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2011.03.30

芸術写真の精華 日本のピクトリアリズム 珠玉の名品展

震災前に行ってきた展覧会です。
東京写真美術館で5月8日迄開催されています。
行かれる方は、事前に必ず開館しているか否かを確認をしてくださいね。

写美はよく行きますので、ピクトリアリズム作品は度々拝見してきました。でも、このような特集で見させて頂くとありがたいですね。好き嫌いはあると思いますが、時代背景と当時の写真家が取り組んだ意気込みは伝わってきますよね。
写真が如何に芸術として昇華していくか?させていくか?日本写真史の一時代をゆっくり鑑賞するのも良いかもしれませんよ。写真の技術的側面、その表現に与える緻密さも関心を持ちたいですね。

以下の画像はチラシからです。
Syabipikuto0001syakuyaku
梅阪鶯里 「芍薬」1931年

Syabipikuto0001onnna
野島耕三 「髪を梳く女」1914年

Syabipikuto0001fune
福原信三「西湖風景」1931年

Syabipikuto
チラシ


さて、お勉強です。
本展に出品されている作品は、我々に馴染み深いゼラチン・シルバー・プリント、あるいはデジタルプリントとは違い、ほとんどの作品が下記の印画法によって作られています。
そこまでは....ですよね。でも作品を観ていると気になりますよ.....頭の片隅に入れておくと役立つと思います。HPから引用させて頂きました。

<古典的なピグメント印画法とは?> 本展に出品される作品の多くは、写真の技法のひとつである「ピグメント印画法」によって制作されています。ピグメント印画法とは、その名の通り「顔料」を使い画像を作る方法です。よく知られている銀の化合物によって画像が作られる写真(ゼラチン・シルバー・プリントなど)と違い、ピクトリアリズムの特徴である、独特のやわらかさと美しさを作り出すことができます。この技法を使い、日本人の写真家たちは、日本人ならではの繊細な表現を生み出していきました。主な古典的なピグメント印画法をご紹介します。

■カーボン印画 Carbon print 
この技法が多く使用された時期:1870年代~1920年代
アルフォンス・ポワトヴァン(仏)が、1855年にゼラチンやアラビアゴムなどが重クロム酸カリウムなどの薬品と混ぜると光に感じる性質(感光したところが硬くなる)をもつという原理を発見し、カーボン印画法、ゴム印画法、オイル印画法などのピグメント印画法のもとになりました。カーボン印画法は、ジョセフ・W.スワン(英)が、1864年に考案しました。顔料をゼラチン溶液に混ぜ、それを紙に厚く塗ります。乾かした後、重クロム酸カリウムの溶液で感光性を与え、ネガを密着させて、太陽の光で焼き付け、温湯で現像します。

■ゴム印画 Gum-bichromate print
この技法が多く使用された時期:1860年代~1920年代
ポワトヴァンが発見した原理にもとづき、19世紀末にアルフレッド・マスケル(英)やロベール・ドマシー(仏)らによって改良され、ピクトリアリズムの芸術写真の代表的な印画法として広く使われました。アラビアゴムと顔料と重クロム酸カリを混ぜた溶液を水彩用紙などに薄く塗り、乾かします。ネガを密着して太陽の光で焼き付けた後、冷水で現像します。この過程を何度も繰り返して、画像をコントロールして求める調子を作りだしてゆきます。

■ブロムオイル印画 Bromoil print
この技法が多く使用された時期:1910年代~1930年代
E.J.ウォール(英)が1907年に原理を発見し、C.W.パイパー(英)が同年に完成しました。普通に引き伸ばしたゼラチン・シルバー・プリントは金属銀で画像ができています。それを、銀のある部分のゼラチンは硬く、そうでない部分は水を含むようにする薬品をつかって脱銀漂白をします。そこに油性インク(油絵具など)を刷毛をつかって叩きつけると、水と油の反発作用によって画像が現れてきます。日本のピクトリアリズムの芸術写真家たちは盛んにこの技法を使って作品を制作しています。


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2011.03.29

中島潔展

久しぶりに出かけた日曜日の銀座、歩行者天国も中止のようでした。

京都清水寺成就院襖絵奉納記念
風の画家40年の軌跡 中島潔展を観に松屋銀座に行ってきました。
この展覧会は、3月28日で終了しています。

 中島潔の絵には、命が風のように流れている。喜びも悲しみも、光も影も、夢と幻もすべて溶け込んで優しくせつなく懐かしい独特の世界を確立......そこには、画家になりたいという中島潔をただ一人応援してくれた母の癌による早世、二ヶ月後の父の再婚.....反発して、故郷を離れほぼ独学での絵画修業。そんな人生における、母への思慕、父への思い、故郷の風景が描がき込まれています。
絵の中に登場するキャラクターのうめ吉は母の名前に由来します。
 今回の展覧会のタイトルにもある清水寺成就院襖絵は自ら申し出て、五年の歳月をかけて2010年に完成しました。NHKクローズアップ現代で放映されたのを私も見ました。

自身癌の手術全快を経て、過去への拘りを乗り越えて「空」を書きます。
「空を染める夕焼け雲には、明日の希望の予感があります。あらたな私の始まりです」と述べています。


