« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

2011.05.31

映画(DVD) メイプルソープとコレクター

315x210


原題:Black White + Gray A Portrait of Sam Wagstaff + Robert Mapplethorpe
製作国:2007年アメリカ、スイス映画
配給:ロングライド
上映時間:73分

キャスト:
ロバート・メイプルソープ、サム・ワグスタッフ、パティ・スミス
監督:ジェームズ・クランプ
エグゼクティブプロデューサー:スタンリー・バックタール、デビッド・コー、マジャ・ホフマン
撮影:クリストファー・フェルバー、ハリー・ゲラー、ポール・ルンダール、エリック・コジオル、デビッド・コー
音楽:J・ラルフ
美術:ジョン・ボンドラチェック
編集:デイブ・ジャイルズ 作品データ

チョットこの邦名タイトルには異議ありですね。
原題:Black White + Gray A Portrait of Sam Wagstaff + Robert Mapplethorpe が正解です。
どちらかというと、サム・ワグスタッフのドキュメンタリーです。
Black White + Gray はワグスタッフがキュレーターとして企画したミニマムアートの展覧会タイトルです。

パンク・ロックの女王パティ・スミス、は二人と行動を共にしました。
パティ・スミスのコメントが多く使われていますが、その他にもワグスタッフ、メイプルソープと交流のあった人々が証言しています。

パティ・スミス、メイプルソープというと記憶にある方も多いと思いますが、ワグスタッフとなると私は記憶にありませんでした。

知り合ったのは、ワグスタッフ51歳、メイプルソープ26歳、ワグスタッフはパトロンとしてメイプルソープを育て、ワグスタッフもメイプルソープとの出会いで変わっていきます。
上流階級に生まれ育ち、ゲイである自分を抑圧して生きてきたワグスタッフ、最下層に生まれ前衛写真家としてワグスタッフに育てられた?メイプルソープ共にエイズで死にますが、セックス、ドラッグ、ロック、ある意味強烈なエネルギーを内包、発散していたあの時代を思い返させてくれます。

ワグスタッフの卓越した審美眼によって収集されたコレクションはアフリカの彫刻から、アンディ・ウォーホル、アンティークの銀食器、そして写真を芸術として世間に知らしめた、有名無名を問わず集められた膨大な作品群。、
その作品も、映画の中に沢山使われています。
勿論メイプルソープの作品も。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.29

ドーミエとグランビル展

Domieguranbirutira
この展覧会は5月29日までの開催です。
今日までですよね。

ドーミエの作品を所蔵している美術館って多いような気がするんですけど、どうでしょう。
多くの美術館でよく見かけます。
今回は、解説文をよく読みながら一点一点鑑賞してきました。
スペースの限られた展覧会場ですから、作品点数もそんなに多くはありませんから。


当時のフランスは7月革命(1830年)で即位した国王ルイ・フィリップの治世下にありました。
まさに混乱と変革の時代、新聞、雑誌等が続々と創刊された、ジャーナリズム勃興期でもありました。
そんな時代に、シャルル・フィリポンが週刊誌「ラ・カリカチュール」や風刺新聞「ル・シャリヴァリ」を創刊。
風刺画を多用した紙面は、識字率がそう高くない時代には、人気だったのでしょうね。
当時発明されたばかりだった最新技術である石版画(リトグラフ)の存在も大きい。

発表の場を得た、オノレ・ドーミエ(1808〜1879)、そして通称グランヴィル(ジャン・イニャス・イジドール・ジェラール)(1803〜1847)は、7月革命で王位についたルイ=フィリップとその閣僚を題材にユーモアと痛烈な批判をともなう戯画を作成発表した。しかし、政治的な作品は言論弾圧法の発令により中断される事になる。

その後ドーミエドーミエはその視点を都市の社会風俗に移し、翻弄されながらもしたたかに生きる中産階級や労働者、平凡な庶民の姿を描き、画壇やアカデミズムとは異なるジャーナリズムの世界からレアリスム運動を推し進めてゆきます。

一方のグランヴィルは、風刺画の時代から用いていた動物や植物を擬人化する手法を挿絵の分野で発展させ、その幻想的な世界は『不思議の国のアリス』の挿絵画家ジョン・テニエルにも影響を与え、現在ではシュルレアリズムの先駆的作品として位置付けられています。
(以上は、チラシの解説等を参考にしました)

しかし、この政治風刺画は強烈ですね。
日本の新聞各紙にも政治漫画はありますけど、これだけの存在感は...無理でしょうね。
国民性もあると思いますが。
展示されている政治、社会風刺画には、当時の空気が流れていてとても面白いですよね。


Domieguranbiru0001akumu
オノレ・ドーミエ《悪夢》1832年

Domieguranbiru0001syasinn
オノレ・ドーミエ《写真術を芸術の高みまで引き上げるナダール》プールヴァール 1862年 


Domieguranbiru0001fuku
吹くがよい、決して消せないから 
ラ・カリカチュール 1834年 

Domieguranbiru0001tousei
当世風変身譚』より 
1829年刊 

画像はチラシから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.28

フェネック

三鷹市美術ギャラリーに行く時は、何時も井の頭公園駅から井の頭公園を縦断して三鷹まで歩きます。
このコースが大好きなんです。
この日、チョット中途半端な時間が出来たので、自然文化園に入ったら、フェネックが可愛くて釘ずけ。
砂漠に住む夜行性の小ギツネです。
ペットとして飼っている人もいますよね。
可愛いですよねー。

食事の時間で、フェネックの動きが一気に活発に....


何処の世界にも、”群れるのって嫌い”ってのがいるんですよね。
集団から離れてのんびり.....(食事済ませたのかなー?)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.27

香り かぐわしき名宝展

先々週、写楽展をメインに、あちこち.....上野に三日間(間をおいてですが)通ったのですが、大変な賑わいでした。
パンダに、東博の写楽、手塚治虫のブッダ、西美はレンブラントですからね。更に、この時期、修学旅行?の中高生団体がいっぱい、また科学博物館には小学生の団体ですからね。

流石にこの展覧会には子供の団体はいませんでしたが、常設展示室には高校生の団体がいましたよ。
藝大美術館のこの展覧会、力が入ってますよね。
集め出したら止まらなくなってしまったのかもしれませんね、よくこれだけ集めたものだと感心してしまいます。
チラシのコピーにもありますが「香の道具から日本画まで」です。

展覧会の構成は次の通り
(画像と解説はチラシからの引用です)
序 香りの源
第一章 香りの日本文化Ⅰ聖徳太子から王朝貴族へ

Kaori0001butuzou
十一面観音立像
奈良〜平安時代 8〜9世紀
白檀など芳香を発する檀木を用いた 仏像。

Kaori0001manndara_2
阿弥陀浄土曼荼羅
平安時代 12世紀  
舞楽壇に、截金で中央に大形の据香炉と小形 の香炉がいくつも配される。浄土における香供養の重要性が窺われる。

