジュン (沢田昌江)

スタッフ
監督 成島出
脚本 奥寺佐渡子
原作 角田光代
製作総指揮 佐藤直樹
企画 石田雄治
関根真吾
製作 有重陽一
吉田直子
池田史嗣
武石宏登
ゼネラルプロデューサー 野田助嗣
撮影 藤澤順一
美術 松本知恵
音楽 安川午朗
安川午朗
主題曲/主題歌 中島美嘉
録音 藤本賢一
照明 金沢正夫
編集 三條知生


小説を読んでから見た方は、映画の出だしに戸惑うかもしれません。
小説は、ほぼ時系列で物語が進行しますが、映画は過去と現在を交錯させながらというシナリオです。
小説では、稀和子の心理描写の比重が大きいのですが、映画は、薫と稀和子を同じ重さで捉えているようです。
小説のエンディングがとても良くて、映画のエンディングが近付くに従って期待と緊張でしたが、全く違うエンディング。映画の流れからして仕方ないのかなと思ったりしました。
NHKでもドラマ化され(数回に分けて放送)私も録画して観たのですが、これはチョット...という事で途中で見なくなりました。この映画は、昨年度の映画賞を総なめしそうで、なかなかよく出来ていると思いました。
ただし、エンジェルと写真店の滝にはげんなり。ちなみに、写真店は小説に登場しましたっけ?
エンゼルハウスに紛れ込むまでの、立ち退きを迫られる偏屈な老婦人の家での生活はカットされていますよね。

以下は小説の概説です。(昨年、拙blogで取り上げたときのもの)
 

ドアノブをつかむ。氷を握ったように冷たい。その冷たさが、もう後戻りできないと告げているみたいに思えた。
 平日の午前八時十分ころから二十分ほど、この部屋のドアは鍵がかけられていないことを稀和子は知っていた。なかに赤ん坊を残したまま、誰もいなくなることを知っていた。ついさっき、出かける妻と夫を稀和子は自動販売機の陰から見送った。冷たいドアノブを、稀和子は迷うことなくまわした。
以上は、0章の冒頭部分です。
この小説は0章、1章、2章で構成されています。

赤ん坊は不実な男の妻の子供。
不倫の末、身ごもった稀和子は生むことを許されず、おろしてしまったのだ。
誘拐した子供には薫と名付けた。
赤ん坊を連れた稀和子の逃亡生活が始まります。
先ずは、学生時代の親友の家で、それから関西まで逃げて、そこで立ち退きを迫られる偏屈な老婦人の家に身を隠し、そして、社会から隔絶した集団エンジェルホームに紛れ込んで......さらにエンジェルホームで知り合った久美の小豆島の実家で......
その都度、発覚を恐れて、その場を逃れ逃走を続けます。
そして、久美の実家のある、その島からの逃走を試みて、稀和子とようやく物心のついた薫は、辿りついた連絡船の乗り場で、引き離されることになります。

時は移って、実の両親の元に戻った恵理菜(薫)は既に19歳の学生、親元を離れ、アルバイト生活。
すると、そこにエンジェルホ-ムで面倒を見てくれた、お姉さん的存在だった千草が現れる。
千草は、自分が育ったエンジェルホームの取材をしている。
実は、恵理菜(薫)は、妻子ある男と......そして妊娠する。
あの、稀和子と私は同じことを......

一時期、エンジェルホームで育った、恵理菜と千草は、恵理菜(薫)と稀和子が最後に過ごしたあの島小豆島を目指す。
そして、あの連絡船乗り場で.......

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2012.04.17

靉嘔 ふたたび虹のかなたに  

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この展覧会は、東京都現代美術館 1F,B2Fで 2012年2月4日(土) ~ 5月6日(日)まで開催されています。

靉嘔は虹のアーティストとして有名ですが、この展覧会では初期の作品(パフォーマンスの模様を含む)から、この展覧会の為に制作された新作まで展示されていて、まさに靉嘔の全貌を概観できる展覧会になっています。
もう一つの企画展田中敦子 - アート・オブ・コネクティングそして常設展では、この時代と低通した展示も行われているのですが、まあ、靉嘔一色という感じ、ロビーにも作品が飾られ、腰掛けは虹色のカバーで覆われています。


25メートルレインボー(シルクスクリーンン、和紙)
バーナー(知人たちの衣類)


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私は、たまたま平日行くことが出来たのですが、それにしても賑やかな?作品展示に比べ、人影がまばら、閑散とした会場風景にはびっくり。
どういう事なのでしょう......。