以下展示構成の概要です。
清水寺成就院襖絵
襖絵『かぐや姫』
襖絵『風の故郷』
初夏「にわか雨」
夏「ひまわり」
秋「紅葉」
冬「雪の音」
襖絵『大漁』
Nakazimakiyosi0001tairyou


風の画家中島潔 四十年の軌跡
童夢
Nakazimakiyosi0001doumu
夏の色


風の女(ひと)
Nakazimakiyosi0001kazenohito
白梅


金子みすゞ の世界
Kaneko
お花だったら


日本の四季
Nakazimakiyosi0001nihonnosiki
花別れ


童謡・故郷の詩(うた)
Nakazimakiyosi0001touryannse
通りゃんせ

画像は、チラシからです。

Nakazimakiyosi

チラシ表

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2011.03.28

柴田トヨさんの言葉

大震災から2週間以上が経ちました。
私の身の回りにも、影響はおよび、直接の被災者に比べれば、何でもないこととと思いつつも憂鬱から逃れられず、外出も控えめに....体調も今一つ、病は気からを実感してしまう体たらく。
これではいけないと、徐々に普段の生活に戻るべく、ようやく動き始めました。

松屋銀座で開催されている、中島潔展に行ってきました。(3月28日迄です)
その帰りに、有楽町まで歩いて、
相田みつお美術館に寄りました。
目的は、
『くじけないで』99歳のデビュー
詩人・柴田トヨの世界展
です。

そこに、被災者へのメッセージがありましたので紹介します。


被災者の皆様に

柴田トヨ


 あぁ なんという
 ことでしょう
 テレビを見ながら
 唯(ただ) 手をあわすばかりです
 

 皆様の心の中は
 今も余震がきて
 傷痕(きずあと)がさらに
 深くなっていると思います
 その傷痕に
 薬を塗ってあげたい
 人間誰しもの気持ちです
 私もできることは
 ないだろうか? 考えます
 もうすぐ百歳になる私
 天国に行く日も
 近いでしょう
 その時は 日射(ひざ)しとなり
 そよ風になって
 皆様を応援します
 これから 辛い日々が
 続くでしょうが
 朝はかならず やってきます
 くじけないで!

この詩も良いですね。

貯金


私ね人から

やさしさを貰ったら

心に貯金をしておくの

さびしくなった時は

それを引き出して

元気になる

あなたも 今から

積んでおきなさい

年金より

いいわよ


こんな詩も

くじけないで

ねえ 不幸だなんて
溜息をつかないで

陽射しやそよ風は
えこひいきしない

夢は
平等に見られるのよ

私 つらいことが
あったけど
生きていてよかった

あなたもくじけずに


Sibatatoyo


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2011.03.27

アンパンマンも応援しています。ミッフィーも涙。

Message1
アンパンマンのマーチも共感を呼んでいるそうです。
以下に一部分を.....

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷が痛んでも
なんのために うまれて
なにをして いきるのか
こたえられない なんて
そんなのは いやだ!

Osk2011032601531
「日本の皆様へ思いを込めて」ディック・ブルーナー


朝日新聞の記事を参考にしました。

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2011.03.26

城山三郎著 部長の大晩年より

この小説の主人公の俳人永田耕衣さんは、神戸震災で、被災しました。
以下は、俳句同人の方が語った、 その時の耕衣の様子を綴った部分です。

ショベル・カーが耕衣の家に食い込んで行くときには、 「私達は耕衣にかわって掌を合わせ一つの葬送をしました」 妻ユキエの死から九年。九十五歳の耕衣にとって、今度こそ、まぎれもない孤独。耕衣は二度とたちあがれないのではないか、と誰もが心配した。 だが、その心配はまもなく消しとんだ。耕衣の句が高らかに答えてくれたからである。 「白梅や天没地没虚空没」 「太陽に埋もれて(もれて)やぬくき孤独かな」 そして、 「枯草や住居なくんば命熱」 それらは、朗々と同人たちの胸に響き、奮起させられたのは、むしろ同人たちであった。

ここまで達観はできないとしても、被災された方々には、希望を繋ぎ続けて頂きたいですね。

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2011.03.25

苦しみについて

三浦朱門、曽野綾子、遠藤周作共著 「まず微笑」から

遠藤周作さんの「苦しみについて2」です。

 

 前項に私は看護婦に手をじっと握られただけで、体の苦しみをすこしずつ忘れる患者の話をしました。
私はその後、この疑問がよく解けぬまま自分自身大きな手術を受けることになった。その手術は6時間も続き、4000ccの血が流され、私はその夜の2時ごろ麻酔からやっと目がさめた。麻酔がきれると、烈しい痛みが襲ってきた。
 痛み止めの注射は4時間に一度という医師の命令である。脂汗をながして私は苦痛を我慢しようと思った。しかし痛みと死の不安が私の胸をいっぱいに占め、思わず看護婦をよぶベルを押した。
 看護婦はやってきて、私の手を握った。彼女にとってはひょとすると、これは職業的な動作だったかもしれない。しかし当人の私は彼女に手を握られながら、不思議に傷の痛みが鎮まって行くのを感じたのである。
「ああ、これなのか」
 私はその時、あの疑問がやっと解けるのを感じた。私は今、もう一人の人間に手を握られている。手を握られているということはもう一人の人が私と苦しみを分かち合っているような気を与えるのである。すべての苦痛には苦痛だけではなく、必ず孤独感というものがつきまとっている。まるで自分だけが全世界の中で一人ぼっちでこの苦しみを味わっているような実感がその時、伴うのである。これは皆さんが胸に手を当てて思い出されれば必ず、お分かりになって頂ける人間の錯覚の一つであろう。
 そしてそんな時、もう一人、自分の苦しみを手を握ることによって分かちあってくれる人がいるという気持ちは、苦痛からこの孤独感を追い払うのである。あれほど苦しかった心がすこしずつ鎮まるのはそのためであった。
 苦しみの連帯というと大げさな表現になるが、我々はなにか苦しい時、苦しいのは自分一人ではないことを考える必要があるようである。いやそれと共に苦しみを通して他人と結びつくことがどんなに必要であろうか。