第二章 香道と香りの道

Kaori0001ninnsei
野々村仁清・色絵雌雉香炉
江戸時代 17世紀 京焼を代表する野々村仁清の色絵雉香炉(国宝)と対で伝わる。

Kaori0001keiba
三組盤 
江戸時代 1863年(文久3)
香木を聞き分けて、駒を進める競馬香

第三章 香りの日本文化Ⅱ武家から庶民へ

Kaori0002yuujyo
宮川長春・遊女聞香図 江戸時代 18世紀 
足下におかれた香炉から立ちのぼる煙は着物を薫きしめ、襟元から中空へとひろがる。遊女はその芳香に酔いしれているのか、恍惚の表情をうかべる。

第四章 絵画の香り

Kaori0002syouenn
上村松園・楚蓮香之図 
1924年(大正13)頃
楚蓮香とは、中国唐時代にいた絶世の美女の名。外出するとその香りに魅せられて蝶が飛び従ったといわれている。


Kaori0002hayami
速水御舟・夜梅 
1930年(昭和5)
月光にゆれる木々の陰の合間からほのかに漂う花の香りを「暗香疎影」という


以下はチラシの解説冒頭部分の引用です。

6世紀、仏教伝来とともに日本人は香木を焚くことを知りました。 以来、日本では「香り」を仏教文化、 貴族文化、武家文化、庶民文化の中ではぐくみ、 世界に稀な香りの文化を生み出してきました。 本展覧会は、香りにまつわるさまざまな美術作品を紹介しながら、目に見えない香りの魅力を、人間の五感や想像力を頼りに味わっていただこうというものです。

香木(伽羅、沈香、六国、白檀、他)、香炉、合子、掛け軸、香枕、香時計、組香盤、香席再現まであります。実際香りをかぐこともできるコーナーもあります。そして香りにまつわる絵画作品ですから、チョット説明に窮する程多種多様の作品展示で....。

Kaoritirasi
この展覧会は、東京藝術大学美術館で 5月29日まで開催されています。
もうすぐ終了ですよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.25

映画(DVD) カティンの森

第二次世界大戦中、ソ連赤軍による、ポーランド人捕虜虐殺事件(カティンの森事件)を取り扱った映画です。
殺害された軍人は一万数千人とされるが、諸説あるようです。
2010年4月ポーランド政府専用機が墜落し、レフ・カチンスキ大統領が死亡したという事故、最近の事ですので覚えている方も多いと思いますが、この事件の追悼式典に向かう途中だったんですよね。

20091210002ec00002viewrsz150x_2

スタッフ
プロデューサー : ミハウ・クフィェチンスキ
監督 : アンジェイ・ワイダ
原作 : アンジェイ・ムラルチク
脚本 : アンジェイ・ワイダ、ヴワディスワフ・パシコフスキ、プシェムィスワフ・ノヴァコフスキ
音楽 : クシシュトフ・ペンデレツキ
撮影 : パヴェウ・エデルマン
編集 : ミレニャ・フィエドレル、ラファウ・リストパト
製作 : アクソン・スタジオ、TVP、ポーランド映画協会、ポーランド・テレコム

キャスト
マヤ・オスタシェフスカ :アンナ
アルトゥル・ジミイェフスキ:アンジェイ大尉 - アンナの夫
ヴィクトリア・ゴンシェフスカ : ヴェロニカ(通称ニカ) - アンジェイとアンナの娘
マヤ・コモロフスカ :アンジェイの母
ヴワディスワフ・コヴァルスキ :アンジェイの父・ヤン教授
アンジェイ・ヒラ :イェジ中尉 - アンジェイの戦友
アグニェシュカ・グリンスカ :イレナ - ピョトル中尉の妹
マグダレナ・チェレツカ :アグニェシュカ - ピョトル中尉、イレナの妹
アグニェシュカ・カヴョルスカ :エヴァ - 大将とルジャの娘
アントニ・パヴリツキ :タデウシュ(トゥル) - アンナの甥
アンナ・ラドヴァン : エルジュビェタ - タデウシュの母

1939年、ポーランドはドイツ軍とソ連軍に侵攻され、すべてのポーランド軍将校はソ連の捕虜となった。アンジェイ大尉の妻アンナは娘ニカと、夫を探し歩いている。そんな場面でこの映画は始まります。
やっと探し当てて再会するのだが、その目前で、東部へ連行されていく。
アンナは夫の両親の住む家に戻るが、大学教授の義父はドイツに逮捕され、そののち収容所で病死したとの連絡を受ける。残されたアンナ、娘ニカそして義母はアンジェイの生存を信じて帰還を待ち続ける。

1943年4月、独ソ不可侵条約を破ってドイツ軍はソ連領に侵攻した。ドイツ軍が、元ソ連領のカティンの森の近くで、一万数千人のポーランド将校の死体を発見した。ドイツは、これを1940年のソ連軍の犯行であることを大々的に報じた。

ドイツが敗北し大戦が終結した1945年以後、ポーランドはソ連圏として復興の道を歩み始めた。そしてソ連はカティンの森事件をドイツ軍の仕業であると反論し、事件の真相に触れることはタブーとなった。
パルチザンとして戦った親類、そしてカティンで親族を失った遺族らは、厳しい現実に直面することになる。
そんな中、カティンの森事件の生き残りでアンジェイ大尉の友人イェジがアンナの前に現れるが、やがてソ連側の証人となったことを恥じて自殺してしまう。そしてアンナに遺品として届けれれたイェジの日記から事件の場面(連行虐殺)が回想されていく。


巨匠アンジェイ・ワイダ監督の父もこの事件の犠牲者。
映画の冒頭、「両親に捧げる アンジェイ・ワイダ」というテロップが流れます。

以下の場面がこの映画を象徴的に表していると....。
兄ピョトルの碑(カティン事件はソ連が...と記した)を建てようとしてポーランド当局に連行されたレイナは「ドイツの犯罪だと」調書に書けと強要されて「私はドイツと5年間闘った、あなたはたった5分で.....。教えて私はどこの国にいるの」と....。

映画は、本当にいろいろな事を教えてくれる。
お薦めですよ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.24

こどもの情景 戦争と子供たち

Syabikodomotira

東京写真美術館の平成23年度コレクション展です。
例のシリーズものですよね。
7月14日までの開催です。

3.11大震災の被災地の子供達の豊かな表情を観ていると救われますよね、反面多数の子供が両親を失っています。
暗澹たる気持ちになります。

この展覧会の写真もそうです。
どんな状況におかれても無邪気で、健気に生きる子供たちには、思わず口元が緩みます。
傷ついた子供の写真には、眼頭が熱くなります。
そして、その背景にある、有史以来一度たりとも耐える事のなかった、今現在も続いている、戦争、地域紛争思うと、世の中の不条理を感じざるを得ません。