帰りがけにミュージアムショップを覗いてみると「カタログ発売は4月中旬」とか、下旬だったかな?
これにもびっくり。会期は5月6日までですからね。

展示会場内には写真撮影コーナーあり、暗闇の中を手すりにつかまって移動するというのとか、沢山の穴に指を突っ込んでみるとか遊園地みたいなインスタもあり、虹のグラデーションにくらくらしたりで結構楽しいんですけどねぇ~

以下はHPの解説から引用しました。

1931年、茨城県に生まれた靉嘔は、1950年代、池田満寿夫らと共にデモクラート美術家協会に参加し、明るい色彩の油彩画を発表し注目されました。1958年には、ニューヨークに渡り、知覚によって認識される世界を具体的な物との対話によって改めて捉えようとする中で、箱の穴に指を入れ鑑賞する《フィンガー・ボックス》や、周囲の環境を取り込んだインスタレーション等、絵画の枠にとどまらない人間の五感に訴える作品が生まれます。日常の事物や行為そのものがアートに変換された1960年代、靉嘔の「エンヴァイラメント」と呼ばれるインスタレーションは先駆的な表現として注目されました。音楽家、詩人、美術家等ジャンルを超えたアーティスト達が交わり、パフォーマンスや印刷物の製作等を通し、今日のアートの多様性のあり方に一つの礎を築いたグループ、「フルクサス」のメンバーとしてオノ・ヨーコやナム・ジュン・パイクらと共に活動します。やがて、線で描く絵画を拒否し、引用したモチーフに赤から紫までの可視光線(スペクトル)を重ねる「虹」の作品が生まれ、ヴェニス・ビエンナーレ(1966年)での発表等を経て、靉嘔は「虹のアーティスト」として国内外で知られるようになります。靉嘔の虹との格闘は、版画、絵画、インスタレーションと様々な形式により、現在まで続いています。 本展では、数多くの虹のシリーズやパフォーマンスのドキュメントの他、触れて楽しむ体験型のインスタレーションや192色の虹色で描かれた30mにおよぶ新作、1987年にエッフェル塔にかけられた300mの虹の帯等を大規模に展示します。展示室いっぱいに広がる靉嘔のオプティミスティックな世界をお楽しみください。


展示構成は次の通り。
●初期版画
●初期油彩画
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《田園》 1956年

●渡米後
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ハイドラ 1961-62年

●虹
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アダムとイヴ  1967-71年

●オブジェクト
●1990s,2000s
●新作
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精衡・夸天・形天―山海経図より―あるいは勇気 2011年

●版画
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レインボー・パッシーズ・スローリー・レインボー・ナイト6 1971年

●アトリウム
●エントランスホール、メディアコート
●イベント

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2012.04.15

町田市立国際版画美術館開館25周年記念 版画の冒険―ミレー、ドガ、そしてムンクへ

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この展覧会は4月14日から6月17日まで開催されています。
初日に行ってきました。
展示替えがあります。
版画の魅力を存分に楽しませてくれるとても良い展覧会です。
作者は表現における微妙なニュアンスにこだわています、矢張り印刷物では味わえない魅力は是非実物で。
気が早いような気もしますが、今年の展覧会ベストテンに入るかもしれないと....。


 写真の登場や印刷技術が飛躍的に発展した19世紀後半のヨーロッパ、存続の大きな岐路に立たされた版画は、時代遅れの技術として消えていくのか、美術表現の一つとして自立するのか、生き残りを懸けてさまざまな挑戦が行われた。その中で、自由な発想で版画を制作した「画家にして版画家」であるミレーやピサロ、ドガやルドンらが美術表現としての版画の道を切り開き、新しい時代に適応していきます。
19世紀、版画は未来を賭けた冒険にのりだす。
出品作品は国内とフランスの機関が所蔵する優れた版画と、関連する油彩や水彩などを合わせた約200点です。
(チラシなどの解説を引用しています)

天覧会の構成は以下の通りです。

第I部 広めるための版画
 1、19世紀の複製版画―ミレーを中心に
 2、 優れた芸術をすべてての人に―出版者カダールの活動
第II部 美しい刷りへの挑戦
第III部 画家たちの実験。
 エドガー・ドガ
 カミーユ・ピサロ
 ポール・ゴーギャン
 オディロン・ロドン
 エドヴァルド・ムンク

何回かに分けて投稿してみようと思います。
まずは、ドガとルドン。

ドガの版画の大きな特徴はステートの多さにある。だがステートごとに大きな違いはなく、場合によっては、以前のステートで加えた効果を再び元に戻したりもしている。『昼と夜』の計画を除けば、ドガの版画制作はあくまでも個人的な実験や楽しみという性格が強かった。気が済むまで版に手を加え、刷っても仕上がりを確認するだけなので、各ステートの刷り部数はごくわずかである。ピサロとも共通するこの特徴は技法の効果を試すとともに、対象の変化をステートを重ねて迫っていくためとも考えられ、実際にドガとピサロは異なるステートを並べた展示を行っている。(図録から引用しています)

