ペルジーノ展
チラシに沢山、説明文が記されています。
レオナルド・ダビンチ、ボッティチェリの兄弟弟子
1500年当時「イタリア最良の画家」と呼ばれた。
甘美なる聖母の画家
ラファエロが師と仰いだ神のごとき人
損保ジャパン東郷青児美術館で7月1日まで開催されています。
ペルジーノ、本名はピエトロ・ヴァンヌッチ(1450頃~1523)です。
テンペラ画が殆どで、油彩、フレスコも数点展示されています。
このような絵画は矢張り、現地の空気、教会等の建物で観るのと新宿の高層ビル42階ので観るのではおのずと感じ方が変わってくるのではないのかなと思ったりしました。
宗教的、民族的なバックボーンがあれば別ですが......。
絵画そのものは勿論すばらしいものばかりなのですが、何か、入り込めないもどかしさが付きまといました。
教会での説教に感じるちょっとした違和感と似たような......。
期待が大きすぎたのかもしれません。
修行が足りない.....。
私のベストは、《少年の肖像》という油彩画です。(以下の画像ははチラシから)
ペルジーノのすばらしい力量が見事にあらわれた絵画だと思いました。
《少年の肖像》
《石棺の上のキリスト》
ベネデット・ボンフーリ《受難具を持つ天使たち》
1473年の工房《ジョヴァンニ・アントニオペトラツイオ・ダ・リエーティの娘の潰瘍を治す聖ベルナルディーノ》
以下に、HPの解説文を引用させていただきます。
レオナルド・ダ・ヴィンチの兄弟弟子
ペルジーノの生涯はルネサンスの立役者たちに彩られています。修業時代の後期をすごしたフィレンツェのヴェロッキオ工房には、ボッティチェッリやレオナルド・ダ・ヴィンチがいました。システィーナ礼拝堂壁画ではボッティチェッリ、ギルランダイオ、シニョレッリらと共にもっとも多くの壁面を手がけ、のちにミケランジェロと口論したエピソードも残っています。彼を「レオナルドと同じくらいの名声を得ている神のごとき画家」と称えた画家ジョヴァンニ・サンティの息子ラファエロは若い頃にペルジーノ工房に加わり、深い影響を受けました。妻は、ブルネレスキの後継者でピッティ宮殿造営に関わった建築家ファンチェッリの娘キアラです。
もっとも成功した画家のひとり
ペルージャとフィレンツェの二都に大工房をかまえ、教皇をふくむイタリア中の有力者から注文を受けました。シエナの実業家アゴスティーノ・キージは1500年の書簡の中で「イタリア最良の画家」と述べ、伝記作家ヴァザーリはその作風を“新しく生気に溢れた美”と形容しました。代表作はローマのヴァチカン宮殿システィーナ礼拝堂壁画、ペルージャのコッレージョ・デル・カンビオ(両替商館)の壁画、パリのルーヴル美術館にある≪聖セバスティアヌス≫≪アポロとマルシュアス≫、ミュンヘンのアルテ・ピナコテークにある≪聖ベルナルドゥスの幻視≫など。一時期ペルージャの執政官もつとめたペルジーノは、市居の工房の親方画家としてはもっとも稼ぎ、社会的に成功した一人に数えられます。
ウンブリア派/古典主義の草分け
ペルジーノの甘美な作風は、おもにウンブリア派の清澄な色彩と、古代ローマ美術に対するフィレンツェ人の熱意を融合させたものです。それはイタリア人の理想美への愛と、天上への憧憬を共に表現する当時もっとも成功したヴィジョンでした。それはラファエロに受けつがれ、盛期ルネサンス時代のローマで花開きます。そして各国へ伝播し、以後300年ちかくヨーロッパの美の規範となるのです。本展ではボンフィーリやカポラーリなどのペルージャで活動した画家たちの作品もあわせて展示し、盛期ルネサンス芸術に流れ込んだウンブリア派の系譜をご紹介します。
なぜあまり知られていないのでしょう?
ペルジーノが生きた1500年前後は、職人階級であった画家が教養ある芸術家へと地位の向上を求めた過渡期でした。レオナルドやミケランジェロが思索をめぐらす一方で、ペルジーノは定評をえた作風を後半生にシステマティックな制作方法へと展開し、大量の受注を実現しました。そして、まさにそれゆえに、芸術家の精神性を重視する後世には冷遇されたのです。しかし美術界では近年、苦悩する天才というロマンティックな芸術家像をのりこえるように、プロジェクトを進めるリーダーとしての顔を持つ芸術家たちも注目を浴びるようになりました。期を同じくして巨匠達の陰となっていたルネサンスの辣腕画家にもふたたび光があたり始めています。本展は、2004年に故郷ペルージャで開催されたペルジーノの大回顧展をもとに、ウンブリア国立絵画館に残る貴重な板絵を中心とするペルジーノの作品約40点を借りうけ、再調査が始まったばかりの画家の仕事ぶりをまとめてご紹介する国内初の展覧会です。
ペルージャとは?
中田英寿選手が最初に移籍したサッカー・チームのある町。チョコレートの産地。紀元前6世紀からエトルリア文明が栄え、紀元前40年にローマ帝国の一部となり、帝国分裂後はビザンツ帝国の配下になり、500年代以降の度重なる支配者交代の時期を経て、12世紀までには自治都市となりました。ルネサンス時代に美術が盛んになり、ペルジーノを代表とするウンブリア画派の中心地として知られています。
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