名だたる写真家がとらえた子供の情景、写美のコレクションからの展示です。
何度も観てきた有名な写真も沢山?ありました。
その多くは、第二次世界大戦、ベトナム戦争から取材したものです。
時代は1930年から1990年に亘ります。

以下の画像はチラシからです。
Syabikodomo0001baton
宮武東洋/バトントワラーになるのを夢みて練習する子供たち。収容所の中であっても出来るかぎり、こどもたちは普通の生活をおくらせる配慮がなされた。マンザナー収容所。

Syabikodomo0001okamura
岡村昭彦/Vietnam-13全身にやけどを負った戦場のこども。戦争は木を家を街を、そして、いたいけな子さえも焼く。《ヴェトナム・1964年、 『LIFE』6月12日号掲載

Syabikodomo0001nennenn
白井薫/ねんねんころり/1956年

Syabikodomo0001kodomo
藤本四八/築地(中央区)、産院より退院(リヤカーで)/1947年


この美術館のある恵比寿ガーデンプレイスは、以前はサッポロビール(エビスビール)の工場でした。お化け煙突が有名で、近くのアメリカ橋は歌にもなりヒットしましたよね。今の恵比寿駅は元々エビスビールの貨物駅だったんですよね。
学生時代の二夏、この工場でアルバイトをしました。
光化学スモッグ警報が出るたびにラインを止めていた頃です。
今は他の町に住んでいますが、このあたり、私が子供の頃、父が私の手をひいて、よく散歩に連れて行ってくれました。駄菓子屋で大きな飴玉を買ってくれるのが楽しみでした。
この美術館を訪れる度にそんなことを、いつも思い出します。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.23

ジョセフ・クーデルカ  プラハ1968

チェコスロヴァキアで新任ドプチェク第一書記のもと、改革開放政策(所謂プラハの春)がとられる中、ソ連圏の東欧諸国は自国への影響を恐れていた、そして1968年8月、深夜ワルシャワ条約機構軍がプラハに進行を開始した。ソ連は一時、ドプチェク指導部をソ連国内に連行するという事態にまで発展した、所謂チェコ事件ですよね。
そんな状況下ジョセフ・クーデルカは八日間にわたって、侵攻軍と市民の攻防を写真におさめました。

ソ連指導による「正常化政策」のもと、これらの写真は公表できず、ひそかにアメリカの持ち出され、「プラハの写真家」として実名は伏せられて発表、そしてロバート・キャパ賞を受賞する。実名を公表したのは、親類縁者に影響が及ぶことはもうないと思われた、父の死後1984年の事でした。
「この写真を一度としてみることのなかった両親にささげる」と.......。
ジョセフ・クーデルカとは、こんなエピーソードを持つ伝説の写真家です。
(という事ですが、私、この写真家のことは、この写真展を見るまで、実は知りませんでした)

自分の住む町の、家の前の道路に、ある日突然他国の戦車が進行してきたら、どんな態度をとりますか?
学生の頃、そんな議論もあったし、確か清水幾太郎の著書「愛国心」にもそんな事が書いてあったように記憶しています。この展覧会場に入って直ぐに、そんなことを思いながら、そして観てきました。


この写真展、展示写真の横に番号がふってありますが、写真一点一点に対応したタイトルあるいは解説は一切ありません。入口(受付)でわたされる作品リストを参考にするしかないのですが、振られた番号が順不同バラバラ、
チョット不親切かなあ。(当時の指導部の声明文等がパネル展示されていますが......)
図録が販売されていますが、展示されている写真より図録の写真の方が重厚感があり、説得力があるように思いました。(勿論同じ写真ですよ、プリントによる違いですよね)
勿論個人の感覚ですから、人それぞれですよね。


以下の画像は、チラシからです。

Kuderuka0001pura
プラハに押し寄せるワルシャワ条約機構軍の戦車とプラハ市民


Kuderuka0001sokoro
ソコロフスカー通り

Kuderuka0001tye
チェコスロヴァキア・ラジオ局のあるヴィノフラツカー大通り

Kuderuka2do
2度にわたり、人がいなくなったヴァーツラフ広場8月22日、23日

Kuderukatira
チラシ表

東京都写真美術館で、7月18日まで開催。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.22

拓本とその流転

Takuhonn

この展覧会は東京国立博物館で5月15日まで開催されていました。(終了しています)


書道は小学校での記憶しかないのですが、書家の展覧会はよく行きます。
書聖王羲之の作品は各種展覧会でも目玉になりますので、その名前は自然に覚えてしまいます。
蘭亭での曲水の宴は屏風絵、巻物でよく見かけまが、その時に作られた詩集の序文の草稿が蘭亭序です。王羲之はこれを書いたときに酔っていたと言われ、後に何度も清書をしようと試みたが、草稿以上の出来栄えにならなかったと言い伝えられています。
その《蘭亭序-呉柄本-》の展示もありました。

Takuhonn0002ran
蘭亭序-呉柄本- 王羲之
(東京国立博物館蔵)

Takuhonn0001_2
十七帖-上野本- 王羲之
(京都国立博物館蔵)

隷書、楷書、行書、草書等、書法それぞれに魅力はあります。
残念ながら、漢文、古文となると書かれた内容を読みこなす能力は全くないのですが、草書となると更に、もう.....。
かつて、拙ブロクで「良寛書字 無意識のアンフォルメル」という吉本隆明氏の一文をご紹介しましたが、その墨跡には人となり、思想までが、もろに表現されています。

拓本そのものは、よく見かけますが、こんなに歴史があり奥深いののだったとは、今回の展覧会、門外漢の私にとって新たな視点を与えてくれた貴重な機会となりました。
台東区立書道博物館との連携企画です。
書道博物館にも行ってみようかな。

以下にチラシの解説を引用させて頂きました。
 

古代の中国では、簡便な方法で複写をする拓本の技法が考案されました。現存する最古の拓本は、敦煌の蔵経洞(第十七窟)で発見された唐時代の「温泉銘」ですが、拓本の起源はそれ以前にさかのぼると考えられます。しかし唐時代の拓本は、ごくわずかしか残されていません。
 広義には、歴代の石刻を「碑」と総称しています。碑は隷書や楷書など、荘重で整斉な書体が多く用いられます。一方、書法を伝えるために木や石に名筆を刻したものを「帖」といい、行書や草書など実用の書体が多く占めています。
 宋時代には、上質の紙や墨が製造されるようになり、拓本の技法も多様になります。上等な拓本は、工芸意匠の粋を尽くした、えも言われぬ美しさがあり、収蔵家の垂涎の的となりました。
 毎年恒例となった東京国立博物館と台東区立書道博物館との連携企画、今回は、書の学習において最も基本となる中国の著名な拓本を、その流転にも目を向け、さまざまなエピソードをまじえてご紹介します。原石がすでに亡佚した貴重な唐拓・宋拓や、王義之の名品など、世界有数の拓本を一望できる貴重な機会です。本展を通して、拓本の持つ魅力を存分にお楽しみください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.19