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2011.03.24

思い出す言葉など

 人生を意味あるものにできるのは、第一に、何かを行うこと、活動したり創造したりすること、自分の仕事を実現することによってです。第二に何かを体験すること、自然、芸術、人間を愛することによっても意味を実現できます。  第三に、第一の方向でも第二の方向でも人生を価値あるものにする可能性がなくても、まだ生きる意味を見いだすことができます。自分の可能性が制約されているということが、どうしようもない運命であり、避けられない逃れられない事実であっても、その事実に対してどんな態度を取るか、その事実にどう適応 し、その事実に対してどうふるまううか、その運命を自分に課せられた「十字架」としてどう引受けるかに、生きる意味を見出すことができるのです。

「夜と霧」の著者V・Eフランクルの「それでも人生にイエスと言う」から引用しました。

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2011.03.23

ツイッター駆使安否確認任せて 避難所の28歳(3/22朝日新聞30面より抜粋)

会社員高山智行さん。津波で家が半壊、自身も避難所生活をおくる。 「ご友人やご家族とまだ連絡がとれていない方がいましたら、避難所にいる自分宛てにレスください。探します!」地震があった翌日の夜、高山さんは避難所からスマートフォンでブログやツイッターにそう書き込んだ。  反響は予想以上だった。ブログのアクセス数が、2日間で5千以上に。ツイッターでは100以上の安否確認の依頼が寄せられた。避難所内を回った結果、約20人の安否を確認し、ツイッターで無事を知らせる事が出来た。  「自衛隊のように誰かの命を救うことはできない。でも誰かの心が少しでも救えたなら、それで十分」と高山さんは話す。

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2011.03.22

思想家吉本隆明さんの言葉(朝日新聞3/20本を開けばより)

未曾有の災害の状況が進行中ですが、お前は考えているのかと問われれば、絶えず考えています。いくら考えてもわかんねえってことはありますが、自分なりに、ずっと考えています。(以上は冒頭部分です)

そして、考えたことの中に、レーニンとスターリンの対決で結末がついた問題もありました。切実な私事と公、どちらを選ぶべきか、という問題です。(略)


以下、終りの部分です。
しかし、親鸞は「人間には往きと還りがある」と言っています。「往き」の時には、道ばたに病気や貧乏で困っている人がいても、自分のなすべきことをするために歩みを進めればいい。しかし、それを終えて帰ってくる「還り」には、どんな種類の問題でも、全てを包括して処理して生きるべきだと。悪でも何でも、全部含めて救済するために頑張るんだと。この考え方にはあいまいさがありません。かわいそうだから助ける、あれは違うから助けない、といったことではなく「還り」は全部助ける。しきりがはっきりしているのが親鸞の考え方です。

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2011.03.21

玄侑さん(作家・僧侶)の言葉(3/19朝日新聞オピニオンから)

私の住む福島県三春町は、福島第一原発から45キロにある。原発近くで被災した私たちにとって、刻々と事態が悪化する原発事故に関する情報が圧倒的に不足している。 どのテレビ局も、原発事故の状況をほかの避難情況や被災現場の報告などと場面を切り替えながら報じている。記者会見などがあれば横並びになる。この非常事態に、どこか一局でいい。原発事故に特化して正確な情報をリアルタイムで報じるべきだ。(表題「本当にとどまっていいのか」冒頭部分からの引用です)

同感ですね、ツイートでも書きましたが、何故各社で報道内容の分掌が出来ないのでしょうか?
各社同じような、情緒的な、あるいはフラッシュバックに繋がるような報道が多すぎる。
被災された方々の心にどう響くのでしょうか?