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自画像 1857年 エッチング、ドライポイント

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浴槽の裸婦 1885年 木炭

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ルーヴル美術館のメアリー・カサット、絵画ギャラリーにて 1879-80年
エッチィング、ソフトグランド・エッチング、アクアチント、ドライポイント

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客待ち
原画 1876-77年 黒インクによるモノタイプにパステル 


ルドンは印象派の画家として活躍したモネやルノワールと同世代にあたる。彼らが自然のなかで刻々と変わる光と色彩の表現に没頭していた頃、ルドンはフローベル、ボードレール、マラルメ、ポーなどの文学作品に源泉を求め初期には木炭画や版画などの「黒い」作品群に取りくんでいた。時代の趨勢とは一線を画し、黒一色による光と闇、影などの表現にとりつかれていたのであるが、やがて明るく華麗な色彩表現へと移行した。。(図録から引用しています)

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沼に咲く花、悲しそうな人間の顔
『ゴヤ頌』1885年  リトグラフ

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陰気な景色の中の狂人
『ゴヤ頌』1885年  リトグラフ

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不思議な吟遊詩人
『ゴヤ頌』1885年  リトグラフ

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光の横顔 1886年 リトグラフ

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とらわれのペガサス 1889年 リトグラフ


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ゆらめく光、無限に吊るされた永遠なるひとつの顔 
『夢想』(わが友アルマン・クラヴォーのために) 1891年 リトグラフ

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日の光
『夢想』(わが友アルマン・クラヴォーのために) 1891年 リトグラフ

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ペガサスに乗るミューズ 1904-10年 油彩、カンヴァス


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2012.04.12

春うらら201204

この時期、観るべき展覧会も目白押しですが、花の咲く自然道のそぞろ歩きも良いですよね。
どちらを選択するか迷ってしまいます。

天気の良い土・日はカメラをもって・・・・・・近場で散歩です。

今年は梅の花と桜の花が途切れることなく連続して咲いていました。
珍しいですよね。

3月最後の土・日何れか(どちらか忘れました)に撮影した写真です。
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4月最初の日曜日に撮った写真です。
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2012.04.10

東京国立博物館140周年 特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」

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この展覧会は上野の東京国立博物館の平成館 で 2012年3月20日(火) ~2012年6月10日(日)まで開催されています。
見逃すと後悔しますよ。
私はあと何回か通います。
開催直後に観に行ったのですが、そんなに混んでいなくて助かりました。
朝10時過ぎに入って、出たり入ったり繰り返はしましたが17時までいました、それでも観あきませんでしたよ。
私が行った日の閉館間際の第一章の展示室には数人しかおらず、何か急に視野が開けて、照明が明るくなったような錯覚を覚えるほど・・・細部まで丹念に観ることが出来ました、至福の時間でした。

展示構成は以下の通りです。
展覧経路は多少前後しています。

プロローグ コレクションのはじまり
ボストン美術館草創期の日本美術コレクションは明治10年代に相次いで来日し、日本の古美術の調査研究、蒐集を精力的に行ったたアーネスト・フランシスコ・フェロノサとウィリアム・スタージス・ビゲローによって形成されます。そのコレクションは八世紀の仏画から中世、近世、明治の画家たちにいたる絵画や浮世絵、仏像、刀剣、染織などにわたります。後にフェロノサの薫陶を受けた岡倉天心(ボストン美術館に着任後、中国・日本部長)も加わり、三人の主導によってボストン美術館の日本美術コレクションの礎が築かれました。


第1章 仏のかたち 神のすがた
私が一番お勧めしたいのがこの第一章です。
残念ながら、展覧会の入り口ですので、行列です。
そして照明が暗い。
私は、ほぼ一日いましたので、その日は閉館20分前ぐらいになると、このコーナーに鑑賞客は4~5人しかおらず、細部までじっくり観てきました。
「法華経根本曼荼羅図」をはじめとする仏画17点、快慶作の「弥勒菩薩立像」をはじめとする彫刻4点が展示されています。

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法華経根本曼荼羅図 奈良時代 8世紀

霊鷲山[りょうじゅせん]で釈迦が諸尊や衆生[しゅじょう]に囲まれ法華経を説く光景をあらわしている。
かつて奈良・東大寺法華堂(三月堂)に伝わっていたことがしられている。8世紀に描かれた曼荼羅図がこの美しさで残り対面できる、そのことだけでも行ってみる価値ありと・・・・勿論その他の仏画の素晴らしさも・・・・.


