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2011.08.22

江成常夫写真展 昭和史のかたち

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この展覧会は東京都写真美術館で9月25日まで開催されています。

今年は満州事変から70年、太平洋戦争開始から70年そして終戦66年にあたります。
40年近くにわたり、昭和の戦争とその負の遺産を写真で表現してきた江成常夫の集大成となる展覧会です。
「見えないものを的確な被写体を通して心の中を託す、その表現として写真を....」と仰っています。
15年に及んだ「アジア太平洋戦争」のもとで、死と涙を強いられてきた内外の、声を持たない人たちの声を写真で代弁することで、戦後日本人の現代史に対する精神性の問うています。(チラシの解説文を参考にしました)

鬼哭の島
江成常夫は悪性腫瘍の手術後、病から来る鬱状態を克服し4年後太平洋戦争の戦跡15地域を撮影し巡ります。
ハワイ、ガダルカナル、ソロモン、ラバウル、パプアニューギニア、インドネシア、パラオ、サイパン、レイテ島、テニアン島、硫黄島、小笠原、沖縄.....写真を見、解説を読みながら当時の苛烈な戦場を.....なんとも切ない。指揮官の自死による責任の放棄、軍指導部の無謀.....飢えに苦しみ病に斃れた兵士の無念を思うとなんとも言えない気持ちになります。

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アリゾナ号から浮かび上がる油の波紋 オアフ島、ハワイ 2005年5月

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海中に墜落したままの日本軍のゼロ戦 コロール島、パラオ 2004年10月

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米軍戦闘機グラマンコルセアの残骸 ガダルカナル島、ソロモン諸島 2007年1月


偽満州国
関東軍の独走による禍根を思いながら展示作品を見ました。
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満州事変の布告文 吉林省歴史博物館 長春 1989年


シャオハイの満州
シャオハイとは、「こどもたち」という意味だそうです。
旧満州国に取り残された孤児たちのその肖像画が並びます。
その表情に、生きてきた憂愁がにじみ出ています。

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殷 淑清 
母と妹と3人で他の家族と一緒に馬車で非難した。途中、東安省の密山県で宝清県の道に置き去りにされ、そこで養父に拾われた。
黒竜江省 勃利県 1984年

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満州刻時代の日本人開拓村 黒竜江省樺南県 1991年


ヒロシマ
尊敬する土門拳のリアリズムを前にヒロシマを撮ることに躊躇があったようですが、「目に見えないもの、魂をとる事、写真で表象する」事で.....

解説に書かれた証言が、なんとも辛い。
3人の方の言葉です。
3歳だった弟は「姉ちゃん水...」そう言って息を引き取った。
自殺を何度も考えたが「苦しみを背負う心の中に楽土はある」そう言い聞かせ、思いとどまった。
婚約者も戦死し自死と隣り合わせの日々をすごすが、再生したアオギリに生き抜く事を教えられる。


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寺前妙子(当時15歳) 爆心地から約550m、市内、中町の広島電話局で学徒動員中被爆。2009年5月

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焼け焦げた戦時石鹸 広島原爆資料館所蔵 2010年4月


ナガサキ

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吉田勝二(当時13歳)爆心地から約850m、市内、江里町で被爆 2008年7月

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被爆したマリアの木像 爆心地から約500m、倒壊した浦上天主堂跡で奇跡的に見つかった。 2004年7月

画像はチラシからの引用です。


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