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2011.03.20

3月15日の朝日新聞から 精神科医中井久夫さん(77)の言葉


周囲の人は、今出来ることをやるより他にないと思う。「気の毒、かわいそう」という言葉は逆に反発を買うこともある。「わかってたまるか」という気持ちもある。被災者のことは被災者でないと分からない、とも言うから。
 失ったものへの思いは人それぞれだし、共感するのが簡単ではないくらい、災害は一人ひとり違う。地域によっても集落が全滅した所とそうでもない所では、対応も違ってくる。心の傷は、回復力を持っている。だからこそ被災者に敬意を持って、自尊心を尊重するのが大切だと思う。

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2011.03.19

地震発生当日の一日

前にも書きましたが、私はJRのとある駅に電車が到着して、乗客が乗り降りしている時、地震に遭遇しました。
ずいぶん揺れるけど、そんなに沢山の人が乗り降りしているのかな~なんて呑気なことを考えていました。
「あっ!地震、凄く揺れてる、怖い!」と女性の方が騒ぎ始めました。私は、はっと、気持ちが切り替わりました、地震なんだ、それにしても揺れ方が尋常でないな~と思いました。
それでも、まだ、目的地の時間帯に間に合うだろうか?と、「何時ごろ着いてどのくらい居る事が出来て、いつごろ帰宅できるかな~そんな思いを巡らしていました。
電車の中で待ちました、2時間ぐらい電車内で待ったでしょうか、寒さがじわじわと足元から伝わってくるような、そんな日でした。皆さん、携帯で話したり、本を読んだりして運転再開を待ちました。
駅ホームの公衆電話には長い列が途絶えません。「後ろに沢山並んでいるからすぐ切るね」と電話で話しているご婦人もいました。
私は、携帯でメールを送ろうとしましたが、全く不通状態が続きました。ツイッターは全く支障なし、貴重な情報源でした。ただ、今となっては、内容は思い出せません。呑気な事をツイートしていたかもしれません。
其の内、駅間で停まっている電車から乗客を最寄りの駅に誘導していることの車内放送。
この段階で私は、目的地行きを諦めました。
トイレに行きたくなったのと、寒さがきつかったので、駅舎に戻ろうと電車から降り移動しました。

もう夕方です。
駅構内の売店で買った、軽食をとる者、ビールを飲み始める人もいました。
仕方なく私は、雑誌を地べたに敷いて座り、本を読みながら運転再開を待つことにしました。
校内放送が10分間隔(位だと思う)で「大規模地震発生の為、運転を取りやめています、運転再開の目処は立っていません、復旧には相当な時間がかかります」(正確ではありませんが同意味の放送)と繰り返します。
放送の度に運転再開を期待するのですが、何時間も同じ内容の放送を繰り返していました。
苛立ちがつのりました。

そして、四時間半程待った、午後七時半ころ、今度は、よく聞き取れないような構内放送、私は、駅員に聞きました。
駅員は「今日の運転はなくなりました」と......

ホテル泊、駅構内泊、タクシー.....頭の中で考えました、でも足は直ぐに駅構内を出て歩き始めました。
駅の外に出て、警備員?、警察官?若い方に、「○○に帰りたいんですけど、どっちに行ったらいいでしょう」
「向こうです、遠いですよ」と指さしてくれました。
同じ○○に帰る方は数人いました。

私には、どうしても帰らなくてはならない事情があります。
もう自宅からは、かなりの遠隔地に私は居ました。

私は、今日中に着きたいと.....
ジョギング開始です。
バックパックで助かりました、ipadの地図(経路検索)も頼れるかなと。
それでも私は、少々遠回りでも、先ず国道に出ようと思いました、車で度々走ったからです。
国道に出るまで、二時間程度掛ったでしょうか、全く知らない土地でipadの地図を見ながら、迷い、走ったり、速足だったりで....列を作って、時に一人になるととっても不安です。

国道に出ました。ほっとしました。
都心方面に向かう私、反対に歩く列がすれ違います。

ここで、当てが外れます。
大動脈の国道で、信号が所々、消えています。
停電なのでしょうか、ビルの窓からの明かりが消えています。
足元が真っ暗です、ジョギングも、速足もあきらめました、国道だけに多くの人が歩いていて、暗闇で正面衝突しそうになるし、足元の段差に躓いて怪我でもしたらおしまいだと思いました。

途中で、お客さんが乗っていないタクシーを発見、止めようとしましたが、乗車拒否です。

時に、交通整理のお巡りさんに路の確認をしながら歩き続けました。
車でよく走った国道だから、もう迷わず帰れると思ったのですが、車で走って記憶に残っている光景と、歩く速度で眺める景色は全く違うことに気付きました。更にかなりの暗さです。

時に集団で、時に疎らになる人影に不安を覚えながら歩き続けました。
そして、やっと目的地○○の標識です。
でも、車で走った記憶では、もう少し先で曲がった方が近いはずだ.....
しかし、いくら行っても記憶にある交差点に行きあたりません、もう泣きたくなりました。

仕方なく、元の標識まで戻り○○→の方向に曲がりました。
記憶のない道です、次の標識が待ちどうしい。
もう日付が変わろうとしていました。
走るしかありません。
気がつけば歩き始めてから、水分すらとっていません、只管早く帰宅したかった。
やっと、見なれた町に着いた時、正直ほとしました、歩く速度も増してきました。
後もう一時間も歩けば帰れる....

今日一日の不運はこれで済んだと......こんな大災害になる(なっていた)とは夢にも思わず、私も少なからず損害受け、憂鬱な日々が待っていようとは夢にも思わず、あーもうすぐ家に着くと思いながら....

