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2012.02.29

今和次郎 採集講義展

Konwajirou


この展覧会はパナソニック汐留ミュージアムで1月14日~3月25日まで開催されています。

私の人生は
育つのに20年
絵に10年
農村に10年
衣服に10年
住居に10年
生活学に10年
と言っています。

人間は如何に生活すべきか?
愛は最上のレクレーションとも・・・・
その多彩な仕事を工学院大学の今和次郎コレクションからスケッチ、写真、建築、デザイン図面等を展示。
本展の為に制作された模型、再現映像もあります。何しろその観察眼と微に入り細にわたる記録の膨大さ、その守備範囲の広さには驚嘆です。

以下は本展HP展覧会概要からの引用です。

青森県弘前市に生まれた今和次郎(1888-1973)は、昭和初期の急速に大都市化していく東京の街の様子や人々の生活の変化を採集(観察し、記録する)・分析した「考現学」の創始者として知られています。また、民俗学者の柳田國男らがつくった民家研究の会「白茅会」の活動に参加したことをきっかけにはじめた民家研究の分野でも重要な足跡を残しました。

一方、関東大震災直後の街頭に出て、急ごしらえのバラック建築をペンキで装飾した「バラック装飾社」の活動や積雪地方の暮らしを快適にするための試験家屋の試み、村の共同作業場の設計などに携わった建築家・デザイナーでもありました。さらに戦後になると、日常生活を考察する「生活学」や「服装研究」といった新しい学問領域も開拓していきます。こうした幅広い領域にわたる活動の根底には、都市と地方を行き交いながらさまざまな暮らしの営みを"ひろい心でよくみる"ことをとおして、これからの暮らしのかたちを、今を生きる人々とともに創造しようと模索し続けた今和次郎の生き方がありました。

展示構成は以下の通りです。
セクション1 農村調査、民家研究の仕事民家との出会い
「日本の民家」を旅する
民家と暮らし
朝鮮半島の民家を訪ねて
弟・今純三
セクション2 関東大震災―都市ほ崩壊と再生、そして現考学の誕生バラック装飾社の活動
現考学創始「風俗総合調査」
しらべもの「現考学」展覧会
現考学欧州の旅(欧州紳士淑女以外)
セクション3 建築家、デザイナーとしての活動
コミュニティーをつくりだす仕事
農村のくらしをすまいから見つめる
身の回りから考える自分らしい空間
装飾を楽しむ素朴な心
セクション4 教育普及活動とドローイングのめざしたもの大衆を動かすドローイング
「身にまとう」ドローイング
今和次郎、家族


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渡辺甚吉邸の椅子 1934年頃

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雪に埋もれる山の村の家(新潟県中頸城郡関川)1917年

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「配列された植木鉢(東京府西多摩郡日原)」1922年

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今和次郎、吉田謙吉「銀座カフェー服装採集1」1926年

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「新時代の生活方向家庭の客員の生活マヂノ線を防御しませう②主人」1940年


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2012.02.27

東京マラソン2012スナップ

今年もエントリー出来なかったので、応援・観戦です。
家を出るのが遅くなってしまい、新宿も銀座も先頭ランナー通過に間に合いそうもないので、浅草へ直行です。

これがまた、10時40分位に到着したものですから、間に合いませんでした。
曇天でしたが無風でランナーにとっては良い条件かなあー。


女性の先頭グル―ップ?ですかねえ―


集団で・・・これでも結構速いランナー。

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こちらにもあります。 

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2012.02.25

生誕100年 藤牧義夫展 モダン都市の光と影

Fujimaki


この展覧会は神奈川県立近代美術館鎌倉館で1月21日から3月25日まで開催されています。

鎌倉方面に用事があったので、ついでにと言っては何ですが、行ってきました。

藤牧義夫(1911-1935?)は、創作版画の分野で1930年代に活動した木版画家です。1911年に群馬県館林に生まれ、少年期から絵の才能を示し、16歳で上京して働きながら独学で木版画を学びました。1932年に小野忠重ら22名によって結成された新版画集団に参加して頭角をあらわしますが、1935年に行方が分からなくなります。  藤牧は、関東大震災後に復興した1930年代の東京の風景を、上野や浅草などの町並みを中心に、独特の彫りによる木版画で表現しました。また、近世の伝統を継承しつつ、現代的な感覚で隅田川などに取材する長大な白描絵巻を描いています。藤牧義夫は、ごく短い制作活動ゆえに幻の版画家として一度は埋もれかけましたが、1978年の展覧会により再び注目を浴びました。  本展は、藤牧の生誕100年を記念して、失踪前に残された版画・素描・資料約200点で構成し、白描絵巻の全貌を紹介する映像展示など画期的な試みを加えて展観するものです。
美術館HP解説の引用です。

