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2012.01.30

野田裕示 絵画のかたち/絵画の姿 

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この展覧会は乃木坂の国立新美術館で1月18日から4月2日まで開催されています。

抽象作品の展覧会って一寸身構えてしまうところがあるのですが、この展覧会は面白いですよ。
どう面白いかと問われると、これがまた困るのですが。マチエールであったり、色彩構成、対比であったりは勿論なのですが、その制作方法、過程にまで興味がつながります。制作過程映像の放映もあります。
カンヴァス地が木片の上に被さって盛り上がっていたり、カンヴァス地が折り曲げられていたり、何層にも重なったり、縫い合わされたりします。平面作品というより、ある種の立体作品と考えたほうがいいかもしれません。
画像では無理、作品で実体験しないと何も分らないと思ってしまうほどです。
作品タイトルは全てWORK147(数字の連番)というのも、らしいですね。
野田裕示の作品全貌が見渡せるまたとない機会です。

展覧会の構成は以下の通りです。
画像はチラシから。
第1部
1980年代─絵画の可能性への試み
[約30点]
絵画を成り立たせている構造への興味と、平面の表現に対する真摯な問いかけがあったものと想像され、一種のレリーフ作品ともいえるような作品が並びます。

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1982年 アクリル、綿布、紙、木、ボード

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1987年 アクリル、木、カンヴァス


第2部
1990年代─独自の様式の確立と展開
[約40点]
大きな凹凸は少なくなりカンヴァスを縫合したり、折り返し重ねることによって作られた作品が見られるようになります。この時期の作品、そして現在につながる作品が私は面白いと思いました

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1990年 アクリル、木、カンヴァス

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1993年 アクリル、麻布、木、カンヴァス

第3部
2000年代─さらなる可能性を求めて
[約70点]
カンヴァスを重ねることによって作られてきた下地は、徐々に平滑になり、大きな作品が増えてきます。色彩と形象の面白さと、大画面の迫力も加わり、展示空間を意識した作品は楽しい。


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2001年 アクリル、綿布、カンヴァス

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2006年 アクリル、綿布、カンヴァス

特別展示
彫刻家・岡本敦生とのコラボレーションによる立体作品[17点]の他、ドローイング[60点]も併せて展示。

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2012.01.27

ストリート・ライフ ヨーロッパを見つめた7人の写真家たち

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この展覧会は恵比寿の東京都写真美術館で1月29日まで開催されています。


イギリス、フランス、ドイツで活躍した7人の写真家を取り上げ、19世紀後半から20世紀前半に展開したヨーロッパのソーシャル・ドキュメタリー写真に焦点を当て、そこに貫かれる記録精神をたどります。

平成23年度収蔵品展です。
何度もこの美術館に足を運んだ方には、お馴染みの写真家、その作品との再会いになるかもしれませんが、矢張り感慨深いものがあります。私は同館で開催されている、他の企画展も一緒に観て来たのですが、何かとても写真、映像文化について考えさせられました。

同館で同時期に開催されている企画展
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見えない世界のみつめ方展(1月29日まで開催)

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日本の新進作家展vol。10写真の飛躍展(1月29日まで開催)


以下、ストリート・ライフ展のチラシから引用です。

トーマス・アナン(英、1829‐1887)
再開発で壊される前の都市グラスゴーの景観を記録した。
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〈グラスゴーの古い小路と街路〉より 1868‐77年


ジョン・トムソン(英、1837‐1921)
ロンドンの暮らしを撮影し、社会改良のドキュメンタリーの先駆けとなる。
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〈ストリート・ライフ・イン・ロンドン〉より1877‐78年

ビル・ブラント(英、1904‐1983)
1930年代、イギリス人の社会生活を記録した。
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〈イースト・エンド〉1937年

ウジェーヌ・アジェ(仏、1899‐1984)
消えゆくパリの街並みや人々の暮らしを撮影した近代写真の先駆者。
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〈金の十字架 サン=タンドレ=デ=ザール街54番地〉1900年9月

ブラッサイ(仏、1899‐1984)
マグネシューム・フラッシュを使ってパリの闇を捉えた。
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〈ベイ・ブイエールの人混み、モンパルナス〉1932年

ハインリッヒ・ツレ(独、1858‐1929)
社会の弱者たちに注ぐ優しい視線でベルリンを記録した。
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<荷車一杯の木を運ぶ2人の女〉1898秋

アウグスト・サンダー(独、1876‐1964)
あらゆる階級やあらゆる職業のドイツ人を記録した。
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〈若い農夫たち〉1914年


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2012.01.26

長谷川豪展 スタディとリアル

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この展覧会は、乃木坂(南青山)のTOTOギャラリー・間で1月14日から3月24日まで開催されています。
日曜・月曜・祝日は休館ですのでご注意ください。

設計も展示もとてもシンプル爽やか、この感じ好きですよ。

長谷川豪氏のデビュー作「森のなかの住宅」から「石巻の鐘楼」まで全11プロジェクトを、各計画に応じたスケールの模型やスケッチなどで紹介しています。

この展覧会を機に、東日本大震災で被害を受けた石巻市にある幼稚園に建築を贈るプロジェクトを立ち上げた。とても小さな建築を設計し、TOTOギャラリー・間の中庭に建て、会期後のそれを幼稚園に移築する。今回の震災のような「想定外」の前では、習得したこと=Learnだけで対応することが困難であることを僕たちは経験した。震災に限ったことではない。複雑で不確かな時代だとされるいま、その都度問を繰り返しながら現実のプロジェクトに自らか迫っていく、という姿勢Studyが不可欠なのではないか。(チラシから一部分の引用です)