この日から暫く、本当に必要な要件以外の遠出は行く気になれません、一種のトラウマです。

あれから一週間と一日が過ぎようとしています。
被災された方々のことを思うと、気が沈みます。
TV放送も元に戻りつつあります。
被災された方を思いつつ、できることはして、そして私たちも動き始めなくては...
今回の経験、大震災は忘れようにも忘れられない、これからもずーと、そんな気持ちでいます。


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2011.03.12

東北地方太平洋沖地震

東北地方太平洋沖地震により被災されました皆さまに心よりお見舞い申し上げますとともに、早期の復旧をお祈り申し上げます。

私は、ある駅に電車が到着して、乗客が乗り降りしているときに地震に遭いました。
4時間半、車中、駅構内で電車が動くのを待ちましたが、結局運転取りやめになり、自宅まで歩きました。
6時間程度歩いて、深夜1時過ぎに帰宅しました。
その間、いろいろと考えながら歩きました、実際に体験してみると、考えられないことが起きます。
それらの事柄は、後に投稿できるかもしれません。

何もできませんけれど、哀悼の意と、被災され困難に遭遇している方々の早期の救出を只管お祈りしたいと思います。
皆さんも宜しくお願いたします。


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2011.03.11

役者に首ったけ!

山種、写美、と歩きまわって、この会場たばこと塩の博物館に.....ですから、疲れ気味と、閉館まであまり時間が無かった...ということで、澁谷に行ったら、もう一度観てきます。
そう思うくらい楽しい展覧会です。
役者絵はいわゆるブロマイドですから、役者絵に描かれた面相と、今の歌舞伎役者を比べてみるのも楽しいですし、歌舞伎演目の簡単な筋書き解説、その舞台裏、金主の事情等々.....あー、そうなんだーの連続です。
以下の企画展構成からも想像していただけるのではないでしょうか。
この博物館に行ったことのある方は、お分かりでしょうが、あまり広いとは言えない、ワンフロアの会場です、その中に楽しい情報がいっぱい詰まっていました。

第1部 役者・オン・ステージ
     ツボ1 イケメンを探せ!
     ツボ2 「上演期間売り抜くべし」ひしめき合う版元たち
     ツボ3 絵師だってライバルです
     ツボ4 役者も人ですから....喧嘩もします
第2部 役者上ル、下ル、地方ニ出ル
     ツボ5 豪華キャストでおくる舞台!その背後に金主あり
     ツボ6 懐具合と相談します
第3部 舞台がはねても首ったけ
     ツボ7 役者が着ればダジャレもオシャレ 
     ツボ8 伊達に「たばこ」を名乗っちゃいません

山種美術館→たばこと塩の博物館。きっと大満足の一日になりますよ。
両館とも、今の企画展は4月17日迄やってますよ。

以下の画像はチラシおよび冊子から
Yakusya0003dannjyuro
七代目市川団十郎

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東洲斎写楽 「松本幸四郎 肴屋五郎兵衛」

Yakusya0005edohana
五渡亭国貞「江戸花二人助六」

Yakusya0002kaisetu
8頁の解説冊子が有難い。

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チラシ


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2011.03.10

映画(DVD) みんな元気

最近、DVDを借りてきて、いざ、見始めると。
あっ、これ前に観た!!ということが、よくあり、悔しい思いをします、blogに残しておこうという所以です。

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制作年:2009
配給:劇場未公開
制作国:アメリカ/イタリア
上映時間:100分


監督: カーク・ジョーンズ
脚本: カーク・ジョーンズ
出演者: ロバート・デ・ニーロ 、 ドリュー・バリモア、 ケイト・ベッキンセール、、 サム・ロックウェル
音楽: ダリオ・マリアネッリ
製作総指揮: クレイグ・J・フローレス 、 マイク・ウェバー、 ジョー・ローゼンバーグ 、 カラム・グリーン、 マイアー・テパー

1990年マルチェロ・マストロヤンニ主演で製作されたイタリア同名映画のハリウッドリメイク版です。
こういう映画は興行収入面からみて、日本での劇場公開は無理だったのでしょうか?良い映画だと思うんのですけれど。

妻がなくなって数か月、フランクは週末バーべキューの準備に嬉々として、買い物、庭でのセッティングに動き回る、そんな場面でこの映画は始まる。
成人して家を出た四人の子供たちが、妻の死後初めて帰ってくる予定だからだ。
しかし、子どもたちからは、直前になって次々とキャンセルされてしまう。
そこで、フランクは彼らが住むNY、シカゴ、デンバー、ラスベガスへ、連絡なしで訪ねて驚かそうと旅を始めることに....
工場で働き、子供に厳しく対応してきたフランク、それも、子供の将来を思ってのことだ。
子供は、夫々成功し幸せだと妻からは聞いていた。
先ず尋ねた長男のアパート、長男は何時まで経っても戻らない、仕方なく娘のむ町へ移動することにする.....
そして、次々と子供を訪ね歩くのだが......子供たちは、夫々問題を抱えていた。

まあ、ありそうな話だし、何処の国の親子関係も同じなんですね....何かしみじみと、そして、ああ、やっぱり家族って....そんな映画。

このような役柄の ロバート・デ・ニーロ も良いですよね、哀愁が漂って。
娘役の女優陣も良いですよ。

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2011.03.09

錦絵の黄金時代 清長、歌麿、写楽 ボストン美術館 浮世絵 名品展

江戸東京博物館で2008年に開催された「ボストン美術館 浮世絵 名品展」は浮世絵初期から幕末までを網羅した展覧会でした。この時も大混雑のなか鑑賞した記憶があります。