写楽展

流石東博!!
写楽作品の集大成といっても過言でない企画展になっていますよね。
TVでも写楽特集放映してましたね。

江戸老中田沼意次の投機的な政策により町人経済が発展し、江戸っ子気質が通人を育てるバブル時代から、老中田沼意次罷免後の松平定信の寛政の改革、そして松平信明と引き継がれた治世。
寛政の改革からの風紀取り締まり、不景気の中、歌舞伎興行も行き詰っていた。
そんな時代背景の中、版元蔦谷から大判錦絵28枚で写楽はセンセーショナルなデビューを果たす。
僅か10ヶ月という活動の間に、頻繁に作風の変遷を見せ写楽は、忽然と姿を消し、その正体は謎とされた。
諸説現れる中、写楽の正体は、阿波藩の能役者斎藤十郎兵衛という事で収まったようだ。
さいとうじゅうろべえ
とうじゅうさい→とうしゅうさい→東洲斎
写楽すをしむ
というのも面白い解説ですよね。

Syara
三代目瀬川菊之丞の田辺文蔵女房おしず(東洲斎写楽)

「これまた歌舞伎役者の似顔うつせしが、あまり真を画かんとてあらぬさまにかきなせしかば、長く世に行われず一両年にして止ム」
ブロマイドとしては、役者にとって、また贔屓すじにしても、「あまり真を画かんとてあらぬさまにかきなせしかば」ではまずかったのかもしれませんね。
(一部図録の文章を引用しています)

 さて、この展覧会、私がいった日は、場所、時間によっては三重の列、そして列が途切れることも.....。
どちらかというと、第2会場の方に列が途切れるところがありました。
第一会場で、ぐったりの方もいたでしょうね。

 図録の構成は次の通りなのですが、展示会場の展示内容の流れは少々異なります。
第一章 写楽以前の役者絵
 出雲阿国の「かぶき踊り」から、菱川師宣による浮世絵の開花まで遡って、写楽登場まで歌舞伎がどの
様に描かれ来たかを概観しています。

Bunntyou
市川団十郎の竹抜き五郎(鳥居清倍)

第二章 写楽を生み出した蔦屋重三郎
 写楽は蔦屋の秘蔵子として、全ての作品を版元蔦谷から出版した。
そして名プロデューサー蔦谷はもう一つのジャンル美人画の絵師として喜多川歌麿を抜擢していた。
歌麿の作品が沢山展示されていて見ものですよ。

Utaohisa
高島おひさ(喜多川歌麿)

Uta0001
難波屋おきた(喜多川歌麿)


第三章 写楽の全貌
 さて、写楽ワールドです。
 このコーナーは四期に分けて歌舞伎演目に則した、そして、画法の変遷を追って展示されています。
豪華雲母摺り大首絵で颯爽と登場した写楽、2ヶ月後には、大首絵は減り、細判錦絵になり、全身を描いた役者絵に変化します(第二期)。更に三期に入ると、背景、小道具が描き込まれていきます。そして、第四期になると、点数が激減し、絵自体も生彩を欠いてきます。

第一期
寛政6年(1794)5月、都座、桐座、河原崎座に取材した役者絵(大判錦絵28図)
Syarai
二代目三津五郎の石井源蔵(東洲斎写楽)


Syarai0001
三代目坂田半五郎の藤川水衛門(東洲斎写楽)

第二期
寛政6年(1794)7月、都座8月、桐座、河原崎座に取材した役者絵(大判錦絵8図、細判錦絵30図)

Syarai22
三代目大谷鬼次の川島治部五郎(東洲斎写楽)


Syarai220001
三代目大谷鬼次の川島治部五郎と初代市川男女蔵の富田兵太郎(東洲斎写楽)

第三期
寛政6年(1794)11月、河原崎座、都座、桐座、河原崎座に取材した役者絵、閏11月都座、桐座に取材した役者絵(間判錦絵11図大判錦絵47図、その他)

Syarai23
二代目嵐龍造の大伴の宿禰山主(東洲斎写楽)


Syarai230001
七代目片岡仁左衛門の紀の名とら(東洲斎写楽)

第四期
寛政7年(1795)正月、都座、桐座に取材した役者絵(大判錦絵10図、その他)

Syarai4
三代目坂東彦三郎の工藤左衛祐経(東洲斎写楽)

第四章 写楽とライバルたち
 当時のライバル歌川豊国、勝川春英等々の役者絵と写楽の役者絵を並べて比較検証できる展示になっていて、この役者絵は秀英の勝ちとか、こちらは写楽の方がいいとか、品定めしながら観るのも楽しいですよ。
第五章 写楽の残影
 僅か10ヶ月で消えた写楽、しかし写楽版画の影響は後の浮世絵作家の作品の中にも見られるいう事でその証左としての錦絵が展示されています。

Syarai0002
ちらし

ハンズオン体験コーナーで「写楽に挑戦」
お隣が急かすので.....。
Syarai0004

Syarai0003
三代目大谷鬼次の江戸兵衛(東洲斎写楽)


この展覧会も震災の影響で、開催期間が変わりました。
6月12日まで開催されています。
金曜夜間開館は、中止ですのでご注意を。


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.18

バーチャルリアリティーコンテンツ 東大寺大仏の世界

Toudaudaubutu
東博のミュージアムシアター、今回は東大寺大仏の世界です。
週末の金、土、日のみの開催です。(6月26日まで)

少しの時間ですが、制作監督のお話を聴く事が出来ました。
監督は仰ってました。
管主に撮影の時期を尋ねると「二月は太陽が低いので、その光が大仏殿の軒下から入り、その柔らかい光が大仏の下から当たりいい表情になる」のだと。
(私の記憶から文章を起こしていますので、正確な表現でないかも知れません、悪しからず)
このような話が好きです。観光旅行者では気が付かない視点かもしれませんよね。
共に過ごす生活の中の視点ですよね。
Toudaudaubutu0001

Toudaudaubutu0001daiza
台座に刻まれた須弥世界、ナビゲーターの解説に仏教の世界観が伝わります。

昨年、特別展「東大寺大仏-天平の至宝-」で大画面で公開されたVR作品、見られた方も多いと思いますが、この作品に新たなシナリオを加え改編した作品だそうです。
短い上演時間ですが、質の高い内容に満足です。
一日6回の上演ですが、毎回人気ですので、早めに予約しないと(当日受付)見られないかも?ですよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.17