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普賢延命菩薩像 平安時代 12世紀中頃

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弥勒菩薩立像 快慶作 鎌倉時代 文治5年(1189)


第2章 海を渡った二大絵巻
「吉備大臣入唐絵巻」「平時物語絵巻」の展示です。
「吉備大臣入唐絵巻」は4巻に分かれた長大な絵巻何と全長25メートル 、これがまた話、絵がユーモラスで楽しめます、こちらも必見ですよ。
「平治物語絵巻」の保存の良さ、美しく迫力満点の戦闘場面、こちらも見逃せません。
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吉備大臣入唐絵巻(部分)平安時代 12世紀後半

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吉備大臣入唐絵巻(部分)巻頭 平安時代 12世紀後半


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平治物語絵巻 三条殿夜討巻(部分) 鎌倉時代・13世紀後半

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平治物語絵巻 三条殿夜討巻(部分)巻頭 鎌倉時代・13世紀後半


第3章 静寂と輝き―中世水墨画と初期狩野派
ボストン美術館の水墨画導入期の優品「「観音図」や禅僧画家の祥啓が宗画を範として制作した山水画の名品「山水図」など中世の水墨画とともに、狩野派発展の基礎を築いた元信から松栄に至る初期狩野派の優品を展示しています。

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山水図 祥啓筆 室町時代 15世紀末~16世紀初

第4章 華ひらく近世絵画
安土桃山時代から江戸時代前期までに現れた主要画派の作品をはじめ、異国趣味や享楽的な世相を反映した風俗画が展示されています。
狩野永徳、狩野探幽、狩野永納。狩野山雪、長谷川等伯、土佐光起、尾形光琳、伊藤若冲などなど、もうこの名前が並んだら観に行かないわけにはいきません。それにしても素晴らしい作品がずらりと並んでいます。

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竜虎図屏風(左隻) 長谷川等伯筆 江戸時代 慶長11年(1606) 

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竜虎図屏風(右隻) 長谷川等伯筆 江戸時代 慶長11年(1606) 

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松島図屏風 尾形光琳筆 江戸時代 18世紀前半

第5章 奇才 曽我蕭白
この展覧会の目玉のコーナーでしょうね。まさに奇才の面目躍如というところです、11点展示されていますが、その奔放な画法には一点一点興味が尽きません。妙に鷲図が気になったりして・・・・。

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雲竜図(部分) 蘇我蕭白筆 江戸時代 宝暦13年(1763)

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鷹図 蘇我蕭白筆

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風仙図屏風(部分) 蘇我蕭白筆 

 

第6章 アメリカ人を魅了した日本のわざ-刀剣と染織
この章は、刀剣にまつわる言葉(表現)の解説が掲示されていて、素人の私は、いちいち意味を確認しながらの鑑賞でしたが、これがまた楽しい。常設展示室の刀剣コーナーはいつも素通りなのに今回は単眼鏡も使ってじっくり鑑賞してきました。
能装束などの織物・着物の絢爛さも素晴らしいですよ。

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短刀 銘大和尻懸則長四十八作之 鎌倉時代 文保3年(1319)

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唐織 紅地流水芦菊槌車模様 江戸時代 18世紀


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2012.04.03

宮沢賢治・詩と絵の宇宙 展

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この展覧会は3月29日~4月22日までそごう美術館(そごう横浜店6階)で開催されています。

そんなに熱心な賢治の読者ではありませんが、電車の中で(電子ブックで)読む事があります。
何と言っても、詩集「春の修羅」に収められた「永訣の朝」は忘れられません。拙blogでも取り上げました。その記述を再録します。

その日は冷たいみぞれ(あめゆき)が降っていた。八畳の病室には青い蚊帳がつられ、火鉢には炭火が真っ赤に燃えていた。その最後をみとった父が、何か言うことはないかと聞く。とし子は「また人に生まれてくるときは、こんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてくる」といった。

その晩、とし子の兄賢治は「永訣の朝」を書いた。

けふのうちに
とうくへいってしまうわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかるくいっそう陰鬱な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青いじゅん菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまえがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうのやうに
このくらいみぞれのなかに飛び出した
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
..................