山種美術館、今回の展覧会も同名ですが、清長、歌麿、写楽に焦点を絞っての企画展です。
混んでますので、体力を蓄えて、チョット無作法な方にもイラつかないで......楽しみたいですよね。
チョット室内の温度が高め?私はシャツ一枚で腕まくり、服装にも配慮が必要ですよね。

私、写楽はあまり....なのですが、清長、歌麿の美人画と聞いたら見逃すわけにはいきません。
清長、歌麿の作品がこれだけまとまって見られる機会は滅多にないかもしれませんよ。
あっ、あれ、こんな作品もあるんだ.....
発色も良いし、三枚続の作品も沢山あって絢爛豪華、予想以上の素晴らしさです。

会場の解説にもありますが、清長が鳥居派四代目を襲名後、美人画から離れ、そして歌麿美人画の登場ですよね。
清長の八等身美人、歌麿の大首絵美人、良いですね...勿論、歌麿の八等身美人も。
ある意味とても分かりやすい展示、版元なんかも気にしながら見ると、いっそう楽しめるかもしれませんよ。

以下の章に分けての展示です。
第一章 鳥居清長
第二章 喜多川歌麿
第三章 東洲斎写楽
第四章 黄金期の三代絵師をとりまく大家たち
第五章 版元と肉筆画

以下は図録から

Yamabosukiyo9
鳥居清長《美南見十二候》九月

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鳥居清長《三代目沢村宗十郎の頼朝 山下万菊の政子 中村里好の清瀧》

Yamaboskodakara
鳥居清長《子宝五節遊》 端午

Yamaboutakoumei
喜多川歌麿《江戸高名美人《高しまおひさ》

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喜多川歌麿《千代鶴》

Yamabouttousei0001
喜多川歌麿《夏衣裳当世美人 伊豆蔵仕入のもやう向キ》

Yamabosyaraku
東洲斎写楽《四代目岩半四朗の乳入重の井》

Yamabosyaraku0002
東洲斎写楽《二代目嵐龍蔵の大伴山主》


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チラシ

山種美術館で4月17日迄開催されています。

 

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2011.03.08

ジョン・クラカワー著 佐宗鈴夫訳 荒野へ

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トルストイ繋がりで.....

1992年の四月、東海岸の裕福な家庭に育ったひとりの若者が、ヒッチハイクでアラスカまでやってきて、マッキンレー山の荒野に単身徒歩で分け入っていった。四ヶ月後、彼の腐乱死体がヘラジカを追っていたハンターの一団に発見された。

作者ノートの書き出しです。

クリストファー・ジョンソン・マッカンドレスは1990年の夏にエモリー大学を優等で卒業直後忽然と姿を消した。
名前を変えて、有り金のほとんどを慈善団体に寄付をして、乗ってきた車を捨てて、ヒッチハイクで北米を放浪する。発見されるまで、家族は一切彼の所在を突き止めることがができなかった。

マッカンドレスはトルストイ的禁欲生活を大学時代から行っていた。
彼は、死を意識して森へ分け入った訳では無い、まさに危険、逆境のなかでトルストイ的克己を実践したかったのだ。

十六週間の放浪で知り合った人々とのふれあいを綴って話は進行する。

若者の無垢な情熱は国籍を問いませんね、日本の若者もほとんどの方が、きっと心の奥底に同じような情熱を持っているのだと思うのですが......
何か懐かしい......そんな気もちで読みました。
彼の生き方は、賛否両論、分かれるのはあたりまえかもしれませんね。

ショーン・ペンが監督して映画化もされています。
タイトルは「イントゥー・ザ・ワイルド」です。
見ましたけど、今一つでした。

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2011.03.07

映画(DVD) 終着駅 トルストイ最後の旅

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原題:The Last Station
製作国:2009年ドイツ、ロシア、イギリス映画
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
上映時間:112分

キャスト: ヘレン・ミレン、クリストファー・プラマー、ジェームズ・マカボイ、ポール・ジアマッティ、アンヌ=マリー・ダフ
監督・脚本:マイケル・ホフマン
製作:クリス・カーリング、イェンス・モイラー、ボニー・アーノルド
原作:ジェイ・パリニ
撮影:ゼバスティアン・エドシュミット
音楽:セルゲイ・イェチェンコ

「私の知るすべてのことは  愛によって知り得たこと」トルストイ「戦争と平和」より
テロップが流れる。

トルストイ邸、妻ソフィアがトルストイの寝室に向かい階段を下りて行くところからこの映画は始まる。
そして、ベッドで寝ているトルストイに寄り添う。
場面は移ってトルストイと共に「トルストイ主義」運動を展開する、高弟チェルトコフの事務所。トルストイの秘書採用面接に現れたのは熱心なトルストイ信者ワレンチン、即採用となる。
希望に胸をすくらませて、トルストイ邸近くでトルストイ主義者が集う、コミュニティに向かう、そこで、ワレンチンに視線を向ける女性マーシャと出会う、二人の恋と、トルストイと家族、周辺の人々の葛藤が並行して物語は進行する。

晩年を迎えたトルストイは「遺産や著作権をロシア国民に残す」という遺書の書き換えをと願うチェルトコフの考えに同意する。
一方、妻のソフィア(トルストイ伯爵夫人)は、最愛の夫、家族との今の生活を守るために、遺産の書き換えに猛烈に反対、狂気の状態でトルストイを苦しめる。(世界三大悪妻と言われた所以だ)
トルストイは、体力的の衰える中、理想とプライベートの愛の狭間で懊悩する。

我慢の限界を感じたトルストイは、深夜82歳の高齢で家を出てしまう.......旅の途中、高熱を出したトルストイは、田舎の駅で降りて、駅長の好意で私邸に住まわせてもらう、そして肺炎を発症してしまう。
周辺には、世界のマスコミが集まっている、そんな中、妻ソフィアは......