展覧会の構成は以下の通りです。

第1章 東京に出るまで 1911(明治44)年~1927(昭和2)年
第2章 修業時代 1927(昭和2年)~1931(昭和6)年頃
第3章 新版画集団結成から《赤陽》まで 1932(昭和7年~1934(昭和9)年
第4章 白描絵巻以降 1934(昭和9)年~1935(昭和10)年
第5章 藤牧義夫関連文献

長年教職に就いていた父の死の翌年藤牧義夫は高等小学校を卒業します。さらに翌年、父の伝記を書いた自家製本「三岳全集第1巻」を完成します。この本が展示されていて、内容はディスプレーのスライドで観られます。その早熟さが分かります。

藤牧義夫の主題は上京してからの彼の生活の場であった上野や浅草を舞台とする都市風景、あるいは関東大震災から復興した新しい橋などの建築物また映画や演劇の空間に求められた。1934年第4回新版画集団展に出品した《赤陽》は上野広小路を描いたものだ。

ドイツ表現主義の影響があるともいわれますが、確かに、ケーテ・コルヴィッツの作品を想起してしまうような作品もありました。

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藤牧義夫《 朝(アドバルーン) 》1932年 
木版 
東京国立近代美術館蔵

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城沼の冬 1993年 木版 群馬県立館林美術館蔵

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藤牧義夫《 赤陽 》1934年 
木版、手彩色、一部コラージュ 
東京国立近代美術館蔵

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藤牧義夫《 つき 》(『新版画』第12号所収)1934年 
木版、手彩色 
神奈川県立近代美術館蔵


赤陽を製作した後手掛けた、白描絵巻が展示されています。前後期に分けての展示ですが
第5章の展示室大スクリーンで(映像で)全点見ることが出来ます。
巻物をまきながら観ている感じで絵が移動していきます。

面相筆の線のみで陰影をつけずに精緻に描かれたその作品はとても興味深く、かつ楽しめます。


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白描絵巻(隅田川絵巻)(昇華大学向島艇庫から三国神社まで)部分1934年 紙本墨画 東京都現代美術館

1934(昭和9)年の秋は藤牧義夫にとって一つの区切りとなった。6月に気管支カタルを患って夏には館林で静養し、やがてスケッチや水彩画を制作するなど回復の兆しが見えている。故郷館林では藤牧家も兄秀次の妻の実家新井家も日蓮宗の新興教団「国柱会」の熱心な信者であった。
帰郷した藤牧は国柱会が青年組織(精華会)を結成した9月9日・千葉県天津小湊の日蓮宗ゆかりの清澄寺を詣でている。
藤牧義夫も国柱会信者として期するものがあったと推察される。
白描絵巻が制作されたのはこの直後である。
まず、9月に隅田川下流、浜町公園から相生橋までの一帯を描く試みがなされたと推察され、続いて10月にかけて国柱会の本部江戸川区一之江の申考園を描いた《白描図絵巻(申考園)》が描かれる。
《白描図絵巻(絵巻隅田川)白鬚橋から西村勝三像周辺まで》とこれと画面がつながっている《白描絵巻(隅田川絵巻)(昇華大学向島艇庫から三国神社まで)》が制作されたのは(申考園)の後であり11月末に毎日隅田川方面に写生に赴いたと分かっている。

展覧会場の解説を引用しています。


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2012.02.23

タカオカ邦彦写真展 icons―時代の肖像

Takaoka

この展覧会は町田市民文学館ことばらんどで1月14日から3月25日まで開催されています。

タカオカ邦彦は林忠彦に師事した写真家です。
たばこと塩の博物館では「林忠彦写真展~紫煙と文士たち~」と題した展覧会が3月18日まで開催されています。林忠彦の作品は何度も観てきましたが、渋谷に行く機会があれば寄ってみます。
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肖像写真って面白いですよね。
私自身は、写真嫌いです。
最近特に、撮られた自分の写真を見ると落ち込みが激しくて・・・
矢張りそれなりの仕事を成し遂げた人の肖像(肖像写真)は魅力ありますね。
勿論、写真家の技術も加わって・・・・・
肖像写真の展覧会はよく見に行きますが、写真家により個性がありますよね。
撮影の方法にも興味がわきます、夫々拘りがありますね。
対象人物そのもの、あるいは、その作品から感じているイメージ、思いこみ、が写真家にも、その写真を見る側にもありますよね。
その思いが写真作品を通して合致したときはふむふむ、あれこんな感じ?意外、いがい、これも面白いですよね。