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TOTOギャラリー・間の中庭に展示中の「石巻の鐘楼」
日に三回、この鐘が鳴らされます。

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移設予想図


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森の中の住宅(2006年 長野県北佐久郡)


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練馬のアパートメント(2010年、東京都練馬区)


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駒沢の住宅(2011年 東京都世田谷区)

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2012.01.24

没後150年 歌川国芳展

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この展覧会は六本木の森アーツセンターギャラリーで下記日程で開催されています。
前期:2011年12月17日(土)~2012年1月17日(火)
後期:2012年1月19日(木)~2月12日(日)

歌川国芳は人気で、一昨年の府中の国芳展では確か図録が完売だったと思います。
これからも、町田市立国際版画美術館で、「浮世絵―国芳から芳年へ」展が3月3日から開催される予定です。
私は、国芳の大ファンという程ではないのですが、この規模の展覧会となると矢張り気になります。
前・後期ほぼ総入れ替えで総作品数421点です。
既に前期を観て来て、近いうちに後期を観に行く予定にしているのですが、会場は混んでます(二重三重の列というほどではないのですが)一点一点丹念に観ていくと結構疲れます。

歌川国芳は、寛政9年(1797年)日本橋に生まれます。12歳の時に描いた鍾馗の絵が歌川豊国に認められて門下に入ったと伝えられています。暫く不遇の時代を送っていた国芳は文政10年に版元加賀屋によって出版された「通俗水滸伝豪傑百八人之一個(壺人)」で脚光を浴びます。浮世絵師として地歩を固た国芳は、天保以降、他のジャンルにも幅広い作画活動を展開します。
天保13年(1842)6月、老中水野忠邦が行った天保改革の一環として、役者、遊女、芸者などの絵を出版することを禁じる御触れが出される。この禁令によって戯画、子ども絵が多く出版されるようになり、権威を嫌う江戸っ子特有の「茶化し」の意識が反映された絵が見られるようになります。
晩年の寛永期以降は、天保改革の風俗取り締まりも緩くなり役者絵も役者の名前を記さないという条件で許可されるようになる。国芳は役者を動物や器物などの姿とする、擬物化した絵を多く描いている。
文久元年(1861)3月5日日本橋人形町の自宅で歿している。

展覧会構成は次の通りです。
第1章  武者絵-みなぎる力と躍動感
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「通俗水滸伝豪傑百八人之一個(壺人)波裡白跳張順」 文政11‐12年(1828‐1829頃) 前期展示

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「宮本武蔵の鯨退治」 弘化4年(1847頃) 前期展示


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「相馬の古内裏」 弘化2‐3年(1845‐46頃) 前期展示


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「国芳もやう正札附現金男 野晒悟助」 弘化2年(1845頃) 後期展示

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「鬼若丸の鯉退治」 弘化2年(1845頃)後期展示


第2章  説話-物語とイメージ
第3章  役者絵-人気役者のさまざまな姿
第4章  美人画-江戸の粋と団扇絵の美
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「鏡面シリーズ 猫と遊ぶ娘」弘化2年(1845頃) 前期展示

第5章  子供絵-遊びと学び
第6章  風景画-近代的なアングル
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「忠臣蔵十一段目夜討の図」 天保2‐3年(1831‐32) 後期展示

天保13年(1842頃)
第7章  摺物と動物画-精緻な彫と摺
第8章  戯画-溢れるウィットとユーモア 
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「猫の当字」ふぐ」 天保13年(1842頃) 前期展示


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金魚づくし ぼんぼん」  後期展示

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「みかけハこハゐがとんだいいひとだ」 弘化4年(1847頃) 通期展示

第9章  風俗・娯楽・情報
第10章 肉筆画・板木・版本はか

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2012.01.22

渋谷ユートピア 1900‐1945 原宿にも、恵比寿にも、代々木にも、画家は住んでいた。

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この展覧会は渋谷区立松濤美術館で2011年12月6日~2012年1月29日まで開催されています。


明治末から昭和戦前までの渋谷に住んだ美術家、渋谷近代のアーティスト・コロニー(芸術家村)を探索しようとする展覧会です。池袋モンパルナス、落合文士村のような多くのそして多彩な芸術家が集まり交歓していた代々木、恵比寿、原宿を見てゆきます。美術家たちのユートピア—美の発信地であった、かつての渋谷の姿を再発見しようとするもので、油彩画、日本画、彫刻、版画、詩稿、手紙、ポスター、デザイン画、装幀・挿絵、家具、建築図面など約150点で展望します。
(サイトの解説を引用しています)


40年近く渋谷区の住民であった私にとって土地勘もあり、とても面白い展覧会でした。
勿論、生まれる以前の事ですので、うわー、こんな事が、こんな人が、と驚く事もしばしばでした。
辻永が恵比寿で牧場、羊を飼っていたなんて・・・・更にセガンティーにに憧れていたなんて、嬉しい、楽しい。

以下は、チラシの文章をそのまま記しました。
(画像もチラシから)

国木田独歩は武蔵野に逍遥する

与謝野晶子が詠う

菱田春草は落葉の雑木林に入る
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菱田春草 〈落葉〉1909