宮沢賢治26歳、妹とし子24歳、大正11年11月のこと。

山折哲雄著 悲しみの精神史 からの引用、要約です。 


2007年11月に平塚美術館で開催された宮沢賢治展の記事はこちら

宮沢賢治(1896―1938)が生まれた年に明治三陸大地震が起きました。
その後の凶作による困窮、さらに37歳で早世したその2か月前には、昭和三陸沖地震が起きました。
天災と凶作に悩まされ続けた人生の中で、賢治の心には岩手県を意識したドリームランドイーハトーブがありました。
賢治のイーハトーブを目指すその世界観から生まれた詩、物語からインスピレーションを得て多くの芸術家達が作品を生んでいます。
今や、世界中で翻訳され出版されている宮沢賢治の世界を、その作品に添えられた挿絵原画約250点他、宮沢賢治の水彩画、「アメニモマケズ手帳」も展示されています。 
(一部は4月11日までの展示です)
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アメニモマケズ手帳

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『日輪と山』宮沢賢治

展示構成は以下の通りです。
Ⅰ世界にきらめくKenji
Ⅱ風土と環境 心象スケッチ 詩人を育んだもの
Ⅲようこそ!イーハトーブとメルヘンの世界へ
Ⅲ-1森や野の仲間
・注文の多い料理店
・どんぐりと山猫
・ツェネズミ
・クンネズミ
・土神とネズミ
・カイロ団長
Ⅲ-2風と雪と童っ子(わらしっこ)
・風の又三郎
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『風の又三郎』伊勢英子 

・ざしき童子のはなし
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『ざしき童子のはなし』伊勢英子

・雪渡り
・水仙月の四日
Ⅲ-3花月の美と悲しみ
・おきなぐさ
・黄いろのとまと
・めくらぶどうと虹
・蛙のゴム靴
・よだかの星
・ひのきとひなげし
・やまなし
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『やまなし』川上和生

・いちょうの実
・まなづるとダリア
Ⅲ-4夕日と月明かりのファンタジア
・月夜のでんしんばしら
・鹿踊り(シシオドリ)のはじまり
・セロ弾きゴーシュ
Ⅳほんとうの幸せ サイエンチストの夢と信仰者の祈りと
Ⅳ-1地の恵み、人の営み、天の災い
・ナツベルと象
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『ナツベルと象』スズキコウジ

・妹・トシの死
「永訣の朝」
「松の針}
「無声慟哭」
・なめとこ山の熊
・狼森と笊森、盗森
・虔十公園林
・グスコープドリの伝記
・永河鼠の毛皮
Ⅳ-2異次元への旅立ち
・銀河鉄道の夜

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『銀河鉄道の夜』東逸子


・雁の童子
・ひかりの素足
・賢治の最期

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2012.04.01

茶会への招待 ―三井家の茶道具―併設 初公開―新町三井家の新蔵とう品から

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この展覧会は日本橋の三井記念美術館で2月8日~4月8日まで開催されています。
私は一カ月程度前に行ってきたのですが、この展覧会もあと一週間で修了です。

現代の茶の湯の会にはさまざまな様相が見られますが、その基本は日常的な茶の湯、すなわち茶事にあります。茶事は季節、気候、時間、目的、客などによって多様に変化します。
したがって茶室内では掛物、花入れ、釜、水指、茶器、茶碗、茶杓、炭道具、懐石道具など多種多様な茶道具が使われ、主客ともにその日の取り合わせを楽しみます。この展覧会では三井各家旧蔵の茶道具の名品紹介と茶会を想定した道具の取り合わせをこころみています。茶会のようすを彷彿とさせる展示となっていて、茶会には縁のない私でも、楽しめました。「一期一会」「一座建立」という言葉、その精神世界に、もう一度たちかえてみるのも良いかもしれません。(チラシの解説を参考にしました)

展覧会の構成は以下の通りです。

〔展示室1〕 茶の湯の名品
〔展示室2〕

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御所丸茶碗(ごしょまるちゃわん)  朝鮮時代・17世紀


〔展示室3〕 如庵の取合せ
〔展示室4〕 茶事の取合せ

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瀬戸面取手茶入(せとめんとりでちゃいれ) 佐久間面取(さくまめんとり)   江戸時代・17世紀


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粉引茶碗(こひきちゃわん) 三好粉引(みよしこひき) 朝鮮時代・16世紀

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南蛮縄簾水指(なんばんなわすだれみずさし)  17世紀

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金襴手鳳凰文宝珠香合 保全作 江戸時代(19世紀) 

〔展示室5〕 名碗抄
〔展示室7〕
併設:初公開ー新町三井家の新寄贈品から
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鳥類真写図巻(ちょうるいしんしゃずかん) 渡辺始興筆 江戸時代(18世紀)

17メートルを超える長巻に、63種類の鳥類が描かれています。
円山応挙が模写した作品がトーハクに所蔵されているそうです。

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