絵で読む宮沢賢治展
平塚市美術館で11月4日まで開催されています。
この展覧会は2部構成となっています。
第1部では宮沢賢治の生涯を時系列で紹介するとともに童話や詩の直筆原稿や水彩画、書簡、戦前戦後に出版された代表的な挿絵本ほかを展示しています。
なんといっても、「雨ニモ負マケズ」手帳の展示 がメインです。
私も列に並んで、アクリルのショーケースに収められたその手帳を、宝物を見るような思いで、じっと見つめてきました。彼の人生の「まとめ」のような詩です。彼は心象スケッチと呼んでいたようですが。
明治、大正、昭和という時代を生き、37歳で没した彼の生涯を思う時、その時代背景は無視できません。
彼が生まれた、約10年後日露戦争が起きます。そして、東北地方の、度重なる凶作による飢饉、その度に
焼け太りになる家業(質店、古着商)、彼は長男でありながら家業の継承を嫌って、一時ノイローゼ状態に.......。
そして、親の許しを得て、盛岡高等農林への首席入学。
法華経との出会い、熱心な真宗信者の父との確執.....。
とりなす妹トシ、その最愛の妹の若すぎる死(24歳)
みぞれの降る朝、その時賢治は押入れに頭を突っ込んで慟哭したと伝えられている。
そして、あの「永訣の朝」が生まれた。
4年間の教師時代の逸話。
理想の農村への模索。
法華経信者としての熱心な活動。
学生時代から、続く著作の数々。
生前出版された単行本はたったの2作品
注文の多い料理店、春と修羅、売れなかったようです。
昭和に入って、満州事変、満州国建設、五、一五事件
この時期に「雨ニモ負ケズ」は書かれた。
そして、昭和8年、芸術家、科学者、宗教家であった宮沢賢治37歳の早すぎる死。
翌年、全3巻の全集が編まれる。
三年後、二、二六事件、第二次世界戦争への足音が........。
最近、あらゆる意味で、戦前と似てきたという論調があります。
現在の、宮沢賢治はいるに違いない、スポットライトがあたらないだけかもしれない、身近にそのような方はおられませんか........。
第2部では、銀河鉄道の夜、風の又三郎をはじめとした宮沢賢治の童話や詩のイメージを描いた絵本原画が展示されていますします。
宮沢賢治の世界をイメージして描かれた、作家の個性が面白い。
椅子に置かれた童話を読みながら、ゆっくり過ごす美術館での午後というのもいいですよ。
ただし、4日までの開催ですから、混雑が予想されます。
私が行った日曜日の午後も、10分程度の入場待ち時間がありました。
| 固定リンク
コメント
elmaさん、コメントを頂きありがとうございます。
>片道3時間をかけてです
大変でしたね。
我が家からも結構遠いんですよ。
勿論、貴ブログの投稿記事は拝見済みです。
宮沢賢治は、社会的背景、家庭環境と作品が密接に関係しているように思います。
東北地方の、焼け太りの裕福な家の生まれという意味では、太宰と似ていますよね、その後の違いは何によるものなのでしょうか...なんて、このところ考えていました。
投稿: elmaさんへ | 2007.11.05 12:43
うしろの正面さん、コメントを頂きありがとうございます。
仰ることごもっともと思います。
>迷うことは人間として命をもらったものの義務
このフレーズ気に入りました、いただきます。
最晩年をどのように生きるか.....そんなこと、まだ先のこと?
難しい....。
投稿: うしろの正面さんへ | 2007.11.05 12:32
おはようございます、makoさん!!
私も行ってきましたよ。片道3時間をかけてです。
最終日が11月4日というので・・・。
待ち時間が20分と、やはり、並びました。
賢治の「アメニモマケズ」手帳に11.3と記されていたのが気になって・・・。偶然にも、11.3です。「早く行かなきゃ!!」
帰りに茅ヶ崎あたりで下車し、夕焼けをみようと思いましたが、曇りでした。(残念)
こんな感じで出かけました。詳しい感想は、ブログに記しましたので、見に来てください。
投稿: elma | 2007.11.05 05:36
makoさんへ。
ごまかしのない人間なんて人間じゃありませんよー。
私だって、迷いの中であがき、多少の修正を試みて、あとは目をつぶって生きています。
迷うことは人間として命をもらったものの義務で、幸福であるとも思います。
makoさんは、クラッシュしてもうろたえたりなさらないと思います。
だって、その時は今より年をとって、きちんと総括し、はらを括ることが出来るからです。
あとは墓に入るまで背負い、自分、良く耐えた、と褒めてやれば良いと思います。
迷いが多く、耐えることの多い人生のほうが立派であると信じています。
・・・・・・・・、と自分に言い聞かせる毎日です。(笑)
ちょっと、気になったので。
老婆心ながら。
投稿: うしろの正面 | 2007.11.04 23:40
うしろの正面さん、コメントを頂きありがとうございます。
人間は、何かを信じていなければ生きていけませんよね。
ごまかしであっても....。
宮沢賢治は、ごまかすことのできない性格だったのではないでしょうか。
私は、ごまかして生きています、ある日突然クラッシュが起きてうろたえるのみです。
きっと....。
うしろの正面さんのブログがきっかけで、展覧会に行って、いろいろ考えさせていただいた一週間になりました。
ありがとうございました。
投稿: うしろの正面さんへ | 2007.11.04 08:21
早く記事が出ないかと思い、待っておりましたよ!
待った甲斐がありました。
展覧会の内容と賢治の生涯をこの長さで網羅し切ってあるなあ、とすっかり感激してしまいました。
「雨ニモマケズ」、あの字を見て賢治が病気による早世のため果たし得なかった夢を、かわりに体現したいと、誰もが一瞬思うでしょう。
私もそう思いましたが、家に着くころにはいつもの卑しい自分に戻ってしまいました。ざんねんです。
日曜日はやっぱり混みましたか。
私が行ったのは平日でしたが、平日の、地方の(?)美術館にしては思ったより入場者が多いと思って感心していました。
いつかの三沢氏の展覧会といい、平塚市美術館、おやりになりますなあ。
投稿: うしろの正面 | 2007.11.02 13:01