生誕130年 松岡映丘-日本の雅-やまと絵復興のトップランナー
この展覧会は10月9日~11月23日まで練馬区立美術館で開催されています。
松岡映丘の作品を纏めてみる機会は今までなかったと言う事もあって行ってきました。
今まで知りませんでしたが、その錚々たる一族にはびっくり。
末っ子なんですね。
実父:松岡操 - 儒者、医者
松岡鼎 - 医師
松岡俊次(早世)
井上通泰(松岡泰蔵) - 国文学者、歌人、医師
松岡芳江(早世)
松岡友治(早世)
柳田國男 - 民俗学者
松岡 静雄‐海軍軍人、言語学者、民族学者。最終階級は海軍大佐。
松岡輝夫(松岡映丘) - 日本画家
名を成す方は、幼少期に既にその片鱗が見られますよね、「明治十九年 六才 輝夫画」と署名しています。
「古典の教養に立脚して時代を生きよ」と弟子に語った松岡映丘の古典的大和絵に始まり新興大和絵そしてモダンな作品へと展開していく作品。実際に甲冑を着てみての作品への応用・研究等々のエピソードも含め楽しいですし、作品の色彩の美しさは言うまでもありません。物語性に富んだ作品も多く楽しいですよ。
会期中展示替えがありますのでご注意を!
道成寺 1917年
安珍・清姫の話に取材した作品は多くの画家が描いていますが、この作品の場面描写は心の情景まで想起させてくれます。、
伊香保の沼 1925年
伊香保の近くの榛名湖には古くから伝わる「木部姫伝説」がある。それによると榛名湖には昔から大蛇が棲むといわれ、それはかつて湖に身を投げた木部姫の化身だという。
右大臣実朝 1932年
鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺される、その日の実朝を描いている。その表情がとても良い。
千草の丘 1926年
初代水谷八重子がモデル。当時21歳、といっても晩年の水谷八重子しか知りませんが・・・
みぐしあげ 1926年
時の皇后が淑景舎に対面するために、登花殿にに置いて装束を着替え、御櫛をを上げるところを描いたもの。
矢表 1937年
屋島の合戦で義経を弓で狙う平能登守教経に対して義経の馬前に立ち塞がり矢表に立った佐藤三郎兵衛継信は、矢で射ぬかれてしまう。
以下にHPの解説を引用させて頂きます。
兵庫県に生まれた松岡映丘(えいきゅう)(1881~1938)は儒学者の父、民俗学者の柳田國男をはじめ歌人、言語学者らを兄にもつ学者一家に育ちました。東京美術学校を首席で卒業、平安・鎌倉期の絵巻物や有職故実を丹念に研究し、『源氏物語』をはじめとした古典文学に取材した王朝貴族、鎧武者たちを優美に、叙情豊かに描き、やまと絵の再興に努めています。しかし、その表現は古典だけにはとどまらず、近代的な造形感覚を加味した「新興大和絵」を展開していきました。そうした成果が《右大臣実朝》へと結実し、初代水谷八重子をモデルとした《千草の丘》で、よりモダンな作品へと花開いていきます。「古典の教養に立脚して時代に生きよ」と弟子たちに語った言葉はまさに映丘の画業そのままを表している言葉といえるでしょう。
30年ぶりの大規模な回顧展となる本展では、映丘16歳の最初期の作品から晩年にいたる約70点の作品に加えて、映丘の生家に残されたスケッチ、画稿類合わせて20点余りを展示し、その画業を紹介するものです。
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