私は、このような映画好きですよ。
妻ソフィアを愛し続けたトルストイを上手く描いています。
女性、妻としてのソフィアの行動は理解できますよね。


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2011.03.06

フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展

シュテーデル美術館所蔵品の展覧会です。
勿論、目玉はフェルメールの《地理学者》ですよね。
私が行った日、地理学者が展示されているコーナーに直行しましたが、観ている方は3人(入口付近は列を作っていましたが....)ゆっくり鑑賞できました、解説ビデオ、縁りの品の展示で盛り上げていました。フェルメールの作品は大きくありません、私は単眼鏡持参で、隅々まで鑑賞、正解でした。

このような人気?企画展は早い者勝ち、後々混雑必定ですからね。

それにしても、重量感たっぷりの作品群、飽きることなく堪能できました。
フェルメールの光の表現は、他の作品に比べても特筆に値しますし、個性的ですよね。
窓からの直接の光と壁に当たる柔らかな光。計算されつくした表現ですよね。

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ヨハネス・フェルメール《地理学者》

行かれる方は、一点一点じっくり時間をかけて、観てきてくださいね、ただし、ならんでる方への配慮も必要ですよね、難しいところです。

次のカテゴリーに分けての展示です。
歴史と寓意画
肖像画
風俗がと室内画
静物画
地誌と風景画


以下、私が気に入った作品を図録から.....
まあ、展示作品全点が素晴らしいと言っても過言ではないと思いますが....
時代背景と、寓意、ヴェニタス(虚栄)鑑賞の上で頭に入れておくと良いかもしれませんね。

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ペーテル・パウル・ルーベンス、ヤンブックホルスト《竪琴を弾くダヴィデ王》

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レンブラント・ファン・レイン《サウル王の前で竪琴を弾くダヴィデ》

Beku
レンブラント・ファン・レイン《マールトヘン・ファン・ビルダーベークの肖像》

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ヨハネス・フェルスブロンク《椅子に座る女性の肖像》

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ヘラルト・テル・ボルヒ《ワイングラスを持つ婦人》

Dau
ヘリット・ダウ《夕食の食卓を片づける女性》

Mifunon
アブラハム・ミフノン《合金盆の上の果物とワイングラス》

Harumen
ハルメン・ルーディング《苺の入った中国製の陶器とレーマーグラスのある静物》

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ヤーコブ・ファン・ロイスダール《滝のある森の風景と接近する嵐》

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チラシ

Bunkamuraザ・ミュージアムで5月22日まで開催。

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2011.03.05

スカイツリー  その2

特別関心がある訳ではないのですけれど、やっぱり気になります。

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さて、何処から撮ったスカイツリーでしょうか?

関心のある方は続きを読むをクリックしてみてください。

続きを読む "スカイツリー  その2"

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2011.03.04

生誕250年酒井抱一 琳派の花 (後期)

畠山記念館の冬季展後期です。
残念ながら前期は行けませんでした。
この記念館へは、白金高輪からも近いですが、今回は白金台駅から歩きました。
「館蔵の抱一作品を一挙公開です」とチラシに書いてありますけど、まあ、展示スペースの限られた記念館ですから、いかしかたないのですが、十二か月花鳥図は一揃えでみたいですよね。(前・後期半々の公開です)
数週間前、出光美術館で、一揃え、もう感激して観てきたばかりですから。

解説にありましたが、現在、宮内庁三の丸尚蔵館、畠山記念館、出光美術館、香雪美術館、プライス・コレクション、ファインバーグ・コレクションなどに所蔵されています。
ファインバーグ・コレクションの十二か月花鳥図は、2008年東博の「大琳派展」で展示されていました。
出光は先日じっくり観てきましたしもう一度行くつもりです。

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十二か月花鳥図(十二月)畠山記念館

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ファインバーグ・コレクション、2008年東博の「大琳派展」で展示

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出光美術館「琳派芸術」展で展示中


何方か、全点揃えて展示する企画をたてて頂けると嬉しいのですけど.......

今回の展覧会、こじんまりしてゆっくり観ることができて楽しかったことに違いはありませんが。

この風神雷神図、前にも見ていますが、ユーモラスな表情で抱一らい優しさがでていますよね。
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月波草花図も秀逸ですよね。
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3月21日まで開催されています。

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2011.03.03

角田光代著 小説 八日目の蝉

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予断なくこの小説を読みたい方は、以下の要約は読まないでくださいね。

 

ドアノブをつかむ。氷を握ったように冷たい。その冷たさが、もう後戻りできないと告げているみたいに思えた。
 平日の午前八時十分ころから二十分ほど、この部屋のドアは鍵がかけられていないことを稀和子は知っていた。なかに赤ん坊を残したまま、誰もいなくなることを知っていた。ついさっき、出かける妻と夫を稀和子は自動販売機の陰から見送った。冷たいドアノブを、稀和子は迷うことなくまわした。

0章、冒頭部分です。
この小説は0章、1章、2章で構成されています。

赤ん坊を連れた稀和子の逃亡生活が始まります。
先ずは、学生時代の親友の家で、時に、立ち退きを迫られる偏屈な老婦人の家に身を隠し、そして、社会から隔絶した集団エンジェルホームに紛れ込んで......エンジェルホームで知り合った久美の実家で......
その都度、発覚を恐れて、その場を逃れ逃走を続けます。
そして、久美の実家のある、その島からの逃走を試みて、稀和子とようやく物心のついた薫は、辿りついた連絡船の乗り場で、引き離されることになります。

時は移って、薫は19歳の学生、親元を離れ、アルバイト生活。
すると、そこにエンジェルホ-ムで面倒を見てくれた、お姉さん的存在だった千草が現れます。
千草は、自分が育ったエンジェルホームの取材をしている。
実は、薫は、妻子ある男と......そして妊娠する。
あの、稀和子と私は同じことを......

一時期、エンジェルホームで育った、薫と千草は、薫と稀和子が最後に過ごしたあの島小豆島を目指す。
そして、あの連絡船乗り場で.......

最近?の作家の作品を読んでみようと、本屋で大量に平積みされている、この本を手にとってみました。
物語りの導入部の表現も見事、どんどん先の筋書きが心配になります。結末の表現が難しいだろうな~なんて思いながら読み進めました。良い小説です。
映画化もされるようです、良い映画になることを願います。

蝉は、数年(7年という説もある)の幼虫の時期を経て殻を破り成虫になり、その7日後に生命を終えます。
この小説のタイトルの由来です。

「前に、死ねなかった蝉の話をしたの、あんた覚えてる?七日で死ぬよりも、八日目に生き残った蝉のほうがかなしいって、あんた言ったよね。私もずっとそう思ってたけど」千草は静かに言葉をつなぐ。「それは違うかもね。八日目の蝉は、ほかの蝉には見られなかったものをみられるんだから。見たくないって思うかもしれないけど、でも、ぎゅっと目を閉じてなくちゃいけないほどにひどいものばかりでもないと、私は思うよ」

著者のメッセージですね。

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2011.03.02

スカイ・ツリー

東京マラソン2011応援 の帰り、日本橋の美術館に行ったのですが、設備点検で休館、このまま帰るのは悔しかったので、「そうだ、スカイツリーに行こう」ということで......

とうとう、世界一の高さに、昨日今日とマスコミも盛んに取り上げていますね。
私が、行ったのは、日曜日ですから未だ、世界一ではありませんでした。

観光バスが止ったり、芸人が(TVで見かける方ですが、名前は知らない)観に来ている方にインタビュうしている所を撮影していたりで、夕方四時頃にもかかわらず、結構な人出でした。

マラソン帰りと思われる方もおられました、関西言葉で話していましたから、「東京マラソンとスカイツリー観光」彼にとっては良い思いでになったのでしょうね。

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2月27日(日)時点で....

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帰りに浅草寺にも行ってきたのですが、こちらも大混雑。
親父が、子供好きだったものですから、その昔よく連れて行ってもらいました。
昔は、露天商が沢山出ていて、長い定規でたたき売りです。

中学生の時だと思いますが、親父が露天商からズボンを買ってくれました。
そして、洗濯をしたら、黒いズボンが、何故か、黒に緑が混じったような色に変化していました。
それ以後は、はきませんでした。
そんな大昔の思い出の詰まった街です。


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2011.03.01

なぜ、これが傑作なの?

副題に「モネからポロックまで。その秘密を紹介します。」と書いてあります。

ブリジストン美術館のコレクションンl展示です。
この美術館は企画展を中心に年4から5回程度は行っていると思うのですが、ついでに常設展示もさらっと観ています。それこそ何度も観てきた作品ですが、改めて見直すには良い機会だと.......
今回は、ブリジストン美術館の作品収集コンセプトが分かりやすい展示になっています。
主だった作品12点は特別に各色に分かれた背景板に展示され、入手経緯を含めた詳しい解説が添えられています。
ブリジストン美術館概要の趣です。
出光美術館の帰りに寄ったのですが、16時過ぎても、結構な人出でした。
4月16日まで開催されています。

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代表する12点とは、
1、ポール・セザンヌ《帽子をかぶった自画像》
2、ポール・セザンヌ《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》
3、エドゥワール・マネ《自画像》
4、クロード・モネ《黄昏・ベェネツィア》
5、ピエール・オーギュスト・ルノアール《すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢》
6、藤島武二《黒扇》
7、小出楢重《帽子をかぶった自画像》
8、パウル・クレー《島》
9、ジャクソン・ポロック《Nunber2,1951》
10、アンリ・マティス《縞ジャケット》
11、岡鹿之助《雪の発電所》

Mane
3、エドゥワール・マネ《自画像》

画像は、チラシからです。


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12、パブロ・ピカソ《腕を組んですわるサルタンバンク》

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