ジョセフ・クーデルカ プラハ1968
チェコスロヴァキアで新任ドプチェク第一書記のもと、改革開放政策(所謂プラハの春)がとられる中、ソ連圏の東欧諸国は自国への影響を恐れていた、そして1968年8月、深夜ワルシャワ条約機構軍がプラハに進行を開始した。ソ連は一時、ドプチェク指導部をソ連国内に連行するという事態にまで発展した、所謂チェコ事件ですよね。
そんな状況下ジョセフ・クーデルカは八日間にわたって、侵攻軍と市民の攻防を写真におさめました。
ソ連指導による「正常化政策」のもと、これらの写真は公表できず、ひそかにアメリカの持ち出され、「プラハの写真家」として実名は伏せられて発表、そしてロバート・キャパ賞を受賞する。実名を公表したのは、親類縁者に影響が及ぶことはもうないと思われた、父の死後1984年の事でした。
「この写真を一度としてみることのなかった両親にささげる」と.......。
ジョセフ・クーデルカとは、こんなエピーソードを持つ伝説の写真家です。
(という事ですが、私、この写真家のことは、この写真展を見るまで、実は知りませんでした)
自分の住む町の、家の前の道路に、ある日突然他国の戦車が進行してきたら、どんな態度をとりますか?
学生の頃、そんな議論もあったし、確か清水幾太郎の著書「愛国心」にもそんな事が書いてあったように記憶しています。この展覧会場に入って直ぐに、そんなことを思いながら、そして観てきました。
この写真展、展示写真の横に番号がふってありますが、写真一点一点に対応したタイトルあるいは解説は一切ありません。入口(受付)でわたされる作品リストを参考にするしかないのですが、振られた番号が順不同バラバラ、
チョット不親切かなあ。(当時の指導部の声明文等がパネル展示されていますが......)
図録が販売されていますが、展示されている写真より図録の写真の方が重厚感があり、説得力があるように思いました。(勿論同じ写真ですよ、プリントによる違いですよね)
勿論個人の感覚ですから、人それぞれですよね。
以下の画像は、チラシからです。
プラハに押し寄せるワルシャワ条約機構軍の戦車とプラハ市民
ソコロフスカー通り
チェコスロヴァキア・ラジオ局のあるヴィノフラツカー大通り
2度にわたり、人がいなくなったヴァーツラフ広場8月22日、23日
チラシ表
東京都写真美術館で、7月18日まで開催。
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