苦しみについて
三浦朱門、曽野綾子、遠藤周作共著 「まず微笑」から
遠藤周作さんの「苦しみについて2」です。
前項に私は看護婦に手をじっと握られただけで、体の苦しみをすこしずつ忘れる患者の話をしました。
私はその後、この疑問がよく解けぬまま自分自身大きな手術を受けることになった。その手術は6時間も続き、4000ccの血が流され、私はその夜の2時ごろ麻酔からやっと目がさめた。麻酔がきれると、烈しい痛みが襲ってきた。
痛み止めの注射は4時間に一度という医師の命令である。脂汗をながして私は苦痛を我慢しようと思った。しかし痛みと死の不安が私の胸をいっぱいに占め、思わず看護婦をよぶベルを押した。
看護婦はやってきて、私の手を握った。彼女にとってはひょとすると、これは職業的な動作だったかもしれない。しかし当人の私は彼女に手を握られながら、不思議に傷の痛みが鎮まって行くのを感じたのである。
「ああ、これなのか」
私はその時、あの疑問がやっと解けるのを感じた。私は今、もう一人の人間に手を握られている。手を握られているということはもう一人の人が私と苦しみを分かち合っているような気を与えるのである。すべての苦痛には苦痛だけではなく、必ず孤独感というものがつきまとっている。まるで自分だけが全世界の中で一人ぼっちでこの苦しみを味わっているような実感がその時、伴うのである。これは皆さんが胸に手を当てて思い出されれば必ず、お分かりになって頂ける人間の錯覚の一つであろう。
そしてそんな時、もう一人、自分の苦しみを手を握ることによって分かちあってくれる人がいるという気持ちは、苦痛からこの孤独感を追い払うのである。あれほど苦しかった心がすこしずつ鎮まるのはそのためであった。
苦しみの連帯というと大げさな表現になるが、我々はなにか苦しい時、苦しいのは自分一人ではないことを考える必要があるようである。いやそれと共に苦しみを通して他人と結びつくことがどんなに必要であろうか。
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