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2011.03.19

地震発生当日の一日

前にも書きましたが、私はJRのとある駅に電車が到着して、乗客が乗り降りしている時、地震に遭遇しました。
ずいぶん揺れるけど、そんなに沢山の人が乗り降りしているのかな~なんて呑気なことを考えていました。
「あっ!地震、凄く揺れてる、怖い!」と女性の方が騒ぎ始めました。私は、はっと、気持ちが切り替わりました、地震なんだ、それにしても揺れ方が尋常でないな~と思いました。
それでも、まだ、目的地の時間帯に間に合うだろうか?と、「何時ごろ着いてどのくらい居る事が出来て、いつごろ帰宅できるかな~そんな思いを巡らしていました。
電車の中で待ちました、2時間ぐらい電車内で待ったでしょうか、寒さがじわじわと足元から伝わってくるような、そんな日でした。皆さん、携帯で話したり、本を読んだりして運転再開を待ちました。
駅ホームの公衆電話には長い列が途絶えません。「後ろに沢山並んでいるからすぐ切るね」と電話で話しているご婦人もいました。
私は、携帯でメールを送ろうとしましたが、全く不通状態が続きました。ツイッターは全く支障なし、貴重な情報源でした。ただ、今となっては、内容は思い出せません。呑気な事をツイートしていたかもしれません。
其の内、駅間で停まっている電車から乗客を最寄りの駅に誘導していることの車内放送。
この段階で私は、目的地行きを諦めました。
トイレに行きたくなったのと、寒さがきつかったので、駅舎に戻ろうと電車から降り移動しました。

もう夕方です。
駅構内の売店で買った、軽食をとる者、ビールを飲み始める人もいました。
仕方なく私は、雑誌を地べたに敷いて座り、本を読みながら運転再開を待つことにしました。
校内放送が10分間隔(位だと思う)で「大規模地震発生の為、運転を取りやめています、運転再開の目処は立っていません、復旧には相当な時間がかかります」(正確ではありませんが同意味の放送)と繰り返します。
放送の度に運転再開を期待するのですが、何時間も同じ内容の放送を繰り返していました。
苛立ちがつのりました。

そして、四時間半程待った、午後七時半ころ、今度は、よく聞き取れないような構内放送、私は、駅員に聞きました。
駅員は「今日の運転はなくなりました」と......

ホテル泊、駅構内泊、タクシー.....頭の中で考えました、でも足は直ぐに駅構内を出て歩き始めました。
駅の外に出て、警備員?、警察官?若い方に、「○○に帰りたいんですけど、どっちに行ったらいいでしょう」
「向こうです、遠いですよ」と指さしてくれました。
同じ○○に帰る方は数人いました。

私には、どうしても帰らなくてはならない事情があります。
もう自宅からは、かなりの遠隔地に私は居ました。

私は、今日中に着きたいと.....
ジョギング開始です。
バックパックで助かりました、ipadの地図(経路検索)も頼れるかなと。
それでも私は、少々遠回りでも、先ず国道に出ようと思いました、車で度々走ったからです。
国道に出るまで、二時間程度掛ったでしょうか、全く知らない土地でipadの地図を見ながら、迷い、走ったり、速足だったりで....列を作って、時に一人になるととっても不安です。

国道に出ました。ほっとしました。
都心方面に向かう私、反対に歩く列がすれ違います。

ここで、当てが外れます。
大動脈の国道で、信号が所々、消えています。
停電なのでしょうか、ビルの窓からの明かりが消えています。
足元が真っ暗です、ジョギングも、速足もあきらめました、国道だけに多くの人が歩いていて、暗闇で正面衝突しそうになるし、足元の段差に躓いて怪我でもしたらおしまいだと思いました。

途中で、お客さんが乗っていないタクシーを発見、止めようとしましたが、乗車拒否です。

時に、交通整理のお巡りさんに路の確認をしながら歩き続けました。
車でよく走った国道だから、もう迷わず帰れると思ったのですが、車で走って記憶に残っている光景と、歩く速度で眺める景色は全く違うことに気付きました。更にかなりの暗さです。

時に集団で、時に疎らになる人影に不安を覚えながら歩き続けました。
そして、やっと目的地○○の標識です。
でも、車で走った記憶では、もう少し先で曲がった方が近いはずだ.....
しかし、いくら行っても記憶にある交差点に行きあたりません、もう泣きたくなりました。

仕方なく、元の標識まで戻り○○→の方向に曲がりました。
記憶のない道です、次の標識が待ちどうしい。
もう日付が変わろうとしていました。
走るしかありません。
気がつけば歩き始めてから、水分すらとっていません、只管早く帰宅したかった。
やっと、見なれた町に着いた時、正直ほとしました、歩く速度も増してきました。
後もう一時間も歩けば帰れる....

今日一日の不運はこれで済んだと......こんな大災害になる(なっていた)とは夢にも思わず、私も少なからず損害受け、憂鬱な日々が待っていようとは夢にも思わず、あーもうすぐ家に着くと思いながら....

この日から暫く、本当に必要な要件以外の遠出は行く気になれません、一種のトラウマです。

あれから一週間と一日が過ぎようとしています。
被災された方々のことを思うと、気が沈みます。
TV放送も元に戻りつつあります。
被災された方を思いつつ、できることはして、そして私たちも動き始めなくては...
今回の経験、大震災は忘れようにも忘れられない、これからもずーと、そんな気持ちでいます。


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