プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影 展
この展覧会は上野の国立西洋美術館で10月22日から2012年1月29日まで開催されています。
かなり前に法然と親鸞展と一緒に上野に3日間通って観てきた展覧会ですが、私が行った時は、あまり混んではいませんでした。混雑情況を確認してから出かけた方がいいと思いますよ。
40年ぶり「着衣のマハ」
「裸のマハ」も一緒に来てくればよかったのに、なんて贅沢は言えません。
「裸のマハ」は図録には参考図として載っています。
トレーシングペーパーの「裸のマハ」を「着衣のマハ」に重ねて観る、という工夫がなされています。
「光と影」とあるように、後に独立戦争へとつながって行く、旧体制から新しい時代への転換期に生きたゴヤ。
「最後の古典的画家」であり「最初の近代的画家」といわれるゴヤの生涯を「着衣のマハ」という象徴的な作品を導入部として、そして他の作品を通して再認識してみる、そんな展覧会です。
Ⅰかくある私
ーゴヤの自画像
自画像 1815年
マルティン・サパテール宛書簡「今の僕はこんな風だ」
Ⅱ創意と実践
-タピスリー原画における社会批判
1775年に王立サンタ・バルバラ・タピスリー工場の仕事を始めたゴヤが最初に手がけたのは、9枚の原画連作でした。
日傘 1777年
Ⅲ嘘と無節操
-女性のイメージ:(サンルーカル素描帖)から私室の絵画へ
1796年春から1797年3月まで滞在したカディス近辺の町サンルーカル・デ・パラメーダで制作されたと考えられているため〈サンルーカル素描帖〉としている。
往来のマハたち〈素描帖B〉28番 1795‐97
洗濯女たち 1779‐80年
着衣のマハ 1802年
19世紀初めにゴドイが自宅を改装したとき、〈裸のマハ〉を覆い隠すために〈着衣のマハ〉を急遽制作させたのであろう。
何故、〈着衣のマハ〉は描かれたのか?異端審問所の存在と社会的背景。
何故、マハをヴィーナスになぞらえたのか?なぜあのポーズなのか?話題は尽きません。
―マハは特に18世紀末から19世紀初めにかけてマドリードの下町などで見られた、洒落た衣装で着飾った粋な女性たちのことを指す。
Ⅳ戯画、夢、気まぐれ
-(ロス・カプリーチョス)の構造段階における自由と自己検閲
ロス・カプリーチョスの版画、そこに一貫しているのは、階級の枠組みの中で確立された社会の態度や人間関係の告発である。
〈夢〉6番 ふれまわる魔女たち 1786‐97頃
Ⅴロバの衆:愚鈍な者たち
-(ロス・カプリーチョス)における人間の愚行の風刺
お前には苦労をかけるが
(ロス・カプリーチョス)42番のための準備素描
Ⅵ魔物の群れ
-(ロス・カプリーチョス)における魔術と非合理
(ロス・カプリーチョス)64番 よいご旅行を
魔女たちの飛翔 1798年
以上の文章、画像は図録から引用しています。
チョット長くなったのでこの辺で、続きをを、出来れば早い時期に投稿します。
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