吉村昭著 三陸海岸大津波
3.11後、メディアで取り上げられて、書店に平積みになっていました。
その時買って読み始めたのですが、気が重く読み続けることが出来ませんでした。
最近になって読み返してみました。
三陸海岸大津波
2004年3月10日 第1刷
2011年4月1日 第8刷
文春文庫
原題『海の壁―三陸海岸大津波』 1970年 中公新書
「三陸海岸大津波」 1984年8月 中公文庫刊
本書の解説(高山文彦)がこの本の本質をよく表現しているので引用します。
吉村氏は徹頭徹尾「記録する」ことに徹している。だから、付け焼き刃的なフォークロアの甘いアプローチをしない。情緒的な解釈もしない。圧倒的な事実の積み重ねの背後から、それこそ津波のように立ち上がってくるのは、読む側にさまざまなことを考えさせ、想起させる喚起力である。
TVでは相変わらず情緒的な内容の放映が繰り返されています。
否定はできませんが、TVから流れる映像は、考えるいとまを与えないような気がします。
写真、文章は、自分なりに咀嚼して次に進むいとまがあります。
ここ数日、東日本大震災の写真展を投稿してきたのもその所以です。
最近、過去の記録を読み返し、そして学び直すという事が盛んなようですが、賛成ですね。
本書は本(文章の力)を再認識させてくれました。
以下、本書の目次です。
まえがき
1、明治二十九年の津波
前兆
被害
挿話
余波
津波の歴史
2、昭和八年の津波
津波・海彇・よだ
波高
前兆
来襲
田老と津波
住民
子供の眼
救援
3、チリ地震津波
のっこ、のっことやって来た
予知
津波との戦い
前の投稿にも載せましたが本書の結び部分です。
明治二十九年の大津波以来、昭和八年の大津波、昭和三十五年のチリ地震津波、昭和四十三年の十勝沖地震津波等を経験した早野幸太郎氏(八十七歳)の言葉は、私に印象深いものとして残っている。
早野氏は言った。
「津波は、時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う」
この言葉は、すさまじいいくつかの津波を体験してきた人のものだけに重みがある。
私は、津波の歴史を知ったことによって一層三陸海岸に対する愛着を深めている。屹立した断崖、連なる岩、点在する人家の集落、それらは、たび重なる津波の激浪に堪えて毅然とした姿で海と対している。そしてさらに、私はその海岸で津波と戦いながら生きてきた人を見るのだ。
私は、今年も三陸海岸を歩いてみたいと思っている。
そして、さらに本書の一文
三陸海岸を旅する度に、私は、海にむかって立つ異様なほどの厚さと長さをもつ鉄筋コンクリートの堤防に眼をみはる。三陸海岸が過去に何度も津波の被害を受けているということはいつからともなく知っていたし、堤防が津波を防ぐものだということにも気がついていた。が、その姿は一言にしていえば大げさすぎるという印象を受ける。或る海岸に小さな村落があった。戸数も少なく、人影もまばらだ。が、その村落の人家は、津波防止の堤防にかこまれている。防潮堤は、呆れるほど厚く堅牢そうにみえた。見すぼらしい村落の家並みに比して、それは不釣り合いなほど豪壮な構築物だった。私は、その対比に違和感すらいだいたが、同時にそれほどの防潮堤を必要としなければならない海の恐ろしさに凍りつくのを感じた。 私が三陸津波について知りたいと思うようになったのは、その防潮堤の異様な印象に触発されたからであった。そして、明治二十九年と昭和八年に津波史上有数な大津波があったことも知るようになった。 私は資料を出来るだけ集め、三陸海岸へとむかった。そして体験者の話をきいてまわるうちに、津波の恐ろしさが私の胸にも実感となって迫った。
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