アンリ・ミショー展 ひとのかたち
ミショーの作品をどの様にとらえるか、人それぞれでしょう。
私には、よく理解できませんが、少しずつ、ぽつぽつと何かを感じ始めました。
東京国立近代美術館のギャラり-4で、8月12日まで開催されています。
「特別の意図を持たずに描いてごらん、機械的に描きなぐってごらん、紙の上にはほとんどいつも、いくつかの顔が現れる。」
まず、描くことによって、思いがけない何かが発見され、更に、無心に描くことによって
何かが増幅していくのでしょう。
分かりません。
分からないけれども、眺める。
どこかで、いつかミショーの感性と接触することがあるかもしれません。
楽しみです。
詩、文章も参考に.....。
以下の画像は、チラシからの切り抜きです。
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コメント
elmaさんコメントを頂きありがとうございます。
>「メスカリン」体験が気になりました。身体をはって実験したのでしょうか?ちょっと、気になるところです。
芸術家は結構、薬を使いますよね。
川端康成は、薬を飲んだ状態で、眠れる美女、片腕(でしたっけ)を書いたといわれています。
あの文体、筋書きは、なんとも耽美的で、そう思わせます。
芸術家は、自分そのものが実験材料ですからね。
投稿: elmaさんへ | 2007.07.13 12:42
こんさん、コメントを頂きありがとうございます。
>わからないものをわからないままに投げ出すことの意味を考えさせてくれました。
そのような行為によって、自分でも気づかない深層心理の発見があるのでしょうね。
さてさて、わからないと、さらに興味が湧いてきますね。
投稿: こんさんへ | 2007.07.13 12:33
こんばんは、makoさん!
アンリ・ミショーのことは初めて知りました。「ムーブマン」は、心が躍るようで、共鳴しました。
よくわからないので、調べてみました。「正剛先生」のところに行ってみました。なかなかいい記述です。『砕け散るものの中の平和』1973, 国文社の詳細などの記述はすてきです。「詩」的には、いいのですが、「メスカリン」体験が気になりました。身体をはって実験したのでしょうか?ちょっと、気になるところです。
投稿: elma(自分磨き) | 2007.07.12 22:32
墨のシリーズやムーブマンのシリーズは日本人には馴染みやすい懐かしさを感じました。自動筆記のインパクトやメスカリン素描は人間の心の内面をいかに開くかのチャレンジだと思います。わからないものをわからないままに投げ出すことの意味を考えさせてくれました。
わたしも「管理人ブログ」なんてのでラーメン地理学とか書き込んでいます。ヒマなときにでも寄ってください。
投稿: こん | 2007.07.12 12:59