岡田三郎助は裂を蒐める

代々木練兵場で本邦初飛行す

辻永は恵比寿で羊を飼う
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辻永〈無花果畑〉1912

岸田劉生は切通しに画架を立てる
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岸田劉生〈赤土と草(草と赤土の道)〉1915

神宮の森が出現する

村山槐多は鐘下山房に歿す
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村山槐多〈裸婦習作〉1915

エビスビールを飲み干す

富永太郎は点滅する仁丹の広告燈を憎む
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富永太郎〈上海の思い出〉1924

林芙美子が道玄坂に露天を広げる

春の小川は流れる

竹久夢二は彦乃を思い、お葉と暮らす
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竹久夢二〈セノオ楽譜 宵待草〉1918

児島善三郎の庭は薔薇がいっぱい
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児島善三郎〈おさげ髪の少女〉1926

平塚運一の家では闇汁会

黒猫のよちゃんが歌う

蔵田周忠は同潤会アパートメントに住む

忠犬ハチ公が駅前で銅像となる

叛乱の青年将校は眠る

谷中安規はネオンの街に彷徨う


展覧会の構成は以下の通りです。
序章.逍遙する人—《落葉》と代々木の菱田春草
Ⅰ章.岡田三郎助と伊達跡画家村
Ⅱ章.永光舎山羊園と辻永
Ⅲ章.切通しの道と草土社—岸田劉生の風景
Ⅳ章.束の間のユートピア—村山槐多の終焉
Ⅴ章.竹久夢二のモダンとおんな
Ⅵ章.詩人画家富永太郎の筆とペン
Ⅶ章.フォービズムの風—独立美術協会の周辺
Ⅷ章. 郊外を刻む—版画家たちの代々木グループ
Ⅸ章. 同潤会アパートメントに住む―蔵田周忠と型而工房
Ⅹ章.安藤照とハチ公と塊人社—昭和前期の彫刻家たち
終章.都市の遊歩者—谷中安規と《街の本》

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2012.01.20

清明上河図鑑賞顛末記

東京国立博物館で開催されている、北京故宮博物院200選を観に行ってきました。
そこに展示されている、何かと話題?の清明上河図鑑賞の顛末について記します。
展覧会は2月19日まで開催されていますが、清明上河図は1月24日までの展示ですので、ご注意ください。

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今年に入って3回東博には行っています。
最初は、正月の3日、目的は毎年行っている「博物館で初詣」です。
この日は清明上河図の待ち時間は70分でした。2日から始まった展覧会なので、もう少し待つか・・・・という事で北京故宮博物院200選展には入場しませんでした。

これが間違いのもと、日がたっても全然待ち時間が減るようすがありません。
仕方なしに二回目、この日は入館まで90分、清明上河図鑑賞まで240分待ちの掲示、4時間待つのはきついなと思い、この日も諦めた。但し、他の作品は時間をかけて観てきました、混んでましたけど。

それでも、諦められず、3回目、以下時系列で・・・・

東博正門に到着すると、館員が大きな声で話しています。
「特別展を鑑賞される方は、必ず待ち時間の確認をお願いします。今現在入館まで90分、清明上河図鑑賞まで240分です」

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私は、12時頃展覧会場に入りました。
会場を一巡して、いつ頃列に加わろうか、と考えましたが、どうも気持ちが落ち着きません。

12:37 とうとう列の最後尾に移動。
平成館に入って直ぐ左のコンコース、講堂の壁づたいに2列で並んでいます突き当たりが最後尾。
外にはまだ入場待ちの長い列が続いています。

12:56(19分経過) 最初の関所を通過、エスカレーターで二階へ。
二階に上がって正面の休憩所の腰掛けがほぼ取り払われていて蛇行の列があり、その最後尾に並ぶ。
列の最後尾には、誘導係の女性が張り付いて割り込みを防いでいます。
「一人で来ている方でトイレ等で離れる方は、前後の方に一言かけてからお願いします」と説明。

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13:35(54分経過) 第二の関所通過
二階のトイレがある方の廊下に2列で。
ここでも最後部で誘導員が監視。
誘導員が眼を放したのか?割り込もうとした人がいたようで、並んでいた男性が注意する声が聞こえてきました。何処にもいるんですよね。
そろそろ、屈伸したり、足をぶらぶらさせている人も見かけます。私の前の御夫婦は、代わる代わる、トイレに行ったり、ミュージアムショップで買い物。

ショップの前を通過して、第三の関所直前(第一会場の出口)まできました。
前の前のご婦人が先頭で盛んにキョロキョロ、そのうち仲間を発見し大声で呼びとめて、列に加わらせる。他の展示を見ていた様子。
私の前の方が、係員に「あとどのくらい待ちますか」
「三、四十分だと思います」と係員
「トイレに行かれる方は、今のうちにお願いします、会場内に入ると列を離れることは出来ません」
後ろの女性が、写真をパチパチ、この方、展示会場に入っても係員がいない時を見計らって?パチパチ。

14:25(104分経過) いよいよ第一会場内に、前方に暗幕。
ここで、展示会場から出てきた女性が、誘導員にくってかかる。
「せっかく長時間並んで入ったのに、何も見えない」
「最前列でご覧になるには、清明上河図鑑賞の列に並ばないと・・・・」
ご立腹の女性は納得せず、清明上河図展示場所に戻ろうとします。
「皆さま、平等にご覧いただくために、ご協力お願いします」
「一方通行です、戻ると危険ですので」
係員(女性二人)の制止を振り切って、人混みにぶつかりながら清明上河図展示場に戻って行った女性どうなったんだろう?

14:25 暗幕が開けられていよいよ会場内に。
向かって右側の壁に、清明上河図のコピーと解説、左にディスプレーに解説が流れています。
この裏側に清明上河図の展示場があります。
仕切りがあって片側(ディスプレー側)は、並ばない方の通路になっています。

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これはチラシからですが、壁に貼られた解説はこんな感じです。


ここでもご婦人が携帯で、仲間を呼び出し(声が大きい)、係員が飛んできて
「展示場内は通話禁止です」監視員も苛立っている様子。
やがてお仲間参上、二人で話し続ける。

14:35(114分経過) いよいよ清明上河図。
ここで一列になり鑑賞です。
三人の警備・誘導員が叫び続けます。
「歩きながらの鑑賞をお願いします、間隔をあけないでください」
「ケースに肘や手をつけないでください」
「間が空いています、つめてください」
私の隣の、例のカメラカシャカシャの女性が動きません、ガラスに手を当てて覗きこんでいます。
警備の方が実力行使。
という事で、蟹の横這い状態での清明上河図鑑賞時間は3~4分でした。
それでも、観ることが出来て良かった!!
(壁には1.5倍に拡大したコピーを展示。並ばない方はこれを見るしかありません)

会場を出ると、180分待ちの掲示が目に入った。
もう一度観たい!!
14:44 もう一度並びました。
15:50 再度鑑賞

結局240分待ちの掲示に対して実際は120分程度、180分待ちの掲示に対して1時間10分程度の待ち時間で済んだことになります。

その後、第一会場へ、この時間になると空いていた。
第二会場は混んでいる。
16:30頃になると監視員の方が「5時までに並んだ方は、必ず清明上河図を見ることが出来ます」等々を大声でふれ回る。
この頃には、列の最後尾は1階に逆戻り待ち時間は240になっていた。

結局私の場合、入館後、2回で合計約3時間並んで、鑑賞時間は6~7分。
まあ、観ないわけにもいかないし・・・・・・一生に一度見られるかどうかの神品ですからね。

今日も含めてあと4日(月曜日は休館)さらなる混雑が心配。

混雑状況はこちらで確認できます。
会場ライブ

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2012.01.18

ノーベル賞110周年記念展

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この展覧会は上野の国立科学博物館で2012年1月22日まで開催されています。
今週までですね。

閉館一時間前程度に入館したのですが、結構見ごたえのある展覧会でした。
時間が足りず、日本人ノーベル賞受賞者功績展は、ほぼ素通り。

二部構成になっています。
原則的に巡回展は写真撮影可、功績展は不可でした(受賞メダルの一部可)


以下に展覧会の構成と概要を簡単に記します。
ノーベル博物館巡回展
アルフレッド・ノーベル:革新のネットワーク
A サンクトペテルブルグ
ノーベルは、ストックホルムとサンクトペテルブルグで少年期から青年期を過ごしました。サンクトペテルブルグでは、ニトログリセリンに出会いました。

 イノベーション
発明が広く利用されるようになった時、それは技術革新となります。ノーベルの最も重要な発明であるダイナマイトは、当時の産業に大きな技術革新をもたらしました。

 ネットワーク
ノーベルは、発明家であり実業家でもありました。そのため、彼は世界を旅し、手紙を出し、発明や事業に関係する人々とのネットワークを広げていきました。

 パリ
1873年、ノーベルはパリに活動拠点を移し、世間に認められた裕福な人物として過ごしました。大都市パリでの彼の生活を紹介します。

さて、ノーベルは一生独身でしたが、そこはいろいろ、その辺の事情もこの展覧会では紹介しています。
次の様なエピソードがあります。
展示解説の一部引用です。

アルフレッド・ノーベルのパリの生活における重要な部分は、ゾフィー・ヘスというオーストリア人女性との18年にわたる問題をはらんだ関係であった。長い間ゾフィー・ヘスはパリにアパートをもっていた。しかし、彼女はほとんどそこにはいなかった。

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パリにある大きなデパートの一つであるブラン・マガザン・ドゥ・ルーブルからゾフィー・ヘスへ宛てられた領収書

このコーナーでは「人生・恋・パリ ノーベル氏へのインタビュ-」という17分ものの映画も放映されています。


 ラストウィル
1895年11月27日ノーベルは世界でもっとも有名な遺書の一つにサインをしました。この遺言には、後にノーベル賞として実現する彼の意志が書かれていました。

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ノーベルの遺書<複製>


以下ににスナップを・・・・・

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・日本人ノーベル賞受賞者功績展について、以下タイトルのみ記します。
アルフレッド・ノーベルとの対話

 The Last Willから日本人受賞まで
 日本人受賞者別展示
 アルフレッド・ノーベルとの対話(映像展示)
 椅子に書かれた受賞者サイン
 映像ライブラリー
 ノーベル賞の世界


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2012.01.16

ヴァレリオ・オルジャティ展

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この展覧会は竹橋の東京国立近代美術館ギャラリー4で2011年11月1日~2012年1月15日まで開催されていました。
既に終了しています。

同館の、ぬぐ絵画展と同時期に開催されていた展覧会です。

作品のユニークさと共に展示方法に拘った、とても印象に残る展覧会でした。
ヴァレリオ・オルジャティは言います。

図面や図版といったすべての情報は床に置かれている。そして、模型は樹のように立っているから会場の中を歩き回っていると、それらが自然に視界に入ってくる。展覧会という場所で、人が本当に文章を読みたがっているとは思わない、本にでもできることだからね。展覧会という場所で彼らが必要としているのは、感情に強い印象を与える何かだよ。

ご覧になった方は、お分かりと思いますが、模型の高さも考えられていましたよね。
(腰をかがめて、小さな模型を覗き込むようにしてみるのが従来の展示方法ですからね)
さらに、模型はすべて縮尺1:33で、そして白色で作られ、その細部は省略されていて、まるで彫刻のようです。
床には、ディスプレー置かれていて、建物のスライドが映し出されています。そしてオルジャティが自らに影響を与えたものとして集めた、建築や庭園や空間や絵画などのイメージの展示がありました。
計9作品の展示でした。

以下、ヴァレリオ・オルジャティの紹介記事を本展のサイトから引用させて頂きます。

作品を発表するたびに話題を集める建築家、それがヴァレリオ・オルジャティです。彼が今事務所を構えているのは、グラウビュンデン地方の山里であるフリムス。このことからもわかるように、オルジャティは、時流にとらわれることなく、建築の本質と向き合い続けてきました。
その建物の特徴は、「概念性」と「職人性」と「芸術性」とが高いレベルで融合しているところにあります。篠原一男(1925-2006)や安藤忠雄(1941- )などの影響もうかがえる幾何学的なプラン(平面図)に、時には土着的と思える形や模様を与えていくオルジャティの建築は、過激さと懐かしさとユーモアを同時に備えることに成功しています。そこで求められているのは、新しい建築などではなくて本当の建築である、そう言い換えることもできるでしょう。

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ベルミ21世紀美術館 ベルミ/ロシア

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スイス国立公園ヴィジターセンター ツェルネッツ/スイス


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2012.01.15

ぬぐ絵画 日本のヌード1880‐1945

この展覧会は竹橋の東京国立近代美術館で11月15日~2012年1月15日まで開催されています。
今日で終了ですよね。
とても面白い企画展でした。
今更の投稿です。

何か、このチラシからして思わせぶり?ですよね。

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明治の半ば過ぎ、おもにフランス経由の異文化として入ってきた、はだかの人物を描く絵画。
以来、画家、鑑賞者、当局を巻き込んで喧々諤々・・・・現状はどうなんでしょうね。
最近でも、とある写真家の男性裸体作品(写真)が上野の美術館ではそのまま、恵比寿の美術館では同じ写真の一部分が工夫?してあったという事がありました。

この天覧会場には説明書きが沢山ありますから、それを読みながら、作品を鑑賞していくと(お馴染みの作品が多く展示されていますが)ふむふむ、なるほど、ですよ。
面白い企画を考えたものだと感心してしまいます。


エピソード等の一部を、私のメモからご紹介します。

黒田清輝にとっては、はだかに直立姿勢を取らせる事は、エロチックな連想を追い払うための大事な戦略であって縦のものを横にするという簡単な操作が如何にショッキングな効果を生むかを明らかにしています。
大正13年国民美術協会主催第三回仏蘭西現代美術展でオーギュスト・ロダン〈接吻〉他、計3点が会場より撤去となる。事態の収拾にあたった黒田清輝は体調を崩して亡くなる。
久米桂一郎は、はだかの身体は、足元を塵に浸しながら、清らかな天上の雲間に向かってすくっと立つものだ、とそのはだか感を語っています。
ところで、ヨーロッパでは、この「特別なはだか」を鑑賞するにあたって、きちんとした約束事がありました。それは、はだかに対するエロチックな下心といった現実的な関心はすべて捨てて、純粋に美を感じるというものです。

何でもありの昨今、かえって感性が麻痺、鈍化しているのかもしれません。
さてさて、どう思われますか?

展示構成は以下の通りです。

Ⅰ はだかを作る
Ⅰ-1入浴と留学
Ⅰ-2はだかの教育
Ⅰ-3黒田清輝とはだか

Ⅱ-1萬鉄五郎とはだか
Ⅱ-2恋するはだか
Ⅱ-3古賀春江とはだか

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梅原龍三郎〈ナルシス〉1913年

Hadaka00023
熊谷守一〈夜〉1931年

Hadaka00021
黒田清輝〈智・感・情〉1899年

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村山槐多〈裸婦〉1914‐1915年

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安井曾太郎〈女立像〉1924年

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古賀春江〈コンポジション〉1930年頃

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萬鉄五郎〈裸〉1943年

画像はチラシからです。



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2012.01.14

メタボリズムの未来都市展 戦後日本・今蘇る復興の夢とビジョン

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この展覧会は六本木の森美術館で2012年1月15日まで開催されています。
いつも開催期間の長いこの美術館の企画展ですが、いよいよ今週でこの企画展は終了です。投稿が延々と後れてしまいましたか、忘れられない展覧会でしたので・・・・・・


図らずもタイムリーな企画になってしまったようです。
戦前、戦中、戦後と変遷のなか、折々の事変、災害、事故の中で、建築家たちが描き続けた都市、建築のあり方そのビジョンを検証しています。1960年代のメタボリズムという新しい思想の基に誕生した建築家のグループを中心に概ね万国博覧会までの歴史、そして世界的展開までの紹介です。
これだけの規模の建築(都市計画)関係の企画展も久しぶりというか、珍しいですよね。
最終コーナーには、メタボリズム・ラウンジが設けられていて、3.11大震災で被災した病院で緊急災害対応ユニットとして活躍した、栄久庵憲司による「会的仮説空間QS72や清水建設㈱の「GREEN FLOAT」などのプロジェクトなども紹介されています。
展覧会場は4つのセクションに分かれていて、夫々に大型スクリーンにCG映像が流れ、設計モデルが展示されています。この類の展覧会によくある、設計図面展示は少な目です。素人にも分かりやすく、そして建築におけるメタボリズムという発想のユニークさ、豊かさに驚かされます。


この展覧会サイトの解説を引用させて頂きます。

建築家たちが夢見た理想の都市像「メタボリズム」を振り返る、初の展覧会
1960年代の日本に、未来の都市像を夢見て新しい思想を生み出した建築家たちがいました。丹下健三に強い影響を受けた、黒川紀章、菊竹清訓、槇文彦といった建築家たちを中心に展開されたその建築運動の名称は「メタボリズム」。生物学用語で「新陳代謝」を意味します。それは、環境にすばやく適応する生き物のように次々と姿を変えながら増殖していく建築や都市のイメージでした。東京湾を横断して伸びていく海上都市、高く延びるビル群を車が走る空中回廊でつないだ都市など、その発想の壮大さには驚かされます。

メタボリズムが提唱されたのは、戦争で荒廃した日本が復興し高度経済成長期へと移行した時代です。そこには理想の都市を通じて、よりよいコミュニティをつくろうという思いもありました。この展覧会は世界で初めて、メタボリズムを総括する展覧会になります。日本が大きな転換点に直面している今だからこそ知りたい、建築や都市のヒントが詰まっています。

展示構成は以下の通り。

Section 1 メタボリズムの誕生
Section 2 メタボリズムの時代
Section 3 空間から環境へ
Section 4 グローバル・メタボリズム
メタボリズム・ラウンジ


チラシの概要説明に沿って以下に・・・・
メタボリズムの中心人物たち。
大髙正人、槇文彦、黒川紀章、磯崎新、丹下健三、菊竹清訓、川添登、粟津潔、栄久庵憲司
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復興のデザイン。
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丹下健三、浅田孝、大谷幸夫、ほか、《広島ピースセンター》1955年 撮影:読売新聞社

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丹下健三、《広島ピースセンター》1955年 撮影:石元泰博

プレハブ建築・カプセル建築がめざしたもの。

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黒川記章《中銀カプセルタワービル》1972年 東京 撮影:大橋富夫

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黒川記章《中銀カプセルタワービル》1972年 東京 撮影:大橋富夫

カプセル単体が屋外展示されていますが、チョット分かりずらい場所。


メタボリズム運動が夢見た未来都市の姿。

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東京大学丹下健三研究室《東京計画1960》1961年

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東京大学丹下健三研究室《東京計画1960ーその構造改革の提案》1962年 撮影:川澄明男


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磯崎新《空中都市ー渋谷計画》2011年CG制作 芝浦工業大学有志研究室 デジタルハリウッド大学院小倉研究室

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磯崎新《空中都市ー新宿計画》2011年CG制作 芝浦工業大学有志研究室 デジタルハリウッド大学院小倉研究室


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2012.01.12

生誕110年記念 荻須高徳展 ~憧れのパリ、煌きのベネチア~

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この展覧会は2011年12月27日から2012年1月16日まで日本橋三越本店7階ギャラリーで開催されています。

東京美術学校を卒業後、25歳で渡仏。第二次世界大戦の一時期を除いて、84歳で亡くなるまでパリに住み、パリで最も成功した画家の一人ともいわれる荻須高徳の作品90点で、生涯の画業をたどります。

佐伯祐夫妻との関係から云々する向きもあるようですが、以下荻須の残した言葉から・・・・

パリの下町を描いたのは、そこでは裸の生活がのぞけたからです。(略)家の中の生活が、いわば道にまであふれ出て街自体が生活の場でした。
私の描く壁のある風景には人間がさほど登場しない。(略)だが人間がいない建造物を描いたからといって、人間がそこに存在しないのではない。壁、そこに人間がしみでているのだ。(略)私が好んで描くのは人間の体臭が色濃く現れている壁だ。
霧のたなびく不透明な日本の風景は私を感動させない。透明な空気の中に現れる色彩豊かな土とまったくみずからをかまわないフランスの田舎が私には美しいのである。
パリの灰色の家並みと夏の緑の対照よりは、グレーと黒の冬の調子がもっとも好きなので、私の絵には冬景色が多い。枯れ木の枝をいっきに描きまくるときなどは、まさによろこびである。


戦後の一時期、抽象画家にあらざれば画家にあらずという風潮の中で、そこから学びとることは必要だが、自分を見失ってはいけないというようなことも後輩には語っていた、と。


展覧会の構成は次の通りです。

・PARIS
・VENEZIA
・PORTRAIT NATURE MORTE

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パリ《広告のある街角》1937年

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パリ《果物屋》1930年

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ベネチア《リオ・デ・レ・ベカリエ》1935年

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ベネチア《サン・マルコ広場》1935年

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《青い着物の美代子》1959年

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《黄色い壺のリラ》1976年


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2012.01.10

萬福寺開創350周年記念 隠元禅師と黄檗文化の魅力

Oubaku

日本橋高島屋8回ホールで 2011年12月27日~2012年1月16日(月)まで開催されています。

うるわしの韋駄天さま見参!
伊藤若冲を魅了した
エキゾチック

チラシのコピーです。


展覧会解説を引用させていただきます。

京都府宇治市にある黄檗宗大本山萬福寺は、後水尾法皇や江戸幕府の支援をうけ、寛文元年(1661)に創建されました。開祖は中国明朝末、臨済宗の禅匠・隠元隆琦禅師(1592~1673)です。
隠元禅師は、度重なる日本からの要望にこたえ、63歳のときに来日。禅宗の規律や教えをひろめ、日本仏教界に大きな影響を与えました。さらに、現在の原稿用紙のスタイルや、印刷に使われている書体・明朝体などを日本に伝えるとともに、隠元豆や西瓜、蓮根、普茶料理、煎茶など多くの技術や文化をもたらしました。江戸時代、鎖国をしていた日本では、萬福寺は海外・中国への扉であり、流行の先端地とも言えました。本展は、萬福寺開創350周年を記念して開催するもので、中国情緒あふれる萬福寺の寺宝を中心に、黄檗文化の影響のもと花開いた日本絵画など、その魅力を存分に紹介いたします。

展覧会の構成は以下の通りです。
第1章 隠元禅師来る
隠元禅師の肖像画肖像画や書跡、ゆかりの事物が展示されています。

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隠元禅師蔵 江戸時代 京都天真院蔵

第2章 萬福寺の開創
萬福寺の開創時につくられた仏像をはじめ寺宝の火数々が展示されています。
心地よい梵唄が流される空間に正面に韋駄天立像、華光菩薩黄倚像、左右に十八羅漢のうち三体づつが展示されています。この場所がとても良かった。像の様式に、黄檗文化の特徴を実感できます。
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韋駄天立像 中国・清時代 萬福寺

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蘇頻陀尊者(18羅漢のうち) 江戸時代 萬福寺

ちなみに梵唄(ぼんばい)とは、

朝課と晩課は大太鼓、大鐘、雲版、木魚など多数の鳴り物を打ち鳴らしながらの読経で、中国南部の発音とともに中国仏教の性格を色濃く残した黄檗宗の賑やかさとおおらかさが伝わってくる。


第3章 黄檗文化
黄檗文化の影響を受けた伊藤若冲らの作品が展示されています。 
伊藤若冲の作品9点の他、7歳だった池大雅の才能を見出したとされる12代住職杲堂元昶筆自賛梅蘭図なども展示されています。
若冲ら上方の画家に影響を与えたとされる鶴亭の作品もあります。
狩野探幽筆隠元禅師賛釈迦三尊像も良かったですよ。

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梅図 伊藤若冲筆 江戸時代 京都天真院蔵


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隠元豆・玉蜀黍図 伊藤若冲筆 江戸時代 和歌山県・草堂寺蔵


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2012.01.09

特別展 森永のお菓子箱 エンゼルからの贈り物

Morinaga
この展覧会は、渋谷のたばこと塩の博物館で2011年11月3日から2012年1月9日まで開催されています。
本日が最終日です。

以下に本展の解説を引用させて頂きます。

1899年に創業して以来、子どもにも大人にも愛される商品を提供し続けている森永製菓株式会社。
今回の企画では、森永製菓が大切に保存、記録してきた製品パッケージや、関連ポスターをはじめ、販売店やさまざまなキャンペーンの写真、昭和初期からの貴重な映像など、創業以来の資料を一堂に展示します。これらの資料は、みるだけでも楽しいものですが、その時々の世相や生活のようすを映し出していて、懐かしい気持ちや、新鮮な驚きを与えてくれます。世代を超えてみなさんでお楽しみいただけるはずです。ぜひご来場ください。
※この展示は、お菓子を試食できる催しではありません。

昔懐かしい思い出を語り合う事は脳の活性化にとても良いそうです。
親子連れ、若いカップル、老カップルで結構賑わっていました。
明治時代に始まった森永製菓の歴史をといっても、若い方は分からないかもしれませんが、庶民にとってお菓子を自由に買えるようになったのは、そんな昔ではありません。そんなことも思いながら短い時間でしたが眺めてきました。

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以下は余談ですが・・・
この日は、bunkamuraでフェルメール展、松濤美術館で、渋谷ユートピア展を見た後、明治神宮に向かう途中でこの展覧会です。渋谷には長年住んでいましたので、いろいろなことを思い出しながらでした。


明治神宮の参拝者、子供、家族ずれを殆んど見かけません、三が日を過ぎていたという事もあるのかもしれませんが。和服姿もありません。私が子供の頃は、女の子は着物を着せられて、首周りには狐の襟巻で、男の子はチョットよそ行きの服を着せられて家族そろって参拝に行きました。7人家族なんて結構いました。

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2012.01.07

フェルメールからのラブレター展

Ferutega
この展覧会は渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで2011年12月23日~2012年3月14日まで開催されています。

展覧会のコンセプトは「コミュニケーション:17世紀オランダ絵画から読み解く人々のメッセージ」です。
恋文を主題にしたフェルメールの作品3点と共に、17世紀のオランダにおけるコミュニケーションの様々なあり方を紹介するというものです。

展覧会の構成は以下の通りです。

1、人々のやりとり--しぐさ、視線、表情
2、家族のきずな、家族の空間
3、職業上の、あるいは学術的コミュニケーション

さて、私は展覧会場に入って、いきなりフェルメールの3作品が展示されているコーナーに直行しました。幸いなことにこの日は空いていて、ひとつの作品に4,5人程度の鑑賞者でした。単眼鏡を使いながら最前線でじっくり鑑賞してきました。大作(大きな作品)は無いですから、混んでいると楽しい気持ちも半減ですよね。

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ヨハネス・フェルメール〈手紙を書く女》 1665年頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

「テーブルに置かれた真珠の首飾りや、背後の壁に掛けられた楽器のある静物画は、ともに手紙が恋文であることを示している」そうです。
真珠の輝き、女性を照らすやわらかい光、その表情、アーミン毛皮で縁取りされた柔らかな黄色いモーニング・コートの質感はフェルメールの魅力そのものですね。

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ヨハネス・フェルメール〈手紙を読む青衣の女》 1663-64年頃 アムステルダム国立美術館

こちらは、修復完了後、世界初の展覧会出展とのことです。
会場では、スライド放映とパネルで修復について解説しています。
天然のウルトラマリンを使って描いた上着と椅子のカバーの美しい青色が再現されています。
手紙を読む女がそこにはいない恋人の言葉に夢中になっている静かな瞬間を捉えています。
壁に掛けられているのはオランダの地図で、人影のいない椅子とともに愛する人の不在をほのめかしています。

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ヨハネス・フェルメール〈手紙を書く女と召使》1665年頃 アイルランド・ナショナル・ギャラリー、ダブリン

一心不乱に手紙を書いている女性と口をあけて窓の外に視線を向け、心ここにあらずという風情の召使が好対照ですね。床にはしわくちゃの手紙や封印用の蜜蝋が落ちていて、いかにも女性の激情を思わせます。それにしてもカーテンを透過した光の、そして壁面にあたる柔らかい光の表現は魅力があります。背後の壁に描かれた絵は《モーセの発見》で、この物語は、人間の心を鎮めるためのメタファーと解釈されたとのことです。

この展覧会では、フェルメールの3点が主役なのでしょうが、展覧会の構成そのものが物語性を持っていて、ある時代のオランダの風俗を描きこんだ画家の意図が上手く纏められています。作品のレベルの高さも含めてとても楽しめる、お勧めの展覧会です。

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ヘラルド・テル・ボルフ《眠る兵士とワインを飲む女》 1660年頃 個人蔵

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ヤン・ステーン《生徒にお仕置きをする教師》 1663~65頃 アイルランド・ナショナル・ギャラリー、ダブリン


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フェルディナント・ボル《本を持つ男》 1644年 個人蔵

視点を変えてみると、これだけワンちゃんが描きこまれた作品が多い展覧会も珍しいのではないかと思いましたが・・・・展示作品約40点のうち10点ほどあっと思います。
象徴的ですよね。
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トマス・ウェイク《宿屋の室内》 1660年頃 オランダ文化遺産庁


以上、展覧会図録の解説を参考にしています。

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2012.01.04

博物館に初詣2012

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今年は箱根駅伝を最期の方まで見てしまったので、三が日はパスしようかなと思っていたのですが、矢張り行こうかと、平成館の清明上河図展示には大行列との情報もあってこちらは最初から諦めて、本館のみという事で行ってきました。
私が東博に着いた時には、イベントの後片付けも終わりかけていました。清明上河図待ち時間は70分という掲示がありました。本館はそこそこの混み具合で、人気作品には人だかりがあり、皆さんカメラでカシャカシャです。
という事で私も、以下新春特別公開作品を中心にご紹介です。
東京国立博物館140周年記念天翔ける龍展は1月2日~1月29日まで開催されています。
東京国立博物館140周年記念新年特別公開は1月2日からですが公開期間は各作品でマチマチですのでご注意ください。

以下展示コース順不同です。

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国宝 楼閣山水図屏風 池大雅筆 江戸時代 18世紀

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重要文化財 能面 泥眼 「天下一河内」焼印 江戸時代 17世紀


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一休宗純墨跡 七言絶句「峯松」 室町時代 15世紀

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国宝 片輪車螺鈿手箱 鎌倉時代 13世紀

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重要文化財 風神雷神図屏風 尾形光琳筆 江戸時代 18世紀

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重要文化財 色絵月梅図茶壺 仁清 江戸時代 17世紀

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重要文化財 龍涛螺鈿稜花盆 中国 元時代 14世紀

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重要文化財 老猿 高村光雲 明治26年

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国宝 賢愚経断簡(大聖武) 伝聖武天皇筆 奈良時代 8世紀 

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国宝 古今和歌集(元永本) 平安時代 12世紀


国宝室の展示、今回は雪舟の秋冬山水図でした。
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秋冬山水図 雪舟等楊筆 室町時代15世紀末~16世紀初


まだまだ、良い作品の展示がありましたがこのへんで。
今月は、何度か訪れるつもりです。 

こちらも・・・・可愛い!
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土偶 縄文時代 前2000年~前1000年頃


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2012.01.02

新年のご挨拶

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新年明けましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になり有難うございました。
本年も宜しくお願い申し上げます。

皆さまにとって素晴らしい一年になりますように。


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