手塚治虫のブッダ展

Buda
東京国立博物館本館特別5号室で6月26日まで開催されています。

東博に行った主目的はは写楽展なのですが、あちこち目移りして、結局、間をおいてですが3日通う事になりました。

ブッタ展は、今回の展示スペースのキャパが限られている事あって、公休日は混んでましたよ。
手塚治虫というと、私はモノクロTVで見ていた鉄腕アトム、ほぼこれだけなのですが。
勿論その他のシリーズも、概要は知っていたし興味もありました。
ただ、作品に夢中という経験はありません。

この展覧会、仏像と漫画で辿る釈迦の生涯という事で、シッタルダの誕生からブッダとしての布教そして涅槃まで、手塚治虫の原画と 関連する仏像を並べて展示しています。
Buda0001
ちらしから

手塚治虫の原画は、日本の仏像というよりは、パキスタン、ガンダーラあたりの仏像のイメージです。
手塚ワールドなのでしょうね。
漫画本を読んだわけではないので、詳しくは書けないのですが.....。
ジュニアガイド(リーフレット)も置かれていて、多分に子供連れ家族を意識した企画なのかもしれません。
見に来ている方、私の行った日は老若男女、年齢幅も広かったですから、狙い通りだったのかもしれませんね。
とても分かりやすくて、面白い企画展だと思いました。

Imgp5802
ジュニアガイド

今月ロードショーの『手塚治虫のブッダ-赤い砂漠よ!美しく-』とのコラボ企画という事で、映画もみたいですね。
Buda0002


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.16

地球の上に生きる2011 DAYS JAPAN フォトジャーナリズム写真展

この写真展も7回目になります。
メジャーのテレビ、新聞にだけを情報源にしていると、思考がステレオタイプになってしまいそうです。
フォトジャーナリズムは、ある種の危険性も含んでいるものの、世界の今を教えてくれます。

展示されている現実は、我々自身3.11震災で思い知らされたように、決して他人事ではないのですよね。
地震、洪水、戦禍、地域紛争、貧困、差別。
少なくとも、選挙権を得て、社会を変える選択肢を与えられた人間は、その結果としての、社会の現実にも責任を負はなければならないのですよね。
自戒を込めて。
忸怩たる思いを抱きながら、せめて現実を少しでも見つめていこうと思いながら、この写真展も見続けています。

以下に、今回の受賞作のほんの一部を.....。

大賞受賞
ヤン・タゴのハイチ地震の痛手

Imgp5790haiti

Imgp5788haiti2


Imgp5787kodomo
2010年1月12日に発生したハイチ大地震。
100万人以上の人々が家を失い、震災後、親族の遺体を探しまわる中、飢えと乾きの中、絶望に追い込まれた人々は略奪を始めた、警官は警告弾を発射し、少女は撃たれて死んだ。

3位
アンドリース・ラティーフ
パキスタンの洪水
Imgp5791heri
食糧配給用のヘリの機体に手を伸ばす孤立した被災者たち。
(2010年7月パキスタン大洪水)

審査員特別賞
グレッグ・コンスタンティン
行き場のない亡命
Imgp5792haha
雨曝しになる、病を患うロンヒギャの女性。2009年7月
ロンヒギャはビルマ西部に住むイスラム教少数民族。
1982年にコミュニティ全体が市民権を剥奪され無国籍。
宗教的迫害を受けていて身動きできない。

以上は全て、DAYS JAPAN 5月号からです。
写真展では、東日本大震災のモノクロ写真も展示されています。
そして、この号では、福島原発についての政府、行政、所謂原発専門家、報道姿勢の欺瞞を暴いています。
私には、真偽の程を確認する手段はないのですが、このような発言も必要だと思っています。
本屋さんにも、図書館にも置いてあるはずですので、一読もよいかと...。

写真展は新宿のコニカミノルタプラザで5月18日まで開催されています。
Days2011

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.14

ユリノキ博物館

東博によく行かれる方は、記憶にあると思いますが本館の前にあるあの大木に花が咲いていました。このような出会いって嬉しくなりますよね。

説明プレートにはこのように書かれています。

ユリノキ
モクレン科
半纏木(ハンテンボク)・Tulip Tree
北米原産の密源樹
春チューリップによく似た花が咲く。


ユリノキの由来
 明治8,9年頃渡来した30粒の種子から育った1本の苗木が明治14年に現地に植えられたといわれ、以来博物館の歴史を見るり続けている。東京国立博物館は時に「ユリノキ博物館」「ゆりの館」などといわれる。

Dsc00293hana


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.13

映画(DVD)サガン -悲しみよこんにちは-

150680_1

製作年 2008年
製作国 フランス
原題 SAGAN
時間 122分

監督 ディアーヌ・キュリス
音楽 アルマン・アマール
脚本 ディアーヌ・キュリス 、マルティーヌ・モリコーニ 、クレール・ルマレシャル

キャスト
シルヴィー・テステュー
(フランソワーズ・サガン)
ピエール・パルマード
(ジャック・シャゾ)
ジャンヌ・バリバール
(ペギー・ロッシュ)
アリエル・ドンバール
(アストリッド)
リオネル・アベランスキ
(ベルナール・フランク)
ギョーム・ガリエンヌ
(ジャック・コワレ)


サガン邸、サガンの面倒をみている、女性が表札を外していると、若い記者が取材に訪れる。
女性はサガンは「いないわ」と.....サガンは2階からその様子を眺めている。この映画の導入部です。
時代は、遡って、18歳のフランソワーズ・コワレーズは、サガンのペンネームで『悲しみよ こんにちは』を出版する。小説ベストセラーとなり、賛否分かれるものの批評家賞を受賞する。
サガンはパーティーで作家のベルナール・フランクとダンサーのジャック・シャゾと出会い、学生時代からの親友フロランス・マルローと共に、パーティに……。