展示会場には、小冊子が準備されています。
撮影時の印象やエピソードが記されていますので、こちらを参考にして作品を見ていくとさらに楽しめます。

人物写真家・タカオカ邦彦にとって、写真は「被写体との出合い方」の凝縮された表象である。「icons―時代の肖像」と名付けられた本展は、タカオカが30年以上の写真家生活の中で出会った作家・文筆家など90人の肖像を集めた展覧会である。
(チラシ解説の抜粋)

入り口では忌野 清志郎の肖像写真が迎えてくれます。

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以下の画像はチラシからです。

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森村誠一

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辻 仁成

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串田和美

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忌野 清志郎


酔っ払いなので、誤字脱字等はご勘弁を・・・・


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2012.02.22

田中慎弥著 小説 共喰い

Tomogui

毎年芥川賞受賞作は読んでいますが、今年はなにかと話題の田中慎弥さん。
同時受賞の円城塔さんが目立たなくなってしまい可哀想な気もします。

さて、この作品。
人物描写、場面設定とそのディテールもしっかり表現されていて、うまいなーという感じ。
読み進むうちに物語の進行が気になり、結末を読みたくなってしまう程。
この力量は十分評価されてしかるべきと思いましたがしかし、新鮮さ、発見と驚きがないのも事実。
何でもありの過多な情報の渦の中で、余程の作品でないと驚かなくなってきたこの頃、小説家も大変だな、と。


昭和六十三年の七月、十七歳の誕生日を迎えた篠垣遠馬はその日の授業が終わってから、自宅には戻らず、一つ上で別の高校に通う会田千種の家に直行した。といっても二人とも、川辺と呼ばれる同じ地域に住んでいて、家は歩いて三分も離れていない。

小説の導入部です。

海に注ぐ淀んだ川の川辺にある地方都市の街で、遠馬は父親円と継母琴子さんと住んでいる。
歩いてそう遠くない所の、川沿いに遠馬の生みの親仁子さんが魚屋を営んでいる。
仁子さんは、戦争中の空襲で右手首から先を失い、それが原因で縁談が駄目になってしまう。
そんな仁子さんは、祭りで知り合った円と結婚する。
円はセックスの時に暴力をふるうという癖がある。
たび重なる出来事に、仁子さんは我慢できず、元々住み込みで働いていた魚屋にもどったのだ。
遠馬は円が継母琴子さんとの交渉時にも暴力をふるう、そんな場面を二階から見下ろして知ってもいる。

遠馬は遠馬で千種と交渉を繰り返す日々をおくっている。
ある時、拒む千種の首を絞める格好になり、それから千種とは疎遠に・・・・

円は、飲み屋の客と琴子さんの関係を疑っている。
その琴子さんが円の子供を宿す。
しかし、何故か遠馬には、家を出ることをほのめかす。

仁子さんの魚屋の川むこうのアパートには円と関係があった女がいて、いつもアパートの角に腰かけている。
千種に会えないで悶々としている遠馬が、アパートの前を通りかかると、女が遠馬の手を引いて自分の部屋に・・・遠馬は交渉の中で暴力をふるってしまう、父と同じように、父の血なのだと・・・・

小高い丘の社では祭りの準備が始まっている。
子供が遠馬の家にやってきて、踊りを教えてくれと社に誘い出す。
そこには千種が待たされていた。
子供たちの計らいごとだった。
二人は言葉をかわす・・・・・
まもなく「あさってここで待っちょるけえ」と言って千種は帰る。

次の日は大雨になった。
琴子さんは「ほんなら、馬あ君」と家を出る。

琴子さんが家を出た翌日、昼になって酒臭い円が帰ってきた。
暫く遠馬と話をした後、「わしの子、持ち逃げしやがってから。」と下駄をはき、昨日からの大雨で水になった道へ駈け出して行く。

琴子さんはどこまで行ったのだろうか、これからどうなるのか・・・・・遠馬は不安に思う。

しばしの時間が経過し、走って玄関にかけ込んだ子供が、「馬あ君、お社、お社」「馬あ君のお父さんがあ。」「千種ちゃんがあ。」「ごめえん。止められなかったんよお。」
子供たちの叫びを聞いて、遠馬は社に向かって走り出す。

遠馬が社に着くと、動けなくなっている千種がそこにいた・・・・・

そして・・・・・


物語はエピソードを織り交ぜががら以上のような筋書きで進行します。

そして、そして・・・・・・そして、そして。

撰者の何方かが選評で、最後の一行はいらないと書いておられましたが、私もそう思いました。


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2012.02.21

2012都民芸術フェスティバル参加公演 オーケストラ・シリーズNo.43  東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

Toukyoubunnka


友人からの招待で久しぶりのコンサート。
月曜日の上野に行くことはまずないのですが(美術館等の各施設の定休日ですからね)予想通り寂しくなるほどの風景です。東京文化会館だけは電飾も明るく、館内ロビーは開場を待つ人々で賑わっていました。
Tokybun
iphoneで撮った写真

PROGRAM
指揮 宮本文昭
出演 南紫音(Vn)
演奏 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
コンサートマスター/松野弘明

ロッシーニ:歌劇「どろぼうかささぎ」〈序曲〉
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64
==休憩==
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 op.68


レストランで食事の後、列に並んで入場。
会場内は少しですが空席もありました。

指揮の 宮本文昭が足早に登場、ロッシーニ:歌劇「どろぼうかささぎ」〈序曲〉の演奏開始です。
というところで、私は解説能力皆無なので、一般的な話を・・・・とても楽しい楽曲である事ぐらいは私にも分かります。

パーティー会場で銀の食器が盗まれ、女中のニネッタが犯人ではないかと疑われるが、かささぎがくわえて逃げた事が判明し、事件はめでたく解明する。というたわいもない話の歌劇なのですが・・・。

村上春樹の小説「ねじまき鳥クロニクル」「ねじまき鳥と火曜日の女たち」の冒頭で主人公がスパゲッティを茹でながら聞いている曲です」だそうです。

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64
この曲の出だしは 聞いたことのない方はまずいないのかもしれません。
南紫音のヴァイオリンが透明な甘美な、切ない空間を醸成していきます。
私のようなど素人でもどんどん感情がひき込まれていきます。

ベートーベン、ブラームスの同じジャンルの作品と共に「3大ヴァイオリン協奏曲」と呼ばれている傑作中の傑作であり、メンデルスゾーンの全体作品中でも最も魅力的な一曲として人気を集めている。

==休憩==
コーヒーを飲みながら友人のレクチャー

ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 op.68
第4楽章に登場するベートーヴェンの第9番のフィナーレの「歓喜の主題」と酷似しているといわれる旋律はベートーヴェンへのオマージュなのでしょうか。
ドラマチックなエンディングに拍手は鳴りやみませんでした。

ベートーヴェンを信奉して神のようにあがめていた彼はベートーヴェンの交響曲に匹敵するものでなければ作曲する意味がないと信じており、なかなか交響曲の作曲に着手しようとはしなかった。そして、ブラームスが43才の時にようやく完成されたこの第1番は、20年以上という恐ろしく長い年月が費やされて誕生した交響曲であり、感動的で充実した内容を誇る大作として高い人気を保ち続けている。

(以上、本公演の解説を引用しています)

このホールの音響の良さ、自然な、素直な音響は良いですね。

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の演奏ではありませんが
YouTube から動画をピックアップしてみました。


港北区民交響楽団第23回定期演奏会
1999年1月31日@横浜みなとみらいホール
指揮:白河和治、演奏:港北区民交響楽団



Felix Mendelssohn: Vioolconcert in e-klein… HD
Meer klassiek op http://klassiek.avro.nl 11 december 2011, ...


指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団


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2012.02.18

大阪市立東洋陶磁美術館コレクション 悠久の光彩 東洋陶磁の美

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この展覧会は東京ミッドタウンのサントリー美術館で1月28日~4月1日まで開催されています。

大阪市立というと自然に反応うしてしまうのですが・・・ご時勢でしょうか?

大阪市立東洋陶磁美術館コレクション 4000件から重要文化財13件国宝2件を含む約140展の展示です。

大阪市立東洋陶磁美術館は、住友グループ21社から「安宅コレクション東洋陶磁」寄贈の申し出を受けて大阪市が建設したもので、1982年11月に開館して以来、中国・韓国の陶磁器を中心に、多くの個人コレクターからの寄贈作品が加わり、現在では収蔵品の質・量ともに国内随一を誇ります。

国宝を含めて、見ごたえのある陶磁器が展示されていますが、さらにこの展覧会で中国陶磁、朝鮮陶磁の歴史を含めた大枠、概要を実感できることの意味も多いのではないでしょうか。
以下の展覧会の構成を観ていただければ、お分かり頂けるかもしれませんね。
飛青磁花生(重文)の美しさには圧倒されました。
照明もその美しさを際立てていました。

展覧会の構成は以下の通りです。
(画像はチラシから)

第一章 中国陶磁の美

緑 緑釉陶磁器と三彩

青 青磁のひろがり

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国宝 飛青磁花生 龍泉窯 元時代 13-14世紀


白 白磁と磁州窯

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重要文化財 白磁刻花蓮花文洗 定窯 北宋時代 11世紀


藍 青花と瑠璃釉

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重要文化財 青花蓮池魚藻文壺 景徳鎮窯 元時代 14世紀

黒 黒釉の茶碗

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国宝 油滴天目茶碗 建窯 南宋時代 12-13世紀

紅 釉裏紅と銅紅釉


彩 五彩と金襴手

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重要文化財 法花花鳥文壺 明時代 15世紀


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五彩牡丹文盤 (「大明萬暦年製」銘) 景徳鎮窯 明時代 万暦(1573-1620)

第二章 韓国陶磁の美

青 高麗青磁

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青磁象嵌雲鶴文碗 高麗時代 12世紀

土 粉青

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粉青白象嵌条線文簠 朝鮮時代 15-16世紀


白 朝鮮白磁

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青花辰砂蓮花文壺 朝鮮時代 18世紀


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2012.02.16

生誕100年 ジャクソン・ポロック展

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この展覧会は2月10日(金)~5月6日(日)まで竹橋の東京国立近代美術館で開催されています。

美術ファンならずとも観ておいた方が良いんじゃないかな・・・なんてお節介なことまで考えてしまいます。
ある観点から、ピカソを越えたとの評価も頷けます。
44歳飲酒運転による事故で亡くなるまでのポロックの短い、画家としての人生を時系列で概観できるまたとないない機会です。

「ピカソが全部やってしまった」という言葉を遺していますが、エド・ハリス渾身の監督作品「ポロック 二人だけのアトリエ」にもこの台詞はあります。私の記憶では、飲んだくれてアパートの階段を転げながらつぶやいたような・・・・
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私が観に行った日は空いていてじっくり鑑賞できました。
外国の方がいつもの近美に比べて多かったような気もしました。

何といっても、《インディアンレッドの地の壁画》は評判通りの良い作品でした。
「豪胆にして繊細、饒舌にして明晰、幻惑的な静謐、伝説の最高傑作」とチラシには書いてあります。

混沌の中からの、新しいイメージの発見に踊る心の奥底の躍動感そのリズムを感じました。
観た瞬間、えもいわれぬ感情が微塵の違和感もなく湧いてきます。
ポーリング、ドリッピング技法で埋め尽くされたオールオーバーな画面は、ポロックのポロックたる所以ですね。
1976年パーレビ時代イランに所蔵され、直後のイラン革命以来門外不出となっていた作品です。
あまりお金の話はしたくありませんが保険評価額200億円ともいわれている作品です。

この展覧会全体をみて、ブリジストン美術館でお馴染みの作品他、結構国内の美術館でもポロックの作品を所蔵しているのだな、なんて思ったりもしました。
そして早い時期に(1951年頃)ポロック作品は日本でも紹介されていたんですね。

展覧会の構成は以下の通り。
(画像は、チラシ、図録から、文章は本展のHPを参考にしています)

第1章 1930-1941年:初期 -自己を探し求めて-
1930年ニューヨークに出て絵画を学び始め、師事した地方主義の画家トーマス・ハート・ベントンのほか、ネイティヴ・アメリカンの芸術やメキシコ壁画、ピカソなど、ヨーロッパの前衛美術の影響を受けながら自分のスタイルを模索していった時期です。

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無題 自画像1930~33年頃
15歳から始まった飲酒癖は、ポロックの人生、画業にも影響を及ぼし続けたんですね。

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綿を摘む人たち 1935年頃
地方主義の画家トーマス・ハート・ベントンの影響が顕著な作品。

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コンポジション 1938~41年頃
ネイティヴ・アメリカンの芸術の影響がみらる作品、インヂアンの砂絵師の方法とポーリング技法の関連を・・・


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誕生 1941年頃
ネイティヴ・アメリカンの芸術の影響とピカソ的要素がみらる作品とされる。




第2章 1942-1946年:形成期 -モダンアートへの参入-
1942年以降、ポロックはヨーロッパのモダンアートをより積極的に吸収し始め、1943年に個展を開催。
飛躍的に活動の場を拡げていく時期です。

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ブルー 白鯨 1943頃
ミロの特徴を取り入れたとされる作品。

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トーテム・レッスン2 1945年

第3章 1947-1950年:成熟期 -革新の時-
「ポーリング」や「ドリッピング」の技法をオーバーオールに描くポロックが美術の歴史に名を刻む代表的な大作を次々に生み出した時期です。
更に次へのステップを模索し始めました。


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《ナンバー7,1950》1950年 


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インディアンレッドの地の壁画 1950年

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カット・アウト 1948~58年




第4章 1951-56年:後期・晩期 -苦悩の中で-
1951年、ポロックはその作品方向を換えます。多色を用いず、黒のそして具象的イメージが再び描かれ始めるます。作品数は減り、世評も落ち込み、私生活でも問題を抱え、新たな可能性を模索するのですが・・・・

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ナンバー7、1952 1952年



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2012.02.12

京都 細見美術館展 PartⅠ都の遊び・王朝の美

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この展覧会は横浜のそごう美術館で2月4日(土)~3月20日まで開催されています。

PartⅡは琳派・若冲と雅の世界と題して、5月26日から7月16日の日程で開催されます。

この展覧会を観て横浜美術館の松井冬子展に向かいました。
なかなか良い日になりましたよ。

細見美術館は、大阪の実業家であった故細見良(初代古香庵)にはじまる細見家3代のコレクションをもとに、1993年3月京都の岡崎に開館しました。その収蔵品のなかから厳選された美術品を2期に分けて京都 細見美術館展として開催されます。

PartⅠは「都の遊び・王朝の美―美を愛でる、京を知る―」です。

江戸時代の作品を中心に平安後期、鎌倉時代、江戸、明治、大正、昭和と連綿と続く日本の美術、工芸の系譜を、往時の暮らしに思いを馳せながら鑑賞してきました。

展覧会の構成は以下の通りです。

王朝の雅―和歌と物語―
謳われた季節の風情や恋心、物語の名場面などに感情を託し趣向を表現する都ならではの芸術。
俵屋宗達下絵、本阿弥光悦書の軸はよく見かけますが本展にも展示されています。
その書の優雅さは大好きです。
思いが伝わります。
蒔絵工芸品、能装束、屏風なども展示されています。
(照明の反射で蒔絵部分が見ずらかったのが気になりましたが・・・)

都の四季―遊びと飾り―
催事を記録し神仏に奉納された絵画は宴の楽しみや祭りの賑わいを活写する名所、祭礼遊楽図へと発展します。これらはまさに往時を知る情報の宝庫です。

このコーナーは、都の生活、優雅さと、また庶民の生活が屏風絵などから偲ばれます。
<蝶々踊図屏風>などに見られる躍動感に溢れる絵はとても楽しいものです。

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<北野社頭図屏風>江戸前期

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<花車図屏風>江戸後期

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小沢華獄<蝶々踊図屏風>江戸後期


京の絵画―若冲から雪佳まで―
円山応挙、円山四条派に連なる、原在中、山口素絢、松村景文などの作品そして若冲の作品も展示されています。
中国写の煎茶器で有名な青木樹米の山水図「富士望見図」もありましたよ。
神坂雪佳の一部図案化された作品も新鮮でした。
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円山応挙<若竹に小禽図>寛永7(1795)年

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伊藤若冲<伏見人形図>江戸中期

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2012.02.09

松井冬子展 世界のなかの子と友達になれる

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この展覧会は2011年12月17日から2012年3月18日まで横浜美術館で開催されています。

この展覧会の副題<世界中の子と友達になれる>は藝大の卒業制作だそうですが、自らこう解説しています

この絵の題名とした「世界中の子と友達になれる」という絶対的に実現不可能な狂気のイデアを私は幼児期に確信したことを記憶している。誇大妄想に等しい全能的思い込みではあるが、今でも私の心的窮状を鎮める呪文、琴線を震わす言葉としてあてはめた。


以前から、単品で作品自体は何度も見ていて、直ぐに名前を覚えてしまうほどの個性を感じていました。
先ずは、洋画から日本画に転身して研鑽を積んできた、その描くことの、表現することの力量は素直に、この天覧会で数多くの作品を纏めて鑑賞して、あらためて感心してしまいました。
「女、メス、リアリティーのあるものしか描きません」と松井さんは言います。
展覧会の構成からみて分かるように、死、狂気、に連なる人間の痛みを描き続けています。
「痛みは孤独な感覚で、他人には伝わらない。でも(絵という)視角から得られる情報で、その痛みを共有できたら」とも語っています。

その作品に描きこまれた素材は、人体の内臓であったり、咲き誇り、やがて朽ち果てていく花々であったり、体にまとわりつく蛆であったりします。その表現の方法は、また、作品に付けられた哲学的?タイトルには少々馴染めないものを感じたのも確かです。
作品そのものが、相当雄弁なのに加えて、更に、多くの作品に自らの解説が添えられています。
若い写真家の展覧会なんかによく見られる、解説のその難解さ、を思い浮かべてしまいました。
観る人の年齢差、性差による、作品に対する感性の違いも結構あるかもしれない、そんな感じもしました。
この画家の作品世界が、これからどんな展開していくのかとても楽しみです。

展覧会の構成は以下の通りです。
第1章 受動と自殺

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<盲犬図>2005年


第2章 幽霊

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<夜盲症>2005年


第3章 世界中の子と友達になれる

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<世界の子と友達になれる>2002年

第4章 部位
第5章 腑分
第6章 鏡面

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<この疾患を治癒させつために破壊する>2004年


第7章 九相図

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<浄相の持続>2004年


第8章 ナルシズム

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<終極にある異体の散在>2007年

第9章 彼方

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<喪の寄り道>2010年

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2012.02.08

三代 山田常山―人間国宝、その陶芸と心

Yamadakyusu

この展覧会は1月7日から2月19日まで丸の内の出光美術館で開催されています。

三代山田常山(1924~2005)は大正13年、愛知県常滑市に生まれた陶芸家です。常滑焼(急須)の作陶 により、平成10年には重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。

何しろ急須をこれだけ纏めて鑑賞するのは初めてですから、一から勉強でした。
茶銚、と茶注の違いからですから・・・・これもまた楽しいものです。
あらためて、その急須を観てみると、品の良い、簡素なフォルムに肌合いの微妙な変化が加わり惚れ惚れでした。
玉露用の絞り出し茶注、三代目の代表器形とされる鎌倉器形の急須も展示されています。
更に、酒器、・食器、壺等の作品もあって、こちらは、がらりと変わって、荒々し肌合い、重厚な趣のある作風で、意外な面白さでした。
だまだ未知の素晴らしい世界があるんだな、と何かとても嬉しくなってしまった、そんな展覧会でした。

展覧会の構成は以下の通りです。
(画像はチラシからです。余分な模様が混じっているのはそのためです)

I. 三代 山田常山の源流 ―青木木米、初代・二代常山

II. 朱泥の急須と煎茶具 ―中国のかたち、日本のすがた(1)
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朱泥茶注


III. 紫泥と烏泥の急須 ―中国のかたち、日本のすがた(2)

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梨皮鳥泥茶銚

IV. 白泥・藻がけ・彩泥 ―三代常山の“優雅”と“遊び心”

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常滑藻がけ窯変茶注

V. 茶陶と酒器・食器 ―歴史に学ぶ、伸びやかな作陶

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常滑自然釉香合

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常滑自然釉花入れ


VI.常滑自然釉と登窯 ―常滑焼の伝統に向き合う心

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常滑自然釉茶注(鎌倉形)

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常滑自然釉茶注

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2012.02.05

日本の美を愛した巨匠たち 近代日本画家名品展―横山大観から平山郁夫まで―

この展覧会は日本橋三越本店 新館7階ギャラリーで1月25日から2月6日まで開催されています。
デパートの展覧会は開催期間が短いですからね、明日までです。

国内屈指の近代日本画の名品を蒐集する吉野石膏株式会社及び公益財団法人吉野石膏美術振興財団。その貴重なコレクションの中より、美の神髄を追い求めた巨匠たちの習作を紹介します。
チラシにこう書いてあります。

正直な話、あまり期待しないで出かけたのですが、これが十分満足させてくれる秀作が並んでいました。
大家の夫々の画家の個性が際立つ作品が展示されていて、これはチョット驚きでした。

一部の画家を除いて、5~8展程度出品されていて見ごたえもありました。
上村松園の「青眉」は良かったですよ。
高山辰夫の静物も素晴らしかった。
御舟の作品も・・・・・

出展作家と展覧会の構成は以下の通りです。(画像はチラシから)
横山大観 上村松園 鏑木清方 小林古径 安田靫彦
前田青邨 奥村土牛 速水御舟 小倉遊亀 伊東深水
上村松篁 岩橋英遠 片岡球子 東山魁夷 杉山 寧
奥田元宋 髙山辰雄 加山又造 平山郁夫 (生誕順)

「再興院展三羽烏」安田靭彦 小林古径 前田青邨

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「洞窟の頼朝」前田青邨 1958年


「美人画」の確立者 鏑木清方 伊東深水

日本画を革新した天才 速水御舟

院展100才の画家 奥村土牛 小倉遊亀 片岡球子

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「めでたき富士(西湖の富士)」片岡球子

巨匠 横山大観と女流画家の先駆 上村松園

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「菊慈童」横山大観 1897年

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「青眉」上村松園 1934年


「創画会」の功労者 上村松篁

五山と呼ばれた巨匠たち 東山魁夷 杉山 寧 高山辰夫 加山又造 平山郁夫

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「麗」杉山 寧 1988年


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「緑の朝」高山辰夫 2003年

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「微風」加山又造 1994年

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「月光薬師寺」平山郁夫 2003年

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2012.02.02

宇宙から見たオーロラ展2012

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この展覧会は新宿のコニカミノルタプラザギャラリーB&Cで1月20日~2月19日まで開催されています。

2011年に国際宇宙ステーション(ISS)から撮影されたオーロラ写真などを中心に展示。
また、宇宙航空研究開発機構(JAXA)と日本放送協会(NHK)が共同開発した超高感度カメラで古川宇宙飛行士が撮影したオーロラの映像も展示、上映しています。

このギャラリーでは何度かこの企画を行ってきましたが、今回が一番楽しめるかもしれませんよ。
動画映像の放映が沢山ありますし、オーロラの発生原理などもとても分かりやすく動画放映されていて、家族連れでも十分楽しめる展覧会だと思います。

宇宙から見たオーロラ、世界各地でのオーロラ、日本で見られたオーロラ、綺麗、きれい、キレイ・・・・赤、緑、青色のそして、かたちを変えながら流れるオーロラの美しさは神秘的ですらあります。
実際に見てみたい!!

開催期間中は無休ですから、新宿に出かける予定のある方、覗いてみると良いと思いますよ。

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Courtesy of image Science & Analysis Laboratory,NASA Johnson Space Center


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Courtesy of image Science & Analysis Laboratory,NASA Johnson Space Center


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Courtesy of image Science & Analysis Laboratory,NASA Johnson Space Center


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Courtesy of NASA

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アラスカ  撮影:牛山俊男

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アラスカ  撮影:牛山俊男

会場内のスクリーン上でオーロラ生中継もしています。
同サイトを見たい方は、こちらをクリック。
Live!オーロラ


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2012.02.01

平清盛展

Kiyomori

この展覧会は、1月2日から2月5日まで、両国の江戸東京博物館で開催されています。

大河ドラマの放送も始まり、いろいろな評判もでてきていますよね。
私自身は、連続もののドラマは一切見ませんので、なんとも言えませんが・・・・

展示会場は結構混んでいました、団体客もいらっしゃいましたが、時間制限があるのでしょう、よく見られない様子でお気の毒です。
何しろ解説?が豊富で、皆さん熱心に読まれていて、列が進みません。
という状況で、目玉展示ともいえる国宝「平家納経」の展示ケースには人がまばら、何か不思議。
そして、節電?で館内は寒かった。

国宝「平家納経」など、世界遺産・厳島神社の至宝、堂々公開
これはチラシのコピーですが、この展覧会は、平清盛を中心に、平氏の栄枯盛衰の歴史を、その時代に生きた人々、まつわる文物をと通して再検証するそんな楽しい展覧会です。

戦乱の時代を生きた人々の、過酷なドラマチックな人生と宗教(仏教)に寄せる篤い思いはいつの時代も共通しています。
そして、その権力(権力のあり方の善悪はあるとしても)を背景に、素晴らしい芸術作品を創造してきたのも事実です。そして、西行のように世を捨てて(高貴な方との失恋によるという説もあるようですが)放浪の歌人になってその作品で後世に名をのこす人も。(西行の書の展示もありました)

貴族社会から、武士による統治の世を作り上げた平清盛。
国を豊かにするために日宋貿易を行い、海に浮かぶ厳島神社の造営を行い、繁栄を願って「平家納経」を奉納するなど数多くの荘厳な宗教美術を生み出しました。
平安末期を生きた人々の肖像画、書跡、源平合戦を描いた絵画、平安末期の文化を象徴する美術・工芸品などが展示されています。

展示構成は以下の通り。
第1章 平氏隆盛の足跡
第2章 清盛をめぐる人々 
第3章 平氏の守り神-厳島神社
第4章 平氏の時代と新たな文化 
第5章 平家物語の世界

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〈国宝 平家納経 平清盛願文〉平安時代/厳島神社

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<重要文化財 伝平重盛 青磁茶碗 銘馬蝗絆>南宋~元代

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<国宝十二天像 月天>平安時代

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<国宝 平清盛、頼盛合筆 紺紙金字法華経>平安時代

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<一の谷・屋島合戦図屏風>江戸時代

 

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