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2007.09.23

キリシタン-信仰とその証-展

先週、見てきました。
仏像の道展と共に、とてもいい展覧会でした。
東京国立博物館の企画展です。
9月30日までの開催です。

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マリア観音像

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聖母像(親指のマリア)

何処かで観たような.....ではありませんか。
西洋美術館に展示されている、私のお気に入り、カルロ・ドルチの悲しみの聖母に似ていませんか。
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明治時代はじめまで250年続いた切支丹禁制の中で、隠れ切支丹は、営々とその信仰を伝えてきました。
マリア観音像に象徴されるように、キリスト教とは異質なものになってしまった感は否めませんが、なおさら興味を引きます。

観音信仰とキリストのアガペ(愛)に共通点を見出す方は多いのかも知れません。

展示品は
少年遣欧使節がヨーロッパ各地に起こした日本ブームの中で出版された「天正遣欧使節記」、シドッチ将来の聖母像(親指のマリア)をはじめ、ロザリオ、十字架、メダイ、踏絵、マリア観音像等々があります。

興味のある方は是非。

私は、遠藤周作の沈黙、切支丹に関する書物(題名を忘れました)、切支丹大名の話、等々を反芻しながらみて回りました。


以下は沈黙の抜粋(Wikipediaから)

夜明けに、ロドリゴは奉行所の中庭で踏絵を踏むことになる。すり減った銅板に刻まれた「神」の顔に近づけた彼の足を襲う激しい痛み。そのとき踏絵のなかのイエスが「踏むがよい。お前のその足の痛みを、私がいちばんよく知っている。その痛みを分かつために私はこの世に生まれ、十字架を背負ったのだから」と語りかける。

 こうして踏絵を踏み、敗北に打ちひしがれたロドリゴを、裏切ったキチジローが許しを求めて訪ねる。イエスは再び、今度はキチジローの顔を通してロドリゴに語りかける「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」「弱いものが強いものよりも苦しまなかったと、誰が言えるのか?」。踏絵を踏むことで初めて自分の信じる神の教えの意味を理解したロドリゴは、自分が今でもこの国で最後に残ったキリシタン司祭であることを自覚する。

この件、ペトロの話を思う方、反発する方いろいろですね。


日本におけるキリスト教、キリスト教と日本人、いろいろと考えさせられました。

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