奔放な生活を始めるサガンは、カジノにと繰り出す。
サガンはカジノで勝ち負けを繰り返すが、ある時800万フランを稼ぎ、借りていた別荘を衝動買いする。
アメリカでも彼女は評判となり、宣伝にアメリカに行くことになる。
サイン会場で編集者のギイ・シュレールと知り合うことになり、恋に落ちる。
第2作も、批判されながらもベストセラーとなり、サガンは莫大な収入を得ることになり、取り巻きも出来て益々、散財、放埓な生活を送るようになる。そんなある日、別荘に滞在中に、取り巻きと共にいた兄に作品を否定される。ナイーブなサガンは、車のスピードを出しすぎて事故を起こし生死をさまよう。
奇跡的に回復するが、治療用に使われたモルヒネ依存になってしまう。
サガンは生涯、酒と薬から逃れることはできなかった。
回復して元の生活に戻ったサガンはギイと結婚する。
でも、すれ違いの生活ののち、ギイは若い愛人をつくる、そして離婚。
離婚後、『ブラームスはお好き』を出版する。パーティーで知り合ったアメリカ人アーティストのボブ・ウェストホフと恋に落ち、妊娠を機に結婚する。息子ドニを生むが、この結婚も長くは続かなかった。サガンは、旧友のデザイナー、ペギー・ロッシュと再会する。2人は意気投合し、同居を始める。相変わらず散財する生活で、サガンは莫大な金額の税金を滞納し、破産寸前の事態に陥る。
買った競走馬が勝ち、その賞金でその場を凌ぐのだが。不運は続く、父が急死し、サガン自身もコロンビアで高山病にかかり生死をさまよい、コカインの使用で所持で逮捕されてしまう。そしてペギーをガンで失う。新たに女流画家と生活を始めるも、孤独は癒えない。
病に斃れたサガンは、病院のベットで、一人、身の回りの世話をしている女性に看取られて………。

『ブラームスはお好き』を本棚から探して……。
Buramusu

年上のパートナー、ロジェがいる40才のポールの前に15才下のシモンが現れて、浮気するロジェ、そして、ポールに夢中になっているシモンの間で、もう若いとはいえないポールの心は揺れ動く。

小説「ブラームスはお好き」の一節。
ポールに夢中なシモンと昼食を共にしながら.....

それから、昼食の間ずっと彼らはお互いの仕事について語った。シモンはある殺人事件の訴訟のやりとりを真似た。そして、口頭弁論の真っ最中を真似ながら、大笑いしているポールに人差し指を突き付けた。 「あなたが人間であることの責任を果たさんなかった事を告訴します。この死人の名において、私はあなたが恋をとり逃がし、幸福である義務をないがしろにし、意義のない人生を送り。あきらめをもってその日暮らしに生きたことにたいして告訴します。あなたは死刑を宣告されるべきです。あなたは孤独を宣告されるでしょう」 シモンはしゃべるのをやめると、一息にブドー酒のコップを飲みほした。ポールは平然としていた。 「まあ、なんてひどい宣告でしょう」と微笑しながら言った。

この本は、ギイに献呈された。


| | コメント (0) | トラックバック (1)

2011.05.12

東北地方太平洋沖地震から2カ月

大震災から二ヶ月が経ちました。
あらためて亡くなられた方々のご冥福と、被災された方々の一日でも早い、平穏な日の訪れをお祈りいたします。
少なからず、私にも震災の影響はあり、修繕を含め、事後処理はひと段落したものの、この経験は一生忘れられないと思います。ましてや、東北の方々の心痛は計り知れないものがあると思います。

さて、相変わらずテレビでは、情緒的で横並び、同じような内容の報道が流されつずけています。
ワイドショ-をみている限りにおいては、民放は一局でいいのでは?と思ってしまうほどです。
そして、所謂専門家という方々の登場回数もめっきり減っていますよね。

私は、古い?人間ですから活字媒体からの情報の方が確実に頭に入ります。
理解を深めるには新聞、雑誌、ネット等々で情報を入手する必要があります。
そこで、一例として科学雑誌ニュートン大特集号を読みましたので......。

編集長の言葉の抜粋を以下に紹介します

テレビや報道で、いかに専門家という人たちがたよりにならないかという事を感じられた方もあるだろう。またこれらのメディヤで報道される内容についても世界の報道とくらべると、むしろ外国の報道の方がくわしく、正確な場合があることにも気づかれた人も多いにちがいない。これはある意味で、科学する力が、まだ、日本人ひとりひとりの身となり肉となっていないことを示しているように私には思われる。
 結局われわれ自身もわれわれの国土も、国民んひとりひとりの力で守るしかないという事を、あらためて感じさせられている。ひとりひとりが正しい科学能力を涵養することこそ、将来の日本にはとても大切なのだ。報道される内容を正しく判断できる力も国民に求められている。

紙面構成は次の通りです。
序章 東北地方太平洋沖大地震詳報
第1章 超巨大地震はこうしておきた
第2章 徹底分析福島第一原発事故
第3章 次にひかえる巨大地震

一読するのも良いかと。

Nyuton


Nyuton0001


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.11

ルオーと風景 パリ、自然、詩情のヴィジョン

世界のどこにもない景色が、ここにあります。
チラシのコピーです。

確かに、風景を描きながらそこには、ルオーの精神世界が展開されているようです。
秋、夕暮れの景色を多く描いていますが、そこには、時に貧しい村人、親子が描れていて、有形無形のキリストが、寄り添い、優しい光が包みこんでいます。

今回も出展されていますが、ブリジストン美術館所蔵の作品の中で、最初に好きになった絵がルオーの郊外のキリストでした。
Ruofuukei0001kougai
《郊外のキリスト》1920-1924年

ルオーの描くキリスト、道化師も好きですが、風景画は大好きです。
風景画の構図、マチエール、見事な色調が表現する精神性は、観る人を釘ずけにして離さない魅力を持っています。
最初の展示コーナーの、師モローの作品を想起させる作品「ゲッセマニ」、バルビゾン派の作風を残す「人のいる風景」、こちらも興味深く観てきました。

美術館のスペースの関係もあって、コンパクトですが、画学生の頃の作品から晩年まで風景画を中心にその変遷を概観できる展覧会です。

以下、展覧会の構成です。
第Ⅰ章 巨匠に倣いて
第Ⅱ章 生きた芸術へ-自然・田園の風景
第Ⅲ章 古びた町外れ-パリの郊外
第Ⅳ章 「伝説的風景画」へー版画集『ユピュおやじの再生』から『受難』まで
第Ⅴ章 歓喜のヴィジョン-聖書風景
子供向けの企画「ルオーの王国」が同時開催されています。

Ruofuukei0001buru
《ブルターニュの風景》1915年

Ruofuukei0001aki
《秋の終わりⅡ》1952年

Ruofuukei0001beru
《ヴェルサイユの秋》1947-1948年

Ruofuukei0001yuugure
《夕暮れ》1942年


今回の展覧会は、沢山のルオー作品を収集している出光美術館、パナソニック汐留ミュージアム、そしてジョルジュ・ルオー財団、ポーラ美術館、清春白樺美術館から出展されていました。
震災の影響で、展示予定の作品が、数点写真パネルに替えられていました。
どの美術館も一緒ですよね。

Ruofuukei
この展覧会は、7月3日までパナソニック汐留ミュージアムで開催。
展示用照明が全てLEDに替えられています。
ロッカーもバーコード式に変わっていました、コイン不要で便利。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.10

花と....。

花束有難う。
Imgp5769


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.08

画家たちの二十歳の原点

映画「プライドと偏見」は私が好きな映画の一つですが....エリザベス・ベネット役のキ-ラ・ナイトレイがとても魅力的で。
この展覧会は、さながら「プライドと懊悩」という感じ。
若くして、自分の感性と、才能に目覚めた一握りの人々の意気込みと、もどかしさが、作品に交錯しています。
展示されている絵画に添えられた、画家の言葉にその思いは募ります。
この展覧会でも、私が行った時点では、被災地の美術館からの出展は輸送上の問題等々で、写真パネルに置き換えられていました。

高野悦子の「二十歳の原点」は、ベストセラーになりましたよね。
成人式の日の日記に書かれてあった「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」
から、この本のタイトルになったんでしたよね。
当時、学園紛争他の運動にかかわって、その中で死を選んだ若者は彼女の他にもいましたしいましたし、本にもなっています。私の本棚にも数冊あるはずです。
この展覧会、意識しての命名でしょうか?
何か、話が本題からずれてしまいました。

明治、大正期から、現在の画家までほぼ時系列で、若き日の作品が画家の言葉と共に展示されています。
このような観点での企画は面白いなあ、と思いました。

この展覧会、図録というより、絵画と文章を同程度の重さで扱った本として一般書店でも販売されたいますよね。
早世した画家の作品は、その作品に対するイメージは当然変わらないのですが、この画家、若かりし頃はこのような作品を目指していたのかなんて思ったりしながら......。

何しろ、多くの画家(54作家)を取り扱っているため、感想を上手くまとめる事が出来ません。
ご容赦ください。
この展覧会とても好きなんですけど....。

Hatati0002aiou
靉嘔《クレーンと人》
虹の画家の原点ですよね。

Hatati0002aimitu
靉光《コミサ(洋傘による少女)》
ルオーの作風を試みた時期の作品ですね。

Hatati0002migisi
三岸好太郎《赤い肩かけの婦人像》

Hatati0002aida
会田誠《無題(通称:漫画屏風)
相変わらず楽しい作品。

Hatati0001yamaguti
山口晃《洞窟の頼朝》
こちらも、変わらず楽しい。


Hatati0001
ちらし

平塚市美術館で6月12日まで開催。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.07

20世紀フランス絵画の挑戦 アンフォルメルとは何か?

ブリジストン美術館に行く度に、ジャン・フォートリエの作品の前の椅子に座って暫く眺めていました。
「フォートリエノ作品、もっと観る事の出来る機会がないかなあ」なんて思いながら。
Sen
旋回する線
ジャン・フォートリエ


この展覧会、とても刺激的でした。
作品の、質感、色彩、構図?画家の個性が画面から飛び出してきそうです。

さて、アンフォルメルの定義。
直訳で「不定形なるもの」なのでしょうが、前衛的絵画運動としてのアンフォルメルとは。

第二次世界大戦後のパリ。ジャン・フォートリエやヴォルスは厚塗の画面に大胆な筆触を施した絵画を描き、ジャン・デュビュッフェもまた壁面を思わせる粗い下地に落書きするかのように掻き削った新たな抽象絵画の試みを始めました。批評家のミシェル・タピエは、彼ら3人を先駆とする奔放な絵画をフランス語で「不定形なるもの」を意味する「アンフォルメル」という名前で呼びました。

図録”ごあいさつ”冒頭文からの引用です。

展覧会の構成は以下の通りです。
第1章 抽象絵画の萌芽と展開
抽象の源流を印象派にまで遡って19世紀後半から20世紀前半にかけて、その後まもなくあらわれる新しい抽象画の登場を準備した画家の作品が展示されています。
モネ、セザンヌ、モンドリアン、ピカソ、カンデンスキー、ミロ等々、ブリジストン美術館所蔵のお馴染み作品が展示されています。

第2章 「不定形」な絵画の登場 —フォートリエ、デュビュッフェ、ヴォルス
いよいよ本題です。
第二次世界大戦末期ドイツの占領下にあったパリで、フォートリエ、デュビュッフェ、ヴォルス等は、不安な時代における芸術のあり方を模索し、その心象の表出方法として、伝統的概念にとらわれない新しい表現による作品を創造した。評論家ミシェル・タピエは、若い芸術家を中心に生まれつつあった抽象的で表現主義的な動きを「アンフォルメルとして理論ずけ、発展させることを試みた。


Fotori
人質
ジャン・フォートリエ
レジスタンス活動にかかわり潜伏しているときに描かれた作品。
頭部のマチエールと配色による内面表白は見事です。

Debufe
暴動
ジャン・デビュッフェ


第3章 戦後フランス絵画の抽象的傾向と「アンフォルメルの芸術」
戦後の美術がアメリカを中心に動いてきたという現況にあって、忘れてはならないエポックとして、「アンフォルメルの芸術」の動き、発展を大きな括りで紹介しています。

Sura
絵画、26May 1969
ピエール・スーラージュ

Aberu
母と子
カレル・アベル

Sugai
赤い鬼
菅井汲

Matiu0002
無題
ジョルジュ・マチウ

Ant0002
アンス・アントゥング
T.1692-U.6

Anforutira
ちらし

ブリジストン美術館で7月6日まで開催。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.05

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2011、そして。

今年は、震災による施設の一部不具合、一部出演者の来日見合わせ等々で、公演プログラムの変更、規模も縮小で開催されました。
私は、購入していたチケットの払い戻しもついでにと思って出かけました。

十時過ぎに国際フォーラムに到着、早速払い戻しに....空いてました。
発券料も含めて払い戻しと、公演料のみの払い戻し、説明されましたが、面倒なので、公演料のみ受けとって、書類にサイン。
当日券、翌日券の販売もしていましたが、1~2公演残すのみの完売状態。

展示ホールの無料コンサート、昨年までは有料公演チケット提示をしないと入場できなかった。
今年は、完全にフリー、ただし、混雑情況により規制ありとのこと(完全入れ替え制)。
途中からでしたが、入れてくれましたよ、オーケストラのコンサート(0歳からのコンサート)を聴きました。
座れました。
その後、地上広場キヨスクでピアノとチェロの演奏を聴いて、会場を出ました。

新橋に移動途中、東電本社を通過、NHKの放送車が停まり周りは警護のお巡りさんが....。
用事と昼食後、資生堂ギャラリーへ。
三島りつ恵展。(6月19日まで)
見事なガラス作品。回廊部分から展示会場は白色で覆われ迷路のような会場に大小さまざまなガラス作品が、採光も工夫されていて全体が作品化されていた。
1104_img_01


銀座通りは、震災直後と比べると人がでている感じがしますが。
(震災前)-(外人)=(今日の人出)という感じ。

銀座三越メアリー・ブレア展(5月9日まで)
空いていました。観客はどちらかというと、年齢層が高い。
スタジオジブリ所蔵の作品が中心、懐かしさと共に....良かったですよ。
Meari

松屋銀座島田ゆか&ユリア・ヴォリ絵本原画展(5月9日まで)
絵本も大好きなもんで、行ってみたのですが、これが大変、幼い子供を連れた家族で大賑わい。
島田ゆかコースが行列。
ユリア・ヴォリ展示コースはそんなに混んでいないという状況。
ユリア・ヴォリ良いと思うけどなー。
Simada

銀座和光ホール細見華岳展 ─つづれ織・糸の旋律─(5月6日まで)
これがもう素晴らしい作品、帯を中心に織物作品のすばらしさ。
Exhibitions1


有楽町朝日ギャラリー
東日本大震災支援チャリティー報道写真展ー声届け。ともに歩むー
(5月11日まで)
沢山の方が来場していました。
私、涙がこぼれて.....他の方も。
殆どの方が、出口の募金に参加していた、勿論、私も小額ですが参加。
Asahisinsai


再度、国際フォーラムへ。
展示ホールでピアノソロ・コンサート。
入場待ちの長蛇の列、でも広い会場なので、10分待ち程度で入場。
制限にかかって、入れなかった方もいたのかもしれませんが?
20分程度の演奏でしたが、震災地の応援を意識したプログラムで、観客も盛り上がって満足そう。
終了後、ホールを出ると、1時間以上後の次の公演の為の行列がもう出来ていた。
地上に上がると、地上広場キオスクのコーラス・コンサートが終了直前、こちらも盛り上がっていた。

そろそろ疲れてきた、ということで、帰る事に.....ポリシーのポの字も無い、ハチャメチャな一日でしたが、いろいろな思いを頭の中で巡らせながら。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.04

服部早苗 布工芸展

目黒、六本木あたりの美術館を巡った日に、この展覧会を観てきました。
5年の歳月をかけて、キルトで仏像を表現した作品を.....ということで、どんな感じかな?と思って行ってみました。
一階フロアで仏像を描いた作品が展示されていました。
素材として、キルトが仏像の精神性の表現に、向いているか否かは論議のある所と思いますが、とりあえず、その表現技術は見事でした。
微細部分の表現は無理としても、私には十分作者の意図が伝わってきました。
「こういうアプローチの仕方もあるのだなー」と感心してしまいます。

二階には、打掛作品がそろっています。
こちらも見事なのですが、あまりの煌びやかさに、チョット落ち着かなかった。
5月10日から展示替えがあり、”江戸藍染シリーズ”の展示になるようです。
どの程度の展示替えかわかりませんが、この時に行きたかった感じもするのですが。

「布の優しさと仏像の癒し。またひとつ、奇跡へ」チラシのコピーです。

大倉集古館で5月29日まで開催されています。

Hattorikiruto0001murou
室生寺 釈迦如来像

Hattorikiruto0001murou2
室生寺 十二神将立像 午神像

Hattorikiruto0001uti
大牡丹唐草

Hattorikiruto0001uti2

Hattorikirutotirasi
ちらし

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.01

五百羅漢 増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師狩野一信」展

3月15日開催予定が大震災で4月29開催に変更になりました。
待ちに待った展覧会、30日に行ってきました。
常設展は5月1日からです。
13時前から16時頃まで会場内にいましたが、結構空いていてゆっくり見る事が出来ました。

100幅の作品を丹念に観ていくと、矢張り3時間程度は必要になります。
羅漢の、表情の違いを丹念に観ていくととても面白いですよ。
説教する時の羅漢、議論、六道を巡る羅漢、天道往き帰りの表情、神通力を発する表情等々、行かれる方は比較してじっくり観てきてください。
着物も彩色豊かに丹念に描かれていて見事、羅漢さんて顔に似合わずオシャレ.....
背景も同様に見事に描かれていますです。

10年の歳月を経て完成して訳ですから、徐々に画法の緻密さ等に変化が見て取れます。
病を得てからの作品、そして96幅まで描いたところで一信は亡くなります。
その後4幅は、一信の下絵を元に妻と弟子で仕上げたとされています。
流石に、平面的で顔の表情に動きがなく、描く力量の差は如何ともし難い印象です。

作品は基本的に2幅一対で全体が構成されています。
大きな括りで1幅から20幅では、羅漢の日常生活が描かれています。
名相(みょうそう)、浴室、受戒、布施、論議、剃度、伏外道、というわけです。
500rakann_yokusitu0001
第10幅 浴室


21幅から40福までが六道です。
地獄、鬼趣、畜生、修羅、人(にん)、天
このあたりが、ドラマチックでとても面白いですよね。
500rakann_ten
第38幅 六道 天
500rakann_ten2
天女と羅漢ツーショット、何かにやけたようで......


41幅から50幅が十二頭陀
羅漢の最も重要な十二の修業が描かれたいます。
羅漢の生き生きとした表情がとても良いですよ。
500rakann_tannsanne
第48幅 十二頭陀 但三衣


500rakann_tannsanneoo
仕事の喜び?いい顔してます。


51幅から60幅が神通。
これはもう奇想天外、ビームをバンバン飛ばして、悪鬼をやっつけ、苦しむ民衆を救います。
500rakann_jinntuu
第51幅 神通
頭頂から、噴水が!!

61幅から70幅は禽獣、解説には、さながら動物園と書かれています。
500rakann_kinnjyu
第68幅 禽獣

71幅から74幅は龍供(りゅうぐ)
竜宮への行程が描かれています。
500rakann_ryuguu
第74幅 龍供


75幅は、洗仏等
76幅は、洗舎利
文字通りです。
500rakann_76
第76幅 洗舎利


77幅から80幅は堂伽藍。
こちらも文字通り、寺院建立の為の設計から、建設までの諸作業が描かれています。
500rakann_80
第80幅 堂伽藍

81幅から90幅が、七難
地震、台風、羅刹(ここでも羅刹を追い払うビームを羅漢が照射)悪鬼、刀杖、賊、枷鎖、盗。
500rakann_84
第84幅 七難 風(ふう)


91幅から100幅が四州、所謂、須弥山を中心とする仏教の東西南北の四州(四つの島)のあり様が描かれています。
500rakann_100
第100幅 四州 北


その他、増上寺以外の作品として、東博の羅漢図、成田山新勝寺の十六羅漢図(双幅)、逸見家伝来資料の興味深い資料展示もあります。
その中には、安政の大地震に対する記述もあります。


500rakanntirasi
ちらし

この展覧会は、江戸東京博物館で7月3日まで開催されています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »