没後150年 歌川国芳展
この展覧会は六本木の森アーツセンターギャラリーで下記日程で開催されています。
前期:2011年12月17日(土)~2012年1月17日(火)
後期:2012年1月19日(木)~2月12日(日)
歌川国芳は人気で、一昨年の府中の国芳展では確か図録が完売だったと思います。
これからも、町田市立国際版画美術館で、「浮世絵―国芳から芳年へ」展が3月3日から開催される予定です。
私は、国芳の大ファンという程ではないのですが、この規模の展覧会となると矢張り気になります。
前・後期ほぼ総入れ替えで総作品数421点です。
既に前期を観て来て、近いうちに後期を観に行く予定にしているのですが、会場は混んでます(二重三重の列というほどではないのですが)一点一点丹念に観ていくと結構疲れます。
歌川国芳は、寛政9年(1797年)日本橋に生まれます。12歳の時に描いた鍾馗の絵が歌川豊国に認められて門下に入ったと伝えられています。暫く不遇の時代を送っていた国芳は文政10年に版元加賀屋によって出版された「通俗水滸伝豪傑百八人之一個(壺人)」で脚光を浴びます。浮世絵師として地歩を固た国芳は、天保以降、他のジャンルにも幅広い作画活動を展開します。
天保13年(1842)6月、老中水野忠邦が行った天保改革の一環として、役者、遊女、芸者などの絵を出版することを禁じる御触れが出される。この禁令によって戯画、子ども絵が多く出版されるようになり、権威を嫌う江戸っ子特有の「茶化し」の意識が反映された絵が見られるようになります。
晩年の寛永期以降は、天保改革の風俗取り締まりも緩くなり役者絵も役者の名前を記さないという条件で許可されるようになる。国芳は役者を動物や器物などの姿とする、擬物化した絵を多く描いている。
文久元年(1861)3月5日日本橋人形町の自宅で歿している。
展覧会構成は次の通りです。
第1章 武者絵-みなぎる力と躍動感
「通俗水滸伝豪傑百八人之一個(壺人)波裡白跳張順」 文政11‐12年(1828‐1829頃) 前期展示
「宮本武蔵の鯨退治」 弘化4年(1847頃) 前期展示
「相馬の古内裏」 弘化2‐3年(1845‐46頃) 前期展示
「国芳もやう正札附現金男 野晒悟助」 弘化2年(1845頃) 後期展示
「鬼若丸の鯉退治」 弘化2年(1845頃)後期展示
第2章 説話-物語とイメージ
第3章 役者絵-人気役者のさまざまな姿
第4章 美人画-江戸の粋と団扇絵の美
「鏡面シリーズ 猫と遊ぶ娘」弘化2年(1845頃) 前期展示
第5章 子供絵-遊びと学び
第6章 風景画-近代的なアングル
「忠臣蔵十一段目夜討の図」 天保2‐3年(1831‐32) 後期展示
天保13年(1842頃)
第7章 摺物と動物画-精緻な彫と摺
第8章 戯画-溢れるウィットとユーモア
「猫の当字」ふぐ」 天保13年(1842頃) 前期展示
金魚づくし ぼんぼん」 後期展示
「みかけハこハゐがとんだいいひとだ」 弘化4年(1847頃) 通期展示
第9章 風俗・娯楽・情報
第10章 肉筆画・板木・版本はか
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