写楽展
流石東博!!
写楽作品の集大成といっても過言でない企画展になっていますよね。
TVでも写楽特集放映してましたね。
江戸老中田沼意次の投機的な政策により町人経済が発展し、江戸っ子気質が通人を育てるバブル時代から、老中田沼意次罷免後の松平定信の寛政の改革、そして松平信明と引き継がれた治世。
寛政の改革からの風紀取り締まり、不景気の中、歌舞伎興行も行き詰っていた。
そんな時代背景の中、版元蔦谷から大判錦絵28枚で写楽はセンセーショナルなデビューを果たす。
僅か10ヶ月という活動の間に、頻繁に作風の変遷を見せ写楽は、忽然と姿を消し、その正体は謎とされた。
諸説現れる中、写楽の正体は、阿波藩の能役者斎藤十郎兵衛という事で収まったようだ。
さいとうじゅうろべえ
とうじゅうさい→とうしゅうさい→東洲斎
写楽→写すを楽しむ
というのも面白い解説ですよね。
三代目瀬川菊之丞の田辺文蔵女房おしず(東洲斎写楽)
「これまた歌舞伎役者の似顔うつせしが、あまり真を画かんとてあらぬさまにかきなせしかば、長く世に行われず一両年にして止ム」
ブロマイドとしては、役者にとって、また贔屓すじにしても、「あまり真を画かんとてあらぬさまにかきなせしかば」ではまずかったのかもしれませんね。
(一部図録の文章を引用しています)
さて、この展覧会、私がいった日は、場所、時間によっては三重の列、そして列が途切れることも.....。
どちらかというと、第2会場の方に列が途切れるところがありました。
第一会場で、ぐったりの方もいたでしょうね。
図録の構成は次の通りなのですが、展示会場の展示内容の流れは少々異なります。
第一章 写楽以前の役者絵
出雲阿国の「かぶき踊り」から、菱川師宣による浮世絵の開花まで遡って、写楽登場まで歌舞伎がどの
様に描かれ来たかを概観しています。
市川団十郎の竹抜き五郎(鳥居清倍)
第二章 写楽を生み出した蔦屋重三郎
写楽は蔦屋の秘蔵子として、全ての作品を版元蔦谷から出版した。
そして名プロデューサー蔦谷はもう一つのジャンル美人画の絵師として喜多川歌麿を抜擢していた。
歌麿の作品が沢山展示されていて見ものですよ。
高島おひさ(喜多川歌麿)
難波屋おきた(喜多川歌麿)
第三章 写楽の全貌
さて、写楽ワールドです。
このコーナーは四期に分けて歌舞伎演目に則した、そして、画法の変遷を追って展示されています。
豪華雲母摺り大首絵で颯爽と登場した写楽、2ヶ月後には、大首絵は減り、細判錦絵になり、全身を描いた役者絵に変化します(第二期)。更に三期に入ると、背景、小道具が描き込まれていきます。そして、第四期になると、点数が激減し、絵自体も生彩を欠いてきます。
第一期
寛政6年(1794)5月、都座、桐座、河原崎座に取材した役者絵(大判錦絵28図)
二代目三津五郎の石井源蔵(東洲斎写楽)
三代目坂田半五郎の藤川水衛門(東洲斎写楽)
第二期
寛政6年(1794)7月、都座8月、桐座、河原崎座に取材した役者絵(大判錦絵8図、細判錦絵30図)
三代目大谷鬼次の川島治部五郎(東洲斎写楽)
三代目大谷鬼次の川島治部五郎と初代市川男女蔵の富田兵太郎(東洲斎写楽)
第三期
寛政6年(1794)11月、河原崎座、都座、桐座、河原崎座に取材した役者絵、閏11月都座、桐座に取材した役者絵(間判錦絵11図大判錦絵47図、その他)
二代目嵐龍造の大伴の宿禰山主(東洲斎写楽)
七代目片岡仁左衛門の紀の名とら(東洲斎写楽)
第四期
寛政7年(1795)正月、都座、桐座に取材した役者絵(大判錦絵10図、その他)
三代目坂東彦三郎の工藤左衛祐経(東洲斎写楽)
第四章 写楽とライバルたち
当時のライバル歌川豊国、勝川春英等々の役者絵と写楽の役者絵を並べて比較検証できる展示になっていて、この役者絵は秀英の勝ちとか、こちらは写楽の方がいいとか、品定めしながら観るのも楽しいですよ。
第五章 写楽の残影
僅か10ヶ月で消えた写楽、しかし写楽版画の影響は後の浮世絵作家の作品の中にも見られるいう事でその証左としての錦絵が展示されています。
ちらし
ハンズオン体験コーナーで「写楽に挑戦」
お隣が急かすので.....。
三代目大谷鬼次の江戸兵衛(東洲斎写楽)
この展覧会も震災の影響で、開催期間が変わりました。
6月12日まで開催されています。
金曜夜間開館は、中止ですのでご